117 赤の森③ 第一森人?
■獣人
人→獣化(通常の獣より大きい)
・誰でも気軽にできるわけではない。そのまま戻れない者や部分的にしか人化出来なくなることも多い。
・赤の森は獣の森とも呼ばれている。
・耳は人間らしい場所だが毛が生えていたり、上にあったりバラバラ。
ウィリアムが『赤の森』の周囲にある村へとたどり着く少し前。
村からは遠く離れた森の奥深くのとある場所――
森で暮らす皆がその大きな音に驚く。耳を立てる者。木の枝から飛び立つ者。振り向く者。呆気に取られ作業をやめる者。彼らは「何事だ?」と言わんばかりにその場所へ近づいていく。熊のアニムのジョンも同じようにその場所へ行く。たどり着く前からその原因が誰なのかは想像できる。案の定「散歩に行く」と言い出した赤の魔女の仕業だ。
彼女は大きな岩を削り側面に穴を開けている。洞窟を作っているようだった。「ふう」と汗を拭う。「なんてやり遂げた清々しい顔をしているんだろう?」と、ジョンが半ば呆れるのも束の間。集まった動物やアニム達に気づいた赤の魔女はバツが悪そうにしていた。そんな彼女の様子にジョンは目を細めると問いただす。
「ねぇ。何してるの? さっきのすごい音はその岩? 岩っていうのそれ? 洞窟のついた岩って運べるの? 俺の家の裏庭にあるお気に入りのやつじゃないよね? 寝るのにちょうどいい窪みを掘り進めて洞窟にしたりしてないよね?」
「まさか!? ちょっとさ、舞台を作ろうと思って。あ、そうだ。あんたさ、頼んでおいたもの用意してくれた?」
「舞台って何? とりあえず俺の家の屋根っぽい板を隠そうとかしてくれるかな? せめて、希望を持たせてくれるかな?」
赤の魔女に近づきながらジョンは用意しておいた物を見せる。彼女に頼まれたのは青い服、薄い色の金色の髪の毛。それと木の剣。品定めをするように赤の魔女が声に出しながら確認をしている。
「青い服……まぁ、いいか。あんまり好みじゃないけど。もうちょっと薄くて優しい青がよかったな」
「物々交換で毛皮とか持っていったらさ、村のおばちゃんが『ありゃまー! こんな服じゃ割に合わないよ。こっち。あたしの若い頃の一張羅のほら、これ』って言うからさ。無下に断れなくて」
「木の剣……何これ? 子供用じゃない? 違うの! もっと長いのがいいの。まるで短剣じゃない、これ!」
「しょうがないでしょ。近くの村人が持ってるのなんかこんなもんだよ? なんだったら作ればいいじゃない」
言い終わると同時にジョンは「あ」と目を丸くする。なぜなら、自分の家の屋根板を今、彼女が持っているからだ。案の定、二人の視線が同じ物を見ている。
「ちがっ、それ、あとで戻すや――」
「ひひひ! この板がちょうどいいね! おりゃ!」
快活な音を立て縦に割れる。一生懸命描いたクマの絵……のようなものが半分になる。
「それとぉ、髪の毛はぁ……はぁ? 何これ。なんで羊の毛なのよ!? これじゃモコモコの髪の毛じゃないの! アタシは白に近い薄い金髪って言ったの!? 長いやつでサラッサラのね!」
「いや、あのさぁ。偶然にでも演劇家達が村に来てるならわかるよ? でもさ、普通の村に行ってさ、都合よくあると思う? そんなカツラ」
赤の魔女が怒っている。押し潰し放り投げると待ってましたとばかりに膨らみ地面に落ちる羊毛の塊。彼女は今にも泣きそうな少女の顔をしている。下唇を使って固く結んだ口に寄せた眉。鼻の穴を広げ息をして耐えている。少しだけ間をおいてジョンが優しく声をかけ直す。
「まぁ、いいじゃない? あ、そうだ。そうだよ! あれはどうかな?」
「あれ?」
「長くて、薄い色の髪。細くて柔らかい髪。いるじゃない?」
二人の視線の先には美しい髪を持つ馬が一頭。彼女は眉を上げ納得するように頷き、ジョンは馬に気づかれないようにほくそ笑む。
その後も彼女は作業を続ける。地面を彫り大きなくぼみを作っている。特にすることのなくなったジョンは、最近様子のおかしい彼女の動向を観察することにした。
「ところで少し見てていい? よっこいしょ」
ジョンは地面にどっしりと座る。先日から彼女の様子が変だったは知っている。ソワソワしたり、やたら髪の毛を弄ったり。思春期の女の子っぽいのはいいと思っていたが、まさか岩をこんな森のど真ん中に運んでくるとは。一体、何がしたいのか。
「へへーん。見てて。そろそろ……」
彼女が岩を背に腰に手を当てて自慢げにしている。するとチョロチョロと水が垂れてきたのだ。少しだけ勢いが増すと彼女の頭に落ちてきた。その水で顔を冷やすように少しだけ両手でこすると「やった!」と喜んでいる。
「え? 何? 滝が作りたかったの? なんでわざわざ? っていうか、その水はどこから来てるの?」
「あっちで子どもたちが組み上げてるんだよ。へへへ。あとはこれが……」
