103 家族会議① 父が泣いた
祖母、父、母、娘、孫、猫娘の家族会議(風)
ウィリアムが娘のクレアを背負い、同伴する女性がエレノアの体を風の魔法で軽くして背負っている。階段をあがり魔女の家へと向かう中、部屋に戻ったアルマは――。
「ああ! どうしよう。おじさんだ! おじさんが来た! 早く」
アルマは今までになくオロオロと部屋を散らかしながら、棚から下着を引っ張り出していた。別にどれでもいい、どれでもいいはずなのに……あれでもない、これでもないと棚の中を物色する。やっとのことで見つけたのはお気に入りの紫色。母親の髪と同じ色。着ているワンピースも真っ黒に見えるけど実は紫色。
小さな体に広い部屋。片足をあげ、ぴょこぴょこと跳ねバランスを取りながら下着を履く。「よし」と意気込み、両手で一気に上げ走り出す。後ろ姿が無残になっていることには気づかないまま、通路を走り、階段を降り、玄関へ一直線。アルマがバタバタと走り去る音で目を覚ましたローレンスが「うっ」と体を起こす。クラクラする頭を押さえ、何度か強く目をつぶる。開いた玄関の先、外からはアルマの嬉しそうな声が耳に飛び込んできた。
「おじさん!!」
「よぉ、アルマ!」
しっかりと準備をしたアルマが大好きなおじさんに飛んで抱き着いた。ずっと待ってた。二年近く前のこと。彼に『お母さんを探して』と頼んでから、ずっと待ってた。ジョゼフという名の冒険者。黒い髪のクレアとは違い、魔法が効いているのにまったく動じない謎の男。深く、温かく、面白く、気兼ねなく話せる唯一の家族以外の人。
実は、アルマが『ジョゼフと思っている人物』は、祖母が話す『ウィリアムの事』でもあった。二つの名前は同一人物を指している。だがそれをアルマは知らない。ずっと別人だと思っている。自分が殺そうとしていた少女が、大好きなおじさんの娘をだということに全く気づいていない。
ジョゼフという名を使う男。クレアの父であるウィリアムは、クレアとエレノアを木陰に休ませた。同伴していた女性は家の横にある水場でバケツに水を組んでいる。
「私、大きくなったよ! 見て。もう十二歳だよ。一緒に冒険もできる。お母さんを一緒に探しに行こうよ」
「お、大きくなったのか?」
どう見ても十歳以下にしか見えない身長。ウィリアムは両手で彼女の体を掴み持ち上げている。
「あはは。くすぐったい。もうそんなに子供じゃないんだから。ねぇ? お母さん、見つかったの? まだなら次はいつ旅に出るの? 私、流浪の魔女になってでも一緒に行く」
「おお。それだけどな……。お前に会わせたい人がいるんだ。でも、その前にさ……」
アルマを地面には降ろさず、そのまま正面に持ち上げたまま話し続けるウィリアム。
「お前に依頼を受けた日。頼み事じゃなくて、依頼として受けるために報酬として、まぁ約束、いや、取引だったな。それを覚えているか?」
「取引? え、なんだったかなぁ。昔のこと過ぎて……それにそういうのってお互いに成立したときに持ち出すんじゃないの?」
「ほぉ」
ウィリアムが両手で掴んでいるアルマの体をグルリと回しながら歩いている。やってきたのは見晴らしのいい場所、彼の跳躍なら湖に飛び込める位置。そこまで来ると、今度はアルマの背中とお尻を前に話を続ける。
「え、ちょっと、おじさん? なんでここに? あぶないよ? 降ろして」
「俺からの取引は『服を着ること。下着を履くこと』だったよな、たしか」
「えー、そうだったかな。でも、それならほら? 服を着てるし、下着も履いてるよ? あの日からずっと、毎日、一日も欠かさずにね」
「ほぉ」
空中に足をバタバタとさせながらアルマは不穏な空気に焦りだしていた。背後では、アルマのスカートを巻き込んだ紫の下着の状態を見たウィリアムが、目を閉じ首を振っている。
「お前は、スカートを下着の中に入れる同盟にでも入っているのか?」
ハッとしたアルマが自身のお尻を確かめるように両手で触る。ペタペタと触るとおかしな塊、スカートがあるはずなのに直接触れる下着。これは困ったと急いで暴れだす。彼には魔法が効かない。太い腕に小さな手で抵抗しても全く意味がない。
「いや! 履いてたもん! 今日だって朝から選ぶの大変だったんだからね!」
