113 ★⑧ 小話集 日常編
日常の話
■エレノアのものさし
ミシエールにある魔女の家。知識の守り手と言われる街の魔女ローレンスの家。まるで樹に埋もれたような家から受ける印象はあながち間違いでもない。外から見える家の部分とは別に、大樹の中には広くたくさんの部屋があった。その中の一つである書庫で本を読み漁るクレアとエレノア。
エレノアのお気に入りは『アニム』について書かれた本。彼女には一つ、疑問があった。
「クレア? あのさ……『アニムは比較的新しい種族でその起源は七万年前に遡る』って書いてあるんだけどさ……」
「うん。すごいよね。新しい種族なのに七万年よ? わかる? 七万よっ!」
「そ、そうだよね。そう。そうなんだよ。私もさ、七万年だぜ! とか思ったわけだよ。なんたって七年が万年なわけだからさ」
何かを聞こうとしていたはずなのに上の空で笑い飛ばすエレノア。クレアはそんな彼女の真意を探る。
「いやぁ、すっごいよね。あたし達って新しい種族なんだね。『人間の魂に動物の魂が宿った者。誰が呼んだかアニムという名前が定着した』だってさ。アニムってそういう意味だったんだね。いや、七年万年ってすごいや」
「エレノア?」
「ん? な、なんだよ?」
「あなた、七万年って意味わかってる?」
「はぁ!? そんなのわかってるよ。比較的新しいってことだよ。七年が万年なんだからさ……」
怪しい。すごく怪しい。エレノアの目が踊っている。これは絶対に意味をわかっていない様子の時だ。小さい頃から一緒に勉強はしてきた。けれど、数字のことに関しては疎いエレノア。ましてや森の中だけの生活では一、十、多くて百程度しか使わない。彼女にはきっと『万』という単位がどのくらいなのかわかっていないのだろう。
しばしの沈黙が流れる。エレノアが顔を背けたまま目玉だけ動かしてクレアを覗いた。
「あのさ。知ってるんだよ。知ってるんだけどさ……七万年てクレアで言うところの何年? 知ってるんだよ? ねえ」
すでに七万年が何年なのか聞いてる時点でおかしいが、クレアはエレノアのこういうところが好きだった。
「しょうがないわね。七年が十回で……」
「ななじゅうねん」
「そうよ。それがもう十回に、さらに十回」
「ふむふむ」
エレノアが指を折っている。人差し指が最初の十回で一本。次の十回でもう一本。そして三本目。すでに彼女の中では足し算が始まっている気がする。
「そんでもってさらに十回。どう? わかった?」
「えっと、十回がさらに……あぁ、なんだ! そういうことか!?」
「万がしっくりこなくても、わかった? すごい長いのよ」
「あはは。思ってたより短いや。要は七年を四十回ってことだよね? あれぇ? おっかしいな。あぁ、それなら確かに新しい種族だ」
クレアは思った。
エレノアに計算はできないのだろうと。
彼女の頭の中では今、約三百年と七万年が同じくらいのものだということになっている。こういう時に弟のトンボがいたら、きっと彼女に優しく教えてくれるんだろう……
■双子の魔法使い
ある日のこと。遠い地から双子の魔法使いがやってきた。歳はクレアとエレノアの一つ下で、アルマの一つ上にあたる。兄の名はターナー。土と水の魔法を得意とする魔法使いで、太く大きい杖を使うことにこだわっている。妹の名はミレイ。そばかすがかわいい女の子で火と風の魔法を得意としている。口癖は「いい男居ないかな」である。
「初めまして。僕はターナー! あ、アルマ! ひさ、ひさしぶり!」
「あたしエレノア。よろしくね」
「クレアよ。よろしく」
ターナーは二人への挨拶よりもアルマを見つめることに夢中だ。
「私はミレイよ、えっとエレノアにクレア。よろしくね。兄は……ほっておいて。いつもこうなの。わかるでしょ?」
アルマを見るだけで幸せそうなターナー。肝心なアルマはどんぐり帽子を深く被りターナーの視線から逃れようとしている。
「アルマ、今日もすごくかわいいね! その、よかったら一緒に水を汲みにいかないかい?」
アルマはターナーが苦手だった。少し恥ずかしそうに言う青年の言葉。何より、彼に褒められると体の中がムズムズして、モアモアして、呼吸が荒くなる。そして言った。
「うう、気持ち悪い。近寄らないで」
ターナーは今日もしょんぼりとする。その様子を見てミレイは「ね? わかるでしょ?」と言わんばかりの顔。クレアは少しだけ口を開け「そういうことか」と頷く。エレノアだけは違った。これは面白そうだと悪だくみの顔だ。にやりと笑う口。鋭い目。彼女はターナーの肩に手を置くと、
「おい、青年。未来は輝かしいぞ」
「え? どうして?」
「窓の外を見てみろ。何が見える」
「えっと、空? ここ高いから、森と空しか見えないよ」
「かぁっ! これだからお子様は。いいかい? ここからはそれしか見えないが、窓に近づくんだ青年よ。ごらん? 違う景色が見えただろう? さらには外に出れば何でも見える。つまり、そういうことだ。わかったかい?」
