105 クレアという少女
注意
「おかえりなさい。アゼリア」
クレアはそう話しかけてきた相手に驚き立ち上がった。
「お母さんを知ってるの?」
「お母さん? アゼリアがお母さんだというのなら、そうですね。知っているよ」
「あなたは誰? どうして姿が見えないの?」
「私はソラム。ここの管理者。久しぶりだねアゼリア」
「違う。私はクレア。アゼリアは私の母よ」
「クレア。そう呼べばいいんだね。クレア」
「ソラム。管理者って何?」
「ここを管理するのが私の仕事。外には出ないし、誰も中に入れない。クレアは特別。あれからどうなったんだい?」
「あれから? 私、ここへ来るのは初めてよ。どうして特別なの?」
「どういことだろうね。君はアゼリアではないのかい?」
「ええ。私はクレア。母がアゼリアよ」
「そうか。ちょっと失礼するよ」
何度も自分の事を「アゼリア」と呼ぶそれが、体に触れている気。服の上から、服の間から頭、肩、背中、胸、腰、髪、足、体の中。どこかふんわりとした風のような感覚。すぐに元居た場所に戻ってくると話を続けた。
「んー。興味深いね。クレアはアゼリアだが、アゼリアはクレアだと言う。今はクレアと呼べばいいのかな? アゼリア」
クレアには意味が分からなかった。きっと、母親に似ているのだろう。そう思いこの場はそういうことで話を進めることにする。
「ええ。ところでソラム? 姿を見せる方法はないの?」
「ああ。そうだったね。長いこと君が来なかったから忘れていたよ。あれから……何百年分だったかな。いや、何年か? 何十年、何千年? まぁ、とにかく今度はどうしようか? 草? 葉っぱ? 木? 土? 風? 光? 闇? 水? 氷? 雷? 炎? ――」
「ちょっと待ってソラム。前回と同じでいいわ」
「そう。わかったよクレア」
ソラムは返事をすると木で体を作る。三歳くらいの子供の大きさだ。そして、柔らかそうな苔を生やし体をそれで覆うとそのままクレアの横に座る。
「前回はこれだったね」
「まぁ、かわいいのね。それに柔らかい」
「うん。また、傍にいてくれるのかい?」
「前はどのくらいここに居たのかな?」
「そうだね。数か月ほどかな。今回はどんなお話をするの?」
「そうねぇ。あ、そうだ! アゼリアの、私の日記、ありかを知らないかしら?」
「君の日記? あぁ、それなら頼まれた通りに隠しておいたよ。ちょっと待っててね」
ソラムが右手を前に伸ばす。すると奥、まるで木陰で見えないような演出だが実際は壁の中から同じく木で造られた体の鹿がそれを持ってきた。角に巻き付けられた日記をソラムが取り外す。鹿はそのまま壁の森へと消えていく。森などないのに……。不思議な光景。
「ほら、これ」
「ありがとう。これ、外に持って行ってもいいかしら?」
「それは出来ないよ。それはここの一部だから。でも、ここで読むことは出来るし、書き加えることも出来る」
「そうなの? それは困ったわ。今日は外でエレノアが待ってるし。もうだいぶ時間を過ごしたもの」
「何を言ってるの? 大丈夫だよ。そうだ、君の最後の質問を答えていなかったね。あれから調べてみたんだ」
「おかあ……私の最後の質問? それはなぁに?」
「『どうやったらエルフに子供が出来るか』って質問だよ。君はエルフだからね。子供は出来ない。子供を作ることは出来ない体だからね。色々調べてみたし、考えてみたけどやっぱり無理だ。だから答えは変わらないよ。『君に子供が出来ないから、彼との子は生まれない』。だから勝負は僕の負け。アゼリアに子供は作れないし、産めない」
クレアは頭の中でその意味を何度も繰り返した。どう考えなおしても理解できない。理解しようとしたくなかった。ソラムの言うこと。アゼリアが母で、彼女に子供が出来ないのなら自分は誰の子なのか? 父は誰なのか? 何よりも母がエルフだと言ったことに驚いていた。彼女が父に確認したかったことの一つだ。クレアは何故か震える体を不気味に思う。武者震いでも、寒いわけでもない。なぜか、体が小刻みに震えた。
「ソラム? 私はエルフなの?」
「ああ。でも、今の君は違う。人間だ。とても不自然な人間。私にもわからない。人間じゃない。エルフじゃない。アニムじゃない。オークじゃない。ドワーフじゃない。人間だけど、人間の紛い物に違い存在」
クレアは必死に考えた。さっき、確かに母に会った。白い髪でエルフの容姿だった。エルフに子供が出来ないのなら……私は? あの人は誰? けれども母、母だと確信した彼女が「私の日記」ではなく「アゼリアの日記」と言ったのはそういうことなのだろうか? 考えたくはない。けれどずっと感じていた違和感もある。知らない記憶、知らない場所、知らない人。今日は今までの夢の出来事を思い出せている。
以前、森の魔女と対峙した時に見た夢も思い出した。赤い髪のエルフ、シエナが一緒にいるアニムに魔法をかけて強くしたもの。夢ではない……記憶の一部。今、思い返せばあれはエレノアではなく、ノラだ。体こそ今と違うがエレノアの母親のノラの若い頃。そうだ、森にはダンもいた。木陰で休み、シエナの魔法で強くなった彼女を笑いながら見ていた。
そうだ。これは誰の記憶だ?