「ほぉ。その上でお前は前後逆に履く団体に所属でもしてるのか?」
アルマは抵抗するのをやめた。恥ずかしさで顔を両手で隠し、宙に浮いた足はだらりと下げている。飛び込もう。いっそ、飛び込もう。そう覚悟した。
「一つ、約束通り魔女の家から湖へと飛び込む。二つ、俺の娘を殺そうとしてた罰として俺を泳いで運ぶこと。三つ、それが終わったら……ほら、あそこ」
ウィリアムはそう話しながら、アルマを肩に運んだ。彼に肩車されるアルマは「俺の娘?」と眉を寄せ疑問に思いながら、ウィリアムが方向を変えるのと同時に彼女を発見する。
六年振り。それ以上。
木陰で休むクレアとエレノア。近づいていく女性。井戸の水を運ぶ彼女の姿は、懐かしく今までの空白の時間などまるでなかったかのように、目の前の景色に自然と溶け込んでいる。小さい頃に何度も見た、当たり前の風景。髪こそ短いままだが、変わらず美しいままの母の姿がそこにあった。
ウィリアムとアルマが自分を見ていることに気づいた母アレクサンドラが気まずそうに笑顔を向ける。その瞬間、彼女があの日のままだと気づいたアルマ。それでも、それでも……「おかっ――」
「わはははは!」
「あっ、ぁっ、きゃあああ」
アルマを肩車したままウィリアムが走り出し、高いところから跳躍して湖へと向かった。静かな景色の中、次第に小さくなる悲鳴と笑い声。耳を澄ますと、しばらく後にバシャンと水に落ちる音がした。アレクサンドラは「なんだか楽しそう」と思いながら、横たわる二人の少女の介抱を続ける。
「アレックス?」
玄関口に寄りかかり必死に声を出したのは祖母のローレンス。目の前にいるのは愛しの我が娘アレクサンドラ。そして孫アルマの母。
「えっと、こんにちは。私はアレクサンドラ。アレックスって呼ぶのよね? 貴方の娘……です。ローレンスよね?」
「えぇ。えぇ。そうですとも。貴方は私の娘、アレクサンドラですよ」
歩み寄り倒れかけたローレンスをアレクサンドラが支える。そのまま抱き着くローレンスに彼女は困惑していた。
「よくぞ、無事で……彼に頼んで正解でした。よくぞ、よくぞ……」
「ええ。彼は確かにすごいわね。それに面白いのよ。今、私の娘のアルマと湖で遊んでるわ。それとこの子たちをどうにかしないといけない。貴方の家に入れてもらえるかしら?」
ローレンスが二人の少女に目をやる。何より、クレアの状態を見て自分をしかりつけるように目をつぶり、投げかけたい言葉をすべて飲み込んだ。今までの人生でこれほど嬉しくも重い物がのどを通ったことは無い。
「そうね。まずはクレア。黒髪の子を運んで。ここはアレックスの家でもあるのよ? どうぞ気にせず」
フラフラの状態とはいえ、クレアを運ぶのを手伝おうとしたローレンスだった。しかし、昔のように風の魔法を扱い少女の体を軽くして、一人で少女を運ぶアレクサンドラの姿に少し儚さもある。傍ですやすやと眠るエレノアの状態を確認し、そのまますぐに追いかけた。
下の湖ではリラックスしたウィリアムがプカプカと浮き、一生懸命に泳ぐアルマに押し運ばれている。
「ほらー、もっと早くぅ。せっかくお母さん連れ帰ったのに。早く会いたいだろぉ?」
「はぁ、はぁ、はぁ。ちょっと休む」
「えー。俺だってクレアに会いたいんだぞ? 早くしてくれよ」
「ねぇ、クレアが娘ってどういうこと? クレアのお父さんはウィリアムって人でしょ? おじさん、ジョゼフだよね? 彼女にはお父さんが二人いるの?」
「……そうとも言う。いたたたた、そこやめて。さっき噛まれたの。なんか知らないけど、本気で噛まれた場所だから」
「ほぉ」
「いたたた。わかった、わかった。ごめんよ、アルマ。いや、基本的にさジョゼフって名前を使ってるんだ。あの時はさ、アルマがローレンスの孫だなんて知らないわけだったしさ。思わずそっちを名乗っちゃったってだけ」
「ほぉ」
「いやぁ、びっくりしたよ。あの日。ローレンスに会いに行ったらさ、同じ内容で頼まれたわけよ。で、めでたし、めでたし。お母さんを無事に連れ戻しました」
「なんか、納得いかない。詳しく」
「まぁ、それは家でみんなと話すからさ。ねぇ、なんで休んで俺で浮いてるの? 早くぅ。クレアに会いたいよぉ」
