ヴェネット・ラクウェルの憂鬱 上
昔は良かった。
男女の垣根も飛び超えるほど、私とリチャードは仲良しだった。
私たちが出会ったのはそれこそ、赤ん坊の頃からだ。
私の両親とサクシス伯爵夫妻は家格も一緒だからか昔から仲が良く、尚且つ同い年の子供をもつ親同士、頻繁に交流していたから私たちが婚約者になるまでそう時間がかからなかった。
ラクウェル伯爵領は自然に囲まれた豊かな土地で、そこで育った私は親でさえ呆れ返ってしまうほどのお転婆だった。リチャードはそれを諫めるでもなく、一緒になって広い野原を駆け巡ったりもした。
顔を合わせば嫌味の応酬だけれど、そんなやりとりをお互い楽しんでいる節もあったんだ。
私の横にリチャードがいて、リチャードの横には私がいて。それが当たり前で、これからもずっとそんな愛おしい日々が続くんだと、哀れにも私は信じて疑わなかった。
―――そう、あいつが来るまでは。
「はぁ……」
「いかがなさいましたか?ヴェネット様」
「……いえ、なんでもないわ」
今日何度目かのため息をついて、どんよりとした顔が映る鏡を眺める。
今夜は国王主催の夜会だから、朝から何時間もかけてそれはもう念入りに磨き抜かれた。動きにくいからあまり着飾るのは好きではないけれど、少しでもリチャードの瞳によく映るよう必死に我慢した。
なんで、今更あの幼馴染相手にここまで必死にならなきゃいけないんだ。
それもこれも、リチャードのバカが私以外の女に夢中だから、今更頑張らなきゃいけなくなってしまったんだけど……。
ツキン、と胸が刺す痛みを抑えるように胸元につけられたペリドットのブローチに手を添える。
「大変お美しゅうございますよ。きっと、リチャード様もお喜びになられます」
「……そうかなぁ」
赤みがかった癖の強い茶髪は器用に花の形に編み込まれ、所々に小さいペリドットの飾りが差し込まれている。クリーム色のAラインドレスのそんな対して大きくもない胸元は、大きく肩まで開かれていて少し心許ない。ネックレスを着けない代わりにブローチが静かに輝いて、揃いのイヤリングが動くたびにキラキラと揺れ、卑屈になった私には嘲笑っているようにも思えた。
しつこいくらい身に着けているペリドット。その色は婚約者であるリチャードの瞳の色と一緒だ。もはや、わざとらしいくらい着けているそれに、少しだけげんなりしてなんとなく窓を見た。もう陽が落ちてきている。それはリチャードの訪れが近いことを意味さす。
「ヴェネット様、リチャード様がお見えになりました」
ああ、噂をすればなんとやらだ。
「今、行きます」
もう一度、ため息をついて重い体をなんとか持ち上げ暗い気持ちのまま、リチャードが待つ玄関ホールへと向かった。
***
「お待たせしました、リチャード様」
「……」
無視か。それどころか、私をチラリとも見やしないのは紳士としても騎士としてもどうかと思うぞ。
凛々しい眉を尖らせて不機嫌そうな顔を隠すつもりもないリチャードは、ヘーゼルの髪を後ろへ撫でつけ、黒い騎士の服を纏っている。いつしか見上げるようになってしまった彼との身長差が、私との埋まることのない心の距離みたいで、少し俯きたくなった。
ズイ、とたくましい左腕が差し出され私は半ば諦めながらそこに手を添える。肩越しに後ろを見やれば、心配そうに顔を歪める使用人たちが見えてバツが悪くなってしまった。
きっと、皆んなはこう思っているのだろう。
―――どうしてこうなってしまったのか。と
そんなの、私が一番知りたいよ。
少し前のリチャードなら、私の格好をみてちょっとバカにした後むすくれた私の頬を摘みながら照れ臭そうに似合ってるって言ってくれたのに。
ズキン、ズキン、と痛みとともに何かが刺さっていく。こんなの、こんなのちっとも私らしくない。
それでも、彼に嫌われたくないと思ってしまうどうしようもないくらい女々しい自分がいることに呆れを通り越して絶望してしまいそうだ。
***
今日、顔を合わせてから会場についた今までまだ一度もリチャードの口は開かれていない。もしや、口を縫ったりでもしたんじゃないかと見上げてみても、もちろんそんなことはなく、憎らしいほど澄ました端正な横顔があるだけだ……到着早々悪いけど、もう帰りたいで頭がいっぱいだった。
だけど、私も腐っても伯爵令嬢であって。一度人の目に晒されれば、借りてきた猫のように大人しくなるんだから、これを見たうちの領民がなんて言うか。
つい先日だって、昔馴染みの牧場のじいちゃんに「ヴェネットのお嬢ちゃんはちっさい頃から変わらんねぇ」と言われたほどで、領民達は口を揃えて私のことをお転婆娘と笑うんだ。
まあ、確かにちょこっと馬に乗ったり、ちょこっと牧場の仕事や畑仕事を手伝ったり、ちょこっと迷子になったネコ探しに街を走り回ったりしたけれど……お転婆は言い過ぎだと思う。
昔に比べたら少しは大人しくなったと思う。だって、男子と喧嘩しなくなったし。うん。あの時のドレスをぐっちゃぐちゃにして帰ってきた私を見た両親とバトラーの焦り顔を思い出し、少しだけ気分が上がってきた。
「……おい、聞いてるのか?」
「っえ?あ、うん?」
つい、思考に浸ってしまってリチャードの声が聞こえてなかったみたいだ。
私は素直に謝って、聞き返したんだけど大袈裟なため息が聞こえてきて情けないことに少しだけ肩がびくついてしまった。
「お前の耳は飾りか?もう一度言うからよく聞け。会場に入り次第、俺は彼女の元へ行く。お前は適当に時間を潰して勝手に帰っていろ」
なんとも忌々し気に吐き出すような言葉に、私の胸はツン、と痛んで眉間に力が入っていく。
「……だったら、最初から一緒に行かなければいいじゃないか」
「なんか言ったか?」
「いいえ、何にも」
むっとしてないと涙が溢れてしまいそうで、私はドレスの裾を睨みつけながらリチャードに引っ張られるようにして嫌々ながらも会場入りする。
キラキラ輝くシャンデリア、楽しそうな声、優雅なクラシック、美味しそうな匂い。そのどれもが少し前の私なら心躍る物であったのは間違い無いのに、今は虚しくて仕方ない。
スッ、と離された腕はまるで最初から触れ合ってすらいなかったように軽やかで、虚しくて悔しくて、すごく、悲しくて。冷たくなった手をぎゅうっと握りしめ、私は今日も壁の花になる。
またあした




