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29・旅の終わり

 終わりは不意にやってきた。


 不安定で不規則なリズムも、一直線に貫くだけの走行も、濁った空気を吸って吐くだけのこもった沈黙も、夜男の楽しげな優しさも、そして僕らの旅も。全部全てあっという間に、あの街の南門へ到着した瞬間に、終わった。


 車の片目が照らし出しているのは、扉も鍵もない二本の門柱。僕ら二人が抜け出した北門にそっくりな、双子じみた南門。

 南門の左右には、街をぐるりと囲んで、僕らが出た北門に続くはずの道が伸びている。

 そう、僕らは団長の街に、帰ってきた。


「降りろ」レバーやボタンをいじりながら、夜男が命じる。あれは車を停めてしまう時にする操作。

「でも、ここは」シロの哀願する声。

「お前たちの出た街だ」鍵を引き抜き、車が眠りに落ちる。

「隣街に行くんじゃ」

「そんなことを言った覚えはない」運転席のドアが開き、夜男の大きな肉体が厳然と外に滑り出る。開け放しにされたドアから、冷ややかな夜の気配が入り込む。


 街の南門へ向き合い、夜男は腕時計を確かめる。時計盤は彼同様に真っ黒く、されどそれでも役を果たしているようだった。

「九時四十四分……今から五十六分後、十時四十分。それまでに戻るぞ」

 僕らの呻きは、夜男の背に肩に押し留められる。僕らは畏怖していた。


「おら、出ろ」後部座席のドアが開けられる。僕の居る左ドアが先だったのは彼の情けなのだろうか。「安心しろ、ここに戻れとは言わねぇよ」

「ただし、見てもらうモンがある。隣街についても……教えてやる」

 最後に添えられた殺し文句に殺されて、僕はおずおずと車を降りる。すかさず肌寒い夜気が全身を包み、たまらず身震いを一つする。


「そっちもだ。時間がねぇ、急げ」その急かしを通訳するように、僕は間に入る。「行こう、シロ。それしかない」

 シロは何故か悲槍に頷いて、そろりと腕を差し出した。僕はまるで彼女を埋めにでも行くような気分に駆られつつ、その白い手をとった。



 僕ら三人が南門を潜ると、俯き花の光など気配すら感じられなくなった。


 待っていたのは、幾千の夜を過ごし目に焼き付けられた街並みに、絡まった蛇のような立体交差。ちろちろと明滅するガス電灯が黄色と橙の中間じみた光を落とし、されど軒を並べる建物たちには、夜の色が隙間なく貼り付いて、虚無じみた黒が光も色も飲み干している。


 近くに暗い人たちの姿はない。見世物は僕らが居ないからできなかったとして、あの人たちは何をして過ごすのだろう。

 夜男は勝手知ったる調子で、すたすたと歩を進めていく。見えないロープで結ばれたように不明瞭な拘束力で巻き込まれ、僕が、僕の後ろにシロが、彼の後を着いていく。

 夜男は決して、ポケットから右手を出そうとはしなかった。


「婆さんのラムネはな、最初の三本までは旨いんだ」小さな薬局――薬よりお菓子や飲み物の棚が多い――を通りすぎた時だった。

「でもそっからは酷ぇもんさ。気が抜けて飲めたもんじゃない……作り方に問題があるんじゃねぇか? ま、だから、頂いてやる時は必ず開店直後を狙ったな」歩きながら彼は語る。思い出を呼び起こすように、古びた日記帳の埃を落とし、見開き1頁ずつ、そのハイライトを僕らに教え込んでいく。


「飲んだことあるか?」不意の問いに、僕の背後でシロがこわばる。「ラムネ」

「あ、ああ……うん、ちょっとだけ。ずっと昔、残ってたのを貰ったよ」

「旨かったか?」

「いや、微妙だったかな」僕は殆どラムネを飲んでいないが、シロが不味がっていたことは覚えている。ただ、この弛緩した話題の飛び交う張りつめた空間で、彼女に口を開かせる気にはなれなかった。

「そうかい。そりゃ残念だが、仕方もねぇか」ふ、と一息。ラムネ婆さんの薬局はもう見えない。


「お」夜男が喜色と驚きの声をあげる。歩を止めず顔を空に向けた彼に追従し、僕らも赤かった黒レンガの家、その急勾配の屋根を向く。「あいつ、まだあんなトコに居やがるのか」

 夜男の言う通り、屋根には暗い人がひとり、とんがり屋根のとんがりに引っ掛かるようにして座っていた。その顔は目はやはり胡乱で、どこかを見ているようでどこも見ていない大人たちの視線が夜の中空に浮いていた。

 久し振りに暗い大人を見たせいか、以前より一段と意志が読めない。


「あいつは空が好きでな、ガキの頃からああやって、ずーっと上ばかり見ていたんだ。その辺、お前と似てるかもな」

 僕と大人が似ている? 冗談じゃない。

「でもアイツは酷い浮気者でね。ある時は朝焼けこそが至高だと言い張り、次の日には中天の軽やかさに魅せられた。夜に惚れてた時さえあったんだぜ」やっぱり、僕とは違う。


 真っ黒い屋根に座る真っ暗い大人は据え付けられたオブジェのようで、ぼやぼやとした顔つきは風のない風見鶏を思わせた。どこまでも無様で滑稽で、見ていて怒りが湧いてくる。

「あなたは何がしたいんです?」

「話したいのさ」

「終わったことを? あのウスノロたちが昔はこうだった、ああだった、なんて過去の思い出を?」

「そりゃもちろん終わった話だが、お前は終わりを知っているのか?」

 汲み取りかねて、口をつぐむ。質問の意図と、終わりという概念の理解。その二つが僕を悩ませた。


「あいつらはもう戻らない。そう、俺の思い出だってみんな終わったことさ」

 既視感が僕を襲う。街の中核へと沈んでいくほどに、見飽きた街並みがより陳腐にありきたりに褪せていく。戻ってきている、近づいている。


「でもな、終わったってこと。戻らないってことを」

 シロは立ち止まろうと試みてしかし、夜男から伸びる不可知の鎖に引きずられ。足をもつれさせ転びかける。僕は彼女を受け止めてされど、僕もまた引かれるがままにしかなれなかった。

 歩が進む。進められてしまう。

「お前らはまだ、理解していないんだ」


 幾千を超えて過ごした見世物小屋が、眼前に建っていた。


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