煽るウィリアムにアルマはやる気で応えた。一生懸命に足をバタバタと動かし、ウィリアムを押しながら泳ぎ続けること十秒。彼女は息を切らし、再度休憩する。ふもとに着く頃には疲れ切ったアルマ。階段ではウィリアムに抱きかかえられ眠っていた。久しぶりに強い魔法を使ったせいもある。
※
ほどなくして夜――
クレアの治療も終わりエレノアも目を覚ます。ローレンスも体調がよくなり、皆が一つの四角いテーブルを囲んでいた。片側には端から、ウィリアム、ローレンス、アレクサンドラの大人三人。反対側には同じく、クレア、エレノア、アルマの子供三人。それぞれ二組の親子が対面し、真ん中に祖母と猫獣人。
家族会議の始まり――。
「アルマのおかげでとても大変でしたね。二人とも。聞いた話ではウィリアムが来なかったらどうなっていたことか。わかってますね? アルマ」
仕切るのはもちろん、ローレンスだ。年長者にして、親にして祖母。偉大なる魔女で気品あふれる女性。光と水の魔女。知識の守り手にして、この世界で二番目のペンペン草の使い手。以後、祖母である。
「私、間違ったことしてないもん。また……大切な人を失うかと思って……あんな思いはもういやだから」
次に口を開いたのはアルマ。街の魔女の子孫にして末裔。唯一無二の神童。異能、異質の力。体は小さいがその中には濃い魔力を秘めている。彼女が作ろうとしているのはペンペン草除草剤。以後、孫である。
「私の事かしら? アルマの母だものね。まだ実感はないけれど。ここに来れた事を光栄に思うわ。覚えていないことだらけだけど、よろしくね」
悪気はないが一言話す度、正面に座るアルマに悲しみと怒りの瞳を浮かばせるのは神童の母にして、同じく街の魔女アレクサンドラ。薄紫の髪は健在だが記憶がない。以後、母である。
「まぁ、一緒に過ごしてれば思い出すんじゃないか? それより本題に入ろうぜ」
おちゃらけ、お気楽な男にしてクレアの父、そして赤い槍と呼ばれる最強の戦士と名高いウィリアム・ハートレッド。何を隠そうエルフの郷に大惨事をもたらした張本人である。それは別の話。以後、父である。
「私も聞きたいことある。いえ、疑問だらけよ。お父さんにはいっぱい話してもらうことがあるんだからね」
ウィリアムの正面から決意の眼差しを向けるのは、彼の娘であるクレア。魔女を倒し、魔女を見送り、魔女に呪われた少女。力はなくともその身体能力、洞察力、弓と槍の扱いは群を抜いている。自然と動物を愛する少女。以後、娘である。
「ほんとだよ。あたしさ、もっとこう、楽しい旅とか冒険を考えてたんだけど……色々あったよぉ。おじさんには騙されたね。あんなに冒険談を楽しく話すからさ。実際は切り落とされた腕は飛ぶし、人は死ぬし、魔女は襲ってくるし」
ローレンスの正面、テーブルの中央に位置するのはエレノア。猫の獣人で茶黒い鼻は敏感に『何か』を嗅ぎ付ける。黒い尻尾の方が先に大人になってる気がする天真爛漫、クレアの代弁者で幼馴染、姉妹であり、親友であり、家族。以後、猫娘である。
「先ずは今日の話を終わらせましょう。クレアの呪いについて」(祖母)
「呪い? あー、呪いか」(父)
「なんだよ、ウィル? 自分の子が呪われてるってのになんでそんなに気楽なのさ」(猫娘)
「お父さん。私、死んじゃうかもしれないんだよ? 今日だって、もし出会えなかったらもう一生会えなかったかもしれない。いきなり、どこかで死ぬかもしれないって思って、私……すごく怖かったんだから! あの日からずっと我慢してたのに、私、お父さんに言われた通り、ずっと泣かないようにしなきゃって頑張ってきたのに……」(娘)
「ウィリアム? クレアの呪いに関して何か知っているの? もし有力な情報を知っているのなら教えて頂戴。私達はそれを調べてた結果、こうなったんですよ? 彼女に触れ私が倒れて、アルマが暴走して、ウッドエルフとクレアがけがをしたのですよ。貴方が話していればそうはならなかったほどの情報じゃなければいいですけど」(祖母)
ゴクリ
父の唾をのむ音が聞こえた。どうやら、自分が攻められていること。自分が悪いことに気が付いたようだ。猫娘がガタと椅子を鳴らし席を立つと、尻尾をグイン、グインと素振りするように動かしながら歩く。眼をキョロキョロとさせている彼の横に立ち手をパキポキと鳴らしている。確率は半々だろうか?
