Quest32:愛を確かめよ
夜――マコトは部屋を出た。
手摺りのない階段を下りる。
シェリーはカウンターで明日の仕込みをしているようだ。
階段を途中まで下りた所でシェリーがこちらを見上げた。
「どうかしたんですか?」
「ちょっと喉が渇いてな」
そうですか、とシェリーは笑った。
喉が渇いたのは本当だ。
だが、喉が渇いたのなら蛇口を捻ればいい。
水筒の水を飲むという手もある。
それをしなかったのは――。
「シェリー?」
「はい、どうぞ」
シェリーがカウンターにグラスを置き、マコトは仕方がなくカウンター席に座った。
グラスを口元に運び、中の液体を口に含む。
爽やかな味わいが広がる。
いつも通り、レモン水だ。
半分ほど飲んで、グラスをカウンターに置く。
「どうです?」
「いつも通り、美味いよ」
「ありがとうございます」
そう言って、シェリーは仕込みを再開した。
肩越しに背後を見る。
雨戸はしまっていない。
まだ営業中だ。
シェリーに視線を向ける。
リズミカルに野菜を刻んでいる。
どうやってベッドに誘えば、とマコトはグラスを見つめた。
明るく切り出すべきか。
静かに切り出すべきか。
ちょっと強引に誘うのもありのような気もするが――。
いや、強引なのは止めておこう。
シェリーに嫌われたくない。
「……調子はどうだ?」
「何のです?」
シェリーは手を止め、可愛らしく首を傾げた。
「まあ、仕事のこととか」
「そうですねぇ。食堂を利用する人がちょいと増えた感じですね」
「そうか」
マコトは肩越しに背後を見た。
当然というべきか、そこには誰もいない。
「昼間のことですよ、昼間の」
「そうなのか」
「ええ、表通りの店は壊れてる所が多いですからねぇ」
「……そうか」
シェリーが困ったような表情を浮かべ、マコトはやや間を空けて頷いた。
守銭奴ならば儲かったと喜ぶのだろうが、彼女は申し訳なく感じているようだ。
そんなに商売っ気がなくて大丈夫なのだろうか。
正直に言えば心配だ。
だが、それがシェリーだし、いざとなったら自分が何とかすればいい。
今の自分にはそれだけの力――と言うか、金がある。
受け取ってくれなそうだけどな、とマコトは頬杖を突いた。
まあ、そこがいいのだが――。
それにしても、どうやってベッドに誘えばいいのだろう。
若い頃はどうだったかな~、と天井を見上げた。
「旦那はどうです?」
「調子か?」
ええ、とシェリーは頷いた。
「悪くねーな」
「本当ですか?」
シェリーがカウンターから身を乗り出す。
豊かな胸がカウンターの上で形を変え、思わず視線を逸らす。
「ほ、本当だ」
「ふぅ、分かりました」
シェリーは溜息を吐き、体を起こした。
「無茶はしないで下さいよ」
「ああ、約束する」
シェリーは再び溜息を吐き、カウンターから出た。
そろそろ、店じまいか。
ベッドに誘うチャンスだ。
「……シェリー」
「何です?」
シェリーは足を止め、こちらを見る。
「……手伝うよ」
「じゃあ、そっちをお願いします」
ああ、とマコトは返事をしてイスから立ち上がった。
手早く雨戸を閉める。
シェリーは雨戸を閉めると、カウンターに戻って仕込みを再開した。
マコトはカウンター席に戻り、シェリーの様子を眺める。
今夜は駄目そうだが、まあ、こういうのも悪くない。
そういうことにしておこう。
諦めの境地に至った頃、シェリーは手を洗い、タオルで拭った。
「……もうおしまいか?」
「掃除をと思ったんですけど……」
「シェリーは働き者だな」
「今日はサボります」
シェリーはにっこりと笑った。
「照明を消すんで……」
「分かった。上に戻る」
マコトが立ち上がり、そのまま階段に向かう。
階段に足を掛けたその時――。
「旦那!」
「何だ?」
マコトは足を止め、声のした方を見る。
シェリーがカウンターの近く――居住スペースに続く扉の前から手招きしていた。
「ちょいと手伝ってくれませんかね」
「ああ、構わないぜ」
扉を入ってすぐの所はちょっとした倉庫になっていたはずだ。
多分、小麦の袋を動かして欲しいとかそんなことだろう。
マコトはシェリーの下に向かった。
シェリーの脇を横切り、扉を潜る。
倉庫はきれいなものだった。
何をどうすればいいのか分からない。
「どうするんだ?」
「……」
振り返って尋ねると、シェリーは無言だった。
何処となく拗ねたような感じだ。
「どうかしたのか?」
「もう! 旦那は鈍いですね」
シェリーは怒ったように言い、胸に飛び込んできた。
いや、もう少し弱々しい感じか。
マコトはシェリーを抱きしめた。
溶けて消えてしまいそうな柔らかさだ。
「つまり、OKってことか?」
「まったく、旦那は……」
シェリーは呆れたと言わんばかりに溜息を吐く。
「もうちょい雰囲気を重視してくれてもいいと思いますけどね」
「俺なりに読んだつもりなんだが?」
「何処がです?」
「何か無理そうだなって」
「そうですか」
シェリーはクスクスと笑った。
「もしかして、気づいてたのか?」
「何となく気づいてましたよ、な~んとなく」
「酷ぇ」
最初から最後までシェリーの手の平の上だったということになる。
「気づいてたんなら焦らさなくても」
「もうちょい若けりゃよかったんですけどね。いい歳なんで」
「何の関係があるんだよ?」
「もったいぶらないと、ありがたがってもらえないじゃないですか」
「ありがたがるどころか、諦めの境地だったよ」
「