116 赤の森② 最近、散歩をはじめました
赤の森の中央、切り立った崖の頂上で開かれている集会。そこに集まったアニムや動物。人の姿の者、獣化している者。大人や子供、男に女。話せる者は言葉で、動物達は動きや鳴き声で騒ぎ立てている。
「おいおい、姉御を倒せるようなやつを俺達でどうにかできるのか?」
仕切っていた熊のジョンに野次が飛ぶ。彼は両手を広げ、皆に静まるように促す。
「みんな! 落ち着いてくれ。聞いた感じだと、その男はとても優しいらしい」
「でも、強いんだろ?」
「ああ。とても強いそうだ。だが、皆には力技でどうにかしてほしいわけじゃない。それぞれの特技を持って、あの手この手でその男をこの森から遠ざけてくれればいい」
ジョンが大人達と話している中、また小さな子供三人が赤の魔女の方へと駆け寄る。一人は土台になり、別の一人は上から引っ張るという具合で器用に岩をよじ登ると赤の魔女の元へたどり着いた。あぐらをかいて座る彼女に三人は大きい葉っぱに載せた赤いココの実を差し出す。ポロポロとこぼしながら持ってきたそれは既に半分程度になっている。葉っぱごと受け取ると赤の魔女はそれぞれの頭を撫でる。
「姉御? その人に会ったら死んじゃう?」
葉っぱから口へ、それを一気に流し込み噛み砕いて食べると独特の甘酸っぱい味わいに表情を変える。子どもたちの質問にそのまま顔を両手で隠しながら「会ったら死んじゃう」と縮こまる。
三人の子供は、彼女を抱きしめると岩から器用に降りて元の場所に戻り、向き合い座った。三人なりの作戦会議だ。大人たちはあーだ、こーだジョンと話している。
「モザイクジョンがアノテコノテって言ってた」
「あのテコの手?」
「テコ? テコなら知ってる」
二人の目が見開き「それは何だ?」と言わんばかりに視線を送る。
「姉御がこの前教えてくれた。オオトカゲの手の骨で作ったシーソー。これはテコの応用がきくんだぞって」
「テコの手……。お水がパッパ出るところの?」
「あのテコの手!」
三人は「それだ」と言わんばかりに頷き、お互いに視線を送る。
「そこへ行こうよ」
「うん」
「シーソーしよう」
立ち上がるとお互いのお尻を叩き、砂埃を取り払う。そしてジョンの足元にテクテク歩いていくと、三人が見上げながら彼に言う。
「ジョン? 私達も『あのテコの手』でがんばる」
「うん。夕ご飯までには帰ってくるね」
「姉御を守るんだ」
それを聞いたジョンが涙する。
「お、おま、お前たち! こんな小さな子供までもあの手この手で頑張るなんて。いいか、みんな! ウィリアムという男を見つけたらすぐに報告すること。倒そうなんて思わないこと。あの手この手を使って、彼を森の外まで送り出すこと。うぅ。お前たちまで。ありがとうなぁ」
多少のズレがあるのはお互い気づいていない。テクテクと歩いて森へと向かった三人の子供。早々にシーソーの魅力に取り憑かれ戦線離脱したことは誰も知らない。
集まっていた皆が散り散りに森へと戻る。森の中に人間がいるのはわかっている。ただ、周囲に住む村人なのか旅人なのか、迷い人なのか、はたまた例の男なのかは匂いだけで判断できなかった。警戒しながらもそれぞれが持ち場へと戻る。
残ったジョンと赤の魔女。
「ねぇ、聞いた? あんな小さい子まで。うぅ、俺さ、この森が、姉御が、好きだよ。こんないい家族はいないよ」
「何よ、女々しいね。そういうのはやめてよ。アタシは楽しいのがいいの! あぁ、ムズムズする。ちょっと、散歩行こうかな」