ゴクリ
父が再度、唾をのみ、弁明を始める。
「もしも、もっしもだ。俺がそれを知っていて、言うの忘れてたとか、あとで言えばいいかとか、大人になるまで黙っておこうとかいう親の優しさだったとしたら皆怒るのかな? そもそもさ、俺はてっきり彼女が話したのかと思って……」(父)
「シュッシュ!」(猫娘)
ゴクリ
「えーっと、はい。知ってましたベハッ」(父)
「あー、すっきりした」(猫娘)
「ウィリアム? クレアは心配してるのよ? 彼女の呪いの事を知っているのなら教えてあげて。いつ、どこで、誰に、どうして、何があるのか。ちゃんと説明してあげて」(祖母)
「ひどいよ、エレノア。俺はてっきりシエナが話してくれたんだと思ってたからさ。ちなみにクレアはその呪いで死ぬことは無いよ。多分……いや絶対。いや、多分か? それと呪われたのは旅に出てからじゃなくて、その前からだから」(父)
「え? シエナから聞いたのは魔法が使えないってことだけよ。旅に出る前? あ、もしかして八歳の時に私、寝込んだことがあるよね? もしかして」(娘)
「いんや」(父)
「……いつなの? ねぇ、教えて」(娘)
知っているのに離さない父にいら立つ面々。ガタっと音を立てクレアが立ち上がり、父の横に立つ。するとエレノアが駆け寄り肩に手を置く。ホッとする父。まさか、娘が? エレノアは首をゆっくりと振りながら、彼女にペンペン草を渡した。多少、状態が良くなったとはいえ折れた腕。殴るのはまずい。唇を結んだエレノアが大きく頷くと、クレアは「なるほど」と相槌を打つ。
ゴクリ
「えっと……クレアは生まれた時に呪われたんだって。だから、ずーっと呪われてる。ははは……」(父)
「生まれた時? 笑いごと? お父さん、ずっと知ってたのね。教えてくれなかった。ごめんね、お父さん」(娘)
「いやいや、気にする――パァン!」(父)
先に謝るタイプの娘。
痛いからじゃない。悲しいからじゃない。こんなやり取りに昔、冒険をしてた頃の彼女、つまりクレアの母親の面影を感じたからじゃない。自分のせいで娘が大変な目に合ったからじゃない。もう、色々とよくわからない中――。
家族会議で父親が泣いた。
「なんだろう。殴るたびに苛立ってくる」(猫娘)
「いいから続けて」(娘)
「いや、だってさ娘に言えるか?『おい、俺の愛するクレアよ? お前は魔女に呪われてるんだぜ。ははは、でも気にするな。ホクロがあるようなもんだぜ! 消えねぇけど、チャーミングポイントだと思いな』とかさ」(父)
ベチャリ。猫娘が歯で挟んだ魚の身だけをシィっと器用に抜き取り、投げた魚の皮が父の頬に引っ付く。一方、反対側。端の席ではアルマが母の手をにぎにぎしている。母の顔を睨むように観察しながら。母は娘の顔を照れ臭そうに見ながら。
「笑えないよ、お父さん」(娘)
「いや、その、なんだ。お母さんはこれで笑って了承してくれたんだけどな。ごめんな」(父)
「私、お母さんに会ったことないもん! お母さん、知らないもん!」(娘)
端に座るアルマが怒鳴ったクレアにドキっとして手を離す。少し、申し訳ない気持ちだ。
「ところでウィリアム。その、彼女に呪いをかけたのが誰なのか知ってるの?」(祖母)
「ああ。俺も完全に内容を把握してるわけじゃないけど……クレアを呪ったのは三人の魔女だと思ってる」(父)
「「「三人の魔女!?」」」(娘、猫娘、祖母)
「あ、ああ。緑の魔女だろ、それと赤の魔女、最後に白の魔女ってとこか」
(父)
「どれも知らないわね。あぁ、でも白の魔女っていうのはもしかして、以前あなたが話していた彼女の事かしら?」(祖母)
「ああ。彼女にはクレアが生まれた日に再会したんだ。ちなみに呪いっていうのはクレア自身のものだよ。クレアがクレアを呪っているんだ……らしい。聞いた話だとね」(父)