「そ、そうか! なんかよくわかんないけど、すごいこと言われた気がするよ」
皆が見守る中、アルマがターナーのほっぺたを大きな音で叩くのはすぐ直後のことだった。エレノアと妹のミレイは笑いをこらえていた。
■アニムとクレア
ミシエール程の大きい街となると、どこに行っても人間以外の種族がいる。とはいえ、その殆どはアニムである。犬、猫、なんの種類なのかは不明な者も多いのが彼らの特徴。それでも、鼻、耳、目、しっぽ、口元などはすぐにそれとわかるのが多い。
いつものようにクレアとアルマ、エレノアの三人が街を歩いている。クレアもエレノアもすでに街では人気の女の子。しかもアルマが二人の傍にくっついて歩いている。街の皆がその姿に微笑ましく思え、笑顔を隠せないでいた。
そんなある日のこと。
「大丈夫? 手伝うわよ」
「ク、クレア! はぁっん」
荷物を運ぼうとしていた犬のアニムの青年。重そうだったので咄嗟に手を添えるクレア。彼女の手が触れた瞬間に変な声を出すアニムにエレノアが怪しい目つきを送る。隣にいるアルマに少しだけ肩を寄せ話しかける。
「ねぇ、アルマ。なんでクレアが触るとあいつらいつもあんな声出すんだろう。実はさ、ずっと。ずぅーっと気になってたんだ。どこの場所でもそう。村でも、海の上でもそうだった。ほらみて、あんなにしっぽ振っちゃって」
「本当。なんか……いやらしい。すごい興奮してるね」
デレデレとした顔のアニムの青年。それは彼だけでない。男だけでもない。女性も子供も、老人も皆そうだ。クレアが近づき、手でも触れようものなら「あはぁ!」「あぁっ」「はぁんっ!」などと変な声を出す。慣れてきたらもっとひどい。クレアを見つけるとすごい勢いで尻尾を振るのだ。
クレアが近づこうものなら飛んでいくんではないかというくらいに尻尾をクルクル回している。尻尾がないアニム? そんな彼らは耳が立つ。もし、アニムの群衆にクレアが紛れてもすぐにわかるだろう。耳が立っているところに彼女がいるのだ。離れると耳がしょんぼりと倒れ込む。その差のある場所を探せばいい。
「アルマ? あとでさ、おばあちゃんに聞いてみようよ」
「そうね。クレアが襲われないか心配だもの」
魔女の家で夕食の席。少女三人とローレンスにアレクサンドラ。気になっていたことをエレノアが聞いた。
「あのさ、ローレンスのばあちゃん? クレアがアニムに触るとアイツら興奮するんだけどさ、なんでかな? あはぁっ! とか、はぁんっ! って変な声だすんだ」
「そうなの? 私、みんなそうだからそういうものだと思ってた。そう言われてみれば……エレノアとかダン、ノラ、エリーに、トンボはそういうことなかったかも」
ローレンスが笑いながらクレアとエレノアに話しかける。
「クレアが悪感情、負の感情を吸い寄せているのはわかったわよね? つまりそういうことよ。アニムはそういうのに敏感なのねきっと。人間よりも衝動的感情が強いのよ。動物の本能かしらね? 潜在的に、奥底には狩猟本能としてある種の殺意みたいなものがあるんじゃないかしら。だから、クレアに直接触られてそれが一気に引き抜かれて気持ちよくなるんじゃないかと思うわ。私も気になって調べてみたのよ」
なるほど、と二人は思った。確かにアニムは感情豊かで魔法の影響を受けやすく無防備だ。人間でさえ、クレアが何日か村に留まれば自然と穏やかになっていくのだから、直接クレアに触られたらそうなるかもしれない。二人とも一理あると納得する。
「あれ? でもさ、あたしはなんともないよ。ほら? クレアに触っても何とも思わない」
「さっき言ってたのはエレノアの家族よね。そっちに関してはなんとも言えないけど、貴方が大丈夫なのは常に繋がっているからよ」
「あぁ、この前言ってたやつだね。魂が結びついているってやつ。あたしが……」
エレノアが口を止め席を立つ。クレアの背後に立つと彼女の肩をつかみ誇らしげに言う。
「あたしはクレアの太陽だからね!」
「あはは。くすぐったい」
「そうねぇ。というよりかは、エレノアから出る悪感情はすべて彼女が吸い取ってるのよ。直接ね。だから他のアニムたちのように吸い取られる瞬間っていうのがないのではないかしら?」
「ちょ、ちょっと待って。聞き捨てならないな。あたしはクレアにずっと吸われてるの?」
「何よその言い方。いいじゃない。それにあなたはどんなアニムよりも濃いと思うけど。いろんな意味で」
「はっ! まぁ、良しとしよう。でも、あたしも感じてみたかったな。どんな感じなんだろう」
「あ、ちょっと待って! 思い出した。エレノア? 船の中でやたらとアニムが私のところに来たときってそれを知ってたのね」
「し、知らねぇ! 答えがわかったのは今さっきだもん!」
その後、海の羊号での「エレノア商会」の話で笑いながら食事をする面々。今日もほのぼのと時間が過ぎていく。