125 赤の森⑪ 出会いと別れ 前編
ウィリアム達がお互いの料理に眠り草を仕込みあっている頃。洞窟の中では赤の魔女とシエナの二人で、白狼が元の姿に戻る為の準備をしていた。
「それじゃやるよ」
「ええ」
アニムが獣化して戻れない。そういうのを治すだけなら赤の魔女には簡単な事だし、手伝いなんていらない。ただ今回は違う。白狼は元々アニムではないからだ。赤の魔女が両手を赤く覆いつくし、七色の光を使い手をズブズブと彼の中へと入れていく様は異様だった。白狼は暴れ、シエナは彼を落ち着かせつつ魔法で心身共に生命を維持させねばならない。二人が行っているのは街の魔女なら十人集めて役割分担しても成功しないであろう処置。特に赤の魔女が行っているのは、人間の魔女が言う魔法の枠を超えたものだからだ。
シエナが襲ってきた白狼をどうして助けるのか。もちろん赤の魔女が白狼と約束を交わしたこともあるが、シエナには今は亡き彼の姿が頭をよぎっていたという流れもある。確信に近いそれは、赤の魔女と共に作業をすることでより明確になる。
「ふぅ。意外と早く出来たかな。やっぱりホセの時と違って難しいな。それにこれは元々あたしの範疇じゃないからね。それこそプルプラの十八番だ」
「プルプラ……古の魔女。紫の魔女」
「ああ。魂と肉体のことなら彼女が一番だからね。見よう見まねってやつだけど、失敗しなくてよかったよ。ありがとうシエナ」
「こちらこそ、光栄だわ。えっと……」
「赤の魔女でいいよ。姉御でもなんでも」
「名前はないの? 貴方ほどの魔女なら――」
赤の魔女がどこか悲しい目をするとすぐに仕切り直して手を叩く。ちょうどその時、白狼がうめき声と共に少しずつ人化していく。元に戻る姿を見てシエナは自分の考えが正しかったことを知る。そして、立ち上がる彼に涙ながらに抱き着くと「会いたかった」と伝える。
「すまなかったな。苦労を掛けた」
「いいえ、リードレ隊長。でも、どうしてこんなことに?」
「それはまたゆっくり話そう」
彼の初めての人化による痛みは赤の魔女とシエナのおかげですぐに引いた。むしろお腹から鳴る音がシエナに次の行動を促した。
「ごめんなさい。それじゃ、行きましょ。それも戻った時の目的の一つよね。あはは、ウィリアムってばなんて言うかしら。彼もきっと喜ぶわよ」
肩を貸し二人で出ていくシエナとリードレ。その背中を見守る赤の魔女はとても羨ましそうに、同時にとても悲しそうにしていた。洞窟を出ると待ってましたとばかりにウィリアム、ジョン、ニコル、イチカが席に案内する。
「おまっ! ほら、やっぱりお前か! くっそ! だったら油断しなかったのに! って、あれ? なんでエルフのお前が狼になってたんだ? それに左目は」
「ああ。久しぶりだな。とりあえず飯を食わないか。座って話そうじゃないか」
背が高く、鍛え抜かれた体。傷が多いのは狼になってからなのか、その前からなのか。アニムではなくエルフだったことは何よりの驚きだ。ニコルはすでに彼以外何も見えていないようで椅子に座るまでにいろいろな場所に体をぶつけている。長い髪はボサボサだがすべての色が抜け落ちたかのような真っ白。きっとこうなる前はホセがうらやむほど美しいエルフの髪をしていたのだろう。左目はないが右の眼は綺麗な青い瞳。太く、強く、熱い声はニコルの体の奥を熱くする。
「ニこ、ニ、こ、こ、ここ」
ニコルの様子にジョンが笑うと、すぐに顔を歪める。テーブルの下から足を蹴られたせいだ。リードレはニコルと視線を合わせ、小さく口元を緩める。隣に座った彼が彼女に話しかける。
「すまない。ニコルだったな。リードレだ。とても勇ましく、強く、魅力的な女性だな。あの体になって久しぶりに楽しかった」
「うん。リードレ……」
椅子と椅子を近づけるニコル。胸元を見せたいのか見せたくないのか。髪を直したいのか、諦めたのか。どぎまぎする彼女の様子に席に着く皆が思った。「どうしたニコル? あの威勢はどこへいった?」と。反面、イチカは安心していた。予想以上にニコルが女性らしいことに。これが恋をするということなのだろう。あのニコルが今やかわいい子犬のようだ。近づいてきたシエナが彼らの様子、料理を見て、
