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子供たちがスライムに様々な植物を与えるものだから、リシェルは毎日光魔法を充填することとなった。
「精が出るな」
掛けられた声に振り向けば、珍しくアルノはひとりだった。
彼が視線をやった開いたままのノートには、詳細な記録が記述している。
「あまり根を詰めないように」
「ええ」
リシェルは頷いた。言われてみれば、のどの渇きを覚える。少し休憩した方がいいだろう。
アルノを茶に誘い、住居に向かう。リシェルたちの家も建て直されていた。庭の敷地を減らすことなく、階層を増やしてひとりひと部屋ずつ与えられた。
「でも、メイニはわたしかエニーの部屋で眠るの。前に、エニーの悲鳴が聞こえてきてね」
「それは俺でも予想がつく。寝床にスライムを持ち込んだのだろう」
「当たり。そこからエニーとメイニの攻防が続いて、みんな集まってきて大騒ぎになったわ」
お茶を飲みながら、なんのことない日常を話す。温かで不安のない日々のことを。それがどれだけ得難く、幸せなことか、リシェルや親のない子供たちは知っている。
「わたしはずっと村の人たちの好意を無駄にしたと思っていたの。でも、これからはその好意のおかげで学問をすることができたという風に考えを変えることにするわ」
「ああ、その考え方はいいな。とても前向きだ」
リシェルは素晴らしい考え方をするとアルノは思った。
リシェルがくすりと笑いを漏らした。
また、自分は妙なことを言ったのだろうかとアルノは落ち着かない気分になった。研究のことばかりで、他の人、特に若い女性の関心のあることにはうとい。
立場が違うのだからそういうものだという認識を持っていたが、それでも、集団になった異性から奇異の目や見下される類の視線を浴びるのは不快なものだった。そして、世間一般の人々から自分は大きく隔たっていると突きつけられる。そんな事柄が背景になって、妙齢の女性から笑われることがプラスには思えず、マイナスの印象を抱いた。
「アルノさんがそんな風に考えられるように変えてくれたの」
「俺が?」
「うん。アルノさんが以前、天才と言われた学者たちや、名もなき学者たちが研究した結果を受け取ることで、「世界の真理」の土台を簡単に学ぶことができる。それらを知った上で先へ進むことができると言ったから」
そして、自分なりにしてきた研究もそれらの一環となる。後世に生まれてくる学者がさらに先へ進むための土台の一部となる。
「わたしは村の人たちのおかげで学ぶことができた。だったら、それを活かしてほかの誰かのためになることをしよう、って思うことにしたの。悔しく思ったり腐ったりしているなんて、そちらの方がせっかくの好意を無駄にしている。申し訳なく思うくらいなら、あなたたちのお陰で学ぶことができて、それによって人のためになりました、と胸を張りたい」
リシェルは思考をまとめながらとつとつと語った。
アルノは心を揺すぶられた。
なんて鮮やかな考え方だろう。
アルノの考えを良いものだとしてそのままなぞるのではなく、自分に合うように変化させて取り入れる。
その姿勢に感銘を受けた。
今まで、アルノのことを高く評価する者たちは、彼を誰よりも高い場所に位置づけようとした。
それは、アルノの考えとは大きく乖離していた。どれだけ言葉を尽くしても、受け入れられることはなく、ときには謙遜や過小評価とされた。
アルノが彼らにそれぞれのパラダイムシフトをもたらしたからだ。だから、アルノに感謝し、大きな好意を寄せる。
けれど、それは「彼らの尺度」でだ。
あくまで、彼らの規準によるものであり、アルノ自身の考えとは考え方が違う。
アルノは過去の天才たちと評価不足の名もなき学者たちを尊敬している。彼らあってこその現在の学識だと思っていた。自分の研究や発見がその大いなる知識のひと欠片となることを夢見ていた。
だが、周囲は、レファートもエルミラもそのほかの人間も、アルノは彼らよりもすごいと言う。大いなる知識の一環ではなく、突出したなにかだとする。
そうではない。そうではないのだ。
アルノが誰よりもよく視えていたから、認識の齟齬が生まれた。大いなる文明の流れから見れば、個人の発見は粒子に過ぎない。
無数のパラダイムシフトが流れの方向を変えてきた。それすらも、ひとつの流れの一環でしかない。そう思えるほど膨大な数の人々によって、研究が積み重ねられてきた。
