134 紫の魔女④ レアの魂
双子のアグリとアグラが一喜一憂している。アスカラ族の戦士オードンと娘レアの魂が入った木人の戦いの結末を期待しているからだ。アグリは父親が娘を殺す方に、アグラは父親が娘に殺される方に賭けている。
「あ、くそ! おしい! 頑張れオードン!」
「おい、木人! やる気あるのか」
「そこだ殺せ!」
「だめだ、避けろ!」
双子はオードンと木人の戦いをそれぞれの場所から見守っている。戦う二人を中心に対になるように座っている。杖を持っているのはアグラ。
十分ほど経過すると、動き回っていたオードンに飲ませた薬の効果が切れ始めた。次第に広がる苦痛に表情を歪めるオードン。時折、膝を付き、剣で体を支えないと立っていられないほどに疲れと痛みがその体に充満していた。
「おいおい、オードン? 終わりか?」
「アスカラ族の戦士っていうのはどいつもこいつも弱々しいな」
「……」
オードンは膝を付き両側から聞こえる双子の言葉を聞き流している。目の前にいる木人は禍々しい姿ではあるが、逃げてばかりで一向に歯向かってこない。それに自分の手の内を知っているかのような動きだった。本来の動きではないとしても、木人がここまで動けるものだったのか。彼は目の前にいる木人を睨みながら剣を支えに立ち上がる。
「お前、なんで何もしてこないんだ?」
話すわけがない。言葉など通じないし、言葉など発しない。それが戦場で見てきた木人だ。人のような形を保とうと必死だが、動きそのものは獣に近く、がむしゃらといったほうがしっくりくるだろうか。
オードンはその後もしばらく剣を振り続けたが、木人に武器を奪われるとその場に倒される。そして、
「うぐ、うぁ、あぁあっ!」
木人の枝が彼の体に食い込んできた。すでにボロボロになった箇所に木人の枝がぐるぐると巻き付いたり、食い込んだりしている。その様子にアグリは悔しがり、アグラは喜んでいる。
「くそ、俺の負けか!?」
「これでオードンの負けだな」
アグリとアグラはそれぞれの場所で腰を上げる。二人の間で倒れるオードン。彼に覆いかぶさるように乗っかった木人。どれだけ悲惨な状態になっているのかと期待しながら近づこうとした時、オードンの咳き込む声が聞こえた。
「っ、待ってくれ」
「あ?」「お?」
木人が退くと下からオードンが現れる。彼の体には確かに木人の枝が食い込んだり、巻き付いたりしているがそれは治療の処置に見える。それはオードンにもわかった。
「おい、こいつはまるで戦う気がない。それどころか俺を助けてくれた。見てくれ、折れた脇腹を固定して、腕もだ。足にも添え木をしてくれてる。なぁ、こいつを殺さないと行けないのか?」
双子のアグリがオードンと木人を挟んで同時に笑う。
「いやいやいや、いいねぇ。オードン。娘の名前はなんて言ったっけ? 教えてくれよ」「ここへ来たのは娘を救うため」
「あ? あぁ、俺はレアを救うためにここへ来た。それがどうした? 皆そうだろ。そのためにこの遠征に参加したんだ」
「はははは。そうだな。集落で突然に血を吹き出したり、腕が折れたり、殴られたような痣ができたり、やけどしたりしたんだろ? 怖えよな」「ある日突然死ぬ恐怖」
「何が楽しいんだ? 笑えることか?」
オードンは自分でも驚いていた。双子に挟まれて話す中で自然と木人をかばうように立っている。木人もまた、オードンに陰へと隠れるように動く。そこまでの流れに違和感がなかった。まるで娘レアと狩りに出たときに守っていた昔のように。
「いやぁ、笑える。で、終わりか? そいつを殺せないなら、代わりに俺たちがやるぜ」「木人は殺さなければいけない」
「俺にはもう武器がない」
「はぁ? お前、その腰にぶら下げてるのは短刀じゃないのか?」「自分をよく見ろ」
オードンは言われるままに腰の後ろに手を当てると、家の前の木箱に置いてきたはずの短刀があった。困惑し、それが本物かどうか観察しようとしたが地面に落としてしまった。
「どうして短刀がここに?」
「なぁ、オードン? 俺たちも暇じゃないんだ。そうだ、こうしよう。あと三分でこいつを殺せ。それが出来なきゃお前を殺す。ほら、もっと必死にさ、そいつを殺すところ見せてくれよ」「まさかの制限時間」
