111 ★⑥ 死の誘い(3/3) 光
小話?なので優しくお読みください。
無理に小話にして詰め込もうとした結果……
(*'ω'*)
■魔女の地団駄
右足:スーパーニンゲンホイホイ。くっついた足は離れない。かかとまでしっかりと。後ろに倒れること推奨。死ぬけどね
左足:上空1000メートルでパスタの床で戦うか、縦揺れマグニチュード9の床で戦うか。そんなイメージ。立ってられない。耐性で差あり。
森の魔女が食べるのは人間
それは魔女の力となり
それは森の生命へと変わる
森の魔女が食べるのは耳長
それは喜びとなり
それは光へと変わる
森の魔女が食べるのは動物
それは血肉となり
それは服従へと変わる
※
ウィリアムが魔女と何を話したのか……。その場にいるウッドエルフの誰もが気になっていたが教えてくれなかった。彼はただ「別に」と言うだけだ。森の中に入ってはウッドエルフ達と一緒に狩りをして過ごす。彼らと違ったのはその獲物を魔女に与えていたこと。魔女は待っていたかのようにそれを食べる。バキバキと音を立てながら骨すら残さずに。
一ヶ月の間、ウッドエルフの老人や若者が魔女に挑み死んでいった。一人では勝てるはずもない。相手の魔女は元素魔法こそ使わないが、何度斬りつけても傷が回復する高速再生がある。彼女を縄張りである森から引っ張り出さない限り無謀なだけだ。
それに加え魔女には動きを奪う地団駄がある。何度も見たおかげでイタにはそれが土の魔法だということが分かっていた。
魔女の周囲には死んでいったウッドエルフ達の残骸がある。黄色い琥珀の塊や細かい欠片だ。死ぬまでは他の種族と変わらずに血を流すが、完全に死ぬと琥珀へと変わる。魂が体から離れた証拠だ。
森の魔女にはウッドエルフをひと噛みで殺す力がある。それは魂を捕食するからと言われていた。頭を食べられた時や、胸に近い部分、体の大部分を食いちぎられた時はあっという間に琥珀へと変わっていく。
結局はどう殺すかも魔女次第で、同時に魔女の楽しみでもある。ただ、赤い槍と呼ばれる男と黒髪の少女が来ることで興奮し、安心している男たちは自分の腕を試さずにはいられなかった。魔女にとっても退屈しのぎでちょうど良かったが、一見したら無残な光景だ。
※
「リグル! それにクレアにエレノア。待っってたわ」
ウッドエルフ達が集まる森の中。「黒髪の少女だ」「人間だ」「小さいし若い。子供じゃないか」という言葉が飛び交う群衆を掻き分け、到着した三人を歓迎したのはイタだった。
少し離れたところから罵声と声援が聞こえる。ウッドエルフの誰かが魔女と戦ったいるようだ。戦いの音が聞こえる方を見つめながらリグルが聞いた。
「すまないな。遅くなった。今、戦ってるのは?」
「彼ら? あぁ、気にしないで。貴方たちが来るまで暇で……待ちきれなくなって魔女に挑んでるのよ。元気なおじいちゃんばっかりよ。とりあえずこっちへ。クレア? お父さんもこっちにいるわよ」
イタの案内で魔女の正面から少しずれた前線へと移動する。テーブルに座り食事をしているウィリアムの姿が見え、クレアが駆け寄ると彼も気づき笑顔に変わる。
「お父さん!」
「おお! クレア! それにエレノア! 待ってたよ」
「何、のんびり食事なんかしてるの? あの人達を助けてあげてよ」
「ん? ああ。いいの、いいの」
騒がしい群衆。魔女と戦うウッドエルフが一人また死んでしまった。まるでリズムを取るかのような拍手と喝采、声援から一転。周囲からは落胆の声が広がる。
「ほら、二人もここに座って。一緒にご飯食べよう。準備が出来たら魔女と戦わないといけないんだから。まだ、食べてないんだろ? ミシエールから到着してそのままここへ来たって聞いたぞ」
