窓枠に錠前 -02-
裕福な国の姫として生まれた白雪は、美しいもの、綺麗なものに囲まれて育った。
物の価値がわからない小さな頃は、値の張る絹や宝石に手を伸ばそうとしては、汚すから、壊すからと、遠ざけられていたし、事実、身に覚えもある行為だったが、ある年齢に達した頃から、身を飾り、礼儀作法を学ぶようにと家庭教師が付いた。
折角手に入れたリボン、レース、フリル、色糸で施された刺繍、しかし、レースとリボンで飾られた重たいドレスなど、拘束具と変わらないと気が付いたのはいつ頃だったか。
一度、家庭教師の前で口にした言葉は、家庭教師に窘められた。
その人好きのする容姿と愛嬌で、下級貴族の娘から、王の愛人を経て、姫付きの家庭教師となった彼女は、重たいドレスは、身を守る鎧なのだ、と言った。また、身を飾る宝石は武器なのだと。
他の国の重鎮や、王座を狙う貴族に舐められないように、自らの権力と、身を飾るだけの財力があるのだと、そう知らしめるためのものなのだと。
なるほど、と、白雪は理解した。
王族となれば、身を飾ることにも意味があるのだ。ならば、器量望みされて大国に嫁いだ王妃は、宝石そのものだ。身に着けるだけで、自らの権力と、身を飾るだけの財力があると示すことができる。だから、白雪の父である王は、彼女を手に入れたのだ。
一方で、白雪は、きれいな宝石を眺めることは好きだった。しかし、あえて身につけたいかと言われれば否だ。家庭教師が選ぶドレスも、気まぐれに王が与える宝石も、いくら良いものだと言われようとも、確かにかわいらしい品物だと思っても、いざ身に着けてみれば、自分に似合うと思ったことなど一度もない。
何よりも、いくら身を飾ろうとも、それ自身が美しくなければ、それらは何も意味がないのだと、白雪は知っている。
それを証明したのは、輿入れの日の王妃の美しさだった。
その美しい彼女は、今、仕立屋の前で、しかめっ面で悩んでいた。
彼女が嫁いできて、六回目となる春の庭園でのお茶会に向けてドレスを仕立てるために、街の仕立屋を城へと呼び寄せたのだ。なにより、この度のお茶会は、白雪の社交界デビューに向けた前哨戦ともいえるお茶会であり、白雪もまた、ドレスを仕立てなければならなかった。
「また太ったわ」
憂鬱そうな王妃の言葉を拾ったのは、採寸している仕立屋だ。すでに採寸を終わらせて自由になった白雪は、仕立屋の巻き尺が、王妃の薄い体に沿い滑るのを眺めていた。
「当然のことですよ、妃殿下はまだ成長期でしょう。ますます美しくなられていますよ」
「……殿下はどう思うかしら?」
「それこそ王子が欲しいなら、もう少し体重を増やした方が」
王妃は仕立屋の言葉を遮るように、手を振った。気を取り直すように、採寸を終えて退屈そうにソファに座って足を揺らしている白雪を呼び寄せる。
「姫、採寸は終わったの?」
「もうとっくに」
「気に入りの生地はあった?」
広い衣裳部屋に、ところ狭しと広げられたレースとリボン。こんなにもあるのに何一つ気に食わないと、白雪はため息を吐く。
「ミモザ色の生地を使いなさいって、先生が」
「ああ、新しい染色技術の」
つまらなそうに答える白雪に、王妃は並べられた生地の束から、暖かみのある黄色の生地を取り上げる。先ほど白雪が手にしたときは、指先がくすんだように見えたのに、彼女のたおやかな腕に抱えられたそれは、まるで香り立つような花の色だ。まさに白磁に行けたミモザのようだと、白雪は目を細めた。
「……ムラのない綺麗な染ね、」
今回、仕立屋が用意した品物の中では、最も話題性が高い生地だ。まだ誰も着たことがない新しい色。今度の茶会で、白雪が身に着ければ、さらに話題になるだろう。だから、家庭教師は白雪にミモザ色のドレスをつくるようにと指導した。
「殿下は何と?」
「お父さまは、女のドレスになんか興味はないわ」
生意気な口調に、王妃は困ったようにも見える笑みを浮かべる。
「そんなこと……殿下は綺麗なものがお好きなのよ。私が着飾れば褒めてくださるもの」
「お父様が好きなのは、綺麗なお母さまであって、ドレスじゃないわ」
