128 古の森① アスカラ族
■アスカラ族 人間のみ 13の氏族からなる 武闘派 狩猟部族 基本家族構成が多い(親+子4〜7人)
■薄紫の髪の女 小さい女の子を探しているような素振り
■紫の魔女 名をプルプラという
子供に聞かせるお伽話などでよく使う
黄の魔女は森3つ
橙の魔女は森4つ
赤と緑の魔女は森6つ
青の魔女は森8つ
紫の魔女は森9つ
二人の若者が森の奥深くへ行ったきり戻ってこなかった。
それは珍しいことではない。彼らアスカラ族はそういう森に暮らしているのだ。けれど、子を失った親の悲しみは大きい。兄と弟が二人同時に、となれば尚の事。不幸中の幸いと言えば、最後の瞬間を見届けたと者が居たこと。人知れず、生きてるか死んでるかもわからないよりかは幾分マシだった。
高く巨大な滝。立派な樹木でさえも落下する時に水から飛び出た岩に当たれば粉砕されるような流れ。彼らはすぐ近くの川辺で涙を流す。くり抜いた木の幹に、死んだ人間を納め埋葬する準備をしていた。時が来ると、押し出され流れる木の棺桶は次第に加速し、最後には立ち上がり視界から消えていく。聞こえるのは滝の音だけ。悲しむ声さえ、そこでは流されていく。
とても大きな古の森を、ぐるりと囲むように暮らすアスカラ族。彼らは年に数回、代表者が集まり会合を行う。十三の氏族が時計回りに暮らし、それぞれが森を担当している。わざとお互いに食い込むように区分けされている。そんな森と森の境目には氏族関係なく若者が集まる集落が多数点在している。そうやって子孫を残してきた。彼らは"混ざりっけなし"の純粋なアスカラ族。
木造りの小さな家。子供が暖炉の前でコマを回し、眠ろうとしているおばあさんに声をかける。するとおばあさんは椅子を揺らしながら前かがみになり床にいる孫に答える。
「お兄ちゃんは魔女をやっつけた?」
「いんや。お兄ちゃんは魔女に負けたんだよ」
「だれか、勝った人はいる?」
「いんや。魔女には勝てない。魔女に勝負を挑んじゃいけない」
「奥の森に入ったせい?」
「そうさ。紫の霧が漂う場所には決して入ってはいけないよ。掟は覚えたかい?」
「うん。決して入れるな。決して出すな」
「うん、うん。いい子だね」
それは単に、中心に位置する古の森への出入りだけの話ではなかった。彼らアスカラ族が魔女と対抗するための手段として取った一つの選択。正確には『古の森から何も出すな。我らの森に何も入れるな』というもの。特に『何も入れるな』というのは血のことを指していたが今となってはその意味を知る者は居ない。
「この前の薄い紫色の髪をした人はどうなったの?」
「彼女か……」
初めての事だった。極まれに冒険者や探検者、ギルドからの訪問者がやってくることはある。けれど必ずここから更に外側の森から一報届くものだ。そこで招かれざる客は引き返すことになるし、そうでなくとも入り口にある集落で対応するだけ。
氏族の受け持つ森は食い込むように区分けされている。訪問者は配置と地理を熟知しそれらを避けて通らない限りは必ず二つ以上の氏族と出会うことになる。さらには点在する集落が多く、誰にも見つからずにここへくることは不可能に近い。それなのに、どこからともなく彼女は現れた。
それは雨の降る日のことだった――。
薄い紫色の髪。切りそろえたというより邪魔な髪を何かで切り落としたといった感じ。二十代の若い娘。体は細くどうみても村や町にいそうな普通の女性だった。それが何も持たずふらりとこの集落までやってきたのだ。
異例の事だった。もしかしたら魔女かもしれない。皆が慌て、恐怖し、男どもはいきり立っていた。警戒し、いつでも戦えるといった形相で彼女を取り囲む。
その女性は平然と「ここは? 呼ばれてきたんだけれど……。ねぇ、小さな女の子しらないかしら? 髪が長くてかわいいの。この先に行けばいいの?」と支離滅裂なことを言いながら、そのまま歩を止めずに森へと進もうとする。
正面に立った男が長斧を彼女の胸に当て進路を遮る。彼女がその刃に細い手を添え周りを見る。建物を見ているのか、集落の外に広がる森を確認しているのか、群がる戦士である男女を見ているのか、天気を確認しているのか、音を探しているのか。彼女の表情には感情が乏しく判断ができなかった。
「どいてもらえる?」
「いや。お前を通すわけにはいかない。目的を言え。返すのはそれからだ」
周りからは「殺せ」という声も聞こえる。彼らアスカラ族にとって外の人間は異物なのだ。彼女は小さな溜息を洩らすと数歩後ろに下がる。両手を腰の高さで少しだけ広げ、面倒くさそうに首を傾げる。
「どうした? 降参か? 大人しくすれば殺さないで済むかもな。そもそも……」