「あら、私のは? ホセ? 私にも料理を。貴方達は先に食べてて。ゆっくりお話をしましょ。今日はいい日ね! それと鎖の事は後で話しましょ。ウィリアム? いいわね?」
席を去った最後の「いいわね?」はまるで母親の一言。ウィリアムはとりあえず古き友人でよき好敵手のリードレを歓迎して食事を始める。シエナが何かに気づく前にさっさと眠らせてイタズラしてやろうと意気込んでいる。最悪、魔法で効果を消しかねない。早急に対処せねばならないと考えた。
「おし! それじゃぁ皆、席に着いたな。同じ肉料理。美味しいそうな肉料理。彼はリードレ。俺の古い友人だ。むしろ付きまとわれたから俺の追っかけだと言ってもいい。どうして白狼になったかも気になるし、皆は彼がアニムじゃなくてエルフだったことのほうが気になってるだろう。ニコル? ニコル?」
あろうことかウィリアムが説明している最中にニコルが裏切り行為を堂々とやってのけた。完全にリードレに惚れ込んだ彼女が自分の料理は安全だと思い、彼の物と交換したのだ。ここにきてのまさかの裏切り行為。ウィリアムが阻止しようとしたとき、イチカが彼の腰のあたりを引っ張り止める。今、交換した料理がどちらも眠り草入りだと知っているのはイチカだけである。彼女の目的はニコルをおとなしくさせること。
「え、あ、あぁ。まぁ、じゃぁ、楽しく会話を始めようじゃないか! 再会を祝して! リードレとこの森の皆と赤の魔女に!」
肉を切り口元へ運ぶリードレ。久しぶりに扱う仕草はどこかあどけないがすぐに感を取り戻したのが分かる。何度か握りなおす姿がまたニコルにはもどかしい。彼がぎゅっと手を握り直す度に自分の心も締め付けられる。細く見えるのは指が長いから? 綺麗で強そうな指。ニコルはリードレの全てを見ようとしていた。
あと少し、あと少しで肉が彼の口に運ばれる。と、いうところでニコルが彼に言葉をかける。彼の運ぶ肉と口と舌を見つめていた彼女が我慢できなくなり思わず話し出す。
「リードレ? あたしね、お肉食べるとすぐに寝ちゃうかも。そしたらさ、あたしの体を、貴方の強くて硬くて立派なその体を使ってベッドまで運んでくれる? そして、朝まで見守ってほしい。きっと、あたし、すぐに寝ちゃうから。貴方ともっと一緒に居たい」
「あぁ、構わないが。どうせここに俺のベッドはないだろうし。さっきも君が傍にいる間、とても居心地が良かったしな。狼とはああいうものなのだろう」
甘えた声で、かわいい声で、まるでリードレ以外見えていないニコル。彼と目を合わせたままゆっくりと見せつけるように肉を口へ運ぶ。ウィリアムは肉を食べながら、イチカは肉を切りながら、彼女のどこかいやらしい肉の受け取り方に目を奪われた。その時だった。ゴトンと大きな音を立てジョンが前のめりに倒れる。何事? ニコルがふと我に返りジョンを見つめるとすでに爆睡。あきらかに眠り草の影響だ。
混乱。一堂に混乱の二文字が散りばめられる。理由を知っているのはウィリアムだけ。ジョンの料理に眠り草を仕込んだ本人だからだ。やっとか! と安心した彼は次から次へ肉を食いながら大笑いしジョンを馬鹿にして立ち上がる。
「わはははは! 馬鹿め! 俺の標的はお前だ! まんまとぉ……えへぃ」
勢いよく立ち上がったウィリアム。椅子の背を掴むも上手くいかず、睡魔に抵抗しながらヨロヨロと後へ歩き地面に倒れそのまま眠る。すると今度はニコルのすぐ横、リードレが寄りかかってきた。
「あ。まだ、早いって。体力つけてからじゃないと、ね? え?」
おかしい。自分の料理には眠り草など入っていないはずなのに。どうしてリードレが眠る? ニコルは過去最高の速度で考えを巡らせている。ジョンが眠ったのはウィリアムのせい。そうだ、もともとウィリアムを排除しようとしていたジョンもまた、彼の料理に眠り草を仕込んだのだろう。心当たりはある。ホセと彼の料理のあたりをうろついていた時があった。だが、私の料理には誰が?
これだけの出来事の中、淡々と料理を口に運ぶ女がそこにいる。
肉を切り、肉を刺し、軽く下を向き開けた口でそれを受け取る。
口を閉じる瞬間、わずかに視線をこちらに向ける女。
上目遣いで見るその目がなんとしたたかなことか!
