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学院には各地から学生が集まって来た。中には田舎から都会に出てきて見るものすべてが珍しく勉学よりも遊興にふけり、なけなしの金銭を費やす者が少なくなかった。
都会には様々な物品があり、きらびやかでとてもいいものに思えた。
「上流階級」にあこがれ、社交をするためにまずは服、装飾品、馬車が必要で、向かう先はレストラン、劇場、ダンスホール、百貨店、高級店街、公園などだ。どれだけお金があっても足りない。なけなしの所持金はすぐに尽きて切り詰めなければならなかった。第一に節約したのは食べるものだ。
相応の恰好や馬車は社交に必要だ。そこまでして付き合いを優先するのは滑稽だというものもいたが、社交において身なりは重要視された。みすぼらしければ、とたんに対等に扱われない。借金してでも買いそろえる必要があった。そうして仲間入りし、裕福な夫人の愛人の座を射止めれば、就職先をあっせんしてもらえたのだ。
そういう「習わし」だった。いわば、将来のための就職活動の一環だった。伝手のあるなしでは、将来が大きく変わってくる。数百年前の騎士時代から連綿と続く習慣だ。
職を求めてさまよう詩人騎士たちは、領主の若い夫人の愛人となることで、就職をあっせんしてもらっていた。職と愛、運よくそれぞれを手に入れたり、どちらかがあるいは両者がうまくいかなかったことが詩に詠まれ残っている。
父親の死によってようやく領主になった男性は年下の瑞々しい妻を迎える。若いからこそ妻は同年代の強い男性を求め、その需要に合致した騎士たちの雇用のために夫に口利きした。悋気に悩まされながらも妻のおねだりに応えるべく領主は騎士を取り立てるという生臭くも人間らしいドラマがそこにあった。
そして、形を変えつつも原型はそのまま現代に受け継がれている。
貴族や裕福な都市市民は若い愛人を持ち、その愛人の伝手によって地方からやって来た学生は就職口を得るのだ。
そんな事情を知らないリシェルは自分とは関係のない世界として、ひたすらに勉学に励んだ。
きらびやかな世界の虜になり、うまく世間を渡っているつもりの学生たちは、当然授業についていけなくなった。数少ない女子生徒のリシェルに大いに差を開けられ、卑屈になっていたところ、彼女がスライムの使役をしたということで、盛り返した。
「どれだけ頑張ってもスライムの使役じゃなあ」
「そうそう。やっぱり俺たちみたいに世の中の仕組みを知って、うまく渡っていかないとな」
「情報収集が肝要だ。それを怠るからこうなるんだ」
学生の本分である勉学を飛び越え、就職活動に勤しむ者に嘲られ、リシェルは不条理に歯噛みした。
それでも、途中下車せず卒業したのは、ひとえに村人たちがなけなしの金銭を集めて学院に入学させてくれたからだ。
社交のために郷里に仕送りの追加を頼む学生たちの中には、次第に送られてくる金銭が減り、最終的には断られ、裕福な者との付き合いも、学院の授業にもついていけなくなり、脱落する者が一定数存在した。
彼らのようになにひとつ身につかないまま帰郷するわけにはいかなかった。
なんとか卒業を迎え、村に戻ったリシェルは聖職者のジムという保護者を失った寄る辺ない子供たちの世話を引き受けた。彼らの境遇は他人事には思えなかった。
自分にはまだ両親が残してくれた温かい思い出の詰まった家がある。そこでなら、子供たちとやっていけるのではないかと考えた。
リシェルの心情を知ったアルノは、カレルをはじめとする子供たちの警戒やリシェルへ気遣いの理由を知る。幼いなりにリシェルを傷つけるものから守ろうとしているのだ。
そして、それは子供たちだけではなかった。
「あなたが大学の学者? ふうん」
値踏みするような視線がアルノの頭のてっぺんからつま先までを何往復もする。
リシェルの親友だと言った女性はカリスタと名乗った。くすんだ金髪、青い瞳をしている。
「リシェルはねわたしと同じくらい可愛くて胸が大きくてスタイルがいいの。そして、わたしよりも格段に頭が良いの。嫉妬もできないくらいにね。でも、村の期待を背負って学院へ入学したのに、卒業して戻ってきたリシェルはすっかり自信を失っていたわ」
「リシェルが自信喪失しているのは聞いたが、それに容姿が優れていることになんの関係があるんだ?」
「黙ってお聞きなさい」
ぴしゃりと言われて、アルノは口をつぐんだ。
「こんなに若くて可愛い子とひとつ屋根の下で暮らすのよ。いつ不埒な気持ちが芽生えないとも限らないわ」
アルノは涙ながらに訴えるリシェルの姿を思い出さずにはいられなかった。セージグリーンの瞳からほろほろと涙がこぼれる様はとてもうつくしかった。
「ほら、やっぱりそうなんでしょう!」