「え? 私が?」(娘)
「ああ。ちょっと複雑でね」(父)
「ちょっと、お父さん? 私が自分自身で呪ったの? 生まれた時に?」(娘)
「ああ。そうだよ。だから、死なないと思う」(父)
安堵するのと同時に困惑する娘。
「ちょっと、思っていた以上に情報が多すぎて……それで、呪いの効果はなんです? 彼女にどんな副作用が?」(祖母)
「それに関しては俺もさっぱり。ローレンスはクレアの中を見たんだろ? それなら何か気づいたんじゃないのか?」(父)
「……ええ。彼女の中に入った時に察しはついてる。だから、これを持ってきたの」(祖母)
ゴトリと音を立て、木箱をテーブルの上に置く。鍵を開け蓋を開くと中には白い石が入っていた。
「これはまた。貴重なものでは?」(父)
「ええ。これは超高純度の魔集鉱石です。といっても、以前にあなたの連れから頂いたものですが」(祖母)
「アゼリア? 知らなかったな。彼女、森や山で何でも拾うからな」(父)
「アゼリア? ねぇ、それについても教えてよ。どうしてその名前が出てきたら否定しなきゃいけないの?」(娘)
「ああ、それについては呪いよりももっと複雑で、お父さんでもまだ理解してる途中だ。ほんと、やだなぁ……。ローレンスは何でこれを? あ、あぁ。そういうことか」(父)
「ええ。察しがいいですねウィリアム。ですが、それは教えないでください。結果を見てからにしましょう。いいですか、クレア、アルマ、エレノア。三人ともこれを身に着けたまま一か月過ごしてもらいます」(祖母)
「それって、悪い気から守ってくれるとか、魔女にならないためのお守りとか、気分を良くしてくれるって言われるお守りの石でしょ? 街でも良く売ってるヤツ」(猫娘)
「ええ、そうですよエレノア。街で出回っているのはまさに願掛け。効果のほとんどないような質のもの。これは別格です」(祖母)
「そういえば、同じようなものを船で見たわ。黒かったのに……魔女が投げ捨てた時には白くなってた」(娘)
「そうです。それが答えでもあるのですが、今はとにかくこれを身に着け、絶対に外さずにいること」(祖母)
「あいよ」(猫娘)
「はい」(娘)
「なんで、わたしまで」(孫)
「それとアルマ? この人がウィリアムという人でクレアの父であり、私がアレックスを連れ戻すようにお願いした冒険者です。偶然にも私達は同じ人物に依頼し、行き違いがあったようだけれど……」(祖母)
「うん。ありがとう、おじさん。お母さんを連れ戻してくれて」(孫)
「アルマ……話は聞いたよ? 今回の事は許せないけどさ、なんか、なんか、大変だったよね」(猫娘)
「そうそう、だからと言ってあなたがしたことが許されるわけではないのよ、アルマ? 私が制止しようとしたのに……それを無視して、彼女に怪我を負わせ、殺す寸前だったそうね。今、ラドリーがウッドエルフを連れてきてますからね」(祖母)
「でも、クレアからはあの日、お母さんがおかしくなった日と同じ物を感じた。おかしい! 私、間違ってないもん」(孫)
「あのー、それに関しても俺からお知らせが……」(父)
娘、猫娘、孫が全員で父を睨みつける。
「その、やぁアレクサンドラ。自分の娘はどうだい?」(父)
「そうねぇ、とてもかわいらしいわ。アルマって名前も素敵よね。意味を教えてほしいわ」(母)
「!?」(孫)
「あら? ごめんなさい。何か怒らせるようなこと言ってしまったのね」(母)
「別にいい。教える気もないし。お母さんだけど、お母さんじゃない。でも、ここに居てほしい」(孫)
複雑な心境のアルマが目を伏せ、我慢しながら話し続ける。
「お母さん……お母さんがこうなったのはあの日、クレアと同じものを感じたせい。あれを私は許せない」(孫)
