第一話:ひろ子さんは論破したい
「……暇ね。」
ここには寝間着姿のひろ子さん。身長一四〇㌢程のかわいい顔をした小柄な女の子。
男を魅了する大きな胸を持ち、黒く美しい前髪はパッツンと切り揃えられており、後ろは肩甲骨の下角まである。
彼女は今、家のベットでだらーんとリラックスしており、欲求不満らしい。
「うがぁぁぁぁ! 論破欲が! 論破したい!」
彼女は論破中毒。アリストテレスの様に……というか、ストレスの発散の為に、そこら辺にいる人に一方的に議論をふっかけて、論破するのがこのカスの趣味だ。
「ムサボ~。こんな日はどうしたらいいと思う?」
イノシシの様な豚鼻とムササビの様な肢体に飛膜を持ったぬいぐるみ。
彼女はムサボーのグッズを自分の部屋一面に揃えている。
「……よし。行くしかないよね。ムサボ―。この町の平和のためにも」
ひろ子さんが上下黒長袖の地味なスウェットに着替える。
リュックを持つ。背負う。ここにも、ムサボーのキーホルダーがついている。
「行くか。獲物探しに。」
ハンターの朝は早い。今は平日の朝の七時五十分。絶好の狩り時だ。
■雑魚狩り
ランドセルを背負ってる小学生達が登下校をしている。十人位だろうか。
「はははは! うんこうんこ―!」
「うわー! 汚え!」
一面を見渡しても、ここには彼らの笑顔しか見えない。平和だ。
しかし。
集団で行動していると、目立ってしまう。だめだ。それでは見つかってしまうじゃないか。
この社会の闇に見いだされた漆黒の狩人に。
「ちょいちょいちょいちょいちょい! 待ちなさいよクソガキども!」
カスハンターの登場だ。ひろ子さんは容赦なく子供達に噛みつく。
「な、なーに? オネーチャン。どうしたの?」
無垢な戸惑い。しかし、この子たちはひろ子さんより社会性があるので、一応はこのカスに付き合ってあげることにしたようだ。
社会性カスのひろ子さんはそんなこと露知らず、小学生達を指差しながら、ウォームアップを始める。
「あんたらwww今何で笑ってんのwww何でそんなに楽しそうなのww」
「あ……えと……うんこで……」
「はー?! いつまでそんな事言ってんのw?! あんた人生何年生よw?! ウンコで笑うってお前学歴小卒かwww?! 排泄物に面白さを見出すなんて、脳のシワがツルッツルな証拠よ! ウンコという単語が孕むエンタメ性なんてたかが知れてるでしょ! www もっと高尚でロジカルな笑いを学びなさいよこのスカトロジー共がwww!」
「ひ、ひえええええええ!」
「ふ……勝った。次行くわよ」
子供達が泣いて逃げる。ひろ子さんの大勝利。一勝目を難なくもぎ取る。
ひろ子さんは電車に乗る。なぜなら、地元の大半の店は彼女を不当に出入り禁止にしたからだ。
彼女の次の目的地は携帯ショップ。スマートフォン端末がいくつか置いてある。ここで最新端末を買おうとしている人間を狩る事が、この長い人生に於いて至福の時であるとひろ子さんは語る。
ひろ子さんが携帯ショップに来店すると、二人のカップルが、最新のスマートフォン端末を眺めていた。
「ねーみてー!たっくん! この『ンアイポン』超いいねー!モスグリーンだって!」
『ンアイポン』。約二〇万円。今時のハイエンドモデルは、円安の影響もありこれくらいは普通にする。
「リカちゃんセンスが良いね! 僕もこの『ンアイポン』にしようかな! お揃いにしよう!」
カップルがイチャイチャしながら会話をしている。
駄目じゃないか。こんな危険地帯で隙を見せるなんて。
「隙ありぃぃぃぃー! くっっっっそ雑魚そうな村人A・B二匹発見よ!」
「だ、誰だ君は!?」