黙り込んだアルノに、カリスタは腕組みをして背をそらす。そんな体勢をとったものだから、大きいと自己申告した胸が強調される。
「カリスタ、やめてよ。失礼よ」
失意の中、村に戻ってきたリシェルを、カリスタはなにかと励まし、気を配ってくれていた。だから、あまり強くは出られないのだが、そろそろ止めようと口をはさむ。
友人だと思っていた学院の同級生が手の平を返すのを目の当たりにした学院生活の後半は、惨めな物だった。村に戻ってきたリシェルを今までと同じく接してくれるカリスタの存在にどれほど助けられたことか。
「顔が良くても余所者には警戒すべきよ」
カリスタの言葉に、リシェルはアルノをちらりと見る。ちょっと、わりと、大分格好いいなとは思う。
「おー、兄ちゃん、うちの村の綺麗どころで両手に花をするなんて、やるねえ」
籠を背負ったチエムがにやにや笑いながら、通り過ぎる。その隣には同じく籠を持ったカレルがいる。
「チエムにカレル、もう行くの?」
「ああ。差し入れ、ありがとうな、カリスタ」
「いいのよ。あんたたち、育ち盛りなんだから、どれだけ食べてもお腹が空くでしょうからね」
礼を述べるカレルにカリスタはそう返し、視線をアルノに戻す。
「あなたは村の手伝いに行かないの?」
「そりゃあ、無理ってものだぜ。兄ちゃん、力がなくて重いものは持てないし、家事も得意じゃないし、金儲けになりそうなことも思いつかないって言うしな」
「パンが硬すぎて噛みちぎれないってくらい弱い」
「そうなの? 学者だって聞いたから、うちのおじいちゃん、お金儲けの相談でもしようかねって言っていたのに」
「カリスタは村長のお孫さんなんです」
チエムとカレルの言葉にあからさまにカリスタが肩を落とし、リシェルが苦笑しながらアルノに説明する。
「そうよ。だから、村長の代わりにうさんくさい余所者の監視に来たの」
そんな風につんけんしたことを言ったものの、カリスタは掃除や洗濯、洗い物といったことを手伝った。
「あの人、ほんっとうになにもしないわね!」
カリスタの憤慨に、アルノが料理を手伝ったときのことを思い出す。手際は悪く、危なっかしい。作業途中でも思いついたことがあれば考え込み動かなくなり、邪魔になる。
「スライムの研究をするために滞在しているんだもの」
空になった洗濯籠を抱えながら腹を立てるカリスタをなだめ、リシェルも庭先に視線をやる。
メイニがスライムにひっついており、その傍らでアルノが顕微鏡を使っている。
アルノの数少ない所持品のひとつで、崖から落ちた後も真っ先に破損の有無を確認した大事なものだ。組み立て式の顕微鏡は、学院で見たことのあるものよりも大がかりで、そんなものを持ち歩いていることからも、彼が学者なのだとすんなり受け入れた。
と、アルノがリシェルたちの方を向いた。あまりにもじっと見つめすぎただろうかと、リシェルが視線をそらそうとしたとき、アルノに呼ばれた。
「リシェル、ちょっといいか」
「は、はい」
「行っておいでよ。洗濯籠はわたしが片付けておくわ」
「ありがとう」
カリスタに籠を渡して、アルノとメイニの傍に近づく。
「リシェルが魔力を行使する際、スライムの体内でどんな風になっているのかを見たいんだ」
それで、顕微鏡でスライムの体内を見るのだという。
使役術は眼前にいる魔物に対して魔力干渉をし、意思疎通を図る。獣というものは人間を含め、自由を侵害されることを嫌う。そのため、この魔力干渉は反発をくらう。高圧的に行えば反発は大きくなる。
使役術は、とにかく使役する魔物に魔力が届かなければ意味がない。どれほど有益な、あるいは強力な魔物であっても、出会うことすらできなければ、使役することはできないのだ。
その点、スライムはあちこちにいる。そして、動きがのろい。魔力が干渉する可能性は高い。影響下における確率は高い。
だが、世間一般では最下層の生物に位置づけられる。だから、リシェルも学院でスライムしか使役することができない落ちこぼれとみなされた。
アルノはそういった観点を持たない。
「スライムと意思疎通が正確にできているのなら、よほどスライムと相性がよさそうだ」
「もしかして、だから、スライムしか使役できないのかもしれませんね」
使役しても役に立たないという世間の評価は、リシェルの中でも徐々に薄れつつあった。
「ね、ねえ、ケンビキョウってなに?」
ティコがおずおずと、でも興味を隠しきれずに聞く。男の子はこういう器械が好きだ。ティコも例外ではない。
「小さいものを調べるために使う器具だ。接眼レンズと対物レンズというふたつのレンズに各々光が当たって像を結ぶ。このときの光の角度が重要だ。それをふたつのレンズの距離で調整するんだ」
組み合わせレンズの焦点距離や主点の位置を求める。
ティコが首を傾げると、二枚のレンズで物を見る器械だよとアルノがかみ砕く。
