131 紫の魔女① 谷間の戦い
■謎の症状
中心に位置する古の森近くで気絶して戻った者達。しばらくはなんの変化もなく過ごしていたが、ある日のこと。突如として悲劇は始まった。また、そういった者達は体に傷を負うと治らないため狩りやそういった事への参加が禁止された。
週に一人、月に数人だったのが徐々に広がる。数年経つ頃にはほとんどの集落にそういった悩みを抱える者達が増え今に至る。
ここは、アスカラの戦士であるオードンが暮らしていた集落。娘レアは父オードンの無事を祈っていた。彼を送り出した時は、戦士として名誉ある死を迎えますようにと、どうか謎の病を治しますようにと、どうか紫の魔女に打ち勝ちますようにと祈っていた。古の森へ向かった以上、無事では済まない。娘であるレアやその家族は父オードンの死を覚悟していた。はずだった……
猫背のエルフと灰緑で巨躯のオーク、金髪の人間で双子の戦士がアスカラ族の戦士達を率いて古の森へ入ってからすぐの事。十三氏族それぞれの森にある多くの集落で異変が起き始めた。森で気絶して戻った者達が突如、恐怖し、暴れ、叫び、苦しみ死んでいくという症状が毎日のように現れた。一人、また一人と死んでいく。
今回の遠征にはその謎を突き止め、呪われた症状を治すという目的もある。外の世界からやってきた猫背のエルフ達の本隊と、点在する集落からも同じ時期に森の奥深くへと向かった。合流しつつ、まるで十三の槍が中心に位置する古の森へと投げられたかの様。
娘レアも彼らの遠征がうまくいくことを願っている一人であり、森で気絶して運ばれた者でもある。彼女たちの抱える不安や恐怖は並大抵のものではなかった。
ある日の事、レアの集落で一人の若者が家族や友人に止められる姿が目立っていた。「何事だ」と皆が注目する中、その若者は自身の手の内を短刀で斬りつけたのだ。祖母がゆっくりと近づき、若者の手を強く、とても強く握りしめた。若者の顔はゆがんでいる。恐怖を怒りで隠し、不安を決意で濁し、悲しみを後悔で上書きする。血の出る手を押さえる祖母の手がとても大きく感じた。
『森で気絶して戻った者は傷が治らない』
若者が証明したかったのは、傷が治るということ。そうすれば自分は安全だということ。毎日のように繰り広げられる恐怖から逃れたかったのだ。
けれど、その若者の血は流れ続けやがて息絶えた。
集落に住む皆が悲しむ。同時に安堵もした。なぜなら、若者は苦しまずに静かに死ねたのだから。娘レアもどこか若者を羨ましく思っていた。
これ以上耐えられるだろうか?
別の日にはまた症状が現れた者を目の当たりにする。恐怖と不安のあまり震えの止まらない日々。娘レアは家の前に置いてある木箱に腰を下ろし井戸の方を見ていた。すると若い男女が話をしていた。酒が大好きなドーシュだ。いつも怒りったような口調で話している男。世間話や森の事、古の森に向かった戦士たちの事、魔女の事、症状の事……
ドーシュの動きが止まる。見開いた眼はどこかわからないところを見つめている。レアは彼と目があった気がした。まっすぐ、自分の方を見つめている。もちろん、そんなわけはないと思ったが。彼女にはそれが何を意味するのかすぐに分かった。
ドーシュの呼吸が荒くなり、まるで逃げ出すかのような仕草を取る。しかし、突如として片方の腕が千切れるように落ちた。叫び、暴れる。足が折れ、潰れ飛び散った。服からは無数の血が広がり始める。まるでたくさんの矢が刺さったかの様だった。殴られたかのように頭から吹き飛び倒れると呻きながら体が二つに分かれた。
謎の症状。呪いの症状。逃れることが出来ない死の恐怖。もう、見慣れた光景。悲鳴を上げるのは近親者や親しい者達。同じ不安を抱えるレアや別の者達はただ、ただ、制御できない震えを両手で体ごと抱きしめるだけだった。
次は誰なのか。次はいつなのか。次はどこからなのか。今日は終わりなのか。明日また始まるのか。いつ、終わるのか……。
夜、娘レアは家の扉を静かに開けた。今の彼女たちにとって夜は安堵の時。保証も確証もないが、夜に症状が現れ死んだ者の話は聞いたことがなかった。
娘レアは昼と同じように家の前の木箱に腰掛ける。空を見上げると星が綺麗に輝いている。どこか遠くで雷の音が聞こえるのに、見上げた夜空は満天の星空。悲しいかな、こんなにも輝かしいというのにその光は一切届くことは無い。ただ、見えるだけだ。
