居心地のいい逃げ場所
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「これ、好きなもの?好きな人?」
私のスケッチブックに描かれたものを見て、しいちゃんは訊いてきた。
「好き?というか、記憶に残ってて……ふと思い出しただけなんですけど……」
「ふーん。そっか。」
「普段見慣れない物だと、記憶だけで描くのって難しいですね。」
しいちゃんはスマホを出して見せた。
「参考に携帯で画像出してみれば?あ、私のじゃなくても自分のがあるか。」
「普通先生って、携帯使っちゃいけないって言うんじゃないの?」
うちの学校は携帯電話の持ち込みに厳しい。
「授業してる訳じゃないんだし。」
「授業してなくても担任に見つかったら即没収だよ?」
携帯を持っている所を見られただけでその日1日没収される。
「まぁ、私は自由気ままな美術講師だから?別に生活指導なんてどーでもいいのよ。」
そう言ってしいちゃんは、教卓に座って、目の前の机に足を乗っけた。
「あははは。しいちゃんは先生らしくないね。」
「ごめんなさいね。」
「それがしいちゃんの良いところだよ。」
しいちゃんは足を降ろす。
「それは、嬉しいような嬉しくないような……?」
私は思いきって訊いてみた。
「あの、しいちゃんの良いところ、もし、女として好きになっちゃった生徒がいたら……どう思う?」
しいちゃんはしばらく呆然としていた。あれ?言い方間違ったかな?
「相田さん…………私に、告白してくれてるの?」
「え?あ、違うよ違う!もしだよ?もしもの話。男子生徒が告白してきたら?って話。」
慌てて誤解を解くと、更に誤解を招く。
「あ~そっち?え……もしかして先生好きになっちゃった?まさか、杉本先生?よく聞くんだよね~杉本先生がタイプって子。」
「うん、大丈夫。それは絶対にないから。」
私は冷静になって、しいちゃんに事情を説明した。
「演劇部の新学期公演で先生を好きになる役をやるの。だから……先生の意見も聞きたいなって。」
「なんだ!そうゆう事か~男子高校生に?告白されたら?うーん。」
しいちゃんは迷って迷って、こう言った。
「迷惑?かなぁ………。」
…………迷惑?
「ドラマとか漫画とかは、恋愛始まったりするけど、実際は迷惑じゃないかな?こっちは仕事だし。」
厳しい。…………これが現実。
「そっか………そうだよね……。ありがとう、しいちゃん。参考になったよ。」
「そう?良かった。」
「もう1枚、描いてもいい?」
私はスケッチブックをめくって新しいページにした。
「いいよ。もう1枚と言わず何枚でも、好きなだけ描いていいよ。」
私がさらに描き始めると、携帯に着信がある。
「さっきから着信あるよ?出てもいいよ?」
「多分……担任の先生だと思う。」
きっと、担任だけじゃない。多分、春壱も……。
「あ~それは出にくいなぁ……」
「明日休みだから、このままバレずに帰りたいなぁ……。担任のお説教嫌だし………。」
サボった事、春壱にも怒られそう。
「担任誰だっけ?」
「日浦先生。」
「あ~日浦先生は怖いね。」
しいちゃんもそう思うんだ。
「顔が怖いのに、お説教が真顔で更に怖い。」
「それってもう既に怒られ経験済みって事~?何やらかしたの?茶髪?ピアス?」
私は首を横に振った。
「進路希望表に世界征服って書いたら怒られた。」
「ぶー!あはははは!それ書いちゃダメなやつね。あははは!いいね!相田さんやるね!」
しいちゃんはそれを聞くと大爆笑した。
「私は大真面目なのに、先生は思ってても書くな!って。理解されないって辛いね。」
「まぁ、先生と生徒は立場が違うからね。」
笑い終えると、しいちゃんは先生の顔に戻っていた。
「生徒の為を思ったら、気持ちを理解するより、間違った道を正す方を優先させるね。」
「生徒の為?」
「それこそ、さっきの告白の話。生徒の為を思ったら、振ってあげるのが正解。正しい道を選ばせてあげるのも教師の仕事だと思うよ?」
正しい道…………?
「そっか………。私ってやっぱり無神経……全然考えられて無かった……。大変だねなんて……バカだった。」
私はスケッチブックを頭に乗せて椅子の上で丸くなった。
「先生に振られた友達と喧嘩でもした?」
「喧嘩?……うん。怒られちゃった。他人の傷で役をつかもうとするなんて最低だって。」
「そう……。それは、その子はまだ心の傷が癒えてないのかもしれないね。」
スケッチブックを机に降ろして、訊いてみた。
「どうしたら、癒してあげられるかな?」
「うーん。時間?かな?」
時間……。私はスケッチブックの上の方にメモを取った。
「それ以外にできることってないのかな?」
「それか、話をたくさん聞いてあげる。愚痴らせてあげる。」
話を聞く………。
「それでもダメなら?」
「それでもダメなら、新しい恋を探してあげる?しかないかなぁ?」
新しい恋。私はスケッチブックにメモした3つの言葉の、新しい恋に丸で囲んだ。
「しいちゃん、ありがとう。しいちゃんに話して良かった。」
「どういたしまして。スケッチブック、相田さん専用にしてあげるから、またいつでも描きにおいでよ。何なら美術部に入る?」
絵を描くのは嫌いじゃない。だけど、私が今やりたいのは…………
「幽霊部員でいいなら入ります。」
「助かる~美術部は人数少なくて年々予算減ってるんだよ~」
しいちゃんはすぐに入部届けを持って来た。
「は!実は巧妙な勧誘だったとか!?」
「バレた~?あはは、冗談。入らなくてもいいから、川に飛び込むよりはいいでしょ?いつでも描きにおいで。」
川に飛び込むって……自殺でもするように見えたのかな?
「うん。ありがとう……。ありがとうございます。」
すると、教室の電話が鳴る。しいちゃんは電話に出る。
「あ、私職員室行くから、スケッチブック持ち帰るか、ここに戻しといて。じゃ、ごゆっくり。」
そう言ってしいちゃんは美術室を出て行く。
「うん、ありがとう!」
私は1人で黙々と描き続けた。何も考えず鉛筆を動かせば、確かに少し落ち着く。




