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31・終わりと夜と少女の嘆き

「刺したが、こうなるとは思わなかった?」夜男は無造作に転がっていた団長の右腕を持ち、肘から先を軽く上に曲げる。不健康な色をした電灯の下に、蝋のような右手指がさらされる。

 それは指が蝋の色をしているのではなく、酷く冷たくありながら今にも溶け落ちてしまいそうな蝋が、指の形に押し留められているようだった。


 夜男の問いに、シロは噛み堪えながら、力なく頷いた。

「お前たちは死を知らない……どうすれば死ぬのか、その残酷な方法も」

「だからこうなった」団長の右腕を離すと、ことん、と骨ばった落下音が小さく響いた。「だから、覚えておけ」

「これが死だ。消えること、無くなること、眠りさえも終えること、その全てなんだ」夜男はシロを見据える。そこには不思議と、怨嗟も怒りも込められてはいなかった。


 死。団長は死んだ。終わった。消えた。身体はあるくせに、ここに転がっているくせに、どこにも居ない。それは分かる。分かっているはずなのに、思い出は脳裏をよぎらず、彼の顔さえも思い出す気にはなれない。この感情は酷く平坦で、どこか冷静ですらあった。

 僕はまだ、死を彼女を理解してはいても、感じとれてはいなかった。


 団長は終わった。だが終わりとは何だ?


「知りたくなかった、こんなこと……こんな寒くて、冷たいこと」我が身を抱くような声で悔いる。

「だがお前たちのやったことだ。知る義務がある」

「そうね、そうかも知れないけど! じゃあ私はどうすればいいの?」シロは償いの術を求める。

「何をしても、死は変わらない」僕も、そしてきっとシロもまた、直感的に理解していた。死は不変であり、その夜色を揺らがせる事さえもできないということを。

「私は彼を刺して、死なせた。殺した。でも……何も、何もできない」

 事実をなぞる悔悟の言葉。少女は花のように俯き、男は何も言わない。


 シロを庇ってやりたかったが、理屈と理性がそれは無理だと告げている。

 全ては彼女の懺悔する通りだ。彼女が刺し、団長は死んだ。無知を判断材料に加えても、因果は覆らない。彼女が団長を殺した……突きつけられたその事実をただ再度何度と反芻するだけで、何も言えない自分が無様で下賤で憎らしくてたまらなかった。

 だがどれだけ己を呪っても、僕はシロを守れない。


「あなたは……あんたは、それを僕らに教えたかったのか」だからせめて、話題をすり替える。「それでどうなるって言うんだ、いったい何のために!」

 夜男はシロから僕へ、何故か優しげな矛先を向ける。「いつかは向き合う羽目になってたさ。そして、もっと多くの死を踏み越えていくことになるんだ」

 僕らが疑問を差し挟む前に、「ここに青空を作れ。海でやったようにな」彼は命じた。


「断る。それでどうせ、またロクでもないことを教えるつもりなんだろう?」

「そうだ。俺が教えるのはロクでもない……真実だ」

「真実だからって知らなきゃいけない理由なんてない!」シロを庇う、その為だけに。自分が何を口走っているのかも理解してはいない。

「でもな」我が子を諭すように、そして、その言の葉一枚一枚が彼の舌を切り裂いているかのように、「これから教えるコレだって、いつか向き合わなきゃならねぇんだ」

「教えられる俺が居るうちに、教えておきたい」


 ふと、シロが消えた。


 僕はそう感じ、急いでシロを見る。俯いたシロは夜に溶け、僕に目を向けると同時に、逃げるようにして髪の先まで夜色と同化した。夜から色を奪い、その身にまとった少女は、夜そのものになってしまったようだ。


 錯覚が襲い来る。全ての空間から、そしてこれから起こる全てから、シロが居なくなってしまったような錯覚。海では右手が繋ぎ止めていてくれていた、だが今はない。

 シロなどもう居ない、シロは消えた、シロは夜になった。厳然たる真実としか思えない錯覚が認識を歪める。違う、シロは居る、夜色になって、この夜のどこかに。


 どこに? どこにシロなどという者が居る? 話せるか聞こえるか触れるか? そのどれもできやしない。ならば彼女はもう居ない。いいや居たんだ、ついさっきまではほらそこに。

 居た? そう、彼女は居たんだ。居た、それは過去の言葉、彼女は居た、過去のあちこちに。過去に、過去だけに彼女は。

 そして一秒後の今にはもう居ない。きっとこれが、彼女の死。


「シロ!」悲鳴と嗚咽を混ぜたような絶叫をあげて走り出し、夜男から青いナイフを引ったくる。

 抵抗なく奪えたナイフを手首にあてがい、乱雑に振り抜く。手首が緩い痛みと共に裂ける。少しだけ位置をずらして、傷と傷の一部同士が重なる位置を何度も傷付けた――傷がすぐには癒えないように――そして青空が怒濤の如く吹き流れることを確認してから、空を流す左手にナイフを持ち替え、そのままシロと呼ばれていた少女が存在していたはずの場所へ駆け寄った。

 そして僕は、片腕から流体の青空を撒き散らしながら、もう片方の腕でもがくようにして空っぽの空間をゆっくりと掻き漁っていく。些細な感触でも見失わぬようにゆっくりと、しっかりと。何でもいいから、彼女の欠片を掴みたい。しかし触れているのかいないのか、それさえも分からずに空気をただかき乱す。


 居るはずなんだ、居るんだ。居ただけだろう? いいや今も居る、見えなくたって君は居る!

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