ここ数日のことだ。彼女が「散歩する」とか言い出したのは。ジョンは気にもしていなかった。そもそも、好きなことを、好きな時に、好きなだけ、自由にしてきた彼女。それが突然にバツが悪そうに「散歩してくるね」等と言い出したのだ。子供が隠し事をしていたり、秘密の基地に行くときの雰囲気。それがあった。だが、今、その理由がわかった気がした。
「ねぇ、姉御? そういえばさ。なんでわざわざ散歩するとか言い出すの? 勝手にすればいいし、いつも勝手にそうしてたよね? 人ってごまかそうとするとやたら説明したりするみたいだよ? ねぇ、なんでソワソワしてるの?」
「別に……。アタシさ、風になりたい」
歩き方が不自然だ。半円を描くように膝を曲げずに足を交差させながら歩く。悪い子に見える。もしこのタイミングじゃなくて、夕焼けを眺めながら彼女が今の台詞を言っていたら心に沁みていただろう。でも、今は澄ました顔が怪しすぎる。ジョンが薄々感づいていたことを含め、彼女に話す。
「何か隠してる? コソコソなにかしてるの? ねぇ? 会っちゃいけないとか言ってる本人が会いに行くとか馬鹿なことしないよね? 散歩? いいさ、好きにしなさいよ。どうせ止められないもの。でもね、あっちはだめ。ぜぇーったいあっちはだめ。多分、あっちから来てるから」
口を尖らせる赤の魔女。後ろ手に両足を揃えて立っている。踵を何度も上げてはリズムを取るように、体を上下させジョンの話を聞いている。
「あっちは……だめなの? へぇ。わかった。今日はいい風が吹いてるなぁ。そうだ! この棒の倒れた方へ行こう! だって……」
「……」
「アタシは風になるから」
カランと音を立て倒れる棒。案の定、だめだと伝えた方向へ倒れた。もう、棒を弾いた指は隠す気すらない。微かに口からのぞかせた舌が憎たらしい。
「あちゃー」
「あちゃー、じゃねぇよ! だめだからね! 死んじゃうんでしょ!? ねぇ、ちょっと、あ! こら、おい!」
「はははは!」
棒が指し示したのは崖の先。彼女は高く切り立った崖の縁で森に背を向け、両手を広げると風に乗るようにそのまま後ろに倒れ落ちていった。その美しい体が空中へと倒れこむ頃には髪を短くし、背中から赤い翼を広げている。それを使いそのまま森へと滑空していく。地上に降りると髪が伸びる代わりに、翼が消えていく。わずかばかりの服を身に纏い歩いていく姿が見える。
「くそ……。もういいだろ」
ジョンが一言だけ悪態をつくと手を叩く。大きな音を立てると三人の人物が近づいてきて彼の前まで来ると膝まづいた。
「演技は終わりだ! はははは! この俺様を甘く見るなよ!」
「さすがっす」
「扱いがうまいっすね」
「え? どういうこと?」
一人目は、短髪で白毛に赤い目のイタチのアニムの女性。名前をイチカという。
二人目は、狼のアニムで肩甲骨まで髪の毛が生えてそうな女。名前をニコルという。
三人目は、梟のアニムでじーっと見つめる割にぼーっとしている男性。名前をサンという。
「サンてば馬鹿ね。ジョンが『あっちはダメ』っていったのが罠なのよ」
「そそ。姉御は絶対そっちへ行くもん。だからあえて、だめだぞって念押ししてたのよ」
「ああ、なるほど……ジョン。すごいや」
ジョンは自慢げな顔をしている。腕を組み、集まった三人に説明する。
「今回の件は俺にもよくわからん。だが、あんな表情は見たことがない。会ったらやばいとか言ってるのに、会いたくてしょうがない感じもするからな。準備しておいてよかったぜ。あとはお前たちが彼女を尾行してうまく誘導してくれ。男の偽情報でも掴ませればすぐに引っかかるだろう」
「なるほどね」
「あとはその間にジョンがそいつを森の外に連れだせばいいのか」
「ねえねぇ、向こうの山の上。赤い髪の女の人が立ってるよ」
「え?」