「私はひろ子! どこにでもいる普通の女子大生よ!」
「そ、そうなのか!?」
ちなみにほとんど大学には行っていない。
「そんな事よりあんた! 本当にそれ買うのww?! 何で『ンアイポン』にするのか説明してみなさいよwww!?」
流石だ。ひろ子さんはどんな時でも、煽る事を忘れない。
「だ、だってかっこいいから……」
「『だ、だってかっこいいから………』で、ですってええええwww??!! あんた! かっこいいかっこいいって言って結局見てるの動画サイトとエロ動画じゃないwwww インスタとかXとかしか見ないじゃないwwwwww! ただの教養もなんんっっっも得られないクソ動画とSNSを見るためだけに二十万円ww 超お高いDVDプレイヤーですことwwwwwwww てゆーかそんなにかっこいいと思ってんなら一生ンアイポンの裏側見てろやwwwww だってかっこいいんでしょwww?! その『ンアイポン』の裏側wwww でも結局『ンアイポンかっこいい』……でエロ動画見るwww『ンアイポンかっこいい』……でエロ動画見る見るーwww 時間はな……金よりも貴重なんだよ! このぼけナスが!!!!!」
「「ひええええええええ!」」
「……大したことないわね。カスどもが。」
大学に行っていないお前が言うなって感じだがそれはさておいて。
二勝目。魂の叫び。その後も俺達のひろ子さんは快進撃を見せる。
あるときは男子トイレの中……ウォシュレットを使ってるおっさんに……。
「汚wwwww うんこリサイクル水使ってるやんwwwwww! あんたなにそれでけつの穴洗えた気になってんのよ?wwwwww他人のうんこカス、またケツの穴から注入してどうすんのよ?wwwwwうんこリサイクル水wwwwww」
「な、何だね君は! ここは男子トイレだぞ!」
また、ある時は路上で煙草を吸っている人達に……。
「くっっっっさwww あそこに喫煙ボックスがあるんだからそこまで行ってから吸いなさいよお漏らしか?www 大体なんであんたらって金ないくせにそんなもん吸っちゃうのよwww 自分の肺をいじめて楽しいか―!? 楽しいのか―!? てゆーかあんたらいつタバコやめんのよwww 『五百円超えたらタバコやめる……キリッ☆彡』とか言ってたくせにwww やっぱ金ねーんじゃねえええかwww てめえが金ねえのはその煙草のせいだってとっとと気づきなさいよこのヤニカスカスカスwww」
「な、なんだこの化物は?!」
またある時はカフェで作業しているノマドワーカーへ……。
「ででで電気代払ってくださーいwww なにコーヒー一杯で無限に居座ろうとしてんのよwww 家で水飲みながら作業したほうがコスパ良いじゃないのwww 水の方がコーヒーより安いって知らんのw? 計算できんのかw? コーヒー代払ってまであんたは『ぼ、僕仕事してますよーぉぉぉん』っていうアピールをしたいんか?wお?w 『ッターン! エンターキーッターン!』 ひゅーwwwかっくぉいいいwwwwその無駄にデカい計算機で仕事より先に月々の珈琲代計算した方が良いんじゃないかしらwwwwコケー!」
「け、警察の方! 警察の方はいらっしゃいませんか!?」
今日だけで五勝。この様に、ひろ子さんは啓蒙活動の一環としてこの街をパトロールしてくださっている。とても素晴らしい方なのだ。
ひろ子さんが商店街を歩く。三時。眼鏡をかけた進学校の高校生徒たちがたむろしだす。
「……まあ、あいつらは見逃してやりましょう」
ひろ子さんはリスクヘッジも出来る。勝てない相手に喧嘩は売らない。
