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求める先に  作者: 星葡萄
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第五十四話

シトシトと降りしきる霧雨。傘を差して行き交う人々の流れをせき止める様に、傘も差さずに立ち止まっているのはギプスで左腕を吊した龍司だ。

その視線の先にはジュースの自販機。財布の中には一万円札が数枚と小銭は110円。何というか、色んな意味で人生最大の葛藤が生まれる瞬間である。

「……どうしよう」

本当、どうしようかと思う。たかが120円の為だけに崩すのが口惜しくなるが、かと言ってファミレスに入ってドリンクを注文するのは本末転倒だ。

「はい、10円あげるよ」

スッ、と。さりげなく隣から伸びた手は龍司の手に10円玉を握らせた。

「……どうしてお前がここにいるんだ、フィオルトレップ・キーファ?」

「道化師は不滅なんだよ」

龍司が振り返った先にいたのは、身長一九〇強という長身なのに整った顔立ちから女性らしさが強く、肩に掛かる長い金髪がさらにそれを際だたせる、アンダーフレームのメガネをかけたキーファがそこにいた。

「君は知らなかったっけ?僕のクローンがいるという事を。クローンがいるという事はオリジナルがいるという事だ。耶江ちゃんが殺したのは、ただの劣化製品(クローン)に過ぎない」

でもね、とキーファは続ける。

「耶江ちゃんもその事に気付いているだろうが、例えあれがクローンだろうとオリジナルだろうと、彼女が僕……いや、人を殺したという事実だけは変わらない。彼女は敵も味方もお構いなしに分け隔てなく、まるで他人を駒に見立ててチェスでもする様に自分の計画を『詰め』ていく。自分の手は綺麗なままでいたいという思惑もある。だから彼女は優しいんじゃなく、甘いんだよ。まるで子供だ。

だけどこの思想は、僕にとってはチャンスでもあった。僕は僕を殺させる事で、彼女に深い傷を負わせた。この傷は一生引きずって行く事だろう。それこそ、何をやる時にも僕の顔を思い浮かべる程にね。

分かるかい?(オリジナル)(クローン)を殺す事で彼女の心を得た。罪悪感、自己嫌悪、そんな感情でね」

一頻り語った後、キーファは胸ポケットからタバコを取り出して火を付けた。そして再び語り出す。

「何をしても僕の顔が思い浮かぶ。人を殺す、とはそういう事だろう?なぁ龍司」

「……黙れ」

「彼女は僕を殺した罪に苛まされながらもこれからを生きるよ。他の誰でもない、僕を思い浮かべてね」

「……お前、本当にそれでよかったのか?」

龍司は右手に持った120円を自販機に降下し、缶コーヒーのボタンを押す。ガコンッ、出てきた缶コーヒーを手にし、器用に右手だけでプルタブを開ける。左腕は現在、まったく何の役にも立たない。

「それでよかったのか、だって?何が?」

キーファは何がおかしいのか、タバコを地面に落として靴底で踏み消しながら、新たなタバコを取り出した。

「君の考えを僕に押しつけないでもらいたい。それは個人の思想の自由だろ?キーファという存在を耶江ちゃんに刷り込む、そして耶江ちゃんの心を支配する。彼女はもう、別の誰かを愛する事も出来ない。その度に僕を思い出す、ただそれだけでいいのさ」

クスクスと、キーファは女性みたく綺麗な顔を歪めて嗤う。

その姿はさながら、仮面(マスク)を被った道化師(ピエロ)の様……。

「それはそうと、あの戦いは見事だったね。まさかあのシャオを倒すとは思わなかったよ」

「……あれは、」

自分でもよく覚えていない。龍司はそう続けようとして、やめた。どうせキーファならそのくらい想像できているだろうという考えだ。

龍司は右手を見つめる。あの時の力はもう顕現できない気がするし、もう一つ気になる事がある。

あの力は本当に、異界の血が混じったから生まれたのだろうか?