無抵抗、無気力、故に降参してるように思えたが違和感が拭えなかった。突然に雨が小雨になり、ぴたりと止んだ。一滴も落ちないその静けさに驚き皆が上を向く。すると一本の大きな水の塊が形成されていた。すでに落下が始まり彼女は水の中に入ってしまった。正面に立っていた男も同じように水の塊に入っている。彼女が両手を左右に広げる。まるで草をかき分けるかのような仕草で手を動かすと水が割れているようだった。
「魔法だ」「魔女だ」と、何人かはすでに弓矢を放っていた。けれどそれは彼女に届かない。降りしきる雨がまるで積み木のように壁となる。落ちてきた水の塊と降り積もる雨が分厚い壁となり武器や矢はただ、水の中を漂うだけだ。
水の中に取り残された男を皆が助ける。一人、二人と入ったまま動けなくなる彼らを助けるため皆が数珠つなぎに助け出す。紫の髪の女はすでに森の方へと消えていた。
「おい! 狼煙を上げろ! 動物や獣じゃない。人狩りの合図だ」
森中に黒い狼煙が上がった。標的のいる場所やその近くからは煙玉が上空に向かって煙の線を作る。標的はあっという間に見つかった。けれど近づけない。珍しく古の森から魔物が範囲を広げて現れたからだ。
太い脚に一本角の魔物、死ぬその瞬間までひるまず襲い掛かってくる熊に似た魔物、口が長く大きい犬のような魔物。森のいたるところで戦いが始まった。それはすでに準備されたかのよう。音と悲鳴がいたるところで聞こえる。そんな中、薄紫色の髪をした女性は近づいてきた男に聞いた。
「ねぇ。このくらいの子。知らない? 私、なんだか……」
「ひっ」
男の名はオードン。歴戦の戦士。魔物も倒したことがあるし、大きな獣も狩って来た。多くの死を見守り、屈強な精神を持ち合わせている。そう自負していたつもりだった。もしかしたら彼女の支離滅裂な会話と突然変わった様子に驚いただけなのかもしれない、そう自分に言い聞かせた。
最後に見た瞬間。紫の霧が謎の女を包むとまるで邪悪な魔女を垣間見たようだった。それは魂に恐怖を刻むと言った方が正しい。度胸とか慣れとかではどうにもならない類のもの。あっという間に古の森へと引き込まれた彼女は声も上げることなくその場から消えた。
オードンは胸を撫で下ろした。彼女を捕まえられなかったことは不甲斐ないが、自分の娘にまた会える。彼は肩を上下させ切るような息を数回すると集落へ帰った。
これは何年も前の出来事。
どこからきて、一体だれで、何をしに来たのか。
会合では伝承にもない初めての事だと大ごとだった。しかし、何年経った今でも相変わらず男達は狩りや度胸試しで森の中で死ぬし、女も狩りで命を落とすことがある。それは古代より続いているアスカラ属からしたら当たり前の出来事。
森の奥深く、紫の魔女が何かしてきたことはない。けれど、何かしているのは確かだ。時折、意識を失った女性が森の中で見つかる。女性の狩人で特に傷ついているわけでもなく、ただ気絶している。集落に戻りいつも通りの生活をする。
けれど、突然にそれは起こる。
ある日、そういった女性が突然に死ぬのだ。症状は様々でまるで何者かに斬られたり、折られたり、殴られたりしているようだった。目の前に誰もいないのに発症した女性は突然に暴れだす。つい、瞬きをするその前までは笑って話していたのにだ。
一命をとりとめた女性もいたが、彼女たちの末路は同じだった。受けた傷口が塞がらないし、治らない。次第にその話は広がり、アスカラ族に不安を振りまく。自分の娘が、家族が、大事な人が……突然にそうなるではないか?
結果、このアスカラ族の会合に一人のエルフと三人の戦士が招かれることとなった。猫背のそのエルフは紫の魔女に用事があるらしい。上手くいけば、その症状も無くなるし、不安は取り除けると言っていた。だが、そのためには多くの犠牲を払わなくてはならない。
森の深部。古の魔女にして紫霧の魔女プルプラ。彼女の元へ辿り着くのは困難を極める。彼女の森には紫の霧はもちろんのこと、待ち構えているのは様々な魔物、出自のわからない木人、謎の薄紫の女。昼も夜もそれらに注意を払いつつ、魔女のいるといわれる場所まで辿り着かなくてはならない。十三の氏族からは大勢の戦士が参加する。老若男女問わずだ。
彼らはアスカラ族。魔法は使えないが外の人間よりも屈強で強い。何より、彼らからは魔女が生まれたことがない。それが何よりの強みだった。
オードンもその一人である。彼は成長した娘から剣と盾を受け取る。抱擁し、最後の別れを告げる。妻のお腹には子供がいる。例え、自分が死んでも、娘が発症しても、最後の希望が残された。扉を開け、外に踏み出し娘の名を「レア」と呼ぶ。すると娘レアも父の名を呼ぶ。それがしきたりだ。
「オードン」
心配する声、帰って来てと願う視線、息遣いは不安を和らげようと必死だ。静かに閉まる扉の音が、太陽に照らされ勇ましい父オードンの旅立ちを知らせた。