「そうだけど……」
「よっと。いただきます!」
ここは確かに最前線。すぐ近くでは魔女が戦っている。ウッドエルフの男女が大勢集まり、その戦いを見物しながら一喜一憂している。ここのテーブルの一角だけがそんな雰囲気から切り離されていた。
「それで、クレア? この一か月で何がわかったんだい?」
「うん……私、魔女の命の源みたいなものを奪ってる。悪い感情ね。憎しみ、怒り、恐怖、悲しみ、嫌悪、なんでもよ。だから私が傍にいると魔女は次第に弱くなって最後には死んじゃうみたい」
クレアは以前対峙した二人の魔女のことを思い浮かべながら話した。クレアが少し悲しそうにする様子を見たウィリアムが小さく頷く。その後もイタやリグルと会話を交え、魔女との戦いに備えた。
※
「イヒヒヒ。ヤッとこの時ガキタ。ソノ子ダネ。あぁ。ヤッとダ」
「その子? どういうことお父さん」
「ん? あー、魔女と約束したんだ。おとなしくしてたらクレアをお前の前に連れてくるってね」
「イヒヒ。夢カト思っタケど、本物ダ」
「じゃぁ、クレア。あとは任せるよ。俺は、その……とにかく、あれだ、ミシエールの街に帰ったらお父さんを優しく出迎えてくれよな。それと魔女の婆さん。俺は邪魔はしないよ。俺はね!」
何故かキョロキョロと辺りを見回すウィリアム。何かを警戒しながらゆっくりと歩く。魔女はてっきり、今この場でクレアを差し出して終わりだと思っていた。「ンー」と唸った後に早とちりした自分が悪いかと納得しながら舌なめずりをする。
やっと終わらせられると意気込むリグル。それに愛用のフライパンを片手にエレノアがクレアの傍に立つ。イタや他の女性陣が後方で援護の準備をする。クレアが居れば魔女は容易に殺せる。ただそれがすぐなのか、少し時間がかかるのかわからない。ウッドエルフの戦士たちは待機する者が多かった。黒髪の少女の戦いを見てみたいというのもある。
ウィリアムが戦いの場から離れれば、双方どちらかが動き出す。そんな雰囲気だ。当の本人はやたらと森の中を気にしながら恐る恐る天幕の方へと向かう。クレアはあんな父を見たことがなかった。何かに怯えているのか? 父ですら不安がる何かが……。その時だった。
「ギャふンッ!」
あと少しで天幕へとたどりつこうとしていたウィリアムの姿が突如として消えた。頼りない声を出しながら一瞬で白い閃光のようなものが走り去る。傍にあった天幕は崩れ、周囲にいたウッドエルフ達が何人かは倒れている。誰かが叫んだ。
「魔物だ!!」
皆が見る。そこには白い狼がウィリアムを頭からかぶりつき咥えていた。とても大きい。背の高さは馬と同等だろうか。左目には大きな切り傷があり、目が失われているのが一目瞭然だった。
頭から咥えられたウィリアムが足をバタバタとさせながら藻掻いている。唸る白狼が牙を見せつけその場にいる全員に忠告をする。言葉などないが、誰もが手出しできない。どんなに離れていてもまるで即座に食い殺されそうな雰囲気だ。すぐにウィリアムの唸り声とバタバタさせている足が止まった。
「お父さん!?」
目の前には魔女がいる。これから物語で聞いた黒髪の少女と仲間の獣、それに魔女との相性がいい里でも腕の立つリグルが戦う。仮に彼らが負けても、噂に名高い『赤い槍』がいる。そう思って、ここぞとばかりに全力で戦い散っていく男たちを見送ってきた。
しかし、赤い槍が一瞬で仕留められた。そう思ったウッドエルフ達の驚きとどよめき。彼は魔女との戦いを何度か見せてくれた。地団駄の時など、まるで魔女と踊っているかのようで、強いというより滑稽な様子だったが「コツ」を教えてくれた。あっさりと殺されるウッドエルフの同胞と違い、魔女まで近づき戻って来る雄姿はふざけた言動からは想像できないが、結果だけ見れば無傷で帰還した凄腕の男だ。それは見た者にしかわからない。その男が一瞬で大きな白狼に腰まで食われた。