「はー今日もいい論破日和だわー。 次の、獲物は……と。いつもの『狩場』に行こうかしら」
『狩場』それはとあるスーパーマーケットの中にある。狩場と言うより水場だ。
そこには二人の先客がいた。
頭に大きなリボンを付けた中学生位の少女と。
青い髪、前髪が完全に隠れてるショートボブ、更に右目に漆黒の眼帯までしている。
十歳位の小柄な少女だ。
「あー! ウォーターサーバーの水うめー! ね―『円』ー!」と中学生。紙コップを手に取り、豪快に水を飲んだ後、円を見る。
「ねー『ちび』ちゃん! 最新のテクノロジーも一緒に召してる感じがするよねー!」と円。
手がちいかわなので、両手で紙コップを持っている。
ちびと円が過ごす平穏で平和な一日。このまま、何事もなく過ごせるなら、それが最上なんだが。
そんな願望虚しく現れる人型の悪夢。俺達のひろ子さんだ。
「プププw! ウォーターサーバーの水なんかありがたがって飲んでやんのw! ペットボトルの水も買えないのかなww こんなレジオネラ菌培養水(笑)便所の水飲んだほうがまだましw なんですけどw 大体『ウォーターサーバーの水って違うよね…キリッ』とか言ってるやつw
水なんて冷やしゃうまいだろアホか?ww そんなに水の味にこだわりがあるなら山行って汲んでこいやwww」
■好敵手現る
ちびが理不尽に対抗するように吠える。
「あんた何なのよ! 人が気持ちよくウォーターサーバーの水を飲んでるところに!」
「ああごめんごめん!だってあまりにも滑稽だから! 私は啓蒙してるんだよ! 愚かな人民に! ウォーターサーバーの水を飲むということの愚かさを!」
「なんでそんなにウォーターサーバーを憎んでるんだろ…」と円のまっとうな疑問。可愛い。
「おこちゃまたちはレジオネラ菌とか難しい言葉わからないだろうけど! ね!」
ちびが怒りのあまり、地団太を踏み続ける。
「ムカつくー! こいつー!」
すると円が思い出したかのようにひろ子さんを指さす。
「あー! ちびちゃん! こいつ! 私知ってる!」
「何!? 円!?」
「こいつあの妖怪論破婆だよ!」
「何よそのろくでもないあだ名!?」とちび。
「私も知らないわよ!? 日本の古い伝承に出てくる妖怪かなにか?!」
ひろ子さんが突飛な情報に驚きを隠せないでいる。
円は止まらない。チャンスだ。ここで畳みかけるしかない。
「こいつは夜な夜な母校に忍び込み朝を迎えるまで2のCの前面の席に居つき! 最初に教室についた小学生に、ウォーターサーバーの水を飲むことの無意味さを問うんだって!!!」
「ろくでもないわね!? あんたどんだけウォーターサーバーの水に執着してんのよ!?」
「いや身に覚えがない! 何その学校の七不思議のひとつ!!?」
「にしてもあんた! なんでいきなり攻撃表示で来るのよ! 仲良くしたいんならもっと友好的に来なさいよ! ただ水飲んでただけじゃない!」とちび。
ちびと円の怒りは止まらない。
「帰れ! 国に!」
「そーだそーだ!」
「私は日本国民よ! ここが私のホームよ!! もう帰る場所なんて無いわ! どこにも!」
別に帰る場所なんて無いわけが無いのだが、テンションの上がったひろ子さんは反射的に嘘をついていしまう。そんなひろ子さんはリュックサックから、マグカップを優雅に取り出し、暖かい、香りのいいコーヒーを注ぐ。
「まあいいや……私は大人らしく焙煎されたコーヒーでも嗜むよ……」
「……!」ちび。覚醒の時。
