Quest24:色欲を討伐せよ その9
※
「……ふひ」
人面兎リーダーが笑い声を漏らし、マコトに向き直った。
欠けた部分が泡立ち、顔を形成する。
ただし、それは人面兎リーダーのそれではない。
人間の顔だ。
「ふひ、ふひひ、酷いな、酷いな。なんで、ぶつんだよ」
「ぶつって……せめて、殴るって言えよ」
「あ~、酷い。なんで、なんで、暴力を振るうんだよ」
あ~、あ゛~、と人面兎リーダーは前後に体を揺すった。
情緒不安定な人みたいだ。
「……や、ヤマダ」
フジカが呆然と呟く。
「ヤマダ君なのか?」
「ヤマダさん! 正気に戻って下さい!」
「フトシ! 戻ったら覚えてろ!」
コウキ達が三者三様の反応を示す。
「僕は、僕は子どもを作ってただけなのに!」
「つか、殺されても文句を言えねーだろ」
「酷いな! 酷いな! あんまりだ、あんまりだ、あんまりだよ!」
突っ込みを入れたが、人面兎リーダー――フトシは体を前後に揺すり続けている。
どうやら、コミュニケーションは取れないようだ。
「あ゛~! あ゛~ッ!」
フトシが濁った声を上げると、肉体が変異を始めた。
フトシの顔が大きくなり、人面兎リーダーの顔が追いやられる。
体が巨大化し、筋肉質だった体が贅肉に覆われていく。
「捕縛陣!」
光の帯が伸び、変異の途中だったフトシを拘束した。
ユウカの魔法だ。
「マコト! ぶちのめして!」
「物質化!」
右腕から漆黒の炎が噴き出し、一瞬にして装甲と化す。
灼けた火箸で神経を掻き回されるような激痛に耐えて腕を一閃させる。
フトシの首が落ち、肉体がボロボロと崩れ落ちる。
やがて、漆黒の球体が姿を現す。
「多分、あれが魂的なヤツよ!」
「分かったよ!」
マコトが拳を構えた次の瞬間、漆黒の球体が消えた。
そして――。
「ふひ、ふひ、フヒィィィィィッ!」
一匹の人面兎が雄叫びを上げた。
漆黒の光、その中で変異が始まった。
肉体が何倍にも膨れ上がる。
「ふぎぎぎぎぎッ!」
人面兎は大きく口を開ける。
限界まで――限界を超えて口を開く。
顎の骨が砕け、頬が裂け、その奥からフトシの顔が迫り出してきた。
まるで着ぐるみのような姿だが、その迫力はキングに勝るとも劣らない。
さらに――。
「ふひ!」
「ふひひ!」
「ふひぃぃぃ!」
他の人面兎達にも異変が起きた。
フトシの顔が体に浮かび上がったのだ。
顔がフトシのそれと入れ替わった個体もいれば、胸や腹に浮かび上がった個体もいる。
「酷いな。酷いな。なんで、なんで?」
「なんで、ぶつの?」
「ふひひ、子どもを作っただけなのに」
「リア充、爆発しろ!」
「子袋、子袋、子袋ォォォォッ!」
「サトウサトウ、サトウ、ユウカッ!」
「キララキララキララ、キララァァァッ!」
フトシ達が一斉に喋り始めた。
「なんで、あたしが標的なのよ!」
「刺激するな!」
「名前を呼ばれるあたしの身にもなってみなさいよ!」
ユウカは涙目で叫んだ。
「ゆ、ユウカ!」
「子袋、子袋!」
「孕め、孕め、孕めぇぇぇッ!」
「孕むか! 馬鹿! スキル・魔法極大化、並列起動×10! リュノ・ケスタ・アガタ――」
「フヒィィィィィッ!」
ユウカが呪文を詠唱し、フトシ達が押し寄せる。
幸い、巨大フトシは立ち尽くしたままだ。
「リブ!」
「地震撃!」
マコトが叫ぶと、リブはポールハンマーを地面に叩き付けた。
地面が激しく揺れ、フトシ達の動きが止まる。
「点火!」
マコトは腕を振り下ろし、炎を放つ。
「あ゛~ッ!」
フトシ達が炎の中で崩れていくが、七悪の力を得ているからか、効果が薄い。
そこに――。
「追尾弾!」
ユウカの魔法が降り注いだ。
フトシ達は追尾弾に貫かれ、その場に頽れた。
「もっと気合を入れなさいよ!」
「うるせぇ! 効きが薄いんだよ!」
ユウカに叫び返し、右腕を押さえる。
「酷いな、酷いな、酷いな! なんで、なんで、なんで? なんで、僕を殺すの? でも、僕は死んでないよ? 生きている僕、死んでいる僕……」