口から見えるのはウィリアムの腿から先の足だけ。白狼は魔女とクレアの様子を見定めるかのように静かに何歩か動く。後方で武器を構えるウッドエルフに少しだけ気を配ると素早く、その場を去ってしまった。
「おっちゃん!? あたし、行ってくる!」
「うん! エレノア!」
魔女を目の前にしてエレノアが早々離脱した。すぐに他のウッドエルフもエレノアを手伝うように白狼の追跡を開始する。出来ればクレアも一緒に追いかけたかったが……。
何より魔女本人も驚いているようだった。
「お父さんをどこに連れて行ったの!?」
「ア? アア? アレはアタシのジャナイ。スノーウルフ。冬の狼。それも何カ異様ナ感じ。ズットコノ森でウロチョロシテタ奴。目的はアイツだっタンダネ」
「どういうこと? 貴方の魔物じゃないの?」
「イヒャハハハ。違ウ」
直後、わずかな静寂の後に魔女が飛び込んできた。リグルがそれを吹き飛ばしていなければ危なかったかもしれない。
「しっかり集中しろ」
そうだ。今は魔女を相手にしている。集中しなければいけない。手に持つのは父からもらった小剣……小剣のままだ! まだ、これを伸ばす方法を聞いていない!
クレアは考えながら動いていた。ローレンスが言っていたように腕や足に以前のように文様が現れている。父はこれを知っていて、時間を稼ぐ為にわざと魔女のそばで食事をさせたのだろうか?
魔女の生命の源である負の感情を吸い取っているのは明らかだった。それに、今なら以前のように木を操れるかもしれない。あの時の感覚が自然と戻って来ているような気がする。
戦いながらクレアは魔女の地団駄に対してある対策が浮かんでいた。イタや他の女性の援護魔法もそう長くは続かないらしい。魔女がずっと地団駄をするならば戦線離脱が一番いいとのことだった。そんな中、魔女の踊りが始まった。
「イヒヒヒ!」
体が回復しないと気づくや否や、即座に仕留めに来たのだ。目の前にいるウッドエルフを殺し、クレアを屠る。あの男はいない。簡単なこと。そう思っていた魔女が交互に足を上げ、地面を踏み、援護魔法の切れたリグルが態勢を崩すのを待ち望んでいた。
実はリグルには魔女の地団駄に耐性があった。一時的なものだが、両腕の内側にある術式を発動させることで強化される彼の力を内側に滞在させる。すると通常と変わらない動きができる。だがそれは逃げのためで、攻撃に転じることは出来ないものだ。
這いつくばる人間の少女は後回し。邪魔者さえいなければすぐに食べられる。見たこともないほど真っ黒い魂の少女。魔女は両足を交互に地面に叩きつけながら興奮していく。背後で援護する忌々しいウッドエルフの女。彼女たちの魔法が切れるのが待ち遠しく、その目が次第に喜びに満ちていく。
「早く、離脱して!」
イタの声が聞こえた。リグルは魔女への攻撃をやめその場を離れようとした。そばでは地面に手を付けたクレア。地団駄のせいでバランスを崩したのだろう。放ってはおけない。イタ達の魔法が効いてる間に彼女を抱きかかえるとすぐにその場から離れた。
「あっ、待って! 違うの」
抱きかかえられたクレアが叫ぶが、リグルは一目散に陣地へと戻った。魔女の森の境目。魔女がゆらりゆらりと楽しそうに誘う。
「おい、どうしたんだお前? 今日はおかしいな」
「ううん。私、ちょっと試したいことがあって。確信した。それにこの剣。どうにかして槍にできないかな?」
「ちょっと貸してクレア」
イタがクレアの小剣を手に取ると何かを試していたが、やはり小剣のままだった。以前、海の上でアルフォンスがしてくれたように本来の力を引き出すことは出来ない。
