Quest22:シェリーを攻略せよ その6【修正版】
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夜――シェリーはカウンターの内側で野菜を切る。
視界に存在するあらゆるものの輪郭はぼやけ、手元はよく見えない。
顔を近づければ鮮明に見ることができるが、そのためにはキスするくらい対象と近づかなければならない。
それではとてもじゃないが、料理などできない。
だから、練習した。
何度も指を切ったが、父は見守ってくれた。
あれは親心だったのだろう。
自分が死んでも大丈夫なようにと技術を身に付ける機会を与えてくれたのだ。
お陰で宿の仕事を一通りこなせるようになった。
中でも料理の腕は密かな自慢の種だった。
目が悪いのによく料理をできるものだと感心された時は誇らしい気分になったものだ。
父は強い人だった。
シェリーの目が悪いのは信心が足りないからだと言われても、嫁に行けないと言われても、仕事をさせるのは可哀想だと言われても自分の信じる道を貫いた。
父の強さの半分でも受け継げればよかったのにと誰もいない食堂を見るたびに思う。
『黄金の羊』亭は冒険者の宿だったのに馴染みの客はもういない。
櫛の歯が欠けるようにいなくなってしまった。
「……冒険者」
小さく呟くと、チクリと胸が痛んだ。
かつて店にいた吟遊詩人はリュートの調べに乗せて物語を歌い上げた。
心躍る冒険、血湧き肉躍る闘争、英雄と美姫の悲恋。
特にシェリーは恋歌が好きで、何度も吟遊詩人にねだったものだ。
歌と現実のギャップに気付いたのはいつだったか。
限界を悟って引退する冒険者を見た時か。
ケガで引退を余儀なくされた冒険者を見た時か。
仲間を失い、噎び泣く冒険者を見た時か。
宿代を払えず、装備を置いていなくなった冒険者を見た時か。
いずれにせよ、十歳になる頃には冒険者の現実を理解していたように思う。
心躍る冒険はない。
血湧き肉躍る闘争はない。
英雄と美姫の悲恋は存在しない。
シェリーが胸を高鳴らせた冒険者は何処にも存在しなかった。
「痛ッ!」
小さく悲鳴を上げる。
指を切ってしまったのだ。
血が滲む。
シェリーは指を咥え、それからタオルで傷口を押さえた。
「あらあら、大変ね」
和やかな声が耳朶を刺激する。
声のした方を見ると、小柄な人物がスウィングドアの近くに立っていた。
目を細めなくても何者なのか分かる。
「モイラさん、こんな時間にどうしたんですか?」
「ご近所さんですもの、こんな時間にお邪魔することもありますよ」
小柄な人物――モイラは上品に笑い、カウンター席に座った。
「お水を用意します」
「言ったでしょ? 今日はご近所さんとしてお邪魔したの。それに、指をケガしているじゃないの」
「……これは」
シェリーは恥ずかしくなって指をカウンターの陰に隠した。
「別にいいじゃありませんか。プロだって失敗することはありますよ」
「……すみません」
「謝る必要はありませんよ」
モイラはクスクスと笑った。
少しだけ気持ちが楽になる。
一緒にいると、心が和む。
彼女はそんな不思議な魅力を持っている。
「今日は静かね。あの可愛らしい冒険者さんは何処かしら?」
「旦那なら……マコトさんなら」
シェリーは口籠もった。
出て行ってしまったとはどうしても言えなかった。
じくり、と傷が疼いた。
どうして、マコトを叩いてしまったのだろう。
後悔が押し寄せる。
「……あの男が原因なの?」
「――ッ!」
シェリーは心臓を鷲掴みにされたような衝撃に息を呑んだ。
何か言わなければならない。
それなのに気ばかりが急いて、言葉が出てこない。
「どうして?」
モイラは静かに言った。
責めるような口調ではなかったが、怒鳴られるより心に突き刺さった。
「あの男は何年も連絡を寄越さなかったのよ?」
「それでも、アランは、アランは……」
シェリーはタオルの上から指を押さえつけた。
アランの悪口を言われたからマコトを殴ったのだろうか。
いや、違う。
マコト以外の人がアランの悪口を言っても暴力を振るったことはなかった。
どうして、殴ってしまったのか。
疑問がぐるぐると渦を巻く。
「……アランは戻って、きて、くれたんです」
やっとの思いで言葉を紡ぎ、天啓のように答えが舞い降りた。
父が死に、常連客がいなくなり、不安に押し潰されそうになりながら待っていた。
アランが戻ってきた時、ようやく報われたと思った。
不安が和らぎ、世界に光が差したような気がした。
あの時、自分の思いを否定されたような気がしたのだ。
だから、発作的に叩いてしまった。
「……後悔してるのね?」
「……」
シェリーは小さく頷いた。