「ソラム……。エルフには子供が作れないの?」
「ああ。さっき言った通り。君には子供作るものがないからね。楽しむことはできるよ。そういう風に出来ているから。けれど、君たちが選んだ道は子供を作らないこと。作れないようにすること。だから、肝心なものはない」
「それじゃぁ、エルフは死んだらどうなるの?」
「君たちの魂はゆりかごの中で循環する。それは永遠に近い時の中で繰り返される。肉体は滅んでも、魂はまた戻る。記憶をなくそうが、記憶を残そうが、君は君のままだよ」
「前に合ったときは何歳くらいの体だった?」
「アゼリアだった時のかい? 体だけで言ったら二十歳くらいだろうか」
「そう。それじゃ、その体を若返らせることは出来るの?」
「それは出来ないね。だから君たちは新しい入れ物を用意する。それがエルフだ。君はその体に入ったんだね。でも、不思議だよ」
「何が?」
「その体」
「若いから?」
「いいや。それ、君の体のままだ。どうやったかは分からないけど、新しい入れ物じゃない。君の体のまま。でも、ちょっと違う」
「若返ることは出来ないんでしょ?」
「うん。私が知る限りではね。そうそう、君の体、だいぶ傷ついているね。少し使えば治せるよ? どうする?」
「傷を治せるの?」
「うん。君たちの時間で言うところの『一瞬』っていうやつさ」
「それは助かるわ。お願いできるかしら?」
「ああ。少し使うけど、問題ない。それじゃ――」
ソラムが立ち上がりクレアの前に立つとあっという間に視界が暗くなり気絶するクレア。ソラムは体を大きくすると彼女を抱える。地面の土が盛り上がり台となると、そこへクレアを載せた。すると仰向けに寝たクレアが触れている場所だけが沈み込み彼女は土の中へと沈んでいく。徐々に透明の液体で満たされるとソラムはそのまま近くの水場で時間をつぶし始めた。
※
クレアは目覚めると同時に息を大きく吸い込んだ。眼を見開き、一瞬頭が混乱する。ここはどこ? あたりを見回すと次第に理解し始める。慌てる意識とは裏腹に体、鼓動は落ち着いている。そして、切り株の椅子に座るソラムの元へ歩み寄る。
「おはよう、クレア。無事に治ったね」
「本当……すごく軽いわ。私、どのくらい気を失っていたのかしら?」
「そうだね。あれから三週間ってところかな」
「え!? 三週間!?」
「うん。一瞬ってやつだよ」
「ちがう! 一瞬じゃない! ソラム、私ここを出るね。ありがとう! でも、また来るから。聞きたいことあるし、いっぱい話しましょ?」
「ああ。でも、君のそれ。この三週間でだいぶ減ったからあまり時間はないよ。それじゃ、待たねクレア」
よくわからないことも多い。そんな中、クレアは急いでその場を離れる。三週間!? そんなに長い間、自分は行方不明になっているのだ。この扉はローレンスが開けられないと言っていた。つまり、誰もここへはたどり着けない。どうしよう? もうお父さんは旅立った。それにリグルと魔女について話もしていない。エレノアはきっと私を探し回っているだろう。
どうしよう!?
