107 ★② アレクサンドラ前編 アゼリアの日記
ローレンスに石を渡され、ギルドで一緒に寝泊まりするように言われた一ヶ月の中の出来事
↓雑な説明
■クレア 主人公 ♀14歳 黒髪
■アルマ 街の魔女 ♀12歳 自分の力で母を壊した 赤〜栗毛 強い魔法を使うと瞳が緑に輝く(魔女の欠片のせい)
■アレクサンドラ 街の魔女 ♀20代後半 アルマの母だが記憶がない。感情が薄い 紫の髪
■ローレンス 街の魔女 ♀50代 アルマの祖母 知識の守り手 光と水の魔女と呼ばれる 白髪気品
■ソラム 秘密の部屋にいる謎の存在 魔女(姉妹)から得る知識を管理している 長いこと表に出ていない
■アゼリア・ブルーベル
♀20代(見た目) エルフ くすんだ白銀長髪 ウィリアムと外の世界に出た 今はいない クレアの母親だと聞いていたが。
湖の街ミシエール。クレアは時間を見つけては、こっそりと書庫にある秘密の扉の先にいるソラムに会っていた。その手に持つのは『アゼリアの日記』――
クレアは日記の表紙を優しく撫でる。タイトルも書いた人の名前もない。分厚い表紙はほのかに柔らかい。
クレアは日記を開き順番に読み始めた。始めは「一体何が書いてあるんだろう? と内心ドキドキしていた。読み始めて何度かページをめくり少し落ち着いてきた。書いてあるのは何でもない日常のことばかり。何を食べたとか、何を見つけたとか、何が生まれたとか……
他愛のないことばかり。途中でソラムとのことも書いてある。
”
今日からソラムには赤ちゃんになってもらう。最近、ここミシエールの街で生まれたばかりの赤ちゃんを抱っこしている母親をよく見かけるの。胸に抱かれた赤ちゃんはすごく嬉しそう……何より、お母さんが本当に、本当に! すごく嬉しそうにしてるの。私も抱っこしてみたい。それでソラムに相談。だって彼は何にでもなれる。だから、赤ちゃんの大きさになってもらった。赤ちゃんを抱いたお母さんの気持ちがわかるもの。郷を出てからもう何年か経つ。お兄さんの言ったようにエルフに子供は出来ない。だから、私、今、すごく怖い。
”
クレアは膝に座るソラムと一緒にアゼリアの日記を読んでいる。アゼリアは子供ができないことが怖かったのだろうか? 父ウィリアムと別れることが怖かったのだろうか?
そして、別のページへ――。
”
今日からソラムにはハイハイしてる状態から、立ってもらった。そう、赤ん坊が初めて立ったときのように。ただ、しゃべる赤ん坊って見たことない。だってソラムってば私が「赤ちゃんは喋れないのよ」っていう度に、「はい」って言うの。挙げ句の果にしばらく黙ってたと思ったら「どう?」ですって。街ではみんなの赤ん坊や小さな子供に出会う。みんな、喋れないのにソラムが喋るの。だから、私は言ったわ。
もっと、泣いて! って。
そしたら、余計ひどいことになった。泣き方が棒読み過ぎて笑っちゃうの。ウィルよりひどい演技よ。無理ね。ソラムには喋らないように頼んだ。
”
クレアは試しにソラムにこの時の鳴き声を再現してもらった。まるで牛のような鳴き声だ。そして、終わると振り返り「どう?」って聞いてくる。思わずクスっと笑うクレア。
そして別のページ――。
”
今日からソラムには歩き回る子供を演じてもらったの。すっごい逃げるの。だから追いかけた。鬼ごっこ。でも、ソラムってば、まだ子供のはずなのに走るの早いし上手なの。だから頼んだの。
子供はそんなに上手に走らないのよ。もっと、いっぱいこけて!って。
そしたら、コケるたびに「どう?」って感じで見るの。ウィルがいうところの「ドヤ顔」ね。顔はないけどわかるの。ソラムってば褒められたいみたい。かわいい。わざわざ「どう?」って聞かなくなったけど、求めてくるのよ。お母さんってこんな気持ちなのかな?
”
クレアはまたソラムにこの時の演技をしてもらった。彼はあれから何度も練習したようで迫真の演技を見せてきた。少しだけ奥へ行き、こちらへ走ってくる。助走して、前のめりに滑り込む。こけたというより閉じる門に滑り込んだ人。結構な距離を滑って近寄ってきた。草と苔はよく滑るらしい。足首を掴んできて見上げてくる顔は褒められるのを待っている。クレアはまた、クスっと笑ってしまった。
そして次のページ――
”
子供が生まれるってどんな感じなんだろう?
