表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/35

27・飛ぶ想い、落ちる指

 風の無い海岸には冷たい空気が吹き溜まっていて、されどその零度を撃ち抜く陽光が、その温もりが微かな道しるべになっていた。僕は光を辿って、海へとひた走る。


 海水までまだ少し距離のある地点で、何かにぶつかりそうになって立ち止まった。

「先に見させてもらってるぜ」ぶつかられそうになった彼は、海を見たままそう言った。「こりゃあ良いな」

「でしょ?」海と岸の境界線に立つシロが言う。その胸元では風船大の空が、全方位に暖かな光を振りまいていた。


 シロはこちらを振り返る。胸元に浮かぶ陽光に照らされた彼女の緑は、初々しくも晴れやかで、その背後に無限の夜を背負わされてなお朗々とあった。そんな彼女は僕を視界に認めると、少し意外そうな顔をする。

「……ああ。着替えは夜男にもらったんだ」

「なんでそんなもの持ってたの?」彼女の興味は夜男に移行する。

「昔から、お前たちぐらいの子供を待ってたのさ」その真意を追求しても答えてはくれないだろう。そういう口調だったから、僕もシロも何も問わない。


 僕は寄せも返しもしない海水に気を配りながら、シロと青空の隣まで行く。だが、夜男は僕を見送るようにして、一歩たりとも動かなかった。

「この青空について話したいんだ。もっと近づこうよ」

「……夜目が利くせいで眩しすぎるんですって」代わりにシロが言い、夜男は鷹揚に頷いた。

「だが、それでも分かるぜ。いいもんだな、晴れた空ってのは」彼は一瞬、街の大人たちが僕らの青を見るような、見上げるような目付きをした。

「本当に、いいもんだ」懐かしがる夜男の表情は、涙を堪えているようにも、何かを悼むようにも、それでいて嬉しそうにも見える、多種多様な感情をまぜこぜにして浮かべた解きがたいものだった。


 僕は僕らがつくった、夜の中でも色褪せない青を見やる。

 今を逃したら、僕はきっとこの大言壮語を握り潰す。その前に。

「僕はこれを、もっと大きくやりたいんだ」

「いいじゃねぇか」

 夜男は意外なほどに、意外でもなさそうに僕の夢想を肯定してくれた。勇み足を踏んだ僕の心は、拍子抜けの拍子にぐらりよろめく。


「少年少女よ夢を持て」歌うように男は寿ぐ。「お前はもっと多くの夜を、青空で上塗りするつもりなんだろ?」問われて、僕は慌てて心の佇まいを取り戻す。

「ああ。もっともっと大きい青空を作って、もっともっと世界を明るくするんだ」

「デカい話だ……しかも明るい。最高だね」

「で、私に大量の夜を飲ませるつもりね」シロは青空をいじくりまわしながら茶々を入れる。

「いやぁ、でもほら。僕もそのぶん空を流すわけだしさ」

「それならもっと高いところでやった方がいい」

 夜男は僕らのやってきた方、望遠塔を指差す。

「空ってのは高みにあるもんだ。そもそも低く溜まってるのが不思議なのさ」

 思い返す。望遠塔で流した僕の空は、夜色の夜の中でも、広く大きな夢を見せてみせた。

「塔の上で流した空は、もっと力強くて、広かった」

「だろ?」

「でも触らないと夜色を奪えない。塔から届く範囲には限りがあるわ」シロは必要以上に浮かれないよう心掛けながら、問題点を洗っていく。「青にできるのは、塔の周りだけよ」

「飛べばいい」夜男のあまりにも簡潔かつざっくばらんな返答に、シロの澄ました表情が崩れてしまう。

「いや、あのね。確かにソラは浮いてたけど」

「ならいいじゃねぇか。飛べよ」夜男は楽しそうに、面白そうに、愉快そうに黒い口の端を持ち上げる。黒い唇が持ち上がり、夜色の犬歯がむき出しになった。「少年がお嬢ちゃんを引っ掴んで、塔のてっぺんから跳べばいい」