人は考える生き物だからだ。社会という群れの中でしか生きていけない脆弱な生き物であるが、逆に無数の思考が都度、軌道修正を行って「世界の仕組み」を紐解いてきた。そうすることで、この世界のルールに沿ったやり方を知り、繁栄してきた。
だから、考えることをやめない。だから、考えることを手放してはならない。
思考は人間に与えられた素晴らしい能力だからだ。
考えることをやめれば、その素晴らしい能力も劣化する。
生きるために、エネルギーをよそに回そうとするのが生物だ。人は脳に高エネルギーを消費しつつ進化してきた。そうするだけの利点があったからだ。
では、考えてばかりの学者だけが偉いのかといえばそうではない。
学者は目覚めてからずっと研究のことを考え続ける。そうでなければ、新しい発見などすることはできない。世界の真理には、そのくらいしても手が届くかどうかだ。
生物はエネルギーがなければ生きられない。そして、社会性動物である人間は群れの中でしか生きられない。群れの秩序を守る必要がある。
つまり、研究以外のことをほかの人間に頼ることになる。
役割分担だ。それぞれが得意なこと、できることをやる。学者は研究を、農夫は農業を、職人は製作を、商人は成果物のやり取りの仲介を、それぞれが行う。
そうすることで、人間の社会は回っている。
アルノは自分ひとりがすごいとは思わない。
研究するほかはなんの役にも立たないのに生きていられるのは、社会の仕組みが生かしてくれているからだ。だから、周囲に感謝する。研究を続けられるのは周囲のお陰で生きていくことができるからだ。
リシェルはアルノのそういった考えを汲み取り、村人たちから受けた恩を自分の得意分野において励むことで、返そうという。
誰かが誰かのためにしたことの流れを止めるのではなくて、自分なりの新たな流れをつくる。そうして、連綿と受け継いでいく。そうすることで、誰かのためにしたことは輝きを増す。
素晴らしい考え方で、アルノが目指すところと一致する。
セージグリーンのやさしい瞳を見る。やはり、透明感のある人だと思う。
そして、唐突にアルノは悟る。
リシェルが好きだ。
若き学者は学問に関しては饒舌だが、こと恋愛に関しては奥手だった。
ひとりでスライムを抱きしめながら、リシェルへの思いをつらつら語る。スライムが喋るができないからそうしたのだが、彼はそのとき、メイニという稀有な存在を忘れていた。
ふだんならこんなうっかりはしないのだが、恋愛についてはへっぽこだった。
「うつくしい人だ」
圧倒されるものではない、やさしく寄り添うようなうつくしさだ。野に咲く花のように自然に心がほころぶような、すんなり受け入れられるうつくしさだ。
自覚してしまえば、世界が変容した。とんでもなく素晴らしいもの、いいものに見えた。
落ち着かない気分になる。ふわふわした気持ちになる。
リシェルへの接し方が変わらないように、少なからぬ努力をした。そこで、気持ちを前面に押し出してアプローチしなかったのは、自身の感情を押し付けないようにしようと思ったからだ。
リシェルへの感情を自覚した後、学者たちがエルミラ、リシェル、カリスタの三人のうち、胸が一番大きいのはだれかという話をする場面に遭遇した。
「いや、形が重要だ」
「いや、弾力だ。てのひらへの触感だ」
学者たちの多くは男性だ。研究以外の話もそれなりにする。周囲に魅力的な異性がいれば、興味津々となるのも無理からぬことではあった。
だから、そういった話題のとき、アルノは口を挟まないか、さりげなくその場を立ち去るかするくらいだった。
なのに、そのとき、無性に腹が立った。
「君たち、いい加減にしろ」
アルノは珍しく怒りに任せて制止した。
それまでもエルミラに対してそんな話題が上がっていた。学者仲間としかみなしていなかったので、なんでそんなことばかり話すのだろうと思っていた。
リシェルがそんな対象として見られたとたん、どす黒い嫌悪感が膨れ上がった。
驚く学者たちの顔を見て、感情をむき出しにしたことを後悔した。
そそくさとその場を離れて、学問に没頭することにする。
「ちゃいろのつちをつつみこみます」
「はーい」
「すぐにしょうかしないんだよ」
「えー」
「まだあ?」
「もういい?」
「いつものだえんけいにたいけいをたもちます」
「こう?」
「なかのつちもまるくなるようにします」
「むずかしーい」
「はみでちゃう」
「はい、みずまんじゅうのできあがり!」
「「「「わーい」」」」