皆がサンの指差す方向を見るが何も見えない。それも当然だ。サンの視力はずば抜けている。遥か遠く、ここよりは低い山頂。見晴らしのいい場所に男女が立って何かしているのを梟のアニムのサンは見つけていた。ジョンが驚きの表情でサンに聞く。
「姉御か? もうそんなところまでいったのか?」
「いや。隣に男が立ってる。あ、細長い杖で地面に叩いた」
それから数秒後だった。魔法の波が彼らを通過したのがわかった。普通なら気づかないが、彼らには赤の魔女の寵愛がある。魔法にわずかながら反応する者もいた。春風のような心地の良い波を四人は肌身、毛で感じ「はぁ」と幸せそうにしている。顔を震わせジョンが「それどころではない!」と仕切りなおす。
「あ、くそ! サン! 姉御は今なにしてる!?」
「え? あぁ、あっちか。あれ? 立ち止まってるね。なんかキョロキョロしてる」
「やっぱり。姉御も気づいたんだ。当然か。しかし、男に連れがいるとは。そんな情報入ってこなかったのに! とりあえずまだ方向は分かってないんじゃないか?」
「どうだろう。意味もないのに指を舐めて風を読み取ってるよ。あ、光の玉を七色出したね。それを……三組、あぁ、綺麗だなぁ。クルクルしてる。自分を中心に大中小の円陣みたいなの作って何かを待ってるみたい」
サン以外は額に手を当ててどうにか姉御の様子を見ようと必死に赤い点を見ている。どんな魔法なのだろう? 何をするんだろう? 疑問は多く、目的は一つ。
「……あ、そうか! さっきのをもう一回打たれたら方向がバレるぞ! きっと方向を特定するためのものだ。どうにかしろ!」
「どうにかしろって、あんなところまでどうやって一瞬で移動して阻止するんだよ。あ、向こうの赤い髪の子がもう一回地面を叩いた」
それは遠い場所でシエナが使っている探知の魔法だった。魔法の範囲は他の魔女や魔法使い、エルフが使うそれよりも遥かに強く、大きく、広い。探すというよりも魔女に居場所を知らせるのが目的。自分たちを中心に届く限り一方的に広げていくだけだったので造作もないことだった。森に入ってから数日、何度か繰り返し行っていたが遂に届く範囲までやってきたのだ。
シエナが杖で地面を叩いてから数秒すると、また魔法の波がやってきた。赤の魔女は周囲に展開した光の玉で、波の発信源である方向を確認するために待ちかまえていた。三重になった円陣。合計で二十一個の光の玉。外側、真ん中、近い場所。高速で回転している光の玉が外側から順に止まる。止まった玉にポポポっと光が集まり一つの大きい球になる。それが三個。一直線になると赤の魔女は笑顔になりその場を後にした。
一方、ウィルとシエナ。
「今ので気づいたかしらね? 昨日も、一昨日も、何も反応がなかったけれど。もう結構深い場所まで来たわよ? それにほら、あそこの高い崖。貴方が言う如何にもって場所じゃない? そろそろ出会えるといいんだけどね」
「ねぇねぇ、シエナ? あれやって。あの水の膜で遠く見えるようになるやつ」
「ええ。どうぞ」
シエナが腰にぶら下げていた小さな水筒。蓋を開け中の水を二枚のレンズのように薄く並べる。それをウィルが覗いた。
「あれ? なんかいたような気がしたんだけどなぁ。とりあえず今日はここで一晩過ごさないか? 夜になったら何かわかるかもしれないし。結構、見渡せるしな」
「そうねぇ。しばらく歩きっぱなし出し。あの子たちも今日はのんびりさせてあげましょうか」
シエナは乗ってきた馬から荷物を下ろす。二頭は自由になるとゆっくりと歩き、森の中を自由に駆け回った。ウィルとシエナは少し早い夕飯の支度を始める。翌日になり、森の探索を開始した二人が初めて見つけた情報源は意外な人物だった。