よくよく思い出してみればマコトはいつになく感情的だった。
いつもの彼は子どものくせに偉そうで、妙な倦怠感を漂わせていた。
ユウカと言い争うことはあったが、いつも彼が引いていたように思う。
そんな彼が苦しそうに、今にも倒れそうな顔で叫んでいた。
いや、説得しようとしていたのだ。
「じゃあ、謝らなくちゃ」
「何処にいるのか知らないんです」
シェリーはタオルから手を離し、目尻を押さえた。
この目ではマコトを探すことさえできない。
「だったら、私が探してあげるわ」
「いいんですか?」
「ええ、長い付き合いですもの」
よいしょ、とモイラは立ち上がった。
「よろしくお願いします」
「ええ、吉報を待っていて」
モイラが踵を返し、シェリーは深々と頭を垂れた。
しばらくして、ギィという音が響いた。
「……モイラさん?」
「シェリー、俺だよ」
顔を上げると、アランがスウィングドアの近くに立っていた。
「どうしたんです?」
「あ、ああ、シェリーに会いたくてさ」
アランは何処か熱っぽい口調で言い、自分の席――カウンター席の端に座った。
シェリーはグラスにレモン水を注ぎ、カウンターに置く。
「ありがとう、シェリー」
「いいんですよ」
アランはグラスを手に取り、一気に呷った。
空になったグラスにレモン水を注ぐ。
ポットを握っただけで傷がズキ、ズキと痛んだ。
もしかしたら、傷が開いたのかも知れない。
「なあ、今日は何時頃に店を閉めるんだ?」
「そうですねぇ」
シェリーはカウンターの陰で傷に触れる。
やはり、傷が開いてしまったらしくヌルヌルとした感触が伝わってくる。
自分で思っていたよりも傷は深かったようだ。
これなら店を閉めてしまってもいいかも知れない。
「……どうして、そんなことを聞くんです?」
「あ、あ、今夜は……シェリーと一緒にいたいんだ」
ドキッと心臓の鼓動が跳ね上がる。
全身が熱くなった。
だが、マコトのことを考えた途端、一気に熱が引いた。
「約束を守りたいんだ」
「……それは」
シェリーは小さく息を吐いた。
それは別れ際に交わしたもう一つの約束だ。
昨日までの自分ならば応じてしまっていただろう。
だが――。
「ごめんなさい、アラン。今日は、その、無理な日なんですよ」
「あ、ああ、女だもんな」
アランが落胆したように言い、嘘を吐いた罪悪感で胸が痛んだ。
だが、マコトに謝ってからにすべきだと思ったのだ。
「泊まるだけならいいか?」
「ええ、それだけなら構いませんよ」
シェリーはカウンターから出た。
「もう店じまいにするのか?」
「ええ、このまま開けていても仕方がありませんから」
宿泊客の当てもないし、店を閉めておけばマコトとアランが鉢合わせになることはないと思ったのだ。
喧嘩をして欲しくないですからねぇ、と考えて苦笑する。
何となく喧嘩にならないような気がしたのだ。
シェリーはカウンターから出て、鎧戸を閉める。
「手伝うよ」
「ええ、お願いします」
アランと手分けして鎧戸を閉め、最後に扉を閉める。
もし、アランが宿を継ぐ決断をしていればこれが日常になっていたのかも知れないと考え、すぐに思い直す。
一流の冒険者になるという夢を叶えることはできなかったが、あの頃のアランには年相応の夢があった。
アランは夢を追い掛けることを選び、自分は待つことを選んだのだ。
「鍵を出しますから――」
コン、コンという音がシェリーの言葉を遮るように響いた。
「お客さんが戻ってきたのかも知れませんねぇ。驚くかも知れないんでカウンターの陰に隠れてくれませんか?」
「あ、ああ」
アランがカウンターの陰に隠れるのを確認し、シェリーは扉を開けた。
いや、開けようとしたと言うべきか。
ドアノブを捻った次の瞬間、扉が勢いよく開いたのだ。
顔を強かに打ち付け、堪らずにたたらを踏む。
そこから先はあっと言う間の出来事だった。
三人組の男が店に押し入ってきたのだ。
一人はシェリーを床に引き摺り倒し、もう一人がカウンターを跳び越え、最後の一人が扉を閉めた。
その流れるような動きは三人が同じような犯行を繰り返してきたと確信させるに足るものだった。
「何をする――ッ!」
突然、衝撃に襲われる。
男がシェリーを殴りつけたのだ。
視界が涙で塞がれ、鉄臭い味が口の中に広がる。
「大人しくしろ」
「あ、兄貴、乱暴はしないって約束したじゃないですか」
「うるせぇッ!」
「ヒィッ!」
兄貴と呼ばれた男が叫ぶと、アランは悲鳴を上げた。
「アラン! これは――ッ!」
「黙れって言ってるだろ!」
再び衝撃に襲われた。
「う、うちには金目のものなんて――ッ!」
「黙ってろと言っただろ!」
三度目の衝撃に襲われ、シェリーは二つのことを理解した。
