第二十章 希望の匂い
船が揺れた。コルナッキアの胃が揺れに合わせてひっくり返った。
犬の体は船に弱かった。四本の脚が甲板の濡れた板の上で滑り、体を安定させることができなかった。波が船底を叩くたびに床が傾き、胃の中身がせり上がった。コルナッキアは甲板の隅でうずくまり、目を閉じた。目を閉じると余計に揺れがわかった。目を開けると水平線が上下に動いて、また吐きそうになった。
カラヴァッジョが来た。自分のマントを脱ぎ、犬の体を包んだ。マントの中は暗かった。揺れは続いていたが、視界が遮られたことで少しましになった。カラヴァッジョの匂いがマントの内側に籠もっていた。
リンシード油と汗と鉄。
この匂いに包まれていれば、揺れる船の上でも犬の体は多少の揺れに耐えることができた。
カラヴァッジョの手が、マントの上から犬の背中を撫でた。水を含ませた布を犬の口元に持ってきた。コルナッキアは少しだけ水を舐めた。舌が布から水を吸い取った。胃がまた動いたが、堪えた。
「すぐ着く」
嘘だった。すぐには着かなかった。ナポリからマルタまで、船は何日も揺れ続けた。しかしカラヴァッジョは毎日マントで犬を包み、水を飲ませ、干した肉を少しずつ口に運んだ。犬に対する忍耐は変わらなかった。人間に対しては瞬間湯沸かし器の男が、犬に対しては何度吐いても声を荒らげなかった。
コルナッキアの体は以前よりも回復が遅くなっていた。子犬の頃なら一日で慣れたかもしれない揺れに、成犬の体は三日かかった。関節が硬くなっていた。朝、体を起こすときに脚がこわばった。犬としての年齢を瞳は正確に数えていなかったが、子犬で拾われてから十年近くが経っているはずだった。中型犬の十年は、人間の六十年に近い。若い犬ではなくなっていた。体力の衰えを、日々の動作の中で感じた。
船の甲板で日向ぼっこをしているとき、コルナッキアは自分の前脚を見た。黒い巻き毛の下に、灰色の毛が混じり始めていた。口許にも白いものがあった。老いの匂いが自分の体から立ち上り始めていた。
マルタ島の港に船が入ったとき、陸地の新しい匂いが来た。
地中海の、ナポリよりもさらに塩の濃い空気。石灰岩の匂い。乾いた風の匂い。ナポリの湿った海風とは違う、骨のように乾いた島の風だった。
カラヴァッジョが甲板に立ち、島を見つめていた。コルナッキアはまだマントの中にいたが、隙間から主人の横顔を見上げた。
匂いが変わっていた。パリアーノの空白の匂いが消え、代わりに何かが立ち上っていた。体温がわずかに上がり、心拍がわずかに速くなっている。しかし恐怖の匂いではなかった。暴力の匂いでもなかった。
この匂いを瞳は知らなかった。今まで嗅いだことのない匂いだった。集中でもなく、怒りでもなく、恐怖でもなく、安堵でもない。胸の中で何かが膨らんでいる匂い。まだ名前がつかない匂いだった。
後になって瞳はその匂いに名前をつけた。
希望の匂い。
希望は体温をわずかに上げ、心拍をわずかに速くし、汗の組成を変える。恐怖に似ているが、恐怖とは逆の方向を向いている。恐怖は体を縮ませるが、希望は体を開かせる。カラヴァッジョの肩が少しだけ広がっていた。背筋がわずかに伸びていた。
マルタ騎士団の総長アロフ・ド・ウィニャクールが、港にカラヴァッジョを迎えた。護衛の騎士たちが甲冑の匂いを纏い、馬の蹄が石の埠頭を打った。権力の匂いだった。しかしデル・モンテ枢機卿やコスタンツァ・コロンナの権力とは違う種類の匂いだった。軍事の匂い。鉄と磨かれた革と火薬と汗が混ざり合った匂い。修道士の禁欲と兵士の暴力が混じり合った匂い。
総長はカラヴァッジョの才能を歓迎した。騎士団入りの話が進んだ。
殺人犯が騎士になる。
教皇領から追われた男が、教皇に仕える騎士団に迎え入れられる。
矛盾していたが、才能が矛盾を押し通した。ウィニャクールは自分の肖像を描かせ、その出来に満足した。カラヴァッジョはかつてのように計算していた。この総長のための絵を描けば、騎士の称号が手に入る。称号があれば、教皇への恩赦嘆願に重みが出る。恩赦が下りれば、ローマに帰れる。道筋が見えていた。久しぶりに、この人の中で道筋が見えていた。
カラヴァッジョの足取りが変わっていた。パリアーノの引きずるような歩き方が、マルタの白い石畳の上では少しだけ力強くなっていた。傷はまだ完治していなかった。しかし体の使い方が変わっていた。弱さを隠す歩き方。騎士団の男たちの前で、足を引きずる姿を見せたくないのだろう。虚勢ではなかった。立ち直ろうとする意志だった。
コルナッキアは主人の横を歩きながら、その希望の匂いを嗅ぎ続けた。久しぶりの匂いだった。ローマのコンタレッリ礼拝堂の受注以来かもしれなかった。この人が前を向いている匂い。
しかし瞳は知っていた。
この希望は長くは続かない。
騎士叙任からわずか一ヶ月後に、この人はまた暴力を起こす。
また逃げることになる。また全てを失う。
その知識が、希望の匂いを嗅ぐたびに、犬の胸の奥を焼いた。
この人が希望を持つたびに、瞳の中で何かが痛んだ。
希望を持つ人間の傍にいて、その希望が砕かれることを知っている。この人は今、騎士の称号と恩赦を夢見ている。ローマに帰ることを夢見ている。マダマ宮のアトリエに戻ることを。あの窓の黒い布を調整し、光の道を引き、筆を振ること。
その夢が実現しないことを、瞳だけが知っていた。未来を知っていることの苦痛は、トマゾーニの朝とは違う形で瞳を蝕んでいた。あの朝は恐怖だった。今は悲しみだった。止められない悲劇の前の、偽りの平穏の中にいる悲しみ。
マルタの空は広く、高かった。乾いた風が犬の巻き毛を揺らした。石灰岩の白い壁が日差しを反射し、犬の目にさえ眩しかった。この島の光はローマとは違った。ローマの光は建物の隙間から斜めに差し込む光だった。マルタの光は天から真っ直ぐに降ってくる光だった。影が短く、濃かった。
カラヴァッジョはその光の下を歩いていた。希望の匂いを纏って歩いていた。コルナッキアはその半歩後ろを歩いた。男と犬の影が二つ、白い石畳の上に短く、濃く落ちていた。




