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 アルノに自分の能力と努力を認められ称賛されて、リシェルは心が満たされるのを感じた。ただ嬉しいのではなく、充足したのだ。

 けれど、喜びは徐々に自分を責める気持ちに変わっていく。


 学院を卒業しただけのリシェルからすれば、大学で学者をしているというアルノは雲の上の人間だ。学問を志したという意味では同じ目標を持ったものの、次元が違う。

 そんな人に称賛され心が満たされたものの、それは同時に自分が抱えていた鬱屈を突きつけた。


 泣きだしたリシェルに、アルノは意味もなくノートを開いたり閉じたりと、挙動不審になる。

「な、なにか気に障ったのか。傷つくようなことを言っていたら済まない。関心のあることに夢中になって、ほかがおろそかになりがちなんだ」

 自分がなにかしでかしたのかと自省するアルノに、リシェルは目元をぬぐいながら首を振る。

「違うんです」


 学院生時代から集めていた情報は、スライムの使役を馬鹿にしてくる者たちを見返してやりたいという気持ちから行ったものだった。だから、大学で学者を務めるような人に褒められるものではないのだ。


「悔しかった! ずっと怠けていた人たちに馬鹿にされるのが屈辱だった! わたしを好きだって、友だちだと言った人たちが陰口を話していた! いつもつましく暮らす村の人たちがかき集めてくれたものを売ってようやく学費が工面できたんです。なのに、わたしは応えられなかった! どんなに勉強しても、せっかく使役術の適性があっても、スライムだと役に立たないと言われる!」


 その訴えは血を吐くような悲痛さがあった。

 どれだけ頑張ってもだめなときはある。

 どれだけ願っても叶わないときはある。

 どれだけ抗っても大きな力がうねりとなって呑み込まれるときはある。

 諦めきれなくて、あがいてもがく。


「彼らを見返してやりたかったんです。だから、せめて、なにか得られないかと思ったんです。純粋な研究心からではないのです」

 単なる負けん気、腹立たしさから行ったものだ。大学の学者から称賛されるようなものではない。

 そうリシェルは言う。


 アルノはリシェルの涙ながらに訴える姿に見とれた。とてもうつくしい。

 彼女の訴えは妬みやそねみといった凝った暗い感情はなく、ひたむきさ、瑞々しさがあった。

「悔しいという気持ちは悪いことばかりではない。無味な作業を延々と続けるには、相応のエネルギーが必要だ。人の原動力だよ、それは」

 見くびられて腹が立ち、見返してやろうとするのは自然な心の動きでなにも恥じることはない。


「それでこれだけの資料を作れるんだから、素晴らしいことだ。大学の学者の中でも適当な記録をつける者は少なくなくてね。お披露目でも実験データ通りにいかないことなんてざらにある」

 研究は華々しいものでは決してなく、地道なものなのだ。


「それでも、ひとつずつ積み重ねていく」

「辛くはないですか?」

「いいや。先人たちが積み重ねたことを継承している。過去の天才たちが知り得なかったことを俺が知っているのは、そういった研鑽(けんさん)があってこそだ。第一、学者なんて、利己的な人間が多いぞ」

 それこそ、朝、目が覚めたときから研究のことについて考える。考えて考え続けて、真理にたどり着けるかどうか。なんの功績も残さず一生を終わる者が多い。


「大勢のそんな名もなき存在たちが積み上げてきたことの上に、俺たちの見識は支えられているんだ。ひとりで一から全部を実証することは無理だ。こつこつ積み上げてきた記録をベースにして、さらにその上に積み上げていく。そうしてようやく事実が明るみになってくる。そんなものをひとっ飛びにする天才と呼ばれる者たちが次々に発見をなしていくこともあるけれどね」

 アルノは肩をすくめた。そして、ノートをそっとなでながら言った。

「君の記録も、きっと世界を構築する心理の、巨大な礎の因子となるだろう」

 リシェルの記録に注ぐ視線には、確かに尊敬の念が込められていた。


 君がしてきたことは間違っていない。世界を構築する心理の一端を解き明かす一助になる。

 そう言われた気がして、リシェルのセージグリーンの瞳からぽろりと大粒のしずくがこぼれた。


 名もなき研究者の記録によって、それらが「常識」となり、過去の天才たちが知り得ないことを知る。そういった連綿とした積み重ねの礎に加わっているのだという。

「君の知り得たことも、いつかきっと、世界の事実、常識となっていくよ」

 世界の環からはぐれたのではなく、その一因となる。それは、なにものでもないと諦めていた寄る辺ないリシェルに、眩いほどの希望となって生涯心を温めた。




「兄ちゃんはきっと役に立ちそうにないと見限られて、大学を追い出されたんだろうな」

「どうかな。まあ、大学ってところは入学するのも難しければ、授業についていくのも大変らしいからな」

 リシェル寄りの考え方をする子供たちは、アルノが彼女と似たような立場だったのだろうと想像し、自然と同情した。無関係の人間に温かい気持ちを向けられる、やさしい者たちだった。