「いやぁ、そのことなんだけどさ、昔、俺とアレックスは一緒に仕事したことあるんだ。少しの間だけなんだけどさ。その時に森の魔女、運悪く闇の魔女に遭遇してさ。無事、倒したんだけど……魔女が死ぬときにさ言ったんだ『ここに魔女がいる。私はそいつの体に入り、また甦る』って。でも、途中で失敗したみたいでそのまま消えたんだよ。アゼリアが言うには、アレックスの中に『それ』が少し残ってるって。で、何年かしてアルマが生まれて、クレアが八歳の誕生日の時にそれが起きたんだと思う。聞いた感じだと時期が一致するしな。元々、アルマの中にあった魔女の欠片のようなものが反応したんじゃないかな?」(父)
「私の八歳の時の?」(娘)
「ああ。あれもお母さんからのお願いだったんだ。八歳の誕生日におばあさんに預けるってこと。預けるも何もお前がおばあさんの所に行くのはわかってたし、
俺も何が起こるかは知らなかったけど。心配になって家に行ったら大変だっただろ? もしかしてあの時にクレアの体に何かあったんじゃないかな? 呪われてるし、あの婆さんが抑えられないんだからそりゃすごいことなんだろう」(父)
「お婆さんが抑えられない?」(娘、猫娘)
ゴトと音を立て席を立った猫娘が広げた手の指の付け根を重ねる。裏返しながら腕を伸ばし、首と指の骨をパキパキと鳴らし父に近づく。
「え? また? いや、あの、あれぇ? 知ってるはずなのになぁ? おっかしいなぁ? お父さん、教えたはずなのになぁ? 教えてなかったかなぁ? あははは。あのお婆さんが緑の魔女ダグハァ」(父)
「ふぅ。スッキリするはずなのに、ほんっと、段々ムカついてきた」(猫娘)
「そんなの知らない――。でも、そういわれてみればおばあさんの瞳、すごくきれいだった」(娘)
「おんやぁ? クレアってば見て、見ぬふりしてたのかなアバベ」(父)
「ふぅ。滅されるべし」(猫娘)
「俺とクレア以外にはお婆さんにしか見えないよ。エレノアもお婆さんと話したこと、一度でもあるか? クレアもおばあさんを暗い部屋で見たことあるか? ないだろう?」(父)
「―!? ないかも。でも、クレアがいつも楽しく話すっていうから、フゴフゴいってるのをただ聞き取ってるだけなのかと思ってた」(猫娘)
「まぁ、とにかく。クレアが八歳の時に『それ』が目覚めたと思ってる。その影響でアルマの中にある魔女の欠片が呼応して目覚めた。結果、街の魔女でありながら森の魔女の力を発揮したってわけ。そのせいで、うまく元素魔法が使えないんじゃないかとも思う。俺はそう見てる。どうだ? すごい考察だろ? それとアルマ? どちらかというとあの時にアレックスの事をアゼリアが救っていなかったら、お前はおろか彼女さえすでにこの世にいなかったかもしれない。そんな恩人の娘をお前は殺そうとしてたんだぞ?」(父)
「そんなの初耳だもん。ドジ」(孫)
「ええ。そんなに大事なこと、話すべきだったんでは? ひどい話です」(祖母)
「ほんと。お父さんのバカ」(娘)
「駄目な父親だな」(猫娘)
「……えっと、そうね。ドジでバカでダメなひどい男ね。困っちゃう」(母)
家族会議で父が泣いた。
「まぁ、何かいきなり全体像が現れてきたような感じね。気になる点は他にもあるし、聞きたいことは多いわ。それに結果はどうあれ、アルマがしたことを許すわけにはいかないわ。今日はまず、今日の事をしましょう。アレックス、これを」(祖母)
「これは?」(母)
「あなたが一番お気に入りだったペンペン草ですよ。アルマもさぞ叱られる日を待ち望んでいたことでしょう。それに、今日の私はもう疲れているの。お願いね」(祖母)
「え!? いやよ!」(孫)
「いやいや、アルマ? 悪いことをしたんだから罰は受けないと。さすがにその歳でそれはないだろう? だからこそ、二度と間違いを犯さないようにその体に刻むんだな。わはは、娘を傷つけた罰だ」(父)