「これ、オークの武器よ。彼らの言葉で呼ぶかしないと無理ね。私達ウッドエルフの魔法には反応しないみたい」
「そっか……あそこの槍を使ってもいい? それとリグル? 試したいことなんだけど――」
クレアがリグルとイタ、バーナムに提案をする。その間、何人かのウッドエルフ達が魔女の相手をしていた。
「――そうか。まぁ、お前が言うなら……。だが、もっと集中しろ。物語で聞いたような働きがあったとは思えない。街でお前と戦った時の方がまだマシだったぞ。悩み事などするだけ無駄だ。父親もきっと生きてるか、死んでるかのどちらかだ。いずれわかる」
「うん」
クレアは近くの樹に立てかけてある槍を取りに行こうとした。右手に小剣を、左手にウッドエルフの槍を持ち見比べていた。覚悟を決めようとしたその時だった。大きなその樹の陰に一人の男が立っていることに気づいた。長い髪は白髪でこちらへは振り向きもしない。しかし、自分のことを見ていることは明らかだった。男が太く低い、どこか安心できる頼れる声で言った。
「それを貸してみろ」
「え? うん」
「お前の父親の強さの秘密を知ってるか?」
「秘密? なんだろう……ずるいし、読めないところ?」
男がクレアの小剣を両手で支えている。見えるのは剣先だけで小さく何かを呟いていた。クレアの答えに鼻で笑い、笑顔になったのが横からでもわかった。
「それは確かにそうだな。だが、あいつが強いのは『自分を信じているから』だ。迷いなどない。ふざけているように見えるがな。あいつの芯は見えない程に細いが絶対に折れない。曲がらないし、まっすぐだ。奴はそれを体の中心に一本、立てている」
「芯……」
「お前は自分を信じているか? あいつを信じているか? 母を信じているか?」
クレアには彼の言葉がとても重かった。今まさに直面している悩みだ。自分は誰なのか? お父さんは本当にお父さんなのか? すべてが嘘なのか? 母? 母が存在するのか? あの母は誰なのか? 考えるたびに、想うたびに、誰かを見るたびに連想し、考えてしまう。
「一つ、教えてやろう」
「うん」
「あいつ"ら"がそういう時にどうやって切り抜けたか」
「え?」
「そういう時は『悩むのをやめる。考えない。目の前のことに集中する。悩むのは答えがわからないから。答えがわからないから悩むっていうのをやめる』んだそうだ」
「二人を知ってるの!?」
「……。今、お前の目の前には魔女がいるだろう。二人の助言を試してみろ。それとこれは俺からの戦いの助言だ。自分自身に集中しろ。中から外を見ろ。まぁ、お前にも通じるかはわからないがな」
彼は振り向きもせず、クレアに小剣をそのまま渡す。するとそこには柄の伸びた槍が出来ていた。彼は去り際に一言。
「力を見せてみろ。アゼリアの子、クレア」
あっという間だった。微かな音だけを出し、草や葉が風で撫でられていく。木漏れ日に照らされた葉っぱが輝いたかのように白い光が僅かに見えた。姿を見ようと樹の反対側を覗いた時にはすでに姿かたちなどなかった。クレアが気づいた時にはその手の指に手紙が挟まっていた。父からの物だった。
「おい、クレア? 何をしている」
「あ、お待たせ」
「あれ? どうしたのその槍?」
「うん。そこで……何でもない。お父さんが手伝ってくれたみたい」
「赤い槍が? 戻ってきたのか?」
「いいえ。さぁ、いきましょっ! それと、ごめんなさい。私、色々と悩んでて! リグルの言う通り、集中よ! 集中っ!」
「よし、行くぞ。おい、皆! あとは任せろ。俺たちが終わらせる」