クレアは部屋の扉が開いていることに気づいた。そのまま通路に出ると急いで外へと向かおうとした。したのだが……
「およ? クレア、どうしてそんなに慌ててるの?」
エレノアだ。通路で待っていたのはエレノア。まるで何事もなかったかのように、むしろ、驚いている様子でクレアに話しかけている。
「エレノア!? ごめんなさい。私、そんな気はなかったの。でも、一瞬っていうから……それで、お父さんは無事に向かった? リグルはどこ?」
「ど、どしたの? そんなに慌てて。それにおっちゃんは明日の昼に出発だよ。私もさっき部屋を出てからそんなに待ってないし……大丈夫?」
「さっき? お父さん、まだ出発してないの?」
「そりゃそうだよ。だってまだ夜だし」
クレアは混乱する中、ソラムの言葉を思い出した。
『君たちの時間で言うところの一瞬ていうやつさ』
これはそういうことなのか? 時間の流れが違うのだろうか? どういうことだろう? 今日は色々とありすぎた……本当に、色々と……ホッとする中、三週間ぶりに急に動いたクレアは混乱と安堵の入り混じる感情を抱え、その場に倒れた。
「え? クレア? ちょっと、だれかぁ!? くそ、遠いな」
エレノアが彼女を背負ってウィリアムの待つ部屋へと連れていく。窓のある小さな部屋。ベッドが四つあり、中央にテーブル。客用の寝室の一つだ。
「おっちゃん! クレアがっ」
「あ? どうしたんだ? とりあえずこっちへ」
「うぅ。だいじょうぶかな? 倒れた時にまた痛めてなければいいけど」
「おい、何があった? クレアの傷……全部治ってるぞ、ほら」
ウィリアムが首元を見せる。何時間か前にエレノアが彼女の首を掴んだ時に出来た傷があるはずなのに、彼女の首はいつものように綺麗な肌に戻っている。
「ぉわ! ほんとだ。なんだ? あ、これ、ウッドエルフの薬のおかげ? すっげぇな」
「そうなのか? こんなに即効で治るのか?」
「わかんないけどさ、それしか考えられないよ」
こうして彼女の父と再会した日の夜は終わる。そして翌日、彼女が目を覚ました時にはウィリアムからの手紙が残っているだけだった。
"最愛なる娘 クレアへ
お父さん、ちゃちゃっと行って、ぱぱっと終わらせるから。
終わらせちゃだめなんだよな。待ってるから。
クレアが魔女を倒す方法を彼に教えるのを……
今はとにかくローレンスの言うことを聞いて
エレノアと一緒に勉強して
アルマと仲良くな!
昨日の夜に倒れてから、目が覚めないようなので
お父さんは一人で寂しく出発します。
帰ってきたら優しく歓迎してください
クレアの最愛の父 ウィリアムより"
ベッドから降り、テーブルに置いてある手紙を読むクレア。いつものように冗談交じりの手紙。けれど、クレアの心は沈んでいた。母は本当に母なのか? 父は本当に父なのか? 私は……誰?