ソラムでいっぱい体験してるのは生んだあとのこと。外ではいっぱい見る光景。ノラやシエナ、アレックスに聞いてもわからないっていう。当然よね。二人ともまだ子供がいないもの。あ、でもノラのお腹には今、赤ちゃんがいるの。ダンとの子。楽しみだわ! 私もっと練習しなきゃ。
ソラムに子供が生まれる時のこと確認しても「痛い」とか「死ぬこともある」とかそういうのばかり。エルフに子供ができないのは痛さから逃げたから?
”
”
今日からソラムは三歳。いろんなソラムになってもらったけど、苔が一番好きかも。見た目も触り心地も。
ソラムと初めて会ったときはびっくりした。全身透明だったの。最初は風で葉っぱをクルクルと体にまとわせてた。次は木で体を作ってた。ここから遠い場所で会った彼らと同じね。そのあとは石になったけど、痛いし、硬いし、駄目ね。
ソラムには膝の上に乗ってもらうの。なんだか安心する。エルフには子供ができない。だから、ソラムに言ったの。
どうすれば子供が出来るでしょう?
ソラムは当たり前のことを言ってきたわ。男女が愛し合うこと。そういうことじゃない。そしたら詳しいことを言ってきたの。そういうことじゃない。ソラムにもう一度言ったわ。
私には子供ができるでしょうか?
これはソラムとの勝負ね。わかりきった勝負。その答えを彼から聞けるかはわからない。だって、私、そろそろ行かなくちゃいけないから。ウィリアムにバレてきた。秘密の時間。いつの間にか追い越してた。彼ってば、こういう時は鼻が効くのよね。でも、そういうところも好き。
”
クレアはソラムに聞いた。
「ねぇ、ソラム? アゼリアはこの時、どこへ行ったの?」
「うーん。わからない。このあと何度か来てからぱったりと来なくなったんだ。それでやっと帰ってきたかと思ったら、クレアだったから。そうだ。次のページがクレアの探していたものじゃないかな」
「探していた? アレックスの事ね」
クレアはページをめくる。
”
残された時間も少ない。ソラムには悪いけど、私は行かなければならない。アレックスのことも気がかりだわ。あの時、魔女が彼女の中に入り込もうとしていたの。倒れた彼女を抱きあげようとしたら、魔女は消えてしまったけど……何かが彼女の中に残ってしまったのはわかる。彼女、大丈夫かな? 私にはどうしようもないけど、ソラムが治せると言っていた。でも、今は出来ないって。だから、次来るときにお願いしたわ。アレックスとまた会えるのが楽しみ。
”
クレアが日記を閉じる。膝に乗るソラムを抱きかかえ、地面に下ろすと両膝をついたまま話す。
「ソラム? アレックスをあなたが治すの?」
「うん。まぁ、ギリギリかな」
「ギリギリ? 私、どうすればいい?」
「彼女をここに連れてきてくれればいいよ。でも……」
「でも?」
「残された時間は少ない。もし、彼女を治療するなら君はここへ入れなくなるよ。もうギリギリだからね。彼女を治すか、アゼリアの日記を読むか。どうする?」
ソラムはクレアが少し考えるのだと思っていた。けれど彼女は選択肢があるということを理解した瞬間、アレックスの治療を迷わず選択した。
「アレックスをお願い。私、連れてくるね」
「うん。でも、彼女の記憶を戻すわけではないよ。戻したらきっと、壊れてしまうから」
「そうなの?」
「ああ。あの日は私も知っているよ。三人を通して見て、聞いて、覚えている。でも、元に戻すということは彼女はまた、そしてこれからも娘が死んで、娘を殺して、娘に殺された記憶を感触と、痛みと、後悔と、悲しみと、不安と、恐怖に抱かれたまま思い出す。その時、彼女は耐えられないだろうね。それは今も続いている。切り離している。彼女がここへ戻ってこれたのは、あの男のおかげだ。治療で出来る事は、それらを取り除くことだけ。彼女は今と変わらないけど僅かに残った魔女の欠片、それに娘からの魔法の痕跡から開放される。その後はどうなるかはわからない。何かを思い出すかもしれないし。新しい記憶だけが培われていくのかもしれない」
「彼女本人に決めてもらいましょう。私、話してくるね」
「うん。でも、ここのことはアレックスにだけ話すようにね。治療のあと、彼女はここのことを覚えていない。覚えているのは部屋に来る前のことまで。ここの魔女は代々書庫を守っているけど、入れないとは知らないほうがいい。人間は何をするかわからないからね。嫉妬や落胆も新しい行動への動機になる。彼女たちはよくやっている」