「プププwwww水分補給の意味なんて全く無いブラックコーヒーなんて飲んでやがんのwwwwwwさっきはウォーターサーバーの水のことを批判してたくせにwwwwwwカフェインでどれだけの水分が失われてるのかわかってんのwwwwww?あんたの体、膀胱までの水直通便じゃないのwwwwwwwなんの役にも立ってないわよwwwwwwどーせそれも豆から挽いてんでしょww「音が好きなんだよね……キリッ☆」とか言いながらカリカリやってるの滑稽すぎwww それ1杯淹れるために何分かけてんの?www お前の人生、豆と一緒に挽かれてんぞwwwwww」
「……! やりおる…!」
■剣はペンよりも強し
円を挟んでちびとひろ子さんが争っている。ひろ子さんのターンから。
「大体あんたそのクソデカリボンなに?wwwwwww信号機?www 『と止まってくださいぃぃぃぃ』ってかww そんなに車が怖いかww お?ww 大体今令和ぞww 令和にそんな馬鹿リボン付けてるやつほかにおる?wwwおる?www いたわ目の前にwww」
「そんなあんたこそカバンにいい年してぬいぐるみつけてww 安易なキャラ立ちw? 鏡みてみwwwww 見た目が幼いからって若く見られると思ってんの?wwww 首のシワ透けてんぞばばあww ぬいぐるみぶら下げた内蔵直通便、ババババアww」
「……。この世で一番醜い争いが目の前で繰り広げられてる……」と円。
二人の戦いは互角だ。手がちいかわで可愛い円の付け入る隙なんてない。
ひろ子さんは何の前触れもなく、円をターゲットにする。やるなら、弱いやつからだ。
「てゆーかそこの青い少女! あんたそれ前見えてんの?」
「…はい」
「いやいやあんた前髪くっそ長いのに更に眼帯までしてwwwなんでそんなハンデ背負って生きてんのよ人生二周目から来る余裕か?www視界封じて生きる意味なんて現実世界でなんかあんの?www暗殺者の末裔?wwww」
「漆黒の闇に見初められてそうwwwその右目に復讐心という名のものもらい宿してそうwwwだとしたらそれただの細菌が感染した膿の塊でーすwwwwクサクサwwクッサ―!」
「『ククク…右目が疼く…』じゃねえのよwwwそれただの眼精疲労! スマホの見すぎ!wwwお前が掛ける必要があるのはブルーライトカットのメガネ若しくはsnsの停止www」
「はい―! 今目を掻きましたね!? 目を掻きましたね!? 眼帯の上からwwwつまりあんたそれって眼帯つけてることに慣れてないってだけじゃないのアマチュアがwww最近つけ始めたんですねwww己の闇を隠すためにwwww」
「使い魔とか居るの?www孤独な夜を過ごす時とかに肩に止まってる使い魔に向かって話しかけたりしてんの?www名前とか付けてんの?www『ワルプルギスの使い魔』とかって設定とかあったりする?wwwあww設定って言っちゃったwwごめんごめんwww」
「マジで眼帯って、『現実ではモブじゃないと思い込みたい人』の最後の手段って感じwww でもな、どんなに着飾っても、モブはモブだぞwww」
「大体あんた」
と、いいかけたひろ子の背後に回る円。ナイフをひろ子さんの首元に構え、一言。
「これ以上喋るな」
「すみませんでした……。(ガチの暗殺者だった……!)」
「…この子、ナイフ持ち歩いてるんだ…」とちびがドン引きしている。そりゃそうだ。手際が良すぎる。
そんな円がナイフ終い、ちびの下にトテトテと可愛く駆け寄る。
「いこう…ちびちゃん♡」
「あ、はい。行きましょう。」
呆然と立ち尽くすひろ子さん。
「相手をよく見て絡もう…」
ナイフを持ち出すのはルール違反なので、可愛くても円の負け。乱入があったので、ちびとの勝負はノーカン。ひろ子さん。6勝目だ。
■天罰