歓声が沸き上がる。ついに魔女が死ぬ時が見れるのだ。ただ殺すのではない。物語で読んだようにそこにいる黒髪の少女が魔女を蘇らせることなく殺すのだ。皆が聞いたことも見たこともない光景を見ようと心待ちにしている。
リグルに並んで立つクレアは先ほど木陰で会った男からの助言を繰り返し考えている。あの声、あのリズム。初めて会う人だけど何故か安心できるし、信じられる。懐かしさもあった。もしかしたらあの人もアゼリアの知っている人なのかもしれない。そう頭をよぎったが、彼女はすぐにその考えを払拭する。
『自分を信じる! 自分に集中! 中から外を見る』と言い聞かせ、彼女はまとまりのないものを全て自分の中へと抑え込んでいった。深く、奥深くへと……
「おい、魔女! 次が最後だ。言い残すことは無いか?」
「イヒャハハハ。先ずオマエ。ソシタラそこノ黒髪。それでお前たちの里ヲ襲っテ、最後に人間。一か月ガマンしたンダ。早く終わラセよう」
挑むのはリグルとクレア。魔女の元へと歩く二人は次第に歩を速める。ともに走っているはずのリグルだったが、少しずつクレアが先行していくことに気づいた。一歩、一歩が少しおかしいのだ。彼女の足が着くはずの場所を半歩通り越して進んでいく。
同じ歩幅、同じリズムなのに、彼女の足の着地する場所が僅かにずれているように見える。違和感。そう感じていたことが、気づいたことへと変わる時には彼女が魔女へと先に辿り着いていた。
「ヒハ! 恐ろシイ!」
「終わらせる!」
クレアが先に仕掛けた。魔女はそれを躱すとクレアを上空へ吹き飛ばす。彼女はその力を逃がしながら回転し着地するが、その間にリグルが魔女へと猛攻を続ける。「ギャ!」と叫びながらリグルの術式魔法を受ける。見た目に違いはないが、中身では相当の傷を負っているはず。経験済みのクレアにはその辛さがわかる。
リグルが離れればクレアがすぐに仕掛ける。魔女はクレアの槍を体にわざと刺し、槍を掴み手放さない。足が上がり、踊りが始まる。
「クレア!」
「うん!」
クレアが即座に両手を地面へと叩きつける。魔女は這いつくばる少女を見ながらこのまま先に頭を食べてやろうか? 足だけ食べて、下からジュルジュルとすすってやろうか? 目玉から舌を突っ込んでもいい。恍惚とした表情を浮かべながら二人に地団駄を浴びせる。
突っ立ったままのリグルに立ち上がるクレア。二人が顔を見合わせる。魔女はその様子をみて舌を出し、笑う。立ったまま動けないのだ。この地団駄の中で最高のごちそう。そう、この地団駄の中で……?
右足の踏み込みは、相手の足を地面にくっつける。身動きが取れなくなる。かかとが付いたまま倒れることの痛み、走っている時に足が離れないことの痛み、経験すれば二度と味わいたくない不安と恐怖。
左足の踏み込みは、相手の足を地面から離す。踏み込みは無くなり、立っていられない。氷の上で滑る? 足場がない? 腐った木の上に立つ? そういうのをすべて混ぜた感じだ。そう、立っていられないはず……
「ヒヒャヒャハハハ……ハ?」
次の瞬間、踏み込んだリグルの足元からバキバキと音を鳴る。魔女が気づいたこと、彼が動いたこと、足元から変な音が聞こえたことで困惑しつつ視線を動かす一瞬の出来事。
リグルが魔女の顔を掌底で殴り飛ばした。その場で空中を回転する魔女。次の瞬間、イタの魔法の風の塊が飛んでくる。そうなれば当然、バーナムの矢が飛んでくるのは分かっていた。けれど、ここまでは一瞬の出来事。地団駄がまったく聞いていない二人への疑問の方が魔女の頭の中を占めていた。
「グギャアァ!」
地面に固定された魔女。クレアが歩いてきて体に刺さった槍を抜いた。
「なんだ! 何デ、お前たち動けタンダ! 小賢しイ魔法は無かっタダロ」
「これだよ」