「クレア! おっはよう! もうちょっと早ければ間に合ったのになぁ。おっちゃん、出発しちゃったよ」
「うん」
「それじゃ、行こうか」
「どこに?」
「そりゃもちろん。起きたら顔を洗う! そして美味しいご飯を食べる。そんでもって……そんでもってぇ……今日は何しようか?」
「そこまでしか考えてないじゃない」
「あはは。正直さ、わっかんないことだらけだし、色々問題が増えたけどさ、やることは一緒だよ。顔を洗う、食べる、動く、しゃべる、考える、遊んで昼寝して、ご飯食べて、寝る!」
「エレノアって気楽よね……」
「クレアは考えすぎなんだよ。あたしは考えるのはクレアに任せてるからね。それに、悩んだらとにかく目の前の事から始める。そして、アタシには今とてつもない高い壁が待っている」
「それは何?」
「勉強という壁。いや、山だ。上ることは出来る。しかし、道は険しく崖だらけだ。頂上に辿り着いたところであたしの場合は雲で下が見えない。そういう山」
「あはは。じゃぁ、登らない方がいいのかな?」
「でも、クレアは登るんでしょ? だからあたしもついていく。クレアは何から始めるの?」
「そうねぇ……エルフについて。魔女について、魔法について、魂と体について……色々知りたい」
「よし、それじゃぁローレンスの所に行く前にしっかり食べなきゃね」
「うん。ありがとうエレノア」
「ん? あたしこそ。クレアのおかげであたしは楽しいんだ」
「私もよ。何があっても、エレノアのおかげ。ありがとう」
「?」
こうして二人は一か月の間、ローレンスの下で勉強しながら過ごすこととなる。寝泊まりはアルマと一緒にギルド上階にある宿部屋。エレノアは暇を見つけては街に繰り出しドワーフに絡み、同じアニムと触れ合い、リグル指導の下で体術に磨きをかける。クレアは一か月の間、時間を見つけてはこっそりと例の部屋へと入り、ソラムと話を続けた。
あっという間にひと月が経ち、皆が一つの部屋に集まる。
ローレンス、アレクサンドラ、アルマの三世代の魔女。クレア、エレノアの少女二人。そしてウッドエルフのリグル。
今日、魔女を殺す方法の答えが聞けるかもしれないと、彼は期待に胸を膨らませていた。テーブルに座る六人。
「それでは三人とも、例の石をここに置いてちょうだい」
三人の少女が一か月前に渡された魔集鉱石をテーブルの上に置いた。面白いことに皆の石が同じではなかった。そして、クレアはその意味をソラムから聞いて知っていたがローレンスが話を続ける。
「やはり、思っていた通りになりましたね。エレノア、貴方の石は真っ黒。アルマはわずかですが彼女のより薄い。そして驚くべきはクレア。黒いどころか、白く透明になっている」
「本当だぁ。これ、効果が違うの?」
「いいえ、エレノア。高純度、それもこの超高純度の魔集鉱石はどこにあってもその差は出ません」
「え? じゃぁ何で身につけさせたのさ」
「それは、貴方達自身の違いです。今日は魔集鉱石について教えるとしましょう。そして、リグル。貴方の助けになることを約束するわ。だから、もう少し待ってていただける?」
「ああ。それが聞けて安心した。なら、私もここで聞かせてもらう。人間とウッドエルフでは異なることも多いからな」
「ありがとう。三人とも、魔集鉱石はどうして黒くなるのかわかるかしら?」
はいはい! と元気よく手を挙げるエレノアが答える。
「悪い気から守ってくれるから! そう、この石が悪い気を集めてくれるんだ。だから、暗くなったりするのを防ぐんだ。あと病気とか、寿命を長くしてくれる」
「その通りだけど、病気と寿命に関しては誇張されてるだけね。商人があとから付け足したのでしょう。それでも、例え粗悪品であっても、お守りとして街では人気なの。では、どうして三人に差が出たのか考えはある?」
「あ、そうだな。ちょっと待てよ。あたし……めちゃめちゃ悪いやつなのか!? アルマもあたしに負けず劣らず悪い奴だ。クレアは優しいから、きっと白いのが透明になったんだね」
「私、悪いこと考えないもん」
「はぁ? 何回あたしを困らせたよ。そりゃ、前みたいなことしないけどさ、頭の中では何をされてるのか。うぅ、アルマちゃんの考えが怖いなぁぁれぇ、ここ、羽の生えたおじさん飛んでる? うわぁ、綺麗だなぁ」
「こら、やめなさいアルマ」
「ちくしょう!」
「あはは」