ひろ子さんは今、川沿いの道を歩いている。川は傾斜のある、芝生の土手に挟まれており、通りがかった近隣住民はここで景色を楽しんだり、リラックスしたり。
「今どきの小学生はナイフを持ち歩いてるのね……無闇矢鱈と喧嘩はうれないわ……恐ろしい」
反省するひろ子さん。こうやって生物は弱点を克服し繁栄してきた。
「…お?……獲物だ!」
先ほど、反省をしたばかりのはずのひろ子さん。流石だ。良いハンターは切り替えも早い。彼女は、土手に体育座りして座っている、おかっぱの小学生くらいの少女を見つけ、話しかける。
「おーいそこの少女!」
「ぎゃー! 妖怪論破ババァだ!」
「どんだけ広まってんのよそのあだ名!!」
すると少女。ポケットに仕舞っていた、A4サイズの紙を取り出し、ひろ子さんに見せる。
「おめえ手配書、出回ってるぞ!」
「本当だ! 懸賞金までついてる! でも安すぎる! 五十円て! そりゃ誰もわたしをつかまえにこんわ!」
ひろ子さんのツッコミは止まらない。
「てゆーかこれ誰だよ!」
手配書には人物画がつきものである。そこにはひろ子さんの六十年後の姿のような見た目の老婆の、様々な角度の写真が貼られていた。
「どう見てもおまえさんだろうがよー」
「どう見ても私じゃないわ!!」
少女が土手を下りながら逃げる。あっかんべーをしながら。
「クソガキー!待ちなさい!」
「イヤだよー! ばーか!」
ひろ子さんと少女のチェイス。運動不足のひろ子さんが全力で土手を駆け下りる。そのせいでひろ子さんに異変が。
「ぎゃー! 腰がー!」
グキッ! という骨が響くような衝撃の後に立ち上がれないほどの激痛。これでは勝負どころではない。なのでノーカン。引き分けだ。
痛みに悶えるひろ子さん。腰に手を抑えて、ある一人の男を思い浮かべながら立ち上がる。
「……。行けるじゃん。そよ風堂」
このままひろ子さんはタクシーをアプリで呼び、そよ風堂とやらまで運んでもらう。
■そよ風堂の店主:創
「じゃあねー。あんまり無茶するなよー」
路面に面したマンションの一階にある小さな一人接骨院。お客様を見送る青年、ケーシー白衣と呼ばれる施術者らしい作業着を着こなす創は、一人で接骨院を経営する。
黒い短髪は社会の常識に馴染み、爽やかな笑顔は彼の善良を象徴する。
「よし。取り敢えず今日の分の予約は捌いたぞ。…………?」
目の前に止まる一台のタクシー。そこから腰を片手で抑えたひろ子さんが老婆のように慎重に降りてきた。
「ひろ子! ただ事じゃないな! 何があった!」
「聞いてよ! 土手でクソみたいな小学生を追い回してたら腰をバキッってやったのよ!」
「どういうシチュエーションだよそれ!? 絶対お前のほうが悪いだろ!」
ひろ子さんは事実のみを語る。創は有資格者として、適切な対応を進める。
「取り敢えず! 松葉杖持ってくるから!」
創が自動ドアをくぐり抜け、入口の近くに常備してあった松葉杖を手に取り、戻ってくる。ひろ子はそれを受け取り、一緒に接骨院の中に入る。
「……よーし。取り敢えず横向きになって寝て……。そうそう。枕の上に頭を置いて……」
施術台の上。ひろ子さんは創の指示のとおりに側臥位と呼ばれる体勢に変わる。
「イダダダダ! めっちゃ痛い!」
「深呼吸しろ! よーしよーし……。痛くないぞー。そうそう。じゃあ今から足の指先からほぐしていくからな―」
「腰を揉んだりしないの?」
「やらないやらない。今は腰がギリギリ崖っぷちで踏ん張ってる状態だからな。揉む即ち後ろから崖につきおとすようなもんだ。じゃあとりまやっていくぞー」
創の手によって絆されること数分。体も心もほぐれていき、次第に彼女の歪んだ本能がいつものひろ子さんを呼び戻す。