巨大フトシは体を前後に揺すりながらブツブツと呟いた。
正気には見えない。
「でも、大丈夫!」
巨大フトシが叫ぶと、フトシ達の死体が液体と化した。
「あ゛~! あ゛~!」
「マジかよッ?」
マコトは思わず叫んだ。
声はフトシ達が液体化したものから発せられていた。
液体の中心が盛り上がり、元の姿を取り戻す。
「大丈夫! 僕が一杯一杯いっぱいぱいぱいぱ~い!」
「僕が一杯一杯いっぱいぱいぱいぱ~い!」
巨大フトシが叫び、フトシ達が後に続く。
「もっともっともっともっと増やすんば!」
「フヒィィィィィッ!」
フトシ達が一斉に叫び、四方――それぞれが近くにいる人間に襲い掛かる。
巨大フトシは高みの見物を決め込んでいる。
「く、クソッ!」
「マッスル!」
戦士職の少年が槍を繰り出し、フトシの胴を貫く。
次の瞬間、フトシは再び液体と化した。
「な、なんだ、大したこと――」
「僕が一杯いっぱいぱいぱいぱ~い!」
液体化していたフトシが再び形を取り戻し、少年に襲い掛かった。
フトシは馬乗りになり、少年に拳を振り下ろす。
「剣気解放!」
コウキがフトシ達を両断する。
だが――。
「僕が一杯いっぱいぱいぱいぱ~い!」
「なんだってッ?」
コウキは困惑の声を上げた。
フトシが液体化し、すぐに元に戻ったのだ。
「キララキララキララキララァァァァッ!」
「こ、来ないで下さい!」
フトシ達に囲まれたキララが悲鳴を上げる。
「キララに近づくんじゃねぇッ! オォォォォォォォッ!」
タケシが雄叫びを上げるが、フトシ達は動こうとしない。
「キララキララキララキララァァァァッ!」
「いやぁぁぁぁッ!」
フトシ達が一斉に襲い掛かり、キララの姿が見えなくなる。
マズい、とマコトはユウカ達に視線を向ける。
「オラァァァッ!」
「盾撃!」
「風弾!」
リブがポールハンマーで、ローラが盾でフトシ達を吹き飛ばす。
さらにユウカの魔法が炸裂し、フトシ達を遠くに追いやる。
どうやら、距離を取って凌ごうと考えているようだ。
「フジカ! 壁よ! 壁を作る魔法があったでしょ!」
「そんなの使えないし!」
「使え……チッ!」
かなり前に怒ったことを思い出したのか、ユウカは使えないというフレーズを呑み込んだようだ。
舌打ちするのもどうかと思うが――。
「僕が一杯いっぱいぱいぱいぱ~い!」
「狐火ッス!」
フェーネがスリングショットで鏃を放つ。
突き刺さった瞬間、鏃は炎を解放する。
漆黒の炎がフトシを呑み込む。
フトシは液体と化し、元に戻ろうとしてか、表面が震動する。
「僕が一杯いっぱいぱいぱいぱ~い! 僕が一杯いっぱいいっぱ……」
声は尻すぼみに小さくなっていき、やがて聞こえなくなった。
どうやら、死んだらしい。
「精霊術! 七悪の力なら倒せるわ!」
「効きが悪ぃんだよ!」
「フェーネは倒せたでしょ!」
マコトが叫ぶと、ユウカは叫び返してきた。
「イヤァァァッ!」
女の悲鳴が響き渡り、視線を巡らせる。
「態勢を立て直すんだ!」
「うぉぉぉぉッ! キララから離れろ!」
「た、助けて!」
「コウキ君コウキ君コウキ君!」
コウキは必死にクラスメイトに呼びかけるが、態勢を立て直すという段階は通り過ぎている。
敵の力は未知数。俺のチームは上手く凌げてる。粘って助けを待つべきだが、打つ手が残されているのに見捨てるのはマズいか、とマコトは思考を巡らせる。
「俺が失敗したら転移で逃げろ!」
「分かったわ!」
少しは躊躇えと思わないでもないが、今は決断の早さがありがたい。
「点火!」
マコトが足を地面に叩き付けると、地面に亀裂が走った。
漆黒の炎が噴き出し、亀裂が放射状に広がっていく。
だが、足りない。
まるで足りない。
「もっと、もっとだ!」
マコトは両親と兄、その家族を思い出す。
七悪の精霊――マコトの場合、力の源泉は憎悪だ。
両親を憎み、兄を憎み、その家族を憎む。
