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鏡面に爪痕 -06-

 白雪が初めて自分の意思で選んだドレスは、以前王妃とともに仕立てた温度を感じさせない淡青色のドレスだった。花を模したような柄行の地紋を浮かび上がらせた光沢のある生地に、金糸銀糸のレースをあしらった上品ながらも華やかなものだ。


 あまりにも白雪の肌に映えるものだから、ついつい王妃も、お針子に随分と細かい指示を出した。あまり身を装うことに興味がなさそうだった白雪も、その時ばかりははしゃいだように、レースに通すリボンの色を、王妃が提案したいくつかの色から熱心に吟味していた。


 彼女が広間に姿を現した瞬間、賑々しく盛り上がっていた社交場は、しん、と静まり返った。夏至だというのに、まるで降り積もった雪が、辺りの音を吸い取ってしまったかのような静寂に耳が痛くなりそうだ。


 小さなお姫さまだと思っていたのに、そこにいたのは、冬の荘厳さながらの美しい姫君であった。白雪の肌に、黒檀の黒髪と瞳。その目もくらむような明暗は、彼女の整った顔立ちをよりくっきりと際立たせていた。


 丸みを帯びた輪郭はまだ幼さを残しているのに、秀でた額と、すっきりと通った鼻梁、何よりも知性に満ちたその瞳の輝き。華やかな社交場に、年相応に期待と緊張をにじませて引き締められた薄い唇と、上気した頬は、血を透かしたような赤。


 少女特有の華奢ながらもすっきりと伸びた体躯を包む大人びたドレス、開かれたデコルテには、ヤグルマギクよりも青いサファイアが輝いている。

 一国の姫としての自覚が出てきたのか、誇らしそうに胸を張り、辺りを睥睨する様は王族の一員としてふさわしい、堂々とした身のこなし。

 背伸びした未成熟さは、どこか危うげで、硬く脆い宝石のような硬質な美しさを醸し出している。


 王妃は、処刑台に立つような面持ちで、ドレスに身を包んだ白雪の登場を眺めていた。


「なんと美しい」

 思わず、というように王が呟いた。その言葉に、王妃はびくっと身を竦める。


「こうしてみると、姫もずいぶん大きくなったのだな」

「……殿下、姫はまだ子供ですよ」

「なにを言う、王妃よ。姫も、年が明ければ、そなたが嫁いできたのと同じ年だろう」


 窘める言葉を鼻で笑う王に、王妃は改めて貴族に挨拶をする白雪の後ろ姿を見やった。細い腰、しなやかな腕に華奢な手首。いつも黒髪に隠れている項は息をのむほど白く、奇妙な色気すら感じさせる。


 視線を感じたのか、白雪が振り返る。揺れるドレスの光沢が、軽い新雪を巻き上げたようにきらめいた。視線の主が王と王妃ということに気が付いた白雪は、澄ました表情から一変、破願する。その変化は、まるで、雪解けのような衝撃的で、周りの者たちがざわついた。


 王妃はその笑顔を受け止めることができずに、わずかに視線を下げた。目に入ってきたのは、まだ薄いながらも、丸みを帯び始めてきた胸元に輝くサファイア。


 この国に来て、王から初めて贈られた宝石だ。王が王妃のために選んだと思っていた唯一の宝石。


 最高級の青と、それを縁取るダイヤモンド。凝った銀細工。なんて素敵なものだろうと心をときめかせたものだ。だが、自分の肌に当ててみれば、なぜか、その青は昏く沈んでしまい、自分の肌はくすんだように輝きを失った。

 気に入ったのだが、幾連ものパールのネックレスや金細工に埋め込まれたエメラルドのように、上手に合わせることができずに、宝石箱の真ん中に据えて、時折、取り出して眺めることしかできなかったそれ。


 白雪にドレスに合わせる宝石がないのだと、相談されたときに、ふと、彼女にこそ似合いそうだとその宝飾品を思いだし、貸したつもりでいたのだが、もしかして、借りていたのは自分の方ではないのか。


 本来の持ち主は、私ではなく、白雪の母に送る品だったのではないか。高貴な青は、白雪の母から、彼女に渡すことこそが、正しい由緒となるのではなかったのか。


 肖像画に残る彼女しか知らないが、白雪と同じ黒髪の先のお妃は、大国の貴族らしく洗練された雅人であったと聞いている。王よりも年上だった彼女は、風流を解し、洒脱な聡明さをもって、王を虜にしたのだと。


 それは、王族とはいえ、田舎の貧しい国で育った自分には、きっと、持ち合わせてないものだ。なにより、王が王妃自身にそれらを望んでいないことは明白だった。彼が王妃に望むのは、綺麗であること、それだけだったのだ。垢ぬけたのは見かけばかりで、中身を伴っていないと、今まで耳をふさいで聞こえないふりをしていた、口さがない侍女たちの噂を思い出す。


 そして、今、王妃の前に立つのは、彼女の面影を持つ姫君。社交場のすべての視線を一身に浴びる彼女に、雪遊びをしていた無邪気な面影はない。見受けられるのは、大国の姫らしく、十分な教育と、一流のものに囲まれて育った姫君の高潔さと、他を蹴落とすような荘厳さ。


「お母さま、顔色が悪いわ」


 蒼白となった王妃に気が付いたのは、白雪だった。重たいドレスをそうは感じさせない仕草でさばきながら、王妃に近寄り声をかける。その言葉に、王もまた「具合が悪いのか?」と尋ねてきた。


「殿下、姫……そうですね、少し具合が」

「そうか、挨拶は一通り済んでいるから、今日はもう下がりなさい」


 王の言葉に、王妃は小さく頷いて膝を折った。

「それでは」と辞そうとすれば、白雪が「お母さま、私が付いていくわ」とエスコートするために手を差し出す。しかし、王妃はその手を取らなかった。


「駄目よ、姫。せっかく着飾ったのだから」

「でも」


 拒絶の言葉を皆まで言わせず、食い下がる白雪に、王妃は懇願するように、言葉を絞り出した。

「姫、私の代わりにチェンバロを弾いてちょうだい」

 あんなに練習したでしょう、と重ねれば、白雪は不服そうに唇を噛みしめ、黙り込んだ。


 それは、年相応の幼さで、王妃は少しだけ、安堵した。





 倒れこむように部屋に入り、かろうじて鏡の前にたどり着く。


 その鏡に映るのは、最新の染色の技術を用いた赤紫色のドレス。育つことを気にして、食事を減らしていたせいか、鎖骨どころか肋骨が浮いたデコルテ。細い首にはパールを編んだチョーカーネックレス。

まるで首輪のようだ。


 ……やせこけた犬のような姿。なんて、醜い。


「鏡よ、鏡、この国で一番美しいのはだあれ?」

 縋りつくような王妃の呼びかけに対し、その時初めて、鏡の表面が揺らいだ。

 魔法の鏡は残酷に告げる。


「あなたは美しい、お妃さま。しかし、白雪姫はその千倍美しい」


 なにより、鏡に映るその姿は、自分ではなく、冴えた月明かりのようなドレスを身に纏い、高貴な青を胸にいただいた美しい少女。

 背筋を伸ばして胸を張り、辺りを睥睨するその眼差し、その姿は一服の絵画のようだ。まるで、先の王妃の肖像画を思い起こさせる。


 王妃は鏡に手をつく。崩れ落ちそうな体に抵抗するように、指先に力を入れても、震える身体を支えることは叶わなかった。磨きこまれた鏡面には、整えられた爪が強く擦れ、不愉快な音をたてるとともに、白く曇った痕を残した。


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