アルマの魔法で幻覚を見せられたエレノアを笑うクレア。ここ一か月、一緒の宿で過ごした三人。初めこそアルマは不愛想でエレノアに魔法をかけて自分の椅子にしていたり、抱き枕にしていたが次第に心を開いていた。仲良しとまではいかないが、行動を共にするのに躊躇しなくなっていた。ローレンスが続ける。
「エレノアが言ったこともあながち間違いではないんですけどね。まず、この魔集鉱石は先にも言った通り、悪い気を集めます。ですがそれは正確ではないのです。実際の所、悪感情を闇とするなら、良い感情が光。この二つともが石に吸い寄せられています。
「そうなの? でも、あたしのもアルマのも真っ黒だよ」
「ええ。そこでクレアの石が重要なの」
「私の? どうして私の石は透明になったのかな? エレノアが一杯集めてくれたから?」
「それはクレア自身の力。そして、それが魔女を殺すカギになる」
「どういうこと?」
「私が彼女の中に入った時に見たのは、とても大きく強い、深く濃い闇でした。けれど、その後ろにはとても輝かしい太陽のようなものがあったわ。彼女の呪いでその先はわからなかったけど……。そうねぇ、貴方達にわかりやすく言うと日食を見たことがあるかしら? まさにあれね」
「「「あぁ」」」
「そして、彼女は魔集鉱石と同じように闇の力をその体に、体の内側に集めているのでしょう。実際、私が中に入った時には魔女の力を持っていかれそうになりました」
「え? クレアが魔集鉱石と同じことをしてるってこと?」
「そう。しかもそれは、その石をはるかに超える力でね。だから彼女の石は透明になってしまったのよ。そして、アルマも同じ。彼女はわずかだけど森の魔女の力が備わっている。そして森の魔女、特に闇の魔女はその闇の力を吸い寄せることで強くなる。例え腕を切られようとも、体に集めた分、空中に漂う分、目の前の人間から生まれる分、それらを使ってより強く、より早く再生することができる。ですが、クレアが傍にいると」
「そうか! クレアのほうが吸い上げる力が強いから、魔女が再生できなかったのか」
「ええ。そういうことだと私は考えている。そこで繋がるのが彼女の体に現れた文様と魔女の力。きっと、ある程度集まるとそれが現れるのではないかしら? 何か月も旅をして、村や町を回り、そういう悪い気を集めていた。きっと、貴方達がいた場所では自然と明るく、優しい人が増えていたはずよ。そしてそれを確かめるために三人にはギルドで寝泊まりしてもらったの。それとラドリーから彼らの変化を聞いています。私はこの方向で間違いないと思ってるわ」
二人には心当たりが多かった。初めは不愛想な人達も、暗い村も、寂しそうな家族も。一晩経つとほとんどの場合、明るく変わっていたからだ。何より、皆クレアに優しい。
「あたしはその考えに賛成だね。まさにその通りだと思う」
「ただ、問題があるのよ……」
深刻な顔に変わるローレンスがクレアを見つめる。クレアもその意味を悟った。
「クレアがその悪い気、負の力、闇の力を吸い上げるのはわかった。怒り、悲しみ、憎しみなどありとあらゆる負の感情。それは魔女にとって命の源でもある。それらを集めて生まれるのが魔女だと考えてるの。そこで疑問なのが、クレアはどうして大丈夫なのか? あなた、突然に怒ったり、泣いたりすること多いかしら?」
「私にはわからない。でも、感情的になることはある。抑えられないというか、どちらかというと……夢中になった時に、その人の想いが私の中で爆発するの」
「あぁ、そうだ。山賊のおっちゃんを殴った時とかもそうかな? びっくりしたよ。あんなクレア見たの初めてだし」
「そうね。あの時も私、カトスキーさんの想いが伝わってきた気がする。ほんとはしたいのにできない歯がゆさ、自分に対する怒り、まるで顔をひっぱたいてほしい、自分で顔をなぐって目を覚ましたいっていう感じかな? 私、思わずひっぱたいたの。自分でも夢中で……」
「あはは。みんな喧嘩してるふりしてクレアとボスの成り行きを見守ってたしね」
「そうね。でも、言われてみればローレンスの考えが正しい気がする」
「やはりね。普通なら人が魔女になるほどの憎しみや怒り、負の感情を抱えているはずだもの。それに加えて良い感情も彼女に集まる。でも、大抵の人は負の感情を抱いているものよ。彼女にとって、この世界は苦痛でしかないはず」