暫くすると水が貯まり、泉のようになってきた。一生懸命に穴を掘ったのだろう。いつの間に作っていたのか、ジョンは感心したが同時にある失敗に気づいた。
「ねぇ。これ、水が貯まる一方だよ? お尻が冷たい。ここ一帯を水浸しにしたいのかな? その窪みの下に穴はあるの? 滝を作るなら、泉の水が出ていくところも作らないと。沼を作りたいの? そういうのは土を掘るのがうまいやつに聞かないと」
「うるさい! わかってたよ! ちょっと潜ってくる」
ジョンは水浸しになった地面を離れ、柔らかい草の上に座ると少しずつ引いていく水面を眺めていた。すると――
「いたい!」
「あ、ごめん」
突然に尻の真下から赤の魔女が出てきた。どうやら地面をほって進んできたようだ。ジョンは直撃したお尻を抑えながら文句を言いまた少し離れる。
「あのさ、すごい偶然だね? わざとじゃないよね? お尻って大事よ? 熊にとっては特にね。お尻って、すごい、大事なの」
赤の魔女は顔半分だけを地面から覗かせ、彼の話を聞くとすぐに消えた。そしてすぐ――
「うぉりゃぁ!」
「ぎゃぁっ!」
「あ、ごめん」
飛び上がり、うつ伏せにお尻を守るジョンが赤の魔女をにらみつける。
「バカ! バカ! 熊のお尻はデリケートなの! それに今『おりゃぁ』って言ってたよね!? 何してくれてんだよ!」
「邪魔なんだもん」
「何が?」
「なんでアタシのこと監視すんのよ!」
「そりゃ、なんか様子が変だからさ。誰かここに向かってるんだよね? 一人でブツブツ言ってるしさ。心配なんだよ」
「……アタシ、死ぬかも」
ジョンは「何を大げさな」と表情に出しつつ彼女の様子を伺う。いつもなら大声で笑ったり、まくし立ててきたり、豊かな表情で抵抗してくる赤の魔女が垂れた頭で地面を眺め、膝から崩れ落ちて座っている。その様子には彼も真面目にならざるを得ない。
「俺たちが絶対に守るからさ。もう少し説明してくれる?」
「うん」
その場にいた動物達も心配して寄り添う。皆が彼女の話を聞こうとしていたが、実際に彼女から聞けたのは「死んじゃう」「考えたらヤバイ」「近づけない」「触れたらヤバイ」などという言葉をしどろもどろに連呼するだけだった。話すごとに、考えるごとに慌て混乱し取り乱す様子にジョンが「もういい。わかった」と言う。
後日、赤の魔女さえ恐れる謎の男が現れたと言うことで森で集会が行われのだ。
――そして時は今に戻る。
森の奥深くへとやってきたウィリアムとシエナ。もしかしたら赤の魔女の方からコンタクトがあるのではないかと、範囲だけに特化した探知魔法を使った。ちょうど森の集会が終わり、解散したあとのことだった。
見晴らしがいい場所ということもあり、その場で野営をする。夜明け前、目を覚ましたウィリアムが遠い場所、森の上空に一つの光の玉が浮いていることに気づくとシエナを起こした。
「どうしたの?」
「あれ。なんだと思う?」
「……星? じゃないわね。光の魔法ね。彼女からのお誘いじゃないかしら? 今日はあそこへ行ってみましょう」
「やっとだな」
「ええ。私、もう少し寝るわね。ここの森、すごく好きよ」
「ああ。俺もそうだ。何か、懐かしい感じがする」
夜明け前は肌寒い。「夜が退くのを肌で感じるからだ」とウィリアムは自分にいい聞かせながら、寝返りを打つシエナに取られた自分の毛布を諦める。
「へっくし」
※
朝が来ると二人は出発の準備を始める。馬に乗り森の中を進んだ。しばらくすると乗っていた二頭の馬が駄々をこね始めた。不思議なことに彼らの好物である草や野菜が道端に置いてあったのだ。
特に怪しいところもなく、しばらくの間その場しのぎで食事させていたのでシエナが「少しだけ休もう」と言い出した。ウィリアムはその間、川の流れる音がする方へと歩いていく。
「ふん、ふん、ふん! お? 霧? いや、これは……煙? それも、肉を焼くいい匂いだ!」
鼻歌交じりで歩いていたウィリアム。もうすぐ赤の魔女に会える。そう思っていた。森の中に漂っていたのは白い煙だけではなかった。一緒に香ばしい匂いが漂ってきている。「こんな森の奥で?」と怪しさはあったが彼はその匂いのする場所へと向かっていく。そこにいたのは……
両手に持つ皿の上には焼き立ての肉。香草も使いなんとも美味しそうな匂い。けれど、その組み合わせは見たこともない。上半身裸の男が両手に皿を持っている。男がアニムなのはひと目でわかった。下半身が動物だからだ。奇妙なのは足が四本あること。見たこともない。馬なのか? いや、ならば腕が二本多い。それにアニムというのは特徴である程度わかるはずだった。毛並みと髪の毛、そういった部分でも予想がつく場合が多い。馬のアニムなら立派な髪があるはずだが、彼の頭はツルツルだった。
禿げた上半身裸の男。下半身は馬。両手には肉の載った皿。そして名前を呼ぶ。
「さあ、ウィリアム。これはお礼だよ。こっちへ」