 毎日やってきては庭の片隅にしゃがんでスライムを観察している姿を見れば、そんな気持ちにもなるというものである。


「村の人たちもさ、やさしいバートさんの負担になるだろうから、そろそろ神殿で世話するのは無理だって言おうかって、話していたよ」

「じゃあ、しばらくうちにおいてあげる?」

「スライムに興味津々だしな。リシェル、いろいろ教えてやったら?」

「いいじゃん、それ。大学の元学者に教えてやるなんて、なかなかのものじゃん?」

 カレル、チエム、そしてエニーの年長組に口々に言われ、リシェルは迷いつつ、窓外に視線をやる。めずらしく、引っ込み思案のティコが会話している。アルノが薬草を手にして、指さしてなにか言っているのを、ふんふんと熱心に聞いている。そして、珍しく自ら話しかけている。一生懸命話し、アルノが大きくうなずくと、五歳児が嬉しそうにはにかむ。

 リシェルはきゅうと胸が締め付けられるのを感じた。自分が言ったことを肯定し誉められたのがうれしい、という光景に覚えがあったのだ。


「うちの弟も珍しくなついたみたいだしね」

「末っ子もな」

「チビに人気があってもなあ」

「きっと、小さい子供の話でも熱心に聞いてくれるからよ」

 年少者の話を取るに足りないと思っていると、言葉にしなくても態度に現れる。だから、幼い子供もアルノが真剣に耳を傾けていることを肌で感じ取るのだ。

 それは興味があることについて真摯に向き合っているからかもしれない。


 自分はそうしてきただろうか、とリシェルは自問する。

 確かに、卒業してスライムの研究を重ねてきた。そこに下心があった。でも、アルノは学者は利己的な者が多いという。


「わたしも、新しい気持ちでスライムのことを研究してみようかしら」

 窓の外に視線をやりながら思わずつぶやくリシェルに、カレルたちは顔を見合わせ破願する。

「いいじゃないか、そうしなよ」

「せっかく元学者がいるんだから、こき使ってやれ」

「そうね。学者さんの観点から研究を進めるのもいいかもしれないわ」


 リシェルがやる気になり、結論が出たようなので、カレルとチエムは出かけることにした。

「そろそろ、行ってくる」

「今日は麦の脱穀だっけか」

 村では数少ない機械は共有財産で交代で使う。ひと家族ではとうてい所有することができないほど貧しいのだ。これは家畜や農機具も同じで、すべて村の共有財産である。

 脱穀は重要な仕事で、大量の麦を扱う。使い倒されてきたことから、古い機械の動きはにぶく、たまに完全に止まってしまう


「気を付けてね」

 以前、手伝いに行ったカレルとチエムは、小さいからと言って、村人たちが機械のなかに手を突っ込まされそうになったことがある。


「なんか中に挟まってしまったんじゃないか?」

「奥に油をさしてくれ」

 当然、危険なことだ。カレルとチエムは手伝うことで日々の糧を得ていることから、嫌だと言いにくい立場にある。


 最年長者のリシェルが抗議してもはぐらかされたり、なんなら怒鳴りつけられるだけだということを知っている。自分たちに理がないからこそ、大声を出してうやむうやにしようとする。自分たちを見下し、どうでもいい存在として扱われているからだ。

 だから、リシェルはそういうときにはバートに話すことにしている。心優しい聖職者は憤り、子供にそんなことをさせるのなら、自分がやると言いに行った。

 村人たちはカレルやチエムに無体を働かなくなった。もしかすると、多少は残っていて、ふたりが口をつぐんでいるだけかもしれないけれど。


 そんな生活の中であっても居候を抱えるのは無謀と言えたが、大学の学者が研究するのを間近で見ることができるのは、とても魅力的だった。リシェルはいつになく高揚した。

 そんな風にして、アルノはリシェルたちの家に居候することになった。


 アルノはバートとともに村の滞在許可を得るために村長の家を訪ねた。

 痩せて背が低い白髪の老人はバートににこやかに挨拶をしたが、アルノに向ける眼光は鋭かった。固く締められた口元、両頬に縦に一本ずつしわが立つ。

「へえ、大学の学者さん。なにを研究していたんだい?」

「生物学だ」

「ははあ。それで、スライムについて興味を持った、と」

 魔力というエネルギーを有効活用しようということから、魔力学は盛んに研究されている反面、生物学はそれほど重要視されていなかった。


「そうだ。ほかの動物にはない点がいくつもあって、」

 アルノの言葉をさえぎって、村長は手をひらひらと振った。

「ああ、いい、いい。そういうのはよくわからん。はいはい。じゃあ、孤児院で居候するんだな。バートさんの負担にならないんなら、それでいいよ」

 村長に認められ、アルノは村の居候となった。





「しってる?」

「しらなーい」

「そっかあ」


「しってる?」

「しらなーい」

「そっかあ」

「なにー?」

「わらびもちってしかくとかさんかくとかもあるんだって」

「じゃあ、みんなでさんかくとかしかくになる?」

「あとねえ、でっかいしかくのはこにはいっているのをちいさくきるんだって」

「じゃあ、みんなでがったいしてでっかくなる?」

「みんな、こっちきてー」

「「「「はーい(じりじりじり)」」」」

「がったーい」

「「「「はーい(ぷるるん)」」」」

「はい、わらびもちのかんせいでーす」

「「「「わーい」」」」

「あ、すなかけるのわすれてた」



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