彼女はニコルに対して笑顔で応える。まるで「いってらっしゃい」とでもいうかのように。彼女には理解できた。きっとイチカが自分の料理に仕込んだのだろうと。この世界一素敵な男を私という絶世の美女から守るために。時すでに遅し。地面が顔へと近づく中、肉を切るイチカの姿が悪魔のように思えた。ニコルも最後に地面へと倒れ眠ってしまった。
「この人達、何してるのかな。まぁ、いっか」
イチカは呆れた顔で料理を切り分け、食べている。するとすぐにシエナが戻ってきた。ついさっきまで席についていたはずの五人。なぜか今はイチカしかいない。よく見るとジョンは天板に頭を載せ、ウィリアムは何歩が歩いた先で、ニコルとリードレは一緒に地面で寝ている。
「……。考えたくはないけど、ウィリアムが関係してるのかしら? いや、いいわ。言わなくていい。わかってる。まぁ、二人で食事を楽しみましょ」
「いいんですか? そのリードレって人。久しぶりに会ったんですよね?」
「あはは。いいわよ。せっかく涙の再開だと思ったのに、あっというまにいつもの光景になったわ。気にしなくていいわ。死にやしないわよ。それにしても美味しい!」
「二人とも、エルフですよね?」
二人はその後も食事と会話を楽しんだ。赤の魔女に頼まれたホセがウィリアムをどこかへ運ぶ。赤の魔女もシエナとイチカが座る同じ席につき夜遅くまで話す。二人の赤い髪の美女。しかも初めて見るエルフだ。すぐに皆が集まり始め、どんどんと賑やかになる。赤の魔女の光輝く色とりどりの魔法の花火。併せてシエナも加勢する。子供ははしゃぎ、大人は見惚れ、寄り添う二人組も多い。少し離れれば相撲や勝負事、様々なことが行われている。
同じ席でずっと二人を見ていたイチカはあることに気づいた。エルフであるシエナの耳はウッドエルフ程ではないが長い。それ自体は話で聞いていた通りだった。問題なのはそれを初めて見たわけではないということ。ずっと目の前にいたのだろうか? 赤く美しい髪で見せないようにしてはいるが赤の魔女の耳も……エルフと同じ形状だということ。人間の耳でも、アニムの耳でもない。エルフの耳だ。二人が並んでいるからこそよくわかる。魔女がエルフから生まれたという話は聞いたことがない。
けれど、今はこの景色、時間を皆と楽しむことにした。時折二人の会話から不穏な空気を感じ取る。「紫の魔女」「古の森」「プルプラ」「アスカラ族」「アレクサンドラ」「木人」「魂の管理者」「肉体は滅びる」そういった感じで途切れ途切れだし初めて聞いた言葉もある。ウィリアムとシエナがここに来た理由なのだろうと思った。
その場で寝る者、寝床へ戻る者、シエナはイチカの家へと共に向かった。ニコルは赤の魔女の計らいでリードレと同じベッドに寝かされた。面白いことに彼女が「既成事実を作ってやろう」と言う様子がウィリアムと似ていた。楽しそうに二人の服をはぎ取り、ベッドに寝かせる。その様子に笑ったが、眠りながらもリードレに抱き着くニコルの様子を見て二人の幸せな未来を期待する。
皆が寝静まったころ。
赤の魔女が泉の洞窟へ向かう。そこに運ばれたウィリアムがいるのだ。彼女は寝かされたウィリアムを見下ろし、腕を組むと暫く彼を中心にグルグルと円を描くように歩き続ける。ずっと独り言を言いながら。
「どうしよう。どうしよう。どうしよう……。やばいなぁ。あぁ、我慢できない。あぁ、ここにいるのに。あぁ、苦しい。どうしよう……。んーー! あー! ウィリアム? 起きてる? あー。どうしよう」
動きを止める。落ちている木の枝を拾うとぶんぶんと振り回しながらまた彼を中心に円を描くように歩き出す。そしてブツブツと何かを言う。
「いやぁ、知ってるしな。でも、見るのは初めてだ。触らなきゃいいのかな? でも知ってるんだよ? きゃぁ。恥ずかしい。てへへ、熱い。熱いわぁ」
支離滅裂。しゃがみ込むと彼の服を持ち上げたり、ズボンを持ち上げて中を見ようとしている。鼻の下を伸ばし、顔を赤くして。そしてまた「いやぁ。知ってるから。でもなぁ。あぁ、もう! 何これ! いや! 出来ない」等と言いながらグルグルと歩き出す。
その後も同じように話しかけたり、棒でつついたり、トカゲのように近づき彼の匂いを嗅いだり、横に添い寝して眺めたりということが続いた。そうこうしているうちに夜明けが近づく。鳥の鳴き声が洞窟の中に届き始めた。彼女は今、膝を揃え小さくまとまるように彼の傍に座っている。自分の膝に顔をのせ、ずっと彼の見てい。手に持った草で彼の鼻をいじくっているとくしゃみと同時に目を覚ました。
「っくし!」
「あ」
「え?」
見覚えのある女性。直接見るのは初めて。赤い髪、赤い瞳、美しい肌、若い体。同じではないがそっくりなのはアゼリアだ。ウィリアムにはすぐにわかった。彼女が赤の魔女だと。見てくれだけじゃない。クレアが生まれた日、少しだけ見たことがある。一瞬。ほんの一瞬。あの日現れた三人の魔女の一人だ。白の魔女、赤の魔女、緑の魔女。白の彼女以外はっきりとは見えなかったが、あの日、確かにその場に居た女性だ。
彼女は赤の魔女
愛するアゼリアにそっくりな女性
やっと出会えた
ウィリアムが手を差し伸べると、彼女は咄嗟に彼から離れた。
まるで怯えた少女のようにも見えた……
彼女は赤の魔女
『未来として知る者』