生意気な口を利く白雪に、王妃は口の端をきゅっと持ち上げた。口元は明らかに笑みを浮かべているのに、王妃の瞳はなぜか泣きそうにかすかに潤む。白雪がそれに気が付き、言葉を口にする前に、王妃が口を開いた。
「そうね、私は綺麗でいなければ」
「お母さまはいつだって綺麗だわ。……それに、お父さまより、私の方が、綺麗なものが好きだし、大事にできる」
「姫も年頃だもの。着飾るのも楽しいわ」
しかし、王妃の言葉は、白雪が望む類いのものではなかった。白雪は頬を膨らませ、「楽しくない。そのミモザ色の生地だって、私の肌をくすませる。お母さまの肌にはきらきらして見えるのに」と、不貞腐れたようにひじ掛けに手をつき顎を乗せる。
完全に拗ねてしまった白雪に、王妃は困惑するしかない。しかし、ふと思い直したように白雪へと向き直った。
「姫、こちらにいらっしゃい」
白雪はちらりと王妃を見やり、数瞬のためらいの後、素直に従う。王妃は並べられた生地の中から硬質な深い青色の生地を取り出すと、白雪の前に置いた。
「ほら、綺麗な青でしょう。手を乗せてみて」
そっと滑らかな絹の上に手を乗せれば、白雪は思わず息をのんだ。紺青の生地は、白雪の肌の白さを冴え冴えと浮き上がらせたのだ。遠い海を思わせる青と、雪のような白い肌の対比は、まるで東の大陸で造られるコバルトで彩色された白磁のようだ。
「青の染料は舶来品でとても高価なのよ」
驚きに言葉を失った白雪に、王妃は頓着することなく、今度は、コバルトブルーの生地の下にミモザ色の生地を差し込んだ。まるで青華に活けたミモザのように、補色から生じる鮮やかなコントラスト。
「……素敵」
思わず零れ落ちた白雪の言葉に、王妃はにっこりと笑みを浮かべた。
「青との対比でミモザ色が映えるし、きっと話題になるわ」
王妃の提案に仕立屋が頷く。
「そうですね。青の染色は国としても力を入れているところです」
「では、この青は、姫の肌に映えるから顔の近くに、ミモザ色はスカートにするのはどう?……少し子供っぽいかしら?」
多色使いはどうしても、と悩む王妃に、白雪が口を開く前に仕立屋が言った。
「まさに姫がお似合いの年頃ですよ。むしろ、今じゃなければお召しになれないデザインでしょう。東の大陸で染められた赤い生糸がありますから、そちらでリボンを作ってもかわいらしいですよ」
仕立屋の言葉に、王妃は熟れすぎた果実が弾けるように、ぱっと笑みを浮かべた。だから、白雪は何も言えなくなった。
「そうね!せっかくだから袖は膨らませて、」
先ほどの憂鬱はどこか、お人形遊びをする少女の笑みを浮かべた王妃は、はっと気が付いたように白雪を振り返る。
「姫はどう?」
「……お母さまが、私に似合うとおっしゃるなら」
はしゃぐ王妃とは裏腹に、白雪は興味を失ったように、半ば投げやりに答えたが、ふと、気を取り直したように王妃に向かって問う。
「お母さまはどういうドレスにするの?」
「私はどうしようかしら」
広げられた生地を物色し始めた王妃に、白雪は残念そうに言葉をつづけた。
「お揃いはだめなの?お母さまこそミモザの生地が似合うのに」
白雪の言葉に、王妃はびくっと肩を揺らした。過剰ともいえる反応に、白雪は目を見開いた。白雪は畳みかけるように言葉を重ねる。
「本当はお母さまが身に着けた方がいいわ。お母さまが身につけたものは、そのあと社交界で流行るって聞きました」
王妃は自身の動揺を誤魔化すように、白雪から目をそらし、指先の触れた生地をいじる。
「……お揃いって、私にその青は……デザインも……」
「青は使わなくても、ワントーンのドレスにすればいい……相応に大人っぽく」
なぜか白雪は自分の言葉に傷ついたように、口をつぐむ。王妃は困惑したように眉を寄せた。
「何より、今度のお茶会は、姫の顔見せのためなのよ」
いつになく早口で告げると、この話はもうおしまいとばかりに、王妃は仕立屋に向き直る。白雪は不服そうに頬を膨らませた。
「なにか、おすすめの生地はないの?」
「こちらの糸を織って生地から仕立てることもできますよ」
「そうねぇ……あら、珍しい色」
王妃が手にしたのは、淡い色の生糸だ。灰色がかった薄青。染料をふんだんに使った濃色が富貴の象徴となるため、淡い色自体が珍しい。