オードンは双子から課される難題に憤りを感じる。ふと気づくと木人が左手に短刀を握らせてくれているのがわかった。最後にぎゅっと一握り。娘がしてくれた時と同じ握らせ方。
「お前……」
「おいおいおい! だめだ。そういう目で木人を見るな。そいつは敵だぞ。もっと憎めよ。魔女の手先だぞ?」「新しい展開を望むかな」
「レアなのか?」
「あー、くそ! フッざけんなよ! 空気読めよな」「面白い展開」
どういて集落にいるはずのレアがここにいるのかはわからない。けれど、戦場で見た光景、魔女の魔法、双子の態度、目の前にいる木人に対して抱く自身の感情。すべてが心の奥底から訴えかけている。
「お前、レアなのか!?」
「あーあ。気づきやがった」「本来は魔女の囁きで知ること」
「どういうことだ?」
「昨日、お前も見ただろ? 紫の魔女が戦場を動き回ってお仲間の戦士達の耳に囁いてるのを。あれは木人の中身を教えてやってたんだよ。今日はいないからな。俺たちが特別に教えてやるよ。まぁ、本当はお前がそいつを殺したときに教えてやるつもりだったんだけどな」「魂」
アグリは落ちている自分の剣を拾い、アグラは杖を振り回し父娘を中心に円を描くように歩く。
「単純なことだ。紫の魔女がお前たちの魂を抜き取る。そんで木人の中に放り込めばあら不思議、家族だけを狙う変異体の出来上がり。しかもどっちが死んでも魔女の栄養。たとえ木人が勝っても、どうせそのうち狩られるしな」「悩む必要なし」
「じゃぁ、集落で死んでたのは」
「そう。木人が死ねば、集落に残った肉体も死ぬ。斬られれば同じように。殴られれば同じように。焼かれれば同じように。しかも、襲いかかるときは決まって家族に対してだ。まぁ、聞いた感じだと中からはお前が見えてるんじゃないのか? きっと辛いだろうなぁ。お前、さっきまで自分の娘を殺そうとしてたんだからな。あぁ、かわいそうに」「二人とも可愛そう」
言い終わると顔を見合わせ大笑いする双子。ギリギリと歯を鳴らしながら肩を上下させるオードン。
「じゃぁ、お前たちは嘘をついてたのか? もとから知ってて、俺達が家族を殺しているのをずっと見てたってことか?」
「おいおい、人聞きの悪いことを言わないでくれよ。確信はなかったんだぜ。それに嘘はついてねぇ。悩みからは開放されただろ? もう、集落で家族や仲間が死ぬことはなくなるんだ。これが無事に終わり、家に帰った頃にはみんな死んでる。残るのは健康なやつばかり。幸せじゃないか」「本来は知らない事実」
「ふざけるなよ! お前ら、救えないってわかってて俺たちを利用したのか?」
剣を構えるアグリが、杖を振り回すアグラに視線を送る。するとアグラは杖をピタっと止めて突然レアに突き刺した。
「やめろぉ!」
制止することなど出来ず、アグリに蹴飛ばされたオードンは転がり吐血する。
「ははは! 心配するなよ。この杖に関しちゃ死にゃぁしない。ただ、ちょっと問題があってな。ほら、玉が綺麗に光ってるだろ? おお、おお」「これが救いの一手」
アグラが木人に突き刺した杖、その上部の球体が光る。すぐに内側の板が一枚回転すると浮き上がる文字がまるで螺旋を描くように球体を取り囲む。
「お願いだ、レアを殺さないでくれ」
「おいおい、お前は話を最後まで聞けよ。そんなに悲しいのか? なんのために家族をたくさん作ってるんだよ、アスカラ族は」「自給自足」
「この杖はな、魂を抜き取るんだ。猫背が作ったんだ。まぁ、あいつが作ったのは物だけじゃねぇけどな。それで今、ここ、ほら、見ろ。ここの玉っころにレアの魂が集まってる。これなら木人が傷ついても死ぬこたぁねぇ。ほら、これ見ろ」「次の問題」
アグリが木人の腕を切り落とすとそれを使って球体を取ろうと試みる。何もないように見えてるが、超高速で回転する板がそれを粉のように砕いていく。
「な? 取れねぇんだよ。んでもって、この杖をこいつから引き抜くともうおしまい。中身はただのエネルギーに変わっちまう。まぁ、アスカラ族の魂から作ったエネルギーなんて俺らには不要なもの。すぐに捨てるけどな」「抜いてもいいか?」
「おい、やめろ、やめてくれ!」
木人を踏みつけながらアグラが突き刺した杖を引き抜く仕草を見せる。オードンは必死にそれを止めようとするがアグリに蹴られ、喉を踏まれ身動き取れなくなる。