「そういや聞いてよ今日も獲物を狩り尽くしたのよ先ず朝はウンコで笑う小学生どもを狩ったのよ。うんこで笑うなんて低能すぎるわwwww」
「ははは。そんな頃もあったな懐かしい。俺は今でも面白いと思うけどな」
「……ンでその後20万の『ンアイポン』をかっこいいっていう理由で買うカップルがいたの! 意味わかんなくない!?」
「んーでも、ああいった洗練されたガジェットって購買意欲をそそる方向で作らないと、利益を回収できないしそもそも売れないんだよ。つまり、人間の脳みそを『質感工学』と呼ばれる学問と大企業の総合力でハッキングした商品がンアイポンだ。誰だって欲しくなると思うけどなあ」
創は淡々と施術を進めながら的確な正論をひろ子さんに浴びせる。
「……だったらウォシュレットってどうよ!?www あんなの他人のウンコ含有水じゃん!www」
「アハハハすごいワードセンスだな! いやでもな、ウォシュレットってすごいんだぞ。お尻を紙で拭き続けると摩擦が起きる、痛みの要因になるんだ。痔がある人にとってはとってもありがたい商品だぞ。それに紙も使わない。環境にも人間にも配慮しているテクノロジーの結晶だ」
「じゃあ路上喫煙は!? あんなの絶対やっちゃ駄目でしょ!」
「駄目だけど……。でもな……。これがまた難しい問題で……。彼らはタバコに脳みそをハッキングされたんだよ。何処にでも買えるコンビニといういつでもアクセスできる棚に置かれている、依存性のある商品を、依存性が認知されていない時代の時から、ストレス解消のために使っているだけとも言える。なのに喫煙所は無くなっていき、後ろ指をさされる。これって喫煙者だけの問題でもないんだよなー」
「カフェでエンターキーッターンするノマドワーカー! 家でやりゃいいでしょあんなの!」
「もしかしたら家族が居るのかも知れない。夜勤の恋人が家で寝ていて、配慮しているのかも。まあカフェのルールを守ってたら別に良いんじゃないのか?」
尽くエビデンス付きで論破されるひろ子さん。いつの間にか腰の痛みが軽くなったのは、創の技術か、はたまた敗北感と共に分泌されるノルアドレナリンか。
「一旦起き上がって……。よし、痛みは減ってるな! 良かった! じゃあベッドに座って。先に水を飲むか。」
と言って向かうは最近導入したらしいウォーターサーバー。
隙を見つけたひろ子さんの目がキラリと光る。いまだ。ここしか無い。しかし創に先手を打たれてしまう。
「良いだろーこれ。災害の時に活躍した事例もある素晴らしいウォーターサーバーだ」
「……そうなん……?」
創が紙コップに水を注ぎ、ひろ子に渡す。
「ああ。でかい地震が年末にあっただろ。あの時にこのウォーターサーバーがとても活躍したんだ! 水道が復活するまでの間の飲料水としても、ガスが止まった時は、赤ちゃんがいる家庭で離乳食としても! 何万もの命を救ったんだろうな!」
ぐうの音も出ないほどに斬新な形でボコボコにされるひろ子さん。さっきまでレジオネラ菌培養水とか言っていた自分と、しかしそれでも論破したい欲求がせめぎ合う。
「……じゃあ眼帯は……? 眼帯を病気も無しにつける意味ってなによ……?」
両手に持ったコップにポツリと最後の抵抗を託す。隙間風のように頼りない声は、創の耳に届くのだろうか。
「……あの……。はずかしいんだけどさ……。俺……。」
言い切らず、ポケットに入っていたンアイポンを取り出し操作する創。
「……この画像を見てほしいんだけど……。」
そこにはダブル眼帯をつけてバシッとコスプレを決める創の姿があった。