荒く、小さく、小刻みになった呼吸はもう戻ることは無いかもしれない。安心して眠れる夜はもう来ないかもしれない。父オードンやアスカラの戦士たちが目的を成就するまで持たないかもしれない。彼女は手にぶつかった短刀に顔を向ける。
父の為に作った物。左利きの父の為に特別に作った短刀。柄は小さき娘レアが一生懸命彫った装飾で見事なものとなっている。遠い昔の事。
しばらくそれを眺めるとまた、雷の音が聞こえた。少しずつ近づいているようにも聞こえた。これは合図だ。娘レアは短刀を手に取ると腕に近づけようとした。震える体は制御が難しく、思い通りにいかずに短刀を落とした。彼女は不甲斐ない自分に涙を流す。死を恐れ、死を覚悟したのに、その勇気すらない。
膝を地面につけ空を仰いだ。父オードンへ祈りを捧げる。
「アスカラの戦士オードン。私は願う。貴方が名誉の死を纏いこの家へ戻るのではなく、栄誉の光の下、その強き手で再び我が家の扉を叩くことを。どうか、お許しください……」
娘レアは「お許しください」と何度か続けながら、地面に落ちた短刀を振るえる手で手繰り寄せた。眼を閉じ、腕に差し向けると耳鳴りと共に体にしびれが走った。
これで死ねる
そう思った。だが、眼を開くと彼女は自嘲しながら涙を流した。涙などもう出尽くしたかと思っていた。けれど、何も握っていない拳が腕に当たっているのを見ると、自分の愚かさに嘆いた。魔女の恐怖で幻覚を見る程に衰弱しているのか。なんと弱いことか。
あの時の若者のように娘レアはゆがんだ顔で自分を呪った。けれど、彼女はあの時の若者とは違った。瞳に満ちているのは後悔や悲しみではなく、決意と我慢。彼女は遠くに離れていく雷の音を聞き、森を見つめる。父オードンがきっと戦っているのだ。信じて待つしかない。
※
昼、古の森で木人とアスカラ族の戦士達の一団が戦っている。
初めは百人程いた戦士も今ではその二割を失った。木人は大して強くないが倒しても、倒しても現れる。油断した者が一人、また一人と死んでいく。谷間の向こうには紫の大樹が少しだけ見えている。そこを死守するかのように木人たちが次から次へと現れていた。猫背のエルフは進展のない戦いなど興味がなく、今では野営地から動かない始末だった。
木人とアスカラ族の戦いが繰り広げられる中、凶暴な一体が現れる。一人の戦士を標的に襲い掛かる。待ってましたと言わんばかりに、双子の戦士が木人の邪魔をした。
「やっと手ごたえのあるのが来た」「それでも不満」
「雑魚には変わりないか」「油断は禁物」
凶暴な木人に体を掴まれたアスカラ族の戦士。すぐに腕を双子の二連撃が切り落とす。すると、駆け付けた仲間が足を棍棒で叩き負った。直後に巨躯のオークが投げた丸太が足と呼べる部分を砕いた。他の仲間たちの矢や槍が凶暴な木人に突き刺さる。追いついたオークが殴るように地面に叩き伏せるとその体を真っ二つに引き裂いた。
襲われたアスカラの戦士は皆に感謝する。
「す、すまねぇ」
「気にするな」「期待はしてない」
「……」
オークと双子の戦士は「潮時だな」とその戦場を去った。残されたアスカラ族の戦士たちは木人を倒しながら徐々に集結し退路を確保する。いつもの流れのはずだった。彼女が現れるまでは……。
薄い紫の髪の木人。女性で他の木人とは明らかに異なる。地面に転がる死体と木人の破片。それらを使い、彼女は形成されていく。幾分、立ち込める紫の霧が濃くなっただろうか? 戦士たちは武器や盾を構え、彼女の様子を見守る。静かに歩き、近づいてくると一人の男に話しかけた。
「お前。どうだった? さっきの木人は強かったカ?」
「あ? 大したことなかったぜ。あんなの凶暴なだけで、あっという間に死んじまった。それに見ろ、俺はピンピンしてる。お前の魔法は俺達を疲弊させ、隙を突いてしか殺せないようなひ弱な魔法だろ? こっちには強力な味方もいる。今に見てろよ」
彼女から笑い声が聞こえる。森を木霊するように目の前から、遠くから……そして音は止む。
「お前の息子は、ドーシュと言ったか? 酒好きだそうだネ。かわいそうに。もう、味わうことはないからネ。そうだ、安心しておクれ。ドーシュは最後に、お前の顔を見れたんだから」