理不尽を、自身の不甲斐なさを憎む。
「点火! 点火ッ! 点火ッ!!」
マコトの思いに呼応するかのように漆黒の炎が一気に噴き出した。
炎は滑るように地面を覆い尽くし、建物を、フトシ達を呑み込む。
「僕が一杯いっぱいぱいぱいぱ~い!」
「僕が一杯いっぱいぱいぱ~い!」
「僕がいっぱいぱいぱ~い!」
「僕がいっぱいぱ~い!」
「僕が一杯いっぱい!」
「僕が――」
集落の一角を呑み込むほどに成長した炎の中でフトシ達が崩れていく。
「僕が一杯いっぱいぱいぱいぱ~い!」
「うるせぇッ!」
火力が増し、マコトの近くにいたフトシが崩れ去る。
「……チッ!」
マコトは舌打ちした。
炎を維持するだけで何かがガリガリと削り取られ、疲労感が増していく。
だというのに巨大フトシは健在だ。
せめてもの救いはフトシ達を倒せたことだ。
右腕を覆っていた装甲が炎に戻り、疲労感が肩にのし掛かる。
周囲を覆っていた炎が不規則に点滅し――。
「――くっ!」
マコトが膝を屈すると、炎は大きく膨れ上がって消えた。
「あ゛~! あ゛~! 僕が減っちゃ減っちゃ減っちゃった!」
「マコト、追撃よ!」
「無理に決まってるだろ」
全くと言っていいほど体に力が入らないのだ。
おまけに吐き気がする。
「仕方がないわね!」
「馬鹿、そこにいろ」
「アンタが動けないと勝てないでしょ!」
ユウカはマコトに駆け寄り、手を翳した。
青白い光がユウカの手から放たれる。
それだけで気分が楽になる。
「わ、私も! ペリオリスよ、癒やしの奇跡を、治癒!」
フジカが駆け寄り、治癒をかける。
「精神を癒やす魔法はないの?」
「そんなの使えないし! つか、サトウこそ魔法使いなんじゃなかったのッ?」
「レア・スキルを持ってるのよ!」
「そんなの持ってて黙ってた訳ッ?」
「そうよ!」
フジカが責めるように言い、ユウカは開き直ったかのように胸を張った。
「サトウこそ、私達を仲間だと思ってなかったんじゃん!」
「結果から言えば黙ってて正解だったわ!」
ユウカとフジカがギャーギャーと言い争う。
喧嘩するなよ、とマコトは心の中でぼやくに留める。
今は回復に努めるべきだ。
「マコトさん、楽になった?」
「ちょっとだけ楽になったような気がする」
心なしか、楽になったような気がする。
「そ、そう?」
「偽薬効果じゃないの?」
「どうして、そういうことを言うかな」
ユウカが突っ込むと、フジカは面白くなさそうに顔を顰めた。
「で、でも、大丈夫! 僕が増える、増える、増え……わかめぇぇぇッ!」
「ヤクでもやってんの?」
「……知るかよ」
ユウカが突っ込みを入れ、マコトは小さく吐き捨てた。
「増え、増え、増えるんばぁぁッ!」
巨大フトシの体から白く濁った液体が滲み出した。
それは蠢きながら二体の巨大フトシに変わったが、体表は溶けて滴り落ちている。
「キララ!」
「ユウカたん!」
「なんで、あたしなのよ!」
巨大フトシに名前を呼ばれ、ユウカは悲鳴を上げた。
「大人気だな、おい」
「頑張って、根性よ!」
「分かってるよ」
マコトが震える脚で立ち上がると、ユウカは拳を握り締めた。
「言われなくても頑張るっての! 点火!」
右腕から炎が噴き出すが、不規則に点いたり消えたりを繰り返している。
「敵の狙いはお前だ。リブの所に戻ってろ」
「ええ、そうさせてもらうわ」
「サトウ、もう少しマコトさんに感謝しなよ」
「るっさいわね! 足手纏いにならないように逃げるわよ!」
「……分かった」
ユウカとフジカが踵を返して逃げ出す。
「ユウカたん!」
巨大フトシが体表を撒き散らしながら突っ込んでくる。
その目が見据えているのはユウカだ。
どうして、ユウカに執着するのか分からないが――いや、多分、生意気だから泣かせてやろうと考えているのだろう。
気持ちは分からないでもないが、フトシに捕まれば泣くよりも酷い目に遭わされる。
「お前の相手は俺だよ!」