「ちょっと、おっちゃんは表出ろ。クレアも行こう」(猫娘)
「はい」(父)
「ぐぅ……じゃぁ、こっち」(孫)
「あら? まぁ、痛かったら言ってね」(母)
「!?」(孫)
バタンと二つの扉が閉まる音。部屋に取り残されたローレンス。突如として告げられた真実の数々。頭での処理が追い付かないクレアはただ目の前に広がる景色を見ていた。
奥の部屋、アルマとアレクサンドラ。
「じゃぁ、行くわよ?」
「どうぞ」
ペチン
優しく、弱い音。気を使い、軽くたたくペンペン草。もう、何年も前、忘れているはずの痛みも何故かこの場所で母を背にすると甦る記憶。されど、届くのは優しいペンペン草。
「痛かったら言ってね。あと二、三回でいいかしら? こんなことするなんてひどい母親ね」
「そんなことないもん!」
ペチン
「お母さんは、アルマを本気で叱ってくれたんだもん。本気で褒めてくれたし、本気で怒ったし、本気で優しくしてくれた。今のお母さんみたいに、無感情じゃない」
ペチン
「あら、それはごめんなさい。大丈夫? 痛くないかしら? 次で最後ね」
「……」
ペチン
「はい、おしまい。どうしたの? 先に行くわね?」
「……うん」
少しだけ、少しだけ期待していた。昔のように恐ろしい音を出して、聞かせて、お尻を叩かれることを。ほんの少しだけ……期待していたけれど、彼女からは優しさしか伝わらない。それも、他人に気を使った優しさ……。アルマは目を真っ赤にして、席へと戻った。
一方、家の外では。
「マジで、ぶっ飛ばしてやる。強くなったんだからね。あたし」
「お手並み拝見と行こうか?」
寝技、体術、投げ技、どれをとってもウィリアムには到底かなわない。それでも、エレノアが強くなっているのは確かだった。死地を乗り越え、ただの稽古事の甘さが消えている。アニムで優れた身体能力に加え、経験と決意。これほどの武器はない。
「ぐぎぎぎぎぁぁ!」
「ははは! 降参するか?」
「だ、れ、がぁっ!」
「わっぷ」
取っ組み合いをする中、四人の人物が階段を上り魔女の家へとやってきた。一人は体を支えられ連れてこられた。先頭に立つのはラドリー。彼が挨拶をする。
「ウィリアム様。お久しぶりです。お会いできて幸栄です……ジョゼフ様。お久しぶりです。お会いできて幸栄です」
「いや、言い直しても意味ないから、言い切ってから間髪いれずに言い直すとか、意味ないからさ、ラドリーだっけ?」
「は! 光栄です。取り込み中に申し訳ございません……大事なお話があります。よろしいですか?」
「あ、あぁ。中で聞こうか? そいつらウッドエルフだよな? 一人は……昼間の。大丈夫か? 操られてたとはいえ、すまなかったな」
「いや、お前がレッド・ランスと呼ばれる男だったとはな。なるほど、噂通りの強さだったよ。俺もまだまだってことだな。それとクレア。すまない。自分は強いつもりだったがことごとく打ち破られて思い知ったよ。お前の父はとても強い。そして、お前もまた同じように強い」
「いいのよ、リグル。私も自分が強いと思ってた。武器がなかったとはいえ、私ももっと強くなりたい。それに、あなたのケガの方がひどいじゃない? お父さん、やりすぎよ」
「はいはい。悪かったよ。それじゃ、俺達は後で行くから。クレア、ちょっとこっちへ」
「うん?」
ウィリアムとクレアが家の前に残る。エレノアは玄関口に座り親子を眺めている。ウィリアムがクレアに真面目な顔で問いかける。
「お母さんに会いたいか?」
今日は散々に驚くことを言われた。呪いの事、おばあさんのこと。なのに、おかあさんに会えるとなった途端にそれらが小さいことのように思えた。死んだはずでは? 墓はない。生まれた時に死んだと聞かされた。その母親に会える? 聞きたいことよりもまず、