確かに自分の力は時々恐ろしくなる程に強大なものだ。……が、それでも今までその力の片鱗すら見えなかったのはおかしい。実際、龍司の血はアーティファクトを通したり、自らの身体を駆使しなくては発動しなかった。

果たして、あれは何だったのだろうか。

「……ところで、一つ気になる事があるんだけど、いいかい?」

「な、何だ?」

まさか心を読まれたんじゃないかと、ギクリと肩を震わせたが、キーファの口から出た言葉は見当違いなものだった。

「結局、シャオはどうなったんだい?あの島から帰還して、奴だけが消息を掴めないんだが。もしかして殺したのかい?」

「あ、あぁ……なんだその事か」

龍司はホッとため息を吐き、続けて苦々しいため息を吐いた。

「じいさんは、……島から帰還するや否や、死んだよ」

「……それはご愁傷様だね」

キーファは眉間を指先で摘みながら、そこはかとなくシャオに同情した。寿命の問題もあったろうが、直接的な要因は恐らく、最後の龍司の一撃だろう。自分の孫に当たる人物に殺されたのだ、同情しない筈がない。

「……ところで、」

「他の奴らの事が知りたいかい?いいよ、教えてあげる」

今度こそ心を読まれ、龍司は驚いた。本当に、目の前の存在に驚愕を隠せない。

「まずパウザ・シュトーレンとコワルスキーだが、パウザは死に、コワルスキーは懲役一七〇年の刑に処されたよ」

「パウザが死んだ!?馬鹿な!」

「罪のない子供を何十人も殺したんだ。しかも、決め手となった不味い事態は、その被害者の生き残りであるナイアが証言した事だ。簡単に死刑判決が下されたよ。コワルスキーはその事を知らず、模範囚として今も罪を償っている」

……それは、どんなに悲しい事だろうか。ある意味では救いとも取れなくはないが、それにしたって非道すぎる。

しかし、それでも。

パウザが死んでコワルスキーが生きているという事はつまり、パウザはコワルスキーに命令されて殺したとは言わなかったという事だ。

守りたい者を守る事で結果的に死を選んだパウザは、果たして幸福だったのか不幸だったのか。今では知るすべがないのは確かだ。

「ゼロは行方不明。同時に優牙の死体も行方知れず。……ま、コワルスキーが生きているって事は、少なくとも死んじゃいないって事だね」

「……復讐に来たりしねぇだろうな、アイツ」

「その可能性はなきにしもあらずってトコかな?ま、殺されるのは君だし僕にとってはどうでもいい事だ」

「他人事だと思いやがって……」

「他人事だよ」

キーファはタバコを地面に落とし、靴底でもみ消しながら龍司の持つジュースを奪って一口飲んだ。次に龍司の手に缶が戻ってきた時、既に中身はなかった。

「……おい」

「ダイアンと悟は、身体のホルモンバランスを整える為にコワルスキーが昔使っていた研究所に移送された。奴らはホルモンバランスを崩す事で急速に成長させられたクローンだからね。実際、二〜三年ぐらいしか生きていない。しかし一度崩されたホルモンバランスってのは、そう簡単に調節出来るもんじゃない。彼らは一生、不治の病に冒された状態で生きざるを得ない。少なくとも、社会に出る事は出来ないだろうね」

龍司の異議は却下された。

「あとは、耶江ちゃ……」

「もういいよ。ありがとう」

「……意外な事を一気に二つも言うねぇ、君」

「そうでもない」

こめかみをポリポリと掻きながら、龍司はキーファに向き直る。

「耶江とは……またどっかで会える気がする。だからいい」

「……そうかい」

何か釈然としないのか、キーファは龍司に背を向けて歩きだした。

「あぁ、そうそう。あと一つだけ」

「?」

「TDCはあれだけ派手に動いた事で、色んな事で色んなトコから責められてる。……いや、まぁ、こんな話は今更どうでもいいか。問題は、」

足を止め、振り返るキーファを見て、龍司はまたも驚いた。あの、常に人を小馬鹿にした様な笑顔は一切なく、まるで苦虫を噛み潰した様に苦々しい表情をしていた。雨だか汗だかの一雫が頬を伝う。



