120 赤の森⑥ 始まり、始まり
■赤の森 新しい魔女の森 アニムが多く『獣の森』とも呼ばれている。毎日が賑やかで騒がしい。
■魔女の恩恵
加護:限られた相手のみ。強力な力はリスクが伴うことも。
寵愛:森の中限定。光か闇かで意味合いは変わる。
「おー、お前ら。頑張ってるか?」
「おねーちゃん!」
「ニコルだ!」
「ニコ姉だ!」
ニコルが声をかけたのは三人の子供。今日もせっせとシーソーで遊ぶ。大きなトカゲの骨を利用して作ったシーソー。三人がそれで遊ぶ度に水が地下から汲み上げられ、先に続く手作りの泉へと流れていく。子どもたちはジョンが言った「あの手、この手」を「あのテコの手」と捉えた結果このシーソーにたどり着いた。そうでなくともここ最近は、ここで遊ぶのが日課。赤の魔女のためになると言われれば尚の事、一生懸命彼らは遊んでいる。
三人の子供達はニコルが担いでいるウィリアムに気づいた。すぐに彼女を取り囲むようにそれを観察する。
「あー! 人間だ」
「あー! 男だ」
「あー! 迷子だ」
「ははは。そうか、お前たちも集会に来てたんだね? そうそう、この森で人間をみたらどうするんだっけ? それでいいのかい?」
ニコルがウィリアムを地面におろし、子どもたちの頭を撫で掴みながら問いかけると「あ」と皆が口にする。すぐさま茂みに隠れると仕切り直してウィリアムに向かってきた。
「「「新鮮な肉だぁー」」」
「うわぁ、食わないでくれ」
「あはははは」
そんなやり取りをイチカが微笑ましく見ている。ウィリアムも気を利かせて子どもたちの演技に付き合う。すぐに一人が名前を訪ねてきた。
「ねぇねぇ、おじさんがウィリアム?」
「ちがうよ」
すると、三人がその場を離れる。茂みのそばに集まり何かを話している。「ちがう」「そうじゃない」「こう言われたでしょ」などと小さい声で聞こえる。大人三人はその様子を黙ってみている。再度、同じ子供が近寄りウィリアムに話しかける。
「おじさんはジョゼフ?」
すると先に反応したのはニコルとイチカだった。目を丸くして子どもたちを見つめる。最初に口を開いたのもニコル。
「どうしてこいつの名前を知ってるんだ?」
「姉御が言ってたの」
「ウィリアムって言わないジョゼフがくるって」
「ジョゼフが来たら連れてこいって」
ウィリアムが地面に座ったまま、バツが悪そうに目を泳がせている。目を細めていたニコルがすぐに彼を睨むと、棍棒を握り直し近づいてくる。
「ってめぇ。やぁっぱり嘘ついてやがったな」
意外にも立ちはだかったのは子どもたち三人。手を広げ行く手を妨げるとニコルが「どけ!」と大声で怒鳴りつける。
「どかないよ!」
「だめだもん!」
「約束だもん!」
「はぁ? あんたたち、あたしに勝てると思ってるの?」
ウィリアムの前に立ちはだかる子供三人。棍棒を握りしめたニコル。彼らを心配そうに見つめるイチカ。
「ねぇ、ニコル? その子達の話を聞いてた? 姉御が連れてこいって言ったんでしょ? じゃぁ、邪魔しちゃだめじゃない?」
「ぐぬぬぬ。やっぱりさっきぶん殴っておけばよかった」
怒ったニコルが棍棒でそばの木を殴ると鳥が飛び、枝が落ち、葉が泳いだ。イチカがしゃがみ込み子どもたちと話す。
「連れてこいってどこへ?」
「この先の泉」
「来ればわかるって」
「これを渡せって」
子どもたちが木剣を拾い彼に渡す。手足を縛られたウィリアムは膝とお腹の間でそれを受け取った。イチカが彼の手足の縄を解こうとするとニコルが言う。
