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30・見世物小屋と、彼

 見世物小屋とは僕らがつけた名が定着したもので、太陽光の下でのここは劇場だったらしい。


 電気と水力とからくりとガスと、使える動力全てを利用した装置が複雑混沌と絡み合い、雨水に打たれ歌う悲劇と、中天に口づける喜劇とを彩った、現実から切り離された幻想のびっくり箱。

 怠惰と停滞の下り坂に身を任せて零落しきったこの場所は、いつしか贄のような僕らを捧げるように晒す祭儀場へとなりさらばえた。

 高々と大仰に掲げられたW.E.L.C.O.M.E――ようこそ夢の結実へ、夢に夢見る同胞たちよ。いまこの時だけは、共に逃げ水を捕らえよう――の文字は半分以上が夜に飲まれかかっていたが、注視する者など、団長以外には居ない。


 僕らはこれを劇場などとは呼ばない。この場所はこの建物は、そしてここに居る連中は、僕らに夢を見せてはくれない。僕らが晒されるたび、逃げ水は逃げて眼窩に残像だけを焼き付けて散り、そして両の目にはただただ暗い人々の表情なき表情が、失望を乗せて雪崩れ込んでくるだけだった。

 だからせめて、この場所を貶めてやることにした。相応しい名を与えてやることにした。僕らを見せることしかできない、ちっぽけな小屋……見世物小屋と。



 団員用の勝手口ではなく、あの暗い人たちが使う正面入り口へと引きずられていく。両開きの扉はぼけた焦げ茶色をしていて、アンティークとは言い難い古臭さが隠せない。


 ドアを軋ませ潜ると、毒々しい深紅のヴェールが視界に飛び込む。ヴェールを抜ければ、すぐに会場だ。

 かつてここと会場とは、入り口のそれを三回りほど大きくしたような分厚く重苦しい防音扉で区切られていた。しかし虚ろで非力な大人たちでも入れるようにと、団長が取り払ってしまった。今や留め金の残滓だけが、床と壁とに残されている。


 左手には酷く黄ばんでよれて掠れたポスターが横並びに四と半分枚貼られていて、右から二番目に掲げられた「空色の少年と色のない少女」のポスターだけが辛うじて読み取れる。


 右手には無人の受付。こうしてここに来るまでは、僕もシロも受付の存在など忘れていた。

 無理もない。誰もチケットを提示せず、誰もチケットを切らず、誰もチケットを売ってなどいないのだから。僕らの見世物は入場自由で、ここではそれしか催していない。カウンターに置かれた「当日券アリ」の立て札は倒されて、無様な裏面を晒している。


 夜男は勝手知ったる様子で、無人カウンターの奥に隠された関係者用通路へと入り込む。

 通路の壁面には松明を模した電灯が飾られ、僕らが近付くたび独りでに点されていく。てらてらと揺れる光源が、先を行く男の夜じみた黒い肌を照らす。夜男は意にも介さず奥へ奥へと歩を進め、右手に十枚ほど扉を見送って更なる奥へ。


 夜男はくいと左に曲がる。引かれながら僕らは悟る。数え飽きるほどに登った、壇上への階段だ。六段踏みつけて登り、幕で隠された舞台の脇へ。脇幕の陰から覗ける見世物舞台には、何故か灯りが点されているようだった。



 壊れそうな電灯が薄暗い光を落とす舞台の中央に、赤と黒を足して割った色の外套に覆われた何かが転がっている。


 外套から引き出されるように伸ばされた右腕の先端には、濁った灰色の光を受けてきらめく何かの残骸。力なく握られたそれを中心に硬質の破片が散らばって、破片たちもまた、ちりちりと砂のようにか細い輝きを放射している。


 外套はうつ伏せに転がされた彼の頭頂まですっぽりと被さってしまい、その頭部はボール大の膨らみとしてしか認識できない。そんな頭から頭ひとつ分だけ上方の床に、そっと置かれるようにして帽子が佇む。