仰向けに捉えられた魔女にリグルが見せつけるのは小枝だった。魔女が「ハ?」といった顔で首から上を動かし自分の周囲を見渡した。するとすぐに気づいた。
「ソウイウ事か」
魔女が地団駄を踏んでいた場所以外の地面が細い木の根でおおわれていた。クレアの力だ。地団駄を始めた瞬間にクレアが根っこの絨毯を敷き足を地面から離したのだ。魔女の足元はそのまま。魔女の地団駄であり土の魔法は、相手の足が地面についていないと効果がない。魔法で緩和するか、同じ側の足を上げ一緒に踊るように耐えるか。だが、クレアには魔女の力があり今は目の前にいる闇の魔女のおかげでしっかりと補填されている。
「イハハハハ。殺セ! あの男のいう喜びとはコレか?!」
「いいえ。私は貴方を殺さない」
クレアはおぞましい魔女の上に跨ると彼女の顔に素手で触れた。以前、闇の魔女が触れられるのを恐れていた。それに、あの時に彼女は見たのだ。闇の魔女が死ぬ直前、暗闇の中で瞳が美しく輝いていたこと。
「やめロ! ハァハァ。何をすル!」
クレアは魔女の歯で指を切ろうと、長い舌で腕に火傷を負おうとその手を離さなかった。我慢した表情のまま、魔女の顔をその優しい手で包んだ。
「ハァハァ……アァ、アぁ」
「大丈夫。怖くないから。これからは、貴方がこの森を守って。人間と彼らと共に」
クレアは魔女の悪い部分だけを抜き取ろうと必死だった。やり方なんてわからない。思いついただけだ。出来る気がしただけだ。ただ、自分の中に入ってくる魔女のその部分が多くなるにしたがって自分の中の何かが染まっていくのが分かった。不安、怒り、恐怖、衝動……このまま魔女を殺そうか? 見守るリグルがクレアの首筋に黒い線が入り始めたことに気づいた。声をかけようとした瞬間、すぐにそれが引いていく。同時にすごい勢いで彼女が転がってきた。
エレノアだ。
「うおおおおおお! クレア! うおおおおお!」
魔女に跨るクレアを見てエレノアが驚いている。フライパンを握りしめ、魔女の頭のあたりをウロウロしてクレアに何かしようものなら即座に叩こうという意気込みで見守る。
クレアはエレノアが来たことでだいぶ楽になったことに気づいた。ローレンスの言っていたことは正しかったのだ。そして、あの感覚。ここはちょうど三つの森の狭間だった。魔女の森、人間の森、ウッドエルフの森。その魔女の森が解放されたのが分かった。同時に、目の前にいる魔女が一人の老婆へと変わっていることにも。
「リグル」
「終わったのか? これが……光の魔女か? 本当に安全なんだろうな?」
「どうだろう。でも、大丈夫だと思う。彼女を森の家へ」
魔女を殺したのではない。今、目の前で闇の魔女が光の魔女へと変わる瞬間を見たウッドエルフ達はただ絶句していた。森が解放されたのは彼らにもわかった。優しく、美しい光が差し込み、温かい風が流れたからだ。
魔女を殺した瞬間に勝ち鬨を挙げようとした者は戸惑い、ただ様子を見ていた者はその美しい光景に見惚れ感動さえしていた。年寄り連中は聞いたこともない話に声と顎を震わせ涙を流す。
光の森が誕生する瞬間に立ち会えるとは
弱った魔女の体を抱きかかえたリグルがクレアと一緒に歩きだす。弱り切った魔女がクレアの傷ついた手に触れ、小さな声で「ありがとう」と言った。クレアは笑顔で応える。一緒に歩くエレノアが彼女の手や腕を見て驚く。
「クレア? 腕に土ついてるよ」
「あら、本当。すごく温かい。それに痛みが引いてるわ。きっと彼女がしてくれたのよ。これも土の魔法よ、きっと」
「ほええぇ。あ、そうだ! おっちゃん! ごめん! 見つからなかったんだ。それにクレアに呼ばれている気がしてさ。すぐ戻ったんだけど、まさか魔女に跨ってるとはね」