一つは意に沿わぬ行動を取ったら殴られること。
もう一つはアランに裏切られたということだ。
「ここに冒険者の置いていった武器や防具があることは知ってるんだよ」
兄貴――恐らく、リーダー――はシェリーの脚の間に体を滑り込ませた。
「アランの女だって言うからどんなドブスかと思っていたが、なかなかイケてるじゃねーか」
「兄貴、止めて下さいよ」
「うるせぇッ! こっちは溜まってるんだ! グダグダ言ってるとぶち殺すぞッ! 腕を押さえておけ!」
「や、止め――ッ!」
リーダーが腕を振り上げ、反射的に顔を庇う。
扉を閉めた男に腕を押さえられた。
リーダーは何処からか小振りなナイフを取り出し、シェリーの服を切り裂いた。
「ヒュー、いいもん持ってるじゃねーか。そんなに使い込んでねぇ感じだな」
リーダーはゲラゲラと笑った。
「――ッ!」
シェリーは唇を噛み締めて耐えた。
そうしなければ殴られる。
いや、殺されてしまうかも知れない。
「あ、兄貴、シェリーは、その、駄目な日なんですよ」
「構わねーよ! むしろ、滑りがよくなるってもんだ!」
冷たい空気が股間に触れる。
「おいおい、何処が駄目な日なんだ? 綺麗なもんだぜ?」
「……シェリー」
アランが呆然と呟き、カウンターにいた男が叫んだ。
「兄貴!」
「何だ!」
「これを見て下さい!」
男が掲げたのはマコトがくれた魔石だった。
「はは~、分かったぜ。この女は他の男とできてたんだよ。冒険者とできて、そいつから魔石をもらったんだ。新しい男がいるからお前のはいらねーってことだ」
リーダーはアランを嘲るように言った。
「違いますッ! 違うんです、アラン!」
「覚えの悪いクソアマだなッ!」
「――ッ!」
リーダーに殴られる。
「シェリー、どうして?」
アランは震える声で言った。
まるで自分が被害者だと言わんばかりだ。
「大人しくしてろよ? 暴れたら喉を掻き切ってやる」
リーダーは膝立ちになり、ズボンを下ろした。
その時、扉を叩く音が響いた。
「声を出したら殺すぞ」
リーダーはシェリーの首にナイフを突き付け、カウンターにいた男に目配せをする。
男はカウンターを跳び越え、笑顔を浮かべる。
関係者のフリをして誤魔化すつもりだろうか。
「すみませんね。もう満し――ッ!」
扉を開けた次の瞬間、男は吹っ飛んでいた。
水平に吹っ飛び、階段に激突する。
ぼんやりとしか見えないが、男の顔は赤黒く染まっていた。
シェリー以外の三人は呆然と扉を見ている。
コンという音が窓から聞こえ、三人はそちらに視線を向ける。
次の瞬間、風が吹き込んできた。
風は一瞬でリーダーの首をへし折り、腕を押さえていた男の頭を陥没させた。
瞬く間の出来事だった。
「ひ、ヒィィィッ!」
アランが悲鳴を上げ、風は動きを止めた。
「大丈夫か?」
「だ、旦那!」
シェリーは体を起こし、背中を丸めて胸を隠した。
風の正体はマコトだったのだ。
「フェーネ、リブ!」
「出番ッスか?」
「出番か!」
フェーネとリブが店に飛び込み、そのまま動きを止めた。
「何だよ、もう終わってるじゃん」
「リブ、服」
「仕方がねーな」
「パレオじゃなくて革ジャンだよ」
マコトがパレオを外そうとしたリブに突っ込む。
「ちょっとしたジョークだろ」
マコトはリブから革ジャンを受け取り、そのままシェリーに被せた。
「フェーネ、水薬」
「分かったッス」
マコトはフェーネから水薬を受け取り、そのまま動きを止めた。
「掛けた方がいいな。不味いから飲むなよ」
「痛ッ!」
シェリーは水薬を振りかけられ、小さく悲鳴を上げた。
だが、水薬の効果は絶大で痛みがあっと言う間に引いた。
「入っていいぞ」
「突撃!」
「もう終わってるよ」
衛兵が雪崩れ込み、マコトは突っ込みを入れた。
「ああ、一人残ってるか」
「大人しくしろ!」
「分かった。分かったから乱暴にしないでくれ」
声のした方を見ると、アランが衛兵に縄を打たれる所だった。
シェリーは立ち上がり、我が身を掻き抱いた。
衛兵がアランを連行していく。
「……アラン」
「……シェリー」
アランは辛そうに俯き――。
「どうして、俺を裏切ったんだ! 俺は、俺はお前のために頑張ったのに! クソみたいな生活をしている時もお前のことを考えていたのに!」
「――ッ!」
シェリーは罵声を浴びせかけられ、鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
さらに罵声は続く。
「この裏切り者! その男とできてるんだろ!」
「静かにしろッ!」
衛兵がアランを殴りつけて黙らせる。
不意に力が抜け、シェリーはその場に膝を屈した。
悲しいはずなのに涙は出なかった。