「おい、どうせもう抜け出せるんだろ? 演技なんかしてんじゃないよ。ったく。せっかく楽しみにしてたのに……。姉御に何かあったらこんなもんじゃ済まさないからね」
ニコルが棍棒をへし折り投げ捨てる。そこかしこに隠して置いてある彼女の武器である棍棒。ただ、彼女の本当の相棒はもっと大きな両刃の斧だ。それを片手で軽く振り回す姿はまさに女戦士。
「バレてたか。よっと」
縄を解いたウィリアム。イチカの手を借りそのまま立ち上がると木剣を片手に子どもたちに歩み寄る。
「ありがとうな。それで、どっちに行けばいいんだ?」
「あっち!」
「こっち!」
「そっち!」
三人が指すのはバラバラ。イチカは笑い、ニコルは苦笑する。ウィリアムが悩んでいると最初に話しかけてきた子供が閃いたのかもう一度言い直す。
「この水をたどればいいんだよ」
「ああ、なるほどね。ありがとうな」
「うん。次来たら食べちゃうぞ」
「じゃあね。五体満足でよかったね」
「またね。二度と来ないでね」
最後はしっかりとニコルの教えた挨拶を言えた。意味はよくわかっていない。三人はまたシーソーで遊び始める。そして、ウィリアム、イチカ、ニコルの三人も水の流れる方へと進んでいった。
「なんで木剣? ウィリアム? 心当たりある?」
イチカが不思議そうに話しかける。すでに彼女はウィリアムと肩を並べて歩いている。なんの警戒心もなく嬉しそうにその話を続けている。その二人の姿がニコルを更に不機嫌にした。するとイチカが彼女に話しかけてくる。
「ニコル? そんなに怒らなくってもいいじゃない? 私、この人が悪い人には見えないわよ? むしろ、今までここに来た人間の中では一番好きよ? ねぇウィリアム? 姉御……赤の魔女を傷つけたりしないわよね?」
ウィリアムは二つ返事で「ああ」と答えた。けれどその顔はどこか悲しげで不安そうだった。なおも無口のニコル。「フン!」とだけ反応したが、一人前を歩いている。イチカがそんな彼女を放ってウィリアムに言う。
「ニコルってね、本当はこんな感じなのよ。いえ、人間が迷い込んできた時なんか脅すだけで喋らないわ。まるで狼」
「あたしは狼だよ」
「獣化してないのに、狼そのもの。ただ威嚇するだけ。今にも噛みつきそうな感じでね。なのに貴方とあんなに喋ってたでしょ? 私にはそれが不思議でしょうがなかったわ。まるでここの皆と話す時のように喋ってたの」
「……」
背後で話すイチカの内容を聞きながら、ニコルは自分の心情を言葉に出され少し気まずい思いをしていた。今、機嫌が悪いのも半分以上は自分に対してだった。イチカが話すように普段ならあんなに喋らない。それなのになぜかこの男には喋ってしまった。気づいたのは子どもたちと接した時だ。
「ねぇ、ニコル? あなたも本当はわかってるでしょ? 私達は赤の魔女の寵愛を――」
「黙れ! イチカ! ベラベラ喋りすぎだよ。言ってただろ? そいつが来たら死ぬかもしれないって。命令だからこうして我慢して連れてきてやってるけど、もしこの先で赤の魔女がそいつを殺せというなら、あたしは誰よりも早くそいつを殺すよ。そんで嘘つく舌を切り刻んで川に捨ててやるんだ」
イチカはニコルが「赤の魔女の命令」という言い方をしたので本当に怒っているのだと思った。そして、三人は黙ったまま泉の方へと歩いていく。足元ではチョロチョロと水が流れている。
一方、泉のある場所。
「おいいぃ! 動けよぉ! 何でしゃがみこんでるの? ねぇ? サンが言ってたでしょ? ウィリアムってやつが来るよ? こっち来るよ? ちょっ、えっ? なんで動かないの?」