「そうねぇ。私もこんなにうまくいくとは思わなかった。あ、それとお父さんのことだけど、これ。多分、大丈夫だと思う。意味は分からないけど、そんな気がするの」
「へ? なんだこれ」
クレアは小剣を槍に変えてくれた男から渡された手紙をエレノアに渡した。半分に折られた紙切れで、大きい白狼に連れ去られた後に書かれていたのが分かった。それは、
「ぎゃあぁ! 何だこれ! 血文字じゃないか。それで……
『クレア パパ 死ぬ かえリタイ』
ちょっと、ちょっと! ちょっと待って! これ、大丈夫なの?」
「うん。もう、悩むのやめた。かえるって言ってるし、よくわからないし、大丈夫じゃないかな? だって、お父さんだもん」
「悩むってレベルじゃないよぉぉぉ。これ。死の床で描いたメッセージだよ? 必死に逃げたい感じがするんだけど? まぁ、あの白い狼が速すぎて全然追いかけられなかったし、探しようがないけどさ」
「あはは。そうね。そうだと思う。さ、今日の目標は彼女の家づくりよ」
「魔女の家ぇ? 今から?」
「そう。光の魔女の家では美味しいお茶が出るんですって。魔女のお茶の作り方ってすごいんじゃない? ノアおばさん知ってるのかな?」
「……聞いたことないな。ふっ。私が最初の女ってことだね。そうだ、魔女のお茶の作り方。やった、お母さんに勝てるぞ! ハハハ! さぁ、行こうクレア!」
クレアはエレノアが言う『最初の女』に少し引っかかったが何も言わなかった。数日後、魔女の家で出されたお茶は普通のお茶だった。ただ、ただ、とてもおいしかった。
皆が予想していたことは起きなかった。しかし、光の魔女の森で暮らすことは人間にとってもウッドエルフにとっても最高の喜び。そもそも、光の魔女の森に住まわせてもらえるなどありえないのだ。しかし、元から住んでいる彼らは魔女の一部になる。樹も水も食べ物も魂も。思いがけないことが起こりすぎて、その素晴らしさを実感するのはもう少し後のことになった。
一方、白い狼とウィリアム。
「痛い」
「……」
「ねぇ、痛い」
「……」
「待ってっていったじゃん? どうして空気読まないの?」
「一か月以上待ったぞ」
「再会したその日に普通、こういうことする?」
「逃げ出したのはお前だろう?」
「死にたくないし」
「いや、死ぬんだよ」
「……ねぇ、血が出てる」
「……」
「血!」
「そうだ、ちょうどいいな。文字が書けるぞ」
「謝れよ! 強く噛みすぎてすいませんって!」
「暴れるから悪いんだぞ。それともこのままいくか? 手紙を書くか?」
「……書くさ」
「早くしろ」
「ねぇ、解いて」
「書け」
「ねぇ、解いて! 書きづらい」
「じゃぁ、単語だけにしろ。ちなみに紙は小さめだ」
木に後ろ手で縛られたウィリアムが不服そうな顔をして渡された紙に想像で字を書いている。
「よし。これでどうだ。読める?」
「じゃあ、渡してくるぞ」
「嘘つけ。手紙持ってくのは口実で、本当はちょっと見たいんだろう」
「……」
「あ、小剣を槍にしてやってくれよ! やり方教えてないから。ったく、なんで頭から噛むんだよ。普通さ、胴体じゃない? そしたらお別れの手を振れたのに。みっともないじゃん。恥ずかしいじゃん。俺、足バタバタさせてみっともなかったかな?」
「キッ」
「お祖母ちゃんは?」
「キィ」
「そうか……」
「キッ」
しばらく後のこと――。
「おっそい。お前、見てきたんだろ?」
「……」
「どうせあれだ、帰るふりしてこっそりみるタイプだ」
「……」
「で、どうだった?」
「驚いたな」
「ほら! ほら!! 見たんだ! 俺だって見たかったのに!」
「行くぞ」
「ねぇ、本当に死ぬの?」
「ああ。お別れだな」