「わかったわ。じゃぁ、また後で」
※
クレアは三人を集めると事情を話した。とはいえ、話せるのは『アレックスに残った魔女の欠片を取り除くこと』と『あの日以前の記憶がどうなるかわからないということ』だけ。
アルマは意外とあっさり了承してくれた。何より、元々記憶がないのだから差がないだろうということ。ただ、何をするのか、どこへ行くのか、ごまかすのが大変だった……。
アレクサンドラも同じように二つ返事で了承してくれた。最も、アルマが返事するのを見て悲しそうな表情は浮かべていた。ほぼ無表情、無気力に近い感じだが、クレアにはわずかに悲しい気持ちがアレックスにあるのがわかった。
ローレンスはどこで何をするのか突き止めようとするアルマを拘束してくれた。戻ってきたら彼女に何をされるか……クレアはつかれた表情でアレクサンドラと書庫へ向かい、通路を二人で歩いている。
「アレックス? 大丈夫?」
「ええ。ただ、あの子。アルマに突き放された気がして。親だという実感はないけれど、あの子、好きよ。かわいいし。私の手をずっと握ってくるの。でもね、怒ってるのよ。笑えるでしょ? 何かしゃべると『違う』とか言って離すくせに、すぐにまたどこかを握ってくるの。それで結局最後には手を握ってくるのよ。すごく温かいの。小さいのに。すごく……懐かしい」
「もしかして、思い出してきてるのかな? やめたほうがいいかな?」
「いいえ、クレア。だからこそよ。私、正直、あのおばあさんも、あの子も、この街も、人も、あなたもよ。すべてがそう。まるでなんとも感じない。考えて笑うことはできるけど、なにか足りないの……。だから、だからこそ、その原因を取り除いて。私は私として生きてみたいわ。あの子……アルマやローレンスと、これからを一緒に」
「そう……きっと、大丈夫よ。うまく行くわ」
二人は書庫にたどり着く。今のアレックスにとっては初めての場所。クレアが壁の扉を開け、ソラムの元へ彼女を連れて行き、ソラムからも説明を受ける。
「――そう。それじゃ終わったら私、ここのことを覚えていないのね。でも、問題ないわ。それじゃ、お願いねソラム」
「ああ。そこに寝てくれるかな」
「クレア? ありがとう」
「うん」
クレアを治療したときのように地面から飛び出してきた台に仰向けに寝ると、アレクサンドラは包み込まれていく。すぐに草だけで出来た塊となる。ただ、奥から爽やかな光がこぼれ出てきていた。
「それじゃ、お別れだねクレア」
「うん。ありがとう」
「終わったら彼女は外に運ぶよ。そうだな。家の外の草の上はどうかな? 木陰のところ。今は夕方だから、運ぶ頃には夜だろうから、その光で気づくだろう。演出だね。気が利くだろ?」
「あはは。どう?って聞かないのね」
クレアはソラムとお別れをすると部屋の扉を閉めた。座っていた切り株の上にはアゼリアの日記が置かれている。彼女はそれを見ながら深く目を閉じる。次に目を開いたときにはもう足が、体が、手が歩き始める。
「お待たせ。アレックスは……戻ってきたらわかると思う」
「戻ってきたら? どこにやったの!? 早く返してよ」
「こら、アルマ。クレアを信じなさい。感謝もせず、そうやって無礼な態度ばかり」
アルマがクレアを睨みつけるあいだ、ローレンスがずっと彼女を抑えている。ちょうどエレノアが夕飯の支度を終え、食卓に料理が並び始めた。今はギルドで寝泊まりしているが、それでも週に四日はここでローレンスと勉強をしながら食事をする。
四人が食事をしているとソラムの声が聞こえた。彼が気を利かせてくれたのだろう。その声はアルマとローレンスにも届いているようだった。滅多に語りかけることのない声。それが久しぶりに聞こえたローレンスは驚くよりも安心している。
アルマは存在を知っているだけで聞き慣れていない。しかし、庭へはわれ一番! と一直線に向かう。草の絨毯。そこに横たわるアレックスの姿。まだ、草がほのかに光っていた。
「お母さん!」
「あら? ここは?」
「庭! 覚えてる?」
「ええ、終わったのね。なぜかしら。途中のことは覚えていないけど……少し、スッキリした気がする」
「どう!? なにか思い出した?」
「……そうね……クレアと一緒に出る時とかわらないわね。ごめんなさい。アルマ」
「!?」
玄関で見守る三人は、静かに食卓へと戻った。アルマとアレックスはそのまましばらくそこで一緒に座っていた。
ソラムの言っていたように特に何も変わらなかった。
後編に続く