「会いたい。会えるのなら」
どういうことだろう? 期待よりもお父さんが何をするのかがわからない。真面目なのかふざけているのか。今はいつものお父さんに戻ったように感じる。一時期、とても暗かった。でも、お父さんが私に嘘を言ったことは無い。
「よし。じゃぁ、少しだけだぞ」
「少しだけ?」
「ああ。驚くなよ? 事情は後で説明する。もしかしたらお母さんから話が聞けるかもしれない。でも、時間がないんだ。会えるのは少しだけ。そうじゃないと、お母さんが……会えばわかる」
「ここに来るの?」
「いや、ここにいる」
「どこに?」
「ここだよ」
「?」
「ここで会う約束なんだ。来てるはず。それに、俺がアレを使ったのを知ってるはずだしな」
「あれ?」
「ああ。お前が無意識に使ってるやつだよ」
「なんのことだかわからない」
「まぁ、それも含めてお前にはここで覚えてもらわないといけないことがたくさんあるからな」
「もう、何が何だかわからないよ」
「ははは。俺もだよ。まぁ、やっとここからは始まるわけだ。それじゃ、お母さんと会うけど、いいか? お父さん、頑張るけどあんまり長く持たないから」
「よくわからないけど、じゃぁ」
その時だった。
美しい景色。夜空には星が輝き、夜の風はとても柔らかく細い。湖に囲まれているせいだろうか、少し肌寒くも思える。小さな虫が夜の音を奏でる。何度か感じたあの感覚。あれがやってきた途端、輝いていた星がゆっくりになる。葉や草の音がなくなり、虫の鳴き声も止んだ。
無音……
そんな中、目の前に白い髪の女性が立っていた。何度も見た。何度も話した。何度も分かれた。
夢の中で……最後に会う女性
美しいエルフで、優しいまなざし。温かい雰囲気に、柔らかい匂い。クレアにはそれが彼女だとすぐにわかった。そして、思わずそう叫ばずにはいられなかった。
「おかあさん!」
「クレア」
クレアは母に抱き着くとその軽さに驚いた。存在はしているが、何か別の世界。けれど確かに触れている。頭に母の手が添えられている。時間とともに高まる鼓動が抑えられない。
「クレア。時間がないの。会えてうれしい。それとウィリアム。二人とも愛してるわ」
「ああ。俺も愛してる」
「お母さん」
クレアは目の前にいる母の体が、髪が、肌がペリペリとはがれていくのに気づいた。小さな破片。とても小さいがこの止まった空間の中で彼女の体が崩れていく。
「クレア? 大きくなったわ。本当に……。赤の魔女に会って。まずはそこから。でも、今のあなたでは早すぎる」
「すまない……俺、そろそろ限界」
クレアがそういった父の方へ振り返る。鼻血を出し始めた父が踏ん張った顔で親指を立てる。それぞれの空間が引き離されていくのを感じたクレア。これは夢の中と同じだ。景色から遠くへ、本人から遠くへ、近くて遠い。それぞれが同時残り、同時に離れる。初めて会った母親。初めてのぬくもり。クレアは必死に彼女を掴もうとするが、声も届かずに離れていく。
あの感覚。あの感覚さえ、掴めれば!
クレアは必死につなぎとめようとする。わずかに残る二人の時間。驚いたのは母。クレアが見せた底力。意味も分からずに一生懸命に、自分に会いたい一心で頑張る彼女を母が手伝う。
「お母さん!」
「クレア! ここの書庫に私の日記が。アゼリアがクレアに残した物よ。そこにアレクサンドラの為の――」
あっという間に終わってしまった。ほんのわずかな時間。戻った反動で思わずこけてしまった。尻を着く娘に手を差し出す父親。彼が鼻血を拭いながら小さく笑うと、クレアもよくわからない出来事に笑って答えた。後ろではエレノアが、
「およ? 何でいきなりこけたの? クレア、大丈夫?」
「うん。大丈夫。あのね、聞いてエレノア――」
ウィリアムは楽しそうに話す二人を置いて、家の中へと戻った。