マコトは巨大フトシに向かって拳を繰り出した。
「避けるんばッ!」
「裂けてるじゃねーか!」
思わず突っ込みを入れる。
フトシは二つに裂け、マコトの拳を躱したのだ。
その断面は白くてぶよぶよしている。
内臓らしきものは存在しない。
二つに裂けたフトシは地面に触れるや否や液体と化し、ユウカとフジカに襲い掛かった。
「マコト!」
「マコトさん!」
「分かって――ッ!」
マコトは飛び出そうとしたが、脱力感に襲われて膝を突いた。
右腕を見下ろすと、炎はすでに消えていた。
どうやら、このタイミングで限界を迎えてしまったらしい。
「狐火ッス!」
フェーネがスリングショットで鏃を放つ。
だが、フトシは鏃が突き刺さった瞬間に肉体を分離させた。
握り拳ほどの肉塊が地面に落ち、漆黒の炎に包まれて塵と化す。
液体と化したフトシはユウカとフジカを呑み込んだまま巨大フトシの下に戻る。
見ればキララも同じように捕まっていた。
理由は分からないが、タケシも捕まっている。
「子袋! ゲットォォォォッッ!」
巨大フトシは液体化した自身を体に巻き付け、地面を蹴った。
追おうとしたが、脚に力が入らない。
遠ざかっていく巨大フトシの背中を睨み付けることしかできなかった。
「……クソッ!」
マコトは地面を殴りつけた。
※
――ごめんね。
「……お母さん」
ユウカは小さく呟いて目を開けた。
「よかった! 目を覚ましたんだ!」
「あん?」
状況が理解できないまま声のした方を見る。
すると、そこにはフジカが両手を上げた姿勢で立っていた。
いや、立たされていたと言うべきだろうか。
彼女は手首をワイヤーのような物で縛られて壁に吊されているのだから。
「肩が超痛いんだけど?」
「上を見なよ」
フジカが呆れたように言い、ユウカは上を見上げた。
そこでようやく自分も手首を縛られて吊されていると理解する。
「……マジで勘弁して欲しいんだけど」
視線を巡らせると、反対側にキララが吊されていた。
気を失っているのか、頭を垂れたまま身動ぎ一つしない。
さらに視線を巡らせ――。
「最悪」
小さく呟く。
洞窟の中は湿度が高く、饐えた臭いが漂っている。
壁には他に五人の女が吊されていた。
五人とも血と垢で汚れ、足下には汚物としか言いようのない物が堆積している。
汚物が蠢いているように見えるのは気のせいではないだろう。
彼女達はどんな目に遭ったのか。
暗澹たる気分になる。
だが、彼女達が死んでいる――もう苦しむ必要がないと分かり、少しだけ気分が楽になった。
「ふひ、ふひひ」
気持ちの悪い笑い声が響く。
声のした方を見ると、フトシがイス――恐らく、玉座のつもりなのだろう――に座っていた。
最後に見た時よりも体が小さくなっている。
とは言え、身長は二メートルを超えているだろう。
「……うう」
小さな呻き声が聞こえる。
玉座から少し離れた場所にタケシが倒れていた。
鎧はへこみ、両手足は奇妙な方向に捻れている。
「……畜生」
「畜生?」
タケシが毒づき、フトシは鸚鵡返しに呟いた。
玉座から立ち上がり、タケシに歩み寄る。
「畜生……何が畜生だ! 自分の立場が分かってるのか! 分かってない、分かってないよ! 何が分かってるの? 何も分かってないよ! 僕は一人、いや、大勢だ! もう分からんだば!」
突然、フトシは激昂し、訳の分からないことを言いながらタケシを踏み付けた。
何度も、何度も、何度もだ。
「柔道日本一とか! 硬派を気取りやがって! お前だってキララをオカズにしてたんだろ! 毎日、オカズにしてたんだよ! ああ、ユウカユウカユウカ! 蔑んだ目で見やがって! クソ、クソ、クソッ! 写真部に騙された! お前のイスには僕の唾液が染み付いているぅぅぅ!」
フトシは唐突に動きを止めた。
「選べ」
「何を?」
「分からないのか! 文脈を考えれば分かるだろ! この脳筋! 誰が僕の子を孕むかお前が選ぶんだよ!」
「ヒィィィィッ!」