「あ、あんたなにこれ!? 両目を摘出したコスプレイヤー!?」
「……。まあそんな設定はないんだけど……。昔、こんなこともやってたんですよ……。恥ずかしながら」
左にスワイプしていくと、眼帯へのこだわりが特に強いことが分かるコスプレ画像の数多。「もういいだろ?」と、ンアイポンをポッケに入れて、立ち上がってひろ子に対面し、ハニカミながら魅せる笑顔は草原を撫でる、そよ風みたい。
「俺が言いたいことは一つ。眼帯ってカッコいいってことさ!」
施術台に座るひろ子が創を自然と見上げると、上目遣いになる。お互いの視線の先にお互いの姿のみを映す時間が五秒ほどあっただろうが。
「ひろ子」
「……なによ」
「お前も眼帯似合いそうだぞ! 顔がいいからな!」
ふっと自分の頬が赤く上気した予感を察知し、顔をぐっとななめ下に向けるひろ子さん。
「……どうした。ひろ子」
「なんでも無いわよ! 良いからとっとと施術の続きをやりなさい! 腰が痛いんだってまだ!」
と言い直した後、水をぐいっと飲み干し、創にカップを渡し、うつ伏せになり、顔を施術用の枕に埋める。
「ああ……。悪かった。よし! 続きをやるか!」
腕をまくり、バックヤードに立ち去る創。何故か後方からバシャバシャと水面を何かが叩く音が聞こえ、ひろ子さんは気になり、一旦仰向けになる。
「……。何この音……?……………!? あんたなにそれ……!?」
ひろ子さんの目が恐怖に染まる。
なぜなら創が荷台に乗ったでかい水槽とともに現れたからだ。
「待たせたな! ひろ子! しびれエイを持ってきたぞ!」
「いやあんたなんでそんなもん持ってんのよ!? 私望んでなんか無いわ!?」
「いーやお前は望んでいる! 何故なら腰痛持ちだからだ!」
言うやいなや、素手のまま、活きの良いシビレエイを取り出してひろ子に嬉しそうに見せつける創。結構でかい。ビチビチと尻尾を振り回しながら水を撒き散らす。
「こんなもん接骨院には必要ないでしょ!?」
「いやいや! 古代エジプトではシビレエイの電気を使って体のケアをしていたんだ!(ガチ)。お前の大好きなエビデンスもちゃんとある! だから今からこれをお前の腰に直接乗せるぞ! さあ! 腰を出して!」
「嫌! 絶対に嫌! 来ないで変態!」
シビレエイを手に持った変態がひろ子の肩に手を置く。その拍子にエイがびっくりして電気を放出し、創の手を媒質に二人を感電させた。
「ぎゃあああああああああ!」「ぎゃあああああああああ!」
■敗北後
「……散々な目にあった……」
夕暮れ時の帰路。アスファルトの上をトボトボと歩くハンター。歴史に基づいた民間療法を受けたひろ子さんの腰は驚くほどに軽いのに、足取りは死ぬほど重い。
「はあ……。前半は調子良かったのに……。後半メタメタにされたわね。絶対次は負けないんだから。」
創に対して闘志を燃やしながら、いつもと違う道を歩くひろ子さん。すると今までは通り過ぎていたコスプレショップが目に入る。
「……。あいつあんな趣味があったなんてね……。」
なんてぼやきながらお店に入るひろ子さん。いらっしゃいませ~と気の抜けた店員さんの声を素通りし、探すは眼帯。
「あった……。これね……」
手に取る漆黒の眼帯にはドクロのマーク。海賊とかがつけてそう。
「……調査よ。次、あいつをボコボコにしてやるんだから」
紐の部分を両手で持った後、慣れないながらも後頭部まで回し、結び、付ける。鏡の前に立ち、自分の顔を見てみる。
「……こんなもんなにがいいのよ」
そう言って眼帯を外した後、そのままレジまで持っていき購入した。