梟のサンからの知らせでウィリアム一行が向かっていることを知ったジョン。赤の魔女を彼から離れさせようと必死だが、当の本人は先日用意してもらった服を着て、カツラを被り、地面に膝と両手をついている。
「こんな時にそんな格好してる場合じゃないよ? ちょっと! 動きなさいよ!」
「やだ」
「やだ。じゃないよ! あんたが『死ぬかも』とか言ったんじゃないの! うっぉおお、動けよおお」
熊のアニムのジョンはこの森で一番大きく、一番力持ちで、一番優しい。彼は今、本気を出して赤の魔女を押し動かそうと必死だ。少し、少しだけ岩が動いたかのような跡を残し彼女が動いていく。そばではサンが慌てふためいて「来るよ? 来るよ?」とただ騒いでいる。
イチカが言いかけていた『魔女の寵愛』とは森の魔女特有のもの。その森に住む者にとっては恩恵にもなるが、場合によっては枷にもなる。ここ、赤の魔女の『寵愛』はアニムに特化したものだった。それは自然と彼らをこの森に集める理由にもなる。人から人へ噂が広がり、今では『獣の森』という呼び方もある。
この森に住み、赤の魔女の寵愛を受けているのなら獣化が容易になる。彼らを悩ますのは半獣化や獣化して戻れない場合の後遺症と変異だった。いずれ理性は人よりも獣に近くなる。戻りたくても戻れない、獣化するたびに症状は進行し、悩み、疎まれ、追い出される。そんな行き詰まった彼らがこの森にたどり着いたら幸運だ。症状は緩和し、いずれジョンやニコルやイチカのようにまた元に戻れるのだから。しかもサンのように部分的に獣化してても問題はない。まさにアニムの楽園だった。
寵愛を受けた者達は少なからず赤の魔女と繋がっている。そのため、今回の件で彼女が抱く感情や想いは皆に分配されていた。ニコルにはワクワクする気持ちが、イチカにはどこかときめく気持ちが、ジョンには不安な気持ちが、サンには逃げ出したいという気持ちが。それは今までに起きたことのない流入現象とでも言える。本来は、彼らの感情を糧にしているのが赤の魔女だからだ。
そして各々がそうとは知らず、いつもより高ぶった感情の中で動いている。そしてついに、その時が来た。
赤の魔女が作った泉、ジョンの裏庭の塒だった大岩で作った洞窟、三人の子供達が汲み上げる水で出来た滝、用意した服、ホセの美しい髪で作ったカツラ、ウィリアムが手にするのはジョンの屋根板で作った木剣。
茂みから現れたのはイチカとニコル。イチカは何が起きるのか楽しみそうで、ニコルはまだ自分に怒っている。そしてゆっくりとウィリアムが茂みから現れる。
少し離れた場所にジョンと赤の魔女、それにサンが立っている。今もジョンが必死に彼女を動かそうとしている。押すというよりかは蹴ったり殴ったりしている。しかし全く効果がない。小さな声で赤の魔女が「ふひひ」と笑った気がした。ジョンが振り上げた手を止めると赤の魔女が叫ぶ。
「きゃぁ! 助けてください! この下品な男が私を襲ってくるのです! どうか!」
ジョンは振り上げた手を止めたまま目を動かし考える。「え? 何? 何言ってるのこいつ?」と困惑したがウィリアムを前にしてまずは彼女を守らねばと考える。息を大きく吸い込み、胸を大きく見せ、彼女の前に立ちはだかると離れたウィリアムに言う。
「近寄るな! この女が死んでもいいのか! それ以上こっちへきたら彼女の命がないと思え!」
そう言ったのはいい。そこまではいい。ただ、ジョンは何か違和感を感じていた。まるで自分が悪者になったような気分だった……。