「あ? 何を言ってるんだ?」
彼女は演劇でもするかのように悲しそうなそぶりをしながらドーシュの父であるアスカラの戦士と話した。言い終わると振り返り、谷の入口と、戦士たちの間にゆっくりと戻る。隙だらけ、ただの女性の木人なのに皆が動けなかった。
彼女が紫の霧を集める。自分を含めアスカラ族の戦士達を霧で作った壁で囲う。嬉しそうに笑みを浮かべ、両手を左右に大きく広げる。吹き出すように笑い出すと下を向きながら手首だけを返し、一体ずつ木人を作り出していた。十三体の木人を作り出すと、今度は両手を合わせたまま上空に突き出す。ゆっくりと離す手のひらからは一つ、また一つと紫の炎の塊が生まれた。それも木人と等しく十三。
「なんだ、あれは? 何をする気だ?」
「おい、さっさと攻撃した方がいいんじゃないか?」
「十三体? いけるか?」
「六人ずつに分かれろ! 手の空いた部隊は状況を見て援護に回れ」
「いいねぇ。アスカラ族。我が家の番人にして寄生虫。私が目覚める時は近い。彼女を感じる。いや、すでに目覚めるべき時は来てるカ? アハハハ」
彼女の作り出した紫の炎が木人の頭上に移動する。すると、アスカラ族の戦士を一人ずつ指差し話しながら完成させていく。
「この子はアステラ。氏族長の孫にして弓の達人。あら、今日が誕生日だネ。それは良かった。父親に会えたんだかラ」
「この子はカルダ。お前の息子にして臆病者の血を引いたもの。けれど、仲間の為に勇ましい働きをするのもまた事実。その身を犠牲にしても仲間を守る勇気は誰にでもできることじゃない。今日は父か自分か、どちらを犠牲にするのかネ?」
「この子はノルト。お前の父にして剣の師。その剣は代々受け継いだ家宝だそうだ。是非、その切れ味をお互いに堪能してほしいネ。アハハハ」
一体ずつ木人を完成させていく。彼女の話す内容を聞きながら、皆が不安を募らせた。
「あら、あんた達? 何をそんなに怯えてるんダ? これとは散々戦ってきただろウ? そうだよ。凶暴なヤツがいただロ? アハハハハ。イヒャハハハハ!! どうして一人の戦士に向かっていくと思う? 答えは簡単サ。この子たちは、必死に助けを求めて親や子の下へ向かっていっただけのこと。アハハハ。家族の絆は強いからネ」
理解していった者から順に変化する。怒りより武器を硬く握りしめる者。不安と後悔に苛まれ後ずさる者。次第に広がる彼らの様子に一人の戦士が声を挙げる。
「ふざけるな! 貴様のまやかしなど通用しないぞ! 皆、落ち着け! これは罠だ。我らの戦意を喪失させ、志を挫くため。負けるな! こんな木人を倒したところで……」
「そうだよ。その通り。大体当たってるねェ。でも、知ってるはずだよ? この子たちがどうなるのか? アンタ達も集落でいっぱい見てきただろう? 覚えていないのかイ? イヒヒヒ。さあ、どうする? 殺すかい? いいや、今までさんざん殺してきたんだ。今更かい? さぁ、さぁ、さぁ、さぁ、さぁ! 始まるヨ。アハハハハ」
すると凶暴な木人となった十三体がそれぞれの標的へと走っていく。六人編成で作った部隊に標的が一人とは限らない。彼らの陣形は崩れ、混乱する。周囲は紫の霧で作られた壁が張り巡らされ逃げることは出来ない。木人を殺せば家族が死ぬ。
彼女は笑い、アスカラ族は怒りと悲しみで満ちた悲鳴をあげる。しばらく楽しそうに眺めていた彼女だったが、突然様子が変わりその場から消えた。とはいえ、薄い紫色の髪をした女の木人はその場に残っている。そして、いつものように平然と彼らに話しかけてきた。
「逃げたほうがいいわよ? ところで、小さい女の子見なかった?」
その後の事だった。
森に何かが起きた。バキバキと音を立て、まるで地面が鼓動しているかのよう。確かに収束しているのに、見ようとする景色は外へと広がる。けれど、見渡す頃にはいつもの景色。なんら変わりない古の魔女の森。だが、何かが変わった。
離れた野営地にいる猫背のエルフは目を丸くして喜んだ。予想していない事態。予想以上の出来事。なんと、紫の魔女が目覚めたのだ。本来の目的以上の収穫があるかもしれないと大いに喜んだ。どうして彼女が目覚めたのかはわからない。けれど、これはエルフの郷にとって重要な事で、猫背のエルフは喜ばずにはいられなかった。