「あのねー……」正してやりたい気持ちだけはあるけれど、何を正せばいいのか分からない。そんな調子で少女は呻きに近い呆れ声だけを漏らした。


「……飛ぼう」

「ソラ?」柔らかな緑色を纏っているとは思えない、甲高くもすっとんきょうな声が上がる。

「空瓶を詰めた鞄は飛んだよ、シロ。きっと君だって飛べるんだ。降りるときは空瓶の空を夜空に放てばいい」

「中々に良識的な発言だわ」

「自分でも冗談みたいだと思ってる」

「なら」

「それでも、飛ぼうよ」

「あのね、ソラ」彼女が三度目のそれを言いかけたところで。

「でもさ、シロ」僕は断固として塗り替える。


「君だって、その青空を手放さないじゃないか」


 僕らがこうしている間もずっと、シロの両手は絶やすことなく青空を、撫で、触り、抱き、なにより愛おしんでいた。僕らが求めた夢幻の結実たるそれを。そして更なる願いの第一歩となるそれを。

「そうね」シロは肯定する。「そうだけど」そして否定をしようとする。

「いつか、この夜を全て青空にしてみせる」否定はさせない。

「だから飛ぼう、シロ」

「……いいわ、付き合ってあげる」

「ありがとう!」まだ二歩目か三歩目を踏み出したばかりなのに、僕はもう青空を飛んでいるような心地にまで至っていた。今この手を夜めがけて開いてやれば、そのまま夜をこじ明けられそうな、太陽を右手に掴んだような全能感が僕を浸す。

「どういたしまして」真剣に答えてから、少女は思い出したように照れ笑う。「それにしても、本当に、途方もない話」

「笑うかい?」

「失敗したら、思いっきり」シロは僕の額を指で弾く。「二人で笑い話にしてやろうって意味よ? いじけるよりマシでしょ」

「心配は無用だよ、失敗なんかしない」

「どうかしら? なんにせよ、まずは隣街に行ってからね。青空が欲しいだけなら隣街で暮らすっていうのも手だし」

「それはできねぇな」傍観に徹していた夜男が口を挟む。彼が続けようとすると、乾燥した砂に、砂よりも更に水気のない、小さくも確かに重たいものが、ざらりと落ちる音がした。


 僕らの傍らには青空があり、夜男が夜を見通せるように、僕らは陽光を伝って周囲を見渡すことができた。

 僕の目に入った落し物は、夜男の右手、その親指だった。


「えっと、それ……」落ちたそれの正体を教えるべきか? 馬鹿な、彼が一番よく知っているはずだ。

 ならどうする、それについて訊くべきだろうか。見つからない。発するべき語が多すぎて、一番欲しい問いが見つからなかった。

「ああ、とうとうバレちまったか」雲を月から除ける夜風のように飄々と、さもありなんと彼は言う。親指のなくなった右手で右手の親指を拾い上げ、手のひらで軽く放り投げ遊ぶ。「義指なんだよ。代わりの指」


 シロがほぅと息を吐く音がした。いっしょに吐いた僕の音も、きっとシロが聞いている。


「たまに落ちちまってな、地味に不便なのよ」無造作に親指をズボンのポケットへ押し込む。がさがさ、ざらざらと砂っぽい不気味な音がした。

「気づかなかった。他の指もそうなの?」

「こんな色だからな、バレたのは初めてだ」彼は喪った右親指の根元で、自分の肌を指し示す。限りなく夜に近い夜でない黒。むらなく平坦に塗り潰された、ただ一色。「他の九本についてはー、まぁ秘密。当ててごらんなさい」

「悪趣味なクイズは置くとして。つけ直さないの?」

「気が向いたらやるさ」

「運転は大丈夫?」

 ごくごく自然なシロの質問に虚をつかれ、夜男は思わず鼻で笑う。

「……指どころか、片手どころか。眼が無くたって余裕さ」

 夜男は四本指の右掌を、乱雑にポケットへ突っ込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