フトシは再び踏み付けると、タケシは悲鳴を上げた。
あまりに惨めな姿だ。
しばらくしてフトシは動きを止めた。
「いや、ちょっと、止めてよね」
思わず呟く。
嫌な予感しかしない。
「……ユウカ」
「ざっけんな!」
タケシがボソッと呟き、ユウカは怒鳴った。
「普段偉ぶってるくせにどれだけヘタレなのよ! 男なら意地を張ってみなさいよ! ここは俺が相手になるって言う所でしょうが!」
「俺は骨が折れてるんだよ!」
「このクズ! マコトなら腕や脚がなくなったって仲間のために戦うわよ!」
フトシがこちらに視線を向け、ふひと笑った。
体を左右に揺すりながらゆっくりと近づいてくる。
「こっちに来るな! リュノ・ケスタ・アガタ! 無窮ならざる――ッ!」
呪文を唱え始めた途端、フトシは歩調を速めた。
頭が真っ白になる。
「こっちに来んな!」
ユウカは叫び、蹴りを放つ。
だが、肉を打つ感触は伝わってこなかった。
グポッという音が響き、生温かい感触が膝までを包む。
ユウカの脚はフトシの胴体に呑み込まれていた。
「なんで、ぶつの? なんでなんで――!」
「抵抗するに決まってるでしょうが!」
抵抗してもしなくても、どうせ殺されるのだ。
だったら、抵抗した方がいい。
「悪い子!」
「――ッ!」
フトシが叫び、手刀を振り下ろした。
骨の軋む音が響き、激痛が這い上がる。
「悪い子ッ!」
「ひぎぃ――ッ!」
太股に関節が増え、ユウカは悲鳴を上げた。
まるで獣のような、濁った悲鳴が自分のものだと理解するよりも早く――。
「悪い子! 悪い子! 悪い子!」
衝撃が頭を襲った。
最初は乾いた音だったが、途中から水っぽいものに変わる。
首筋を濡らしているのは血だろうか。
口の中が鉄臭い。
尖った何かが口の中を蹂躙している。
「悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪い子ッ!」
視界が滲んでいる。
メガネが壊れたのか、もっと酷い状況なのか。
「悪悪悪悪悪悪悪悪――」
衝撃が再びユウカを襲う。
――ごめんね。
ふと元の世界にいる母のことを思い出した。
ごめんね――口癖ではないのだろうが、母はことあるごとにそんな言葉を口にした。
ユウカの想像になってしまうが、母は普通を与えられないことを申し訳ないと感じていたのだろう。
生活保護を受給していない母子家庭ならば平均的な家庭よりも貧乏――玩具を買ってもらえなかったり、学校行事に参加してもらえなかったり、塾に行けなかったりするのは仕方がないことだ。
この問題が家庭で完結していれば母の心労は少なくて済んだのだろう。
普通ではないということはイジメの要因になる。
上手く立ち回っていれば――立ち向かわず、嵐が過ぎるのを待つべきだったのかも知れないが、どうしてもそれができなかった。
へりくだったら自分が本当に可哀想な子になってしまうような気がしたのだ。
だから、必死で周囲の人間、自分の境遇に抗った。
友達はできなかったが、特待生として大河学園高校に入学することはできた。
順調にいけば将来は安泰だ。
そんな風に考えて上手く立ち回ろうとしたのだが、それは今までの自分――必死に守ってきたものを汚す行為だった。
「悪い子ッ!」
最大級の衝撃に襲われ、意識が現実に引き戻される。
顔が熱い。
目がよく見えない。
不意に関節の増えた脚が自由になる。
太股が熱い。
「謝れ! 謝れ! 謝れ謝れ! 謝れば許してやる!」
「サトウ! 謝って!」
声がくぐもって聞こえる。
思考は熱に浮かされたように胡乱だ。
謝るべきなのだろう、と思う。
けれど――。
「ふざけんな」
「悪い子ぉぉぉぉッ!」
腹に衝撃が走り、ユウカは堪らずに嘔吐した。
脚から力が抜けるが、吊されているせいで座り込むことさえできなかった。
「なんで、なんで、なんで、謝らないかな? まあ、いいや。いいや、子袋決定」