「小さなものが大きく鮮明に見えるんだ」
「それで、スライムの体の中を見るんだね」
「そうだ。ティコは呑み込みが早いな。体の中は小さなものがぎっしりつまっているんだ」
褒められて嬉しいティコは熱意を持ってアルノの言葉に耳を傾ける。
「チュライム、いたくない? だいじょうぶ?」
「どうだって?」
「だいじょうぶだって!」
なんと、アルノは生きたままのスライムに顕微鏡を使って体内を観察している。特殊な顕微鏡なら、光を透過させることができるのだという。
「通常は被検体を眠らせて使うんだが、メイニがスライムにじっとしているように言い聞かせてくれるおかげで逃げ出そうとしない」
野生動物はとにかく、自由を阻害されるのを嫌がる。目も耳も鼻もないスライムをどうやって眠らせるか、非常な難問だったのだ。
また、光魔法顕微鏡を生きたままの被検体、例えばマウスの脳細胞を見る場合、頭蓋を少し削る必要があるが、軟体動物であるスライムはそのまま確認することができる。
「ふふーん」
アルノに褒められたメイニが丸いほほを染めて胸を張る。
功労者のメイニはアルノにせがんで自分も顕微鏡のレンズをのぞかせてもらった。
「わあ、チュライムのなかはこんなふうになっているのね」
「ね、ねえ、メイニ、僕にも見せて」
怖がりのティコが好奇心を抑えきれずに顕微鏡をのぞく。
「うわっ、なにこれ」
ティコは音がしそうなほど勢いよく顔を上げた。
「今見えているのは細胞だ」
「細胞が見える顕微鏡って、相当性能が良いものでは?」
アルノの答えに、学院時代で使った器具を思い浮かべながらリシェルが驚く。
「うん。今は低倍率だが、集光レンズに光魔法を通せばマイクロメートルくらいまで拡大可能だ」
「光魔法顕微鏡!」
噂に聞いたことのある器具に、リシェルの心は一気に高揚する。なぜ気づかなかったのだろう。光を透過させる特殊な顕微鏡とは、まさしく光魔法を用いているに違いない。
「まいくろ……?」
「一ミリの一千分の一だ」
オウム返ししそこねたティコにアルノが付け加える。
「ふわああ」
「そんなに小さいものまで見えるなんて」
よくは分からないがなんだかすごそうだとティコが素っ頓狂な声を上げ、リシェルが感心する。
「せっかくだから、リシェルも見ておくといい」
学院にも置いていなかった高性能の器具で、ひとりで少しずつ研究していたスライムの体内を見られる。しかも、話に聞いたことがある器具を使うことができる。
リシェルは一も二もなく頷いた。
胸を高鳴らせて、恐る恐るレンズをのぞく。
「なにもない? あ、違う」
無色の茫洋とした海の中に、よくよく注意を向けてみれば、なにかが漂っている。円のような楕円のような不思議な形は、ひとつふたつ認識すると、ほかのものもわかるようになった。気が付けばびっしりと文様が描かれている。
このひとつひとつが細胞なのだ。体内のさまざまなものを構成する歯車だ。ひっきりなしに働き、ほかの歯車とかみ合い、多様な作用をもたらす。
「すごい。……すごいわ」
「人間は視覚に認識の多くを頼っているからな。顕微鏡は研究になくてはならないものだ」
つまり、見えなければ認識するのは難しい。そこで、顕微鏡という器具が開発された。顕微鏡は瞬く間に改良を重ねられ、今では光魔法を使ってとても小さいものまで見えるようになった。
アルノの言う「視覚によって認識の多くを頼る」ということをまざまざと突きつけられた。
「細胞には色がないからわかりづらいんだ」
「そうですね。あ、でも、確か、どこかの学者さんが細胞を染色することによって、特定させるという方法を見つけ出したと聞きました」
「染色法だ。よく知っているな」
「はい。画期的な方法で、その発見によって病の原因をつきとめやすくなったとか、薬の効き目がよくなったそうですね」
言いながら、リシェルはちらりとメイニを見やった。
メイニは別のスライムに口をくっつけたまましゃべっている。
「チュライム~、きこえてまちゅか~」
「ふむ。振動がダイレクトに伝わって、いいかもしれない。……うん? このスライムは妙な動きをするな」
微妙な違和感を覚えたアルノがふと思いついたことを口にする。
「メイニ、もしかして、具合が悪いのではないか?」
すかさずメイニに近寄ってその額に掌を当てたリシェルがアルノを見やる。
「熱があります」
「メイニ……」
ティコが泣きそうな顔でつぶやいた。
「たいへん!」
「どうしたのー」
「なになにー?」
「えーと、なんだっけ?」
「おもいだすまで、ぷるぷるしておく?」
「えーと、えーと、そうだ! めいにがあつい! たいへん!」
「わあ、たいへんだ!」
「めいにがたいへん! ぷるぷるぷる」」
「「「めいにがたいへん! ぷるぷるぷる」」」