「TDC会長、早瀬に……娘なんていない事が発覚した」



――鳥肌が立った。

まるで全身を毛虫が這いずり回った様に、龍司は背筋をゾクゾクと震わせて眉根を寄せた。

つまり、キーファの言い分を信じるならば、早瀬理露という人間は存在しない。

「……じゃあね、龍司。僕にはやるべき事があるから、この辺で失礼するよ」

そう言い残し、キーファは立ち去った。

「……早瀬理露は存在しない」

あれが耶江の嘘だというだけの話だ。なのに……龍司には、言いしれない不安を感じてならない。





†††††††††





四日後。

「オッスー」

龍司の目の前には、茶色の髪を後ろで束ねてポニーテールにした見た目少女で中身二十歳の女、三国耶江がいた。

「返せ!この四日間の苦悩を返せ!」

「うおっ……いきなり何を言い出しちゃってんのアンタ……?頭わいてんの?」

耶江は龍司のアパートに来ていた。どうやって調べたのかは知らないが、まぁ名前さえ分かっていれば住所を突き止めるくらい訳ない時代だ。詮索する気にはならない。

「……聞いたぞ。お前、早瀬理露って名前、嘘なんだって?」

「うん。嘘」

「なんじゃそらテメェ!あんな状況で真剣に言われたから信じちまったじゃねぇかよ!」

「ちなみに三国耶江も嘘」

「うぼぁッ!こっ殺すぅ!今日こそ絶対に返り討ちにしてやる!」

バリバリと髪を掻き毟る龍司を余所に、耶江は了承も取らずに靴を脱いで上がり込んだ。

「客人はもてなしなさい。ホラ、さっさとお茶でも出しなさい」

「……はぁ。もういいよ。もうお前が何者だろうと驚かんよ。……耶江って名前じゃないんなら、俺はこれから耶江(仮)って呼ぶわ」

「……それはやめとけ。擦り潰すわよ」

耶江(仮)は凄んでみせるが、悪癖である『怒ると問答無用で関節技(サブミッション)を仕掛けてくる』が出なかっただけTPOは弁えているのかも知れない。

……と心の中で呟いた龍司の頬に、耶江(仮)の拳が突き刺さった。

「えっ!?ナニ!?何で殴られたんだ今!?」

「……いや、なんかそこはかとなくムカついたからさ」

エスパー!?と心中叫ぶ龍司を余所に、耶江(仮)は冷蔵庫の中からお茶のペットボトルを取り出し、コップに注ぐ事なく直接口を付けて飲んだ。間接キスという概念は彼女にはないらしい。つくづく可愛くない女だなーと龍司は思う。

「……で、マジで何しに来たんだお前?」

「ん〜……事後報告……いや、事後承諾、かな?」

「はぁ?」

意味不明な言葉を呟く耶江(仮)。思わず訝しむ龍司。

「ねぇ、龍司。……私が誰なのか、分かる?」

「……ごめん。むしろ意味が分からねぇよ」

「……だよねぇ、普通は気付けないかぁ」

困った様な、泣いた様な表情で尚も笑い顔を見せる耶江(仮)だが、そんな表情は耶江(仮)に似合わない、と龍司は思う。

何故だかそれが厭に悲しくて、

何処か、寂しく感じた。

「……龍司。ちょっとしゃがんで目ぇ瞑って」

「……何を企んでいる?」

「いいから。さっさと言う通りにしろよテメェ」

耶江(仮)にしては論理的ではない言動だったが、龍司は敢えてそれ以上の反論はせずに言う通りにした。

目を瞑ると、そこは深淵の闇の底。

懐かしく、怖く、苦しい。まるで水底に沈んだ様な錯覚。

世界は、暗く黒い。そう認識させる。

「……もう、大丈夫。怖くないよ」

――フワリと、優しく包み込まれた。

それは耶江の包容だった。甘い匂いが花を擽る。

「なっ……!」

「ハ〜イ動かな〜い。しばらくこうさせてよ、龍司」

囁く様に優しく呟く耶江の言葉の外に、別の意味がある事を理解した。

『これからは、もう会う事はないだろうから』

そう聞こえた。

「……キーファにもこれしてあげたいけど、残念ながら不倫になっちゃうのよねぇ」

「……何の話だ?」

「ん?だって私、一児の母だし」

さらりとトンデモない事を口にした。

「……え?ギャグ?」

「うんにゃマジ。ちなみに未亡人」

「オイオイオイ嘘だろ冗談だろ何だソレ!?」

「うんにゃマジ。ちなみに二十歳ってのは本当」

にゃはは〜と軽く笑いながら、耶江は龍司から身を離す。完全に硬直した龍司に向かって、耶江は向き直る。

「私がキーファを殺す事で、私を支配する。キーファの考えてる事はどうせそんな事だろうと思うけど、残念ながら私には心に決めた人がいるのよね〜。……まぁ、死んじゃったけど」