大きな影が跪き、締め付けがなくなる。
貞操帯を壊されたのだ。
強姦されるんだ。
そう、頭の隅で考えたその時、フトシが立ち上がり、横を見た。
「敵だ! 警報はどうした! 諜報部は何をしていたんだば!」
フトシが分裂し、一方が洞窟の奥に消える。
「これで安心安心……なんだば!」
フトシが天井を見上げた次の瞬間、黒い光が降り注いだ。
洞窟の天井が塵と化し、黒い騎士――変神したマコトが舞い降りた。
「オォォォォォォォッ!」
マコトが雄叫びを上げると、漆黒の炎が洞窟内を舐めるように広がった。
浮遊感に襲われ、地面に投げ出される。
「大丈夫?」
「んな訳ないでしょ」
「分かる。顔なんだか、ザクロなんだか分からなくなってるし」
フジカの言葉に総毛立った。
「ペリオリスよ! 癒やしの奇跡を! 治癒!」
柔らかな光が降り注ぎ、痛みが嘘のように引いていく。
「ペリオリスよ! 癒やしの奇跡を! 治癒!」
ユウカは恐る恐る歯に触れた。
どういう理屈なのか、歯が生えそろっていた。
「ペリオリスよ! 癒やしの奇跡を! 治癒!」
「メガネ、メガネ」
「はい、どうぞ」
フジカが差し出してきたメガネを掛ける。
フレームは拉げ、レンズが片方しかない。
その片方もど真ん中に亀裂が走っているが――。
「……これで十分」
ユウカはメガネを掛け、顔を上げた。
洞窟の中央でマコトとフトシが対峙していた。
フトシもまた変身し、着ぐるみのような姿になっている。
大丈夫なの? とユウカはマコトを見つめた。
あれからどれくらい時間が経っているのか分からないが、マコトは消耗しきっているはずだ。
装甲を彩る赤黒いラインがコンディションを示すかのように明滅している。
「応援増援……僕が一杯いっぱいぱいぱいぱ~い!」
白く濁った液体がフトシの体表から滲み出る。
それは蠢きながら姿を変えていく。
だが――。
「オォォォォォォォォッ!」
マコトが吠え、漆黒の炎がフトシに押し寄せる。
炎の中で今まさに生まれようとしていたフトシ達は崩れていく。
それだけでは飽き足らず、洞窟の亀裂に流れ込む。
しばらくして、フヒィィィィィッ! という情けない悲鳴が聞こえてきた。
「ぼ、僕が一人! 一人になっちゃった! 一人一人一人……ひとりぃぃぃぃッ!」
「オォォォォォォォッ!」
喚くフトシにマコトは突っ込んで行く。
腕を振り下ろし、フトシの右肩から左の脇腹までを深々と斬り裂く。
「フヒィィィィィッ!」
フトシは悲鳴を上げた。
回復するためにか、傷口から白く濁った液体が滲み出る。
「オォォォォォォォッ!」
マコトは再び雄叫びを上げ、無茶苦茶に腕を振り回した。
黒い光が空間に腕の軌跡を描き出す。
そのたびにフトシの体が削られていく。
飛び散った血も、肉片も漆黒の炎によって塵と化していく。
「逃げ逃げ逃げ逃げげげげげげげげッ!」
フトシは背を向けて逃げだそうとしたが、これは失策以外の何物でもなかった。
マコトは肉食獣のように襲い掛かった。
転倒したフトシに馬乗りになり、腕を容赦なく振り下ろす。
フトシは見るも無惨に解体され、残った肉片から黒い球体が浮かび上がる。
バキッという音と共にマコトの口が開き、黒い球体が呑み込まれる。
「お、オォォォォォォォッ!」
マコトは仰け反り、雄叫びを上げた。
そして、変化が起きる。
装甲の形状が分厚く、鋭角的な物に変わったのだ。
「……さ、サトウ」
フジカが腕にしがみついている。
声は哀れなほど震えている。
「な、何よ?」
「あ、あれ……大丈夫なの?」
「だ、大丈夫に、き、決まってる、でしょ」
本当だろうか。
大丈夫だと思っているのならば、どうして自分の声はこんなにも震えているのだろう。
どうして、バケモノなんて言葉が脳裏を掠めるのだろう。
マコトがこちらに視線を向けた。
「ヒッ――!」
膀胱がフリーになりかけたその時、マコトが炎に包まれた。
炎が収まると、いつものマコトが倒れていた。