「そんなことない。すごく楽しい。言われてみれば思い当たることも多いけど、苦しくなんて思わない」
「きっと、あなたの中にある太陽のようなもののおかげね。私にはそこまで見ることが出来なかったけど、それのおかげで貴方は自分を保っていられる」
「自分……」
クレアは「自分とは何か?」という点で深く考えを巡らせていた。未だに自分が何なのかわからない。父は遠い地で戦っている。ソラムから聞けるのは同じ答え。アゼリアの日記からはまた別の答え。意味が分からなくなる一方だった。
「おい。じゃぁ、クレアを俺たちの森に連れて行けばいいってことか?」
「ええ。そういうことね。魔女は次第に弱まり、再生できない。そして、生まれ変わることが出来ずにクレアの中で死ぬこととなる。いえ、クレアに吸収されるといった方が正しいのかしら? きっと、魔女の力を使えたのもそのせい。アルマがうまく元素魔法を使えないのは魔女の影響だと考えられる。そして、それを集める体質のクレアが魔法を使えないのは当然ね。その代わりに条件がそろえば魔女と同等の力を扱えるってことじゃないかしら? うまくいけば私達、街の魔女以上の働きが出来る」
クレアにはローレンスの言ってることが正しいように思えた。ウッドエルフのヘンザ達と一緒に、闇の魔女と戦った時の事を思い返していた。魔女の繭に閉じ込められ、両手を失い、死にそうな魔女。彼女が死に際に光の魔女へと変わったのだ。最後は諦めたというよりも解放されたことに安堵していたようだった。
魔女は死ぬまで何度も殺す必要がある。それが解決しただけでもかなり優位になる。話を聞いてクレアに会いに来たことが正解だったと確信するリグル。
「殺す方法は分かった。クレアが居れば簡単になるわけだ。そして、彼女が居れば新しい魔女も生まれない。彼女に吸収されるわけだからな」
「うえぇ。クレアに魔女が入るのか。なんか気持ち悪いな」
「あら、エレノア? 貴方は気づいていないのかもしれないけど、二人は繋がっているのですよ? 誰が、どうやったのかはわからないけど。これは初めてのケースね」
先日、エレノアもローレンスに中を見てもらったのだ。アニムは魔法が使えない。これは当然のことだがエレノアは冒険の中で度重なる秘めた力を発揮したため「自分は実はすごいんじゃないか? 魔法が使える初めてのアニムじゃないのか?」と意気込んできた。実際のところは、いつも通り彼女の勘違いだがローレンスにとっては思わぬ収穫だった。
「え? 繋がってるってことはクレアに吸収された魔女は私にも流れてくるの?」
「ちょっと、エレノア? ひどいんじゃない? 私を腫れものみたいに」
「あはは。だって、あの薄気味の悪い魔女がクレアの中に入ってるんでしょ? うう。考えたくない」
「あなた、吸収されるって言っても魔女本体じゃなくて、魔女を作り出している負の感情やそういった力の源が私に来るだけなのよ? 失礼ね」
「大丈夫よ、エレノア。そういったものはすべて彼女の中で留まっているはず。何より、貴方達二人には驚きね。人間とアニムの魂が繋がっているのよ。エルフがアニムを強化する話は知ってる?」
「うん。それをやったことあるよ。森の魔女と戦った時。凄かったんだから」
「はい」
「それはおかしいわね。ウッドエルフの女性の話よね。彼らもエルフ程ではないけれど同じことを出来るらしいわね」
「ああ。俺達、といっても女性陣にしか出来ないし、全員が出来るわけではないがな。ましてやアニムなど今は使わん。代わりに獣を使役するときに利用する程度だ」
「け、も、の!」
「あなた達二人を繋げたのがその人でないのなら、それは出来なかったはずよ」
「あの……それなんだけどエレノア。実はあの時、エーダは失敗してたんだって。でも、エレノアが飛び出して行って、まるで強化された時のように戦ってたって」
「え? ちょっとまって。じゃぁ、あの時、私はいつも通りだったってこと?」
魔女を相手に戦った時の事を思い出し、ぞっとするエレノア。強くなったつもりだったのに実はあの時はいつも通りだった。もしも魔女の攻撃をまともに食らっていたら? 彼女は頬を狭くして目を丸くする。
「エレノアはわかりやすいのね。でも、安心しなさい。貴方が強くなった気がしたのならそれはクレアのおかげよ。二人の魂は繋がっている。だから、ウッドエルフの女性が成功するはずがないもの。クレアが強くあるほど、貴方も強くなる」