 その帽子は、僕が何度も見上げた帽子だった。恐れと憐れみと諦めと、そして畏怖に近い敬意を込めて見上げた帽子だった。


 状況が飲み込めずに僕は客席へと視線を逃がす。暗い人々がまばらに客席を埋めていた。

 しかし、僕らに勝手な夢を写し見ていた頃とは様子が違っている。その胡乱な視線はもう視線ですらなく、何も見ていないような瞳は本当に何も見ていなかった。まるで風に吹かれる俯き花のように、ゆらゆら、ゆらゆら、ゆらゆらと揺れて揺れる。ただそれだけで、ただそれだけでしかなかった。


「アレが眠るということだ」明白な事実を明白な事実として夜男は告げる。

「今までも眠っていたじゃない。でも、あんなには……」シロの声は堪えきれずに震え、所々の発音が揺らいでいた。

「今までは完全には眠っていなかったのさ。わずかにでも起こしてやれる太陽が、青空があった」

 夜男はかがみ、壇上に伏す誰かの外套を、そっとまくる。「こいつがお前らを使って、与えていた空がな」その下に覆われ隠されていたのは、団長だった。


「これが死だ」教本を読み上げるように説きながら、左手で団長の胸元を掴み、ごろん、と転がす。

 団長の上下逆に取り付けられた顔面が露になった。その閉じられた目口は、二度と開かれることのない、捨てられた廃屋の門を思わせた。外見だけなら、彼もまた眠っているように思える。

 だが眠る人々をぬるま湯に浮かぶ気泡とするなら、今の団長は柔らかな岩だ。ぴくりとも動かず、揺れず、たゆたず。


「なんで」その続きは胸の内で、震えに打ち消された。

 夜男は帽子を拾い上げて団長の顔にそっと乗せる。「ただ眠っているだけなら、いつまでも終わりは来ない。死ぬこともない」そして横たわる身体を淡々とまさぐっていく。

「だが、外的要因が……こういうのがあれば、話は別だ」そう言って団長の真っ黒い服を肌から引き剥がすようにしてあばら骨まで引き上げる。病的に白く痩せこけた弄ばれたプラスティックのような腹部には、みじめったらしく黒い衣服の切片と糸屑とが付着していて、切片が取り囲む中心に赤黒く澱んだ裂け目があった。

 そこから吹き出した血液は乾き切っていながらも、今にも流れ出しそうな生々しさでもって、僕の呼吸をせき止め、首の後ろ辺りにある神経を湿った指先で逆撫でる。


「何、これ」目を逸らしたいのに逸らせずに、怯えきったシロの声。

「何もなにも、お前さんがやったことだ」夜男は立ち上がり、シロに歩み寄って見下ろす。「出せよ。分かるだろ?」

 シロは拙く首を振る。口も開いたが、声にはならなかった。かすれた吐息が無為に漏れる。

「無理もないか」言うや否や、夜男はシロのポケットに左手を突き入れ、何かを引きずり出す。

 僕のナイフだ。


 夜男がそつのない手際でナイフを開く。剥き出しになった刃はまだらに、不格好に青かった。

 それは絵の具。シロが嫌いで、僕が大好きな、青い絵の具。青い絵の具が、銀色を奪われた刃に塗られていた。

 油性絵の具を金属に無理やり塗りつけて、うまく色が乗らなければまた塗りつけて、ともすれば絵の具の層が視認できてしまいそうなほどに、何度も幾度も繰り返し上塗りされたでこぼこな深浅をあわせ持つ青。奇しくもその青色の不均一性は、僕を流れる青空が抱く濃淡によく似ていた。


 夜男はさしたる感慨もなく、抜き身の刃を団長の腹に当てる。突き立てるように刃を立てると、青い刃は赤い裂傷にピタリと一致した。

「痛くすれば、追ってこないと思って」問われてもいない事をシロは答える。「だから」

「だから?」夜男はあくまでも、それをシロに言わせようとする。

「だから、刺した」


「刺したの」

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