「……でもさ、母さんにそこまで愛されてるなんて、幸せだったんじゃないかな?」

言ってから、気付く。

何か、決定的な事を言って仕舞った事に。

ハッと口を噤んだ時には既に遅く、耶江は茫然自失したまま龍司を見つめていた。

「いや違う!な、何言ってんだろうな俺さぁ!あ〜あれだ学校の先生に『お母さん』って言って仕舞う様な感覚で決して俺はマザコンじゃないと言いますか何というか俺の親は一七年も前に死んでるし……って、耶江?」

紅潮していく頬。ポロリと一雫をこぼす瞳。唇は震え、肩は揺れ、足腰が砕けた様にその場にへたり込む。

そんな耶江の反応に疑問を抱かない筈がない。

「……あ、」

「……あ?」

猫が喉を鳴らす様に、耶江は口角を僅かに釣り上げて笑みを浮かべる。

「……あ、……はは。気付いて……くれて、たんだぁ……、私、もう、このまま会えないだろうから、……最後に顔を見て、抱き締めて、言いたかったけど、言えなかった……のに、龍司……は、……気付いて、くれたんだね……」

熱に魘される様に力なく呟く耶江だが、それでも龍司を見上げて続ける。

「……シャオ……あの人には、あの人とも龍司とも初対面のフリをしなさいって言われてた……本当は抱き締めたかったし、何もかも言って楽になりたかった……でも、言う通りにした。……それが、何より辛かった」

龍司はここで、ようやく理解した。あの島で耶江が龍司に対し、常に関節技(サブミッション)を仕掛けてきた理由が。

あれは、スキンシップだ。気付かれない様に、でも触れられる様に。

「……じゃあ、本当に、母さん?」

「……奈義原、耶江。それが私の名前だよ」

三国耶江は嘘、とは言ったが、耶江ではないとは一言も言っていない。

思い返せば、今までの耶江の言動はたまに、龍司にほのめかす様なものがあった気がする。それは気付いてほしいというギリギリのラインだったのかも知れない。

「……私はもう、この世界にはいられない存在になったから、」

スッ、と。ゆっくりと静かに耶江が手を伸ばす。龍司の視界を遮る様に手のひらを顔の前で開いた瞬間、

「最後に、抱き締められて、嬉しかったよ、龍司」

――消えた。





†††††††††





まるで空気に溶けた様に、透明人間にでもなったんじゃないかと疑いたくなる程にあっさりと、耶江はかき消えた。

その後、龍司は街中を走り回って三国耶江……否、奈義原耶江を捜したが、見つからなかった。

不意に思い出すのは、自我もなければ記憶もない筈の、生まれたばかりの記憶。

『……ごめんね、龍司。私がお父さんを好きになっちゃったから、こんな非道い目に遭わせちゃって。本当にごめんね。

私の事を恨んでくれていい。憎んでくれていい。蔑んでくれていい。後悔はしないし、覚悟は出来てるから……。この事で龍司が不幸になるかも知れない。でも、私だけはどんな時でも龍司の味方だから。

ごめんね。本当に、ごめんね』

島に行って、一番始めに出会った少女・三国耶江。彼女は常に龍司の味方になろうとしていた節があった。

しかし龍司は、何となく耶江を苦手意識していた。どうにか出し抜こうと考えていた。それは或いは、過去を投影していたからかも知れない。

恨んでいたのかいなかったのか。

憎んでいたのかいなかったのか。

蔑んでいたのかいなかったのか。

今になってみれば、それは誰にも分からない。龍司自身にも判別はつかない。

それでも言える事はある。

「……母さん」

龍司は、晴れ渡った空を仰ぐ。直射日光で目が焼かれない様に手をかざすと、透けた赤が見えた。

それは、龍司が人である証。

優牙は認めなかったが、龍司の中に流れる『異界の者の血』は薄れつつある。優牙の中にも流れていただろう血は、もっと薄かっただけだろう。

「……父さん」

しかし、それでも。

龍司に『力』はない。

島から帰還し、何度も『力』の発現を試してみたが、それは叶わなかった。本当に『力』なんてあるのかどうか疑わしいくらいに。

今になって思えば、あれは亡き父が『力』を貸してくれたんじゃないかと、今ならそう考えられる。

澄み切った空は青く、雲一つ見えず、照りつける太陽は眩しい。

龍司は、人である証を見つめながら、そっと囁く。

「俺は、……不幸なんかじゃないさ」

誰にも聞こえぬ様に、そっと心に秘める様に。

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