「そちらは純白を作ろうとしたのです。黄変を抑えるために淡く青色をつけてみたのですが、布にするにはムラができてしまって、レースにでもすれば目立たないかと思いますが……」
「ふうん。光沢もあるし、まるで月明かりの下の雪みたいに美しいわ」
王妃は物珍しそうに、糸の束に自身の指を滑り込ませる。しかし、すぐにその表情を曇らせた。糸を手に取り、陽にすかしたり、腕の内側の肌に当ててみたりと、しばしその糸を弄んでいたが、やがて、王妃は諦めたように糸をテーブルの上へと戻そうとして、手を止めた。
「姫、腕を出して」
いまだ不機嫌そうに頬杖をついて、そのくせ飽きもせず王妃を眺めていた白雪は、無言のまま、右腕を突き出した。完全に拗ねている子供じみた白雪の仕草に、王妃は苦笑しながらも、差し出された腕に暗青色の糸を乗せる。
美しい光沢をもつ糸は、白雪の肌の上で、月夜の雪の輝きを放った。
「……あなたの肌に映えるわ。袖のレースをこれで」
「いいですね。かわいらしい花の意匠などどうでしょう?」
仕立屋の言葉に、白雪は少しだけ唇を突き出したが、何も言わなかった。しかし、否を唱えたのはお王妃だった。
「……いえ、やはりこれを生地にできないかしら?」
「そうですねぇ、ムラが出ないように色味を調整しているところですが……」
王妃の提案に、仕立屋は考え込むそぶりを見せた。王妃は白雪の肌にかかる糸を指先でなぞる。白雪はその仕草に、面映ゆいような喜びが沸き上がり、白雪本人も自覚のない、小さな笑みを浮かべた。
「タフタみたいな玉虫織にすれば、ムラも気にならなくならないかしら?……地紋を浮かび上がらせてみたり」
「……なるほど。さすが妃殿下。職人たちに相談してみましょう」
仕立屋がメモを取る間、白雪は糸が乗っていない右手を持ち上げる。そして、糸をもてあそぶ王妃の指先を、自身の指先でなぞった。触れた指先に驚き、引こうとした王妃の腕を、白雪は素早くつかむ。
「ごめんなさい、くすぐったかったわね」
つかまれた腕に困惑しながらも、王妃は白雪の腕を振り払うことはない。白雪はゆっくりと頭を振った。豊かな黒髪が、光を反射して揺れる。
「いいえ、お母さま。私に似合うものを考えてくださるの、本当に嬉しい」
その時浮かべた白雪の、どこか陶然とした笑みに、王妃はひゅっと息をのんだ。
白雪は、はにかむような笑みとともに目を伏せて、そっと親指で王妃の腕をさする。刹那、王妃の腕が緊張でこわばったが、白雪は気が付かない。
王妃はわずかに青ざめた表情で、しかし、努めて冷静に、軽く腕を引いて見せた。
「……なんだか疲れてしまったわ。少し休憩しましょう。風に当たってくるわ」
有無を言わせない王妃の言葉に、白雪は名残惜しげに、王妃の腕を解放する。王妃はつかまれた右手を胸元に引き寄せ、足早に衣裳部屋を後にした。
「まって。お母さま、私も……」
慌てて白雪も立ち上がると、お妃を追う。しかし、敷き詰められた毛足の長い絨毯が、白雪の足音を隠しているせいか、王妃は振り返ることはなかった。
彼女が向かったのはバルコニーに繋がる階段ではなく、彼女の私室だった。
よほど慌てていたのか、閉じきれていない扉の向こう。白雪はそっと覗き込んだ。薄暗い部屋の中、壁にかかる鏡に向かう王妃の姿。
「鏡よ、鏡。この国で一番美しいのはだあれ」
いつぞやに見た、まるで幼子の遊戯のような行為。幼い頃は白雪も興じた遊びだが、すでに卒業した児戯だ。そして、白雪が驚くことに、彼女の遊びに応えるものがあった。
「それは、あなたです、お妃さま。お変わりなくあなたはこの国で一番美しい」
しかし、王妃は納得できないように、震える声で問いかける。
「本当に? 白雪姫は随分と美しくなったわ」
縋る王妃に、男のような女のような子供のような大人のような声が答える。
「ええ。白雪姫は大変かわいらしい。ですが、白雪姫はまだ子供です。お美しいのはお妃さまです」
それを聞いたお妃さまは、ほっとしたようにへたり込んだ。
白雪はその身を翻し、扉の前から音をたてないように、そっと立ち去った。その口元には隠し切れない喜びの笑みを浮かべながら。