クレアは前に森の魔女に捕まった時、檻の中で見た夢を思い出す。
『大丈夫よクレア。貴方が気持ちで魔女に負けなければ、エレノアもきっと負けないから』
そうだ。魔女と戦う時にいつの間にか一緒に戦う彼女。自分が強いほどに彼女は強くなる。何度も経験した。狩りの時もそうだし、二人で勝負をする時もそう。夢中になるほど、強く考えるほどに彼女がいつもよりすごい力を発揮する。答えはいつも目の前にあった。彼女からもらう温かい気持ち。これもきっと……
「ほんとかなぁ? もしかしてアタシをおちょくってる?」
「それに、クレアが負の感情をその内に宿しているのにこうやって明るくいられるのはエレノアのおかげでもあるのよ。きっとあなたのように明るい子だからこそ、魂のつながりでクレアは助けられている。そうね、エレノアはクレアにとっての太陽ね」
「うん。そうよエレノア……ありがとう」
クレアは隣に座るエレノアの手を握る。思いがけない雰囲気。冗談を言おうと思っていたエレノアだったが、クレアの幸せそうな笑顔と優しくも強く握ってくる手に胸をこそばゆくしながら照れて「どういたしまして」と言った。
「それで、いつ出発する? すまないが俺は今すぐにでも合流したい。クレアは一緒に来てくれるんだろうか?」
リグルの言葉にローレンスもアルマも「行くわけがない」と思った。殺す方法が分かっても、だれがそんな危険な場所にいくだろう? ましてや十四歳の少女だ。魔女の怖さは二度も経験している。直接戦ったという普通の大人なら死んでいるか、よくてトラウマレベルだ。ローレンスとアルマが同時に話す。
「そんな危険な――」
「行くわけない――」
「早く行きましょう!」
「あいよ」
立ち上がりながら遮るようにクレアとエレノアが二つ返事をする。ローレンスもアルマも驚いている。困惑する祖母にアルマが「こういう人なの」と手を添えた。一か月の間にクレアがしてきたことを近くで見てきたアルマにはよくわかる。当然と言えば当然。困っている人が居たら、考えるより先に動く。それがクレアだとよくわかった。
準備をし、早々に出発する三人。ギルドの近く、馬やククルを調達する場所に見送りに来たローレンスとアルマ。クレアはいつものように馬やククルに挨拶をしている。
「あはは。ありがとう、すぐ戻ってくるから。今日はどの子にしようかな? でも、今回はとても危険な旅よ。それを考えておいてね。いつもの散歩じゃないの」
クレアがそういいながらいきり立つ彼らの前を通ると、馬もククルも胸を張り我こそは! と主張しているようだった。なんとも不思議な光景。ローレンスの横に立つ主人が呆れるように言う。
「すごいだろ、クレアちゃん。ほら、あいつなんかいまだに調教してる途中のククルだぞ。あんなになついちゃってさ。ほんと、内で働いてほしいよな。なぁ、ローレンスさんとこにいるんだろ? 考えてくれないかな? あ、あいつなんか、あのやろう、俺のこといつも舐めてかかってくるのに、あんなにデレデレしやがって」
「あはは。おっちゃんじゃ敵わないよ。クレアは動物に好かれるんだから。アニムにも、人にも、ウッドエルフにだってね。あたしはどの子にしようかなぁ」
頭の後ろで手を組むエレノアが鼻歌交じりで歩く。いつものククルだ。喧嘩する癖に仲がいい。エレノアが他のを選ぼうとすると怒る癖に、選ぼうとすると「えぇ?」という顔をする。そういう表情はククルにはないが、そう見える。エレノアがいつもと同じククルを選ぶ。クレアは奥から一頭のククルの背に乗ってゆっくりとやってきた。
クレアを背に乗せたククルはみんなの前をわざとらしく、足をあげ、ゆっくりと歩きながら自慢げに歩く。そんな表情などないのに。
「準備はいいか?」
リグルがククルに乗った二人に声をかける。
「うん。行こう」
「ええ。行きましょっ!」
「みんな、気を付けてね」
「「行ってきます!」」
三人はククルの背に乗りそのまま街を出て、ウィリアムの待つ森へと向かった。天候に恵まれた三人は最短の七日で現地へとたどり着く。ウッドエルフの里近くの野営地で父と合流。翌日には皆で魔女討伐へと向かった。
そして、ミシエールの街に戻ってきたのは、クレアとエレノアの二人だけだった。クレアは父の使っていた小剣を携えている。