「いいねぇ。どうする? 杖を抜いたら娘はもう戻らない。魂がなくなった瞬間に死ぬんじゃないかな。俺もそれは知りたいところだね。お前、あそこに手を突っ込んでみろよ。今の状態で玉を取れればレアの魂は守れるぞ?」「生きたまま腕を削られる恐怖」
「俺がさ、タイミングを教えてやるから。お前たち知ってるだろ? 俺たちの目がいいこと。どうして攻撃を避けたり、当てたりできると思う? この目だよ。目がいいんだよ」「いい目を持っているのは確か」
オードンの喉元から足をどかしたアグリ。咳き込むオードンが木人と杖の玉を交互に見る。「レア、レア」と声に出しながら恐る恐る手を玉に近づける。
「ほら、今だ!」「突っ込め」
もちろん、嘘である。オードンは一瞬で指が無くなったのを見てすぐに引っ込めると遅れてやってくる痛みに耐えながら双子を睨みつけた。
「ぐぁはははは。馬鹿だなこいつ。嘘に決まってるだろ。マジで笑えるな」「まだ武器はつかめるか?」
「よし、じゃぁ最後の賭けだ」「勝てば杖をもたせてる、負ければ杖を抜く」
オードンはアグリに投げ渡された布で血だらけの手を覆う。アグリが持っていた剣を地面に突き刺すとオードンに背を向けた。それをアグラが見ながら説明する。
「アグリに傷をつければお前の勝ち。ただし、それまでに三回倒れればお前の負け。勝てばこの杖を抜かずにお前に託してやる。せいぜい握ったまま一生立っているがいい。負ければこの杖を抜いて俺たちは変える。娘の亡骸と中身のない玉を見ながら悲しみ、森の獣に殺されろ」
「さぁ、オードン。娘レアの魂を手に入れろ」「俺達の目に死角はない」
オードンは自身の体のことなど考えもせず、走り、剣を掴み、背を向けるアグリに斬りかかる。
アグリは背を向けたまま避けたり、小さく丸い盾でそれを防いでいる。オードンが止まるとまた背を向ける。笑いながら、小躍りしながら、オードンを挑発し彼が疲れると蹴飛ばし一度、地面を味合わせた。
「おいおい、背中を向けてる相手にすら勝てないのか? よく言うよな。背中から斬りかかるのは卑怯者のすることだって。この場合はどうなるんだ? 背中を向けてる相手にすら全く歯が立たないんだから、それ以下ってことだよな?」「ただのゴミだろ」
「うおぉああぁ!」
オードンには疑問だった。同じ人間なのにどうして彼らはそんなに強いのか。あの猫背のエルフが何か特別な魔法でもかけているのだろうか? 訓練で手合わせを一度だけ、あとは双子の戦いを何度か見たことがある。まるで後ろにも目があるようだった。
気配がわかる? 風を感じる? 音で聞き分ける? そのどれでもない。けれど見えているのは確かだ。攻撃を避けているだけではない。受けることもすれば、全く振り返らずに蹴ってきたりすることもある。目標を見ることもなく難なくこなすその身体能力。
アグリとアグラの強さがわかったところでオードンにはどうすることもできなかった。動きの鈍くなったオードンの攻撃に、アグリはどれだけギリギリで避けられるかという遊びを始めてさえいる。そして、限界に達したオードンは歩こうという意志と上げた顔とは裏腹に二度目の地面を味わう。
「おいおい。もうちょっと楽しませてくれよな。その心意気はすごいけどさ」「そもそも、勝てるわけがない」
「…め、ろ」
アグリが小さな声で叫ぶオードンに近づき話しかける。
「えぇ、なんてぇ? なんて言ったの? 聞こえない? もっと大きい声でお願い」「父娘同時に死ぬのもまた一興」
「や、めろ」
「ははは。少しだけ待ってやるよ。それと最後だからいいこと教えてやる。お前は木人の真実にたどり着いたからな。もう一つ教えてやるよ」「太っ腹」
「俺達は人間だけど、人間じゃない。猫背に作られたんだ。まぁ、命は握られてるけどおかげでこんなに強くなった。けど、その強さの秘密」「おいおい」
「いいだろ? もう死ぬんだから。ちょっとはスリルっていうのを味わいたいんだよ、アグラ」「まぁ、知ったところで」
「俺たち、目がいいんだよ。特別な目」「双子の目」
オードンは肘を下に挟み、残った腕を立て立ち上がろうと必死だ。双子の言うことを聞いてより怒りを爆発させんとする。今は動くための力が欲しい。その中ですでに知ってることを言われ苛立ちが募る。そして口から血を垂らしながら地面を見つめアグリに言う。
