第六章 犬と天才の合言葉
ソーセージの匂いがした。
豚の脂と塩と、燻した煙の匂い。カラヴァッジョがアトリエのテーブルの上で、ナイフを使ってソーセージを薄く切っていた。一切れを自分の口に放り込み、もう一切れを指先につまんでコルナッキアの鼻先に掲げた。
コルナッキアは後脚で立ち上がった。
前脚を宙に浮かせ、尻尾でバランスを取り、肉片に向かって鼻を伸ばした。立ち上がることは簡単だった。人間としての瞳には「褒められるためにはここで立てばいい」という判断ができた。犬の体は最初ふらついたが、三度目には安定した。
カラヴァッジョはソーセージを与え、また一切れを高く掲げた。コルナッキアはまた立った。
繰り返した。
何度も。
カラヴァッジョは一切れごとに高さを変え、位置をずらし、犬の反応を確かめた。人間に芸を仕込むときとは全く違う忍耐がそこにあった。アーティチョークの焼き方で給仕を怒鳴りつける男が、犬が失敗しても声を荒らげなかった。失敗すれば黙ってもう一度ソーセージを掲げた。
ミンニティが扉の向こうから覗いていた。
「もう一刻もやってるぞ」
カラヴァッジョは振り向かなかった。犬に集中していた。コルナッキアが後脚で立ち、前脚を揃えて胸の前に上げる姿勢を完璧にこなしたとき、カラヴァッジョは膝を打った。
「見たか。一日で覚えた」
ミンニティが部屋に入ってきた。
「犬ってそういうものだろう。餌があれば覚える」
「違う。こいつは餌の前に俺の手を見ている。どこに持っていくか予測してから動いている。普通の犬は匂いしか追わない」
瞳は内心で冷や汗をかいた。
見抜かれている。
完全にではないが、この人は犬の反応が通常と違うことに気づいている。匂いを追うだけでなく、人間の意図を読んで先に動いている。それは犬の行動ではなく人間の行動だった。
以後、瞳はわずかに反応を遅らせることにした。すぐに正解を出さず、一拍待ってから動く。犬らしく見せるために。
しかしカラヴァッジョは新しい芸を次々に持ち出した。
座れ。
伏せ。
回れ。
片方の前脚だけ上げろ。
瞳は一拍遅らせても、覚える速度そのものが犬の限界を超えていた。
カラヴァッジョはソーセージを小さくちぎりながら、犬に向かって言った。
「お前は俺より賢い。少なくとも皿を人の顔に投げたりしない」
ミンニティが吹き出した。
だがカラヴァッジョは真顔だった。
別の日、カラヴァッジョが市場から帰ってきた。外套のポケットから紙に包んだ砂糖菓子を取り出し、一つを口に放り込んだ。頬が膨らみ、噛む音がした。甘い匂いが部屋に広がった。蜂蜜と焼いた砂糖とアーモンドの匂い。
カラヴァッジョはもう一つをつまみ、コルナッキアの前に差し出した。犬の鼻先に甘い匂いが届き、口の中に唾液が湧いた。
ミンニティが慌てて手を伸ばした。
「やめろ。犬に砂糖は毒だ」
カラヴァッジョは手を引っ込め、砂糖菓子を自分の口に入れた。それから犬を見て、少し申し訳なさそうな顔をした。代わりにテーブルの上のソーセージをちぎって与えた。
瞳はソーセージを噛みながら思った。この人は犬に砂糖菓子を分けようとした。自分が好きなものを、犬にも食べさせたかった。それが「愛情」という言葉で呼ばれるものかどうかはわからないが、この人の手はそう動いた。
ミンニティがある日、カンヴァスの端切れを持ってきて、コルナッキアを描こうとした。犬を椅子の上に座らせ、木炭を手に輪郭を取り始めた。しかし何度やっても黒い犬の形がカンヴァスの闇に溶けてしまう。
「駄目だ。お前の毛は黒すぎて描けない。ミケランジェロならできるだろうが」
カラヴァッジョがアトリエの奥から声をかけた。
「犬を描くのは女を描くのと同じだ。輪郭ではなく光を描け」
何気ない一言だった。しかし瞳の中で、その言葉は深く沈んだ。輪郭ではなく光を描く。対象の形を追うのではなく、対象に当たる光を追う。この人の芸術の本質が、犬の肖像画という些細な場面で、何の気負いもなく口から出た。
日が経つうちに、二人の間に独自の合図が生まれた。
最初は偶然だった。
カラヴァッジョが制作中にカンヴァスを二枚並べ、どちらの構図がいいかコルナッキアに話しかけた。犬に訊いているのは冗談半分だった。しかし瞳は画家の目でどちらの構図が優れているか判断できた。良い方のカンヴァスの前に歩いていき、座り込んだ。
カラヴァッジョは犬を見下ろし、それからカンヴァスを見た。
しばらく考え、犬が選んだ方を採用した。
偶然かもしれなかった。
しかし二度目も犬は正しい方を選んだ。
そして三度目も。
カラヴァッジョの目が変わった。面白がっている目だった。同時に、わずかに警戒している目でもあった。犬の行動としてはありえない正確さだった。
「お前は本当に俺の言葉がわかるのか」
コルナッキアは尻尾を二回振った。
肯定。
カラヴァッジョは黙って犬を見つめた。数秒後、彼の口の端がわずかに上がった。
それから、合図が体系になっていった。
尻尾を二回振れば肯定。
鼻を鳴らせば否定。
良い方のカンヴァスの前に座れば選択。
立ち上がれば警戒。
腹を見せれば信頼。
カラヴァッジョはこの合図を半ば冗談として、半ば本気として使い始めた。制作中に行き詰まると、カンヴァスの前で犬に話しかけた。
「お前はどう思う、この光は嘘か?」
瞳は全力で答えたかった。画家としての分析を、意見を、提案を。しかし使える道具は尻尾と鼻だけだった。尻尾を振るか、鼻を鳴らすか。二択。人間の言語の豊かさが、犬の体の中で二つの信号に圧縮されていた。
それでもカラヴァッジョは犬の反応を待った。筆を止めて、コルナッキアの方を見た。犬が鼻を鳴らすと、彼は少し考えてから筆を持ち替え、光の角度を修正した。
それが正しい修正だったかどうか、瞳にはわからなかった。しかしカラヴァッジョが犬の反応を受け取ったという事実だけで、体の奥で何かが温かくなった。尻尾が振れた。止めなかった。いや、止められなかった。
ある夕方、カラヴァッジョが館の外に出ようとした。コルナッキアは玄関の前で待っていた。カラヴァッジョは扉を開け、外を見て、左に歩き出した。三歩目でコルナッキアが右に向かって歩き始めた。
カラヴァッジョは立ち止まった。犬を見た。犬は右を向いて座っていた。
「お前、そっちが近道だと言うのか」
コルナッキアは尻尾を二回振った。
カラヴァッジョは犬の方に歩き出した。犬の鼻が示す方角に従って路地を曲がり、階段を降り、通りに出た。目的の居酒屋に、いつもの半分の時間で着いた。
カラヴァッジョはコルナッキアを見下ろした。
「お前、道も覚えてるのか」
ミンニティが居酒屋の戸口から顔を出して笑った。
「ミケランジェロ、お前は犬に道案内させてるのか」
カラヴァッジョは何も答えず、犬の頭を一度叩くように撫でて、居酒屋に入った。コルナッキアは入口の横に座り、中から漏れてくる笑い声と酒の匂いを聞いていた。カラヴァッジョの声が一番よく通った。低いが、よく響く声だった。