「くそが。目がいいのは聞いた」
「いやぁ、違うんだ。違うんだよ。俺たちの目はお前たちのより良質の目なんだ」「遠くが見えるわけじゃない」
「そう。たしかに動体視力は優れている。そういうのを作りたかったらしい。けれど俺達は失敗作。その中で偶然生まれた産物。そして、二人で一つの目」「そういうこと」
「俺がさ、背中向けてるだろ? でもさ、アグラが見てる限りは絶対に大丈夫。俺たちはお前たちよりも多くのものを見ることができる。お前らよりも広い範囲を優れた視力で見れるんだ。だから、死角なんてないんだ」「前も後ろも見えている」
「お前らの目はつながってるってことか?」
「まぁ、そういう感じかな。お前たちに動物の視界も、蜘蛛の視界も理解はできないだろ? これは俺たちにしか味わうことができない世界だけど、ぜひ知ってもらいたかったんだ。死ぬ前にな。ところで、今ここで杖を抜いたら立ち上がってくれるのか? 今日はもう十分に時間を費やした。そろそろ帰りたいんだが」「抜こうか。もう立ち上がれないようだ」
「やめろぉ!」
オードンがアグリにすがるように立ち上がる。手に持っていた短刀もすぐに弾かれ、首に腕を回されると木人と杖、それを持ったアグラの正面に連れて行かれる。
「さぁ、あの玉を見てろ。あれが白く透明になったらレアは消えちゃうんだ。おい、おい、泣くなよ。よく見ろ」「さぁ、お別れの時間」
アグラが杖を抜こうとした時だった。突然に土の塊が飛んできたことに気づいた。それを見ていたのはアグリの視界。同時に下から盛り上がる土が杖の球体を残したまま木人ごと覆いかぶさる。アグラは杖から手を離しその場を離れる。アグリはすぐにアグラと背をつけるように構えた。
盛り上がった土から杖の球体が飛び出ている。固定されているとはいえ、オードンは必死にその杖を掴んで守る。
「くそ。なんだ」「魔法」
「おい、誰だ!」「土の魔法」
すると木の上からバキバキと音を立て何かがやってくるのがわかった。大きいなにかだろうか? 双子は警戒しそちらに目をやる。音が次第に地面に近づき最後は何かが落ちるような音がする。そして「いて」っと男の声が聞こえた。
茂みから出てきたのは一人の男。茶髪で人間で小剣を持っているだけ。その男が言う。
「おい! 話はだいたい聞かせてもらったぞ! この悪党め! 俺はお前たちみたいなヤツが大嫌いだ! こう、胸の奥がザワザワするんだ!」
「なんだこいつ」「人間? 魔法は誰が?」
「おい! 双子だからって二人同時にしゃべるんじゃない! それになんだその襟足! なんで前髪がそんなに短いのに、後ろはそんなに長いんだ! そういうガキは大抵悪さするんだぞ! お前たちはそのまま育ったのか!」
「殺すか?」「殺そう」
現れた男がオードンに近寄ると杖を見る。オードンは謎の男からそれを守ろうと必死に体を固くする。
「おい。よく頑張ったな。俺にも娘がいるんだ。うぐ、う、すんげぇ、わかるよ。おま、おまえ、まじで、いいお父さんだな」
口をへの字にして謎の男が言う。不思議とオードンはその男に頷いた。
「これ、塗れよ。もともとは俺の。その、なんだ、アレ用らしいんだが。ちょっとは効くぞ」
謎の男は小さな塗り薬の入った貝をオードンに渡しすと、双子に向かって叫んだ」
「おい! 悪ガキデコパッチン! これを取ればこの、え、オードン? オードンね。オードンの娘の魂は助かるんだな!」
突然現れて、ふざけたことを言い、オードンに涙を流す謎の男が杖の球体を指差し叫んでいる。双子は顔を見合わせ嘲笑し答える。
「ああ、そうだぜ! 手を突っ込んでみろよ。簡単に取れるから。そしたらそこのオードンの娘の魂は浄化されることなく抜き取ることができるぜ」「ぜひ、とってほしい」
オードンが弱々しい声で謎の男に首を振る。すると謎の男が笑顔でうなずき手を伸ばした。同時に双子が大笑いして言う。
「あははは! バカがそれで腕一本なくなったな!」「せっかくの助っ人もこれで無意味」
「おし! これでいいんだな!」
双子が笑うのをやめた。聞こえてくるはずの苦痛の声。飛び散る血と肉の粉末が見えない。しかも、謎の男が自慢げに見せているのは杖の上部についていたレアの魂が入った球体。超高速で回転する板に入ったそれをどうやってとったのか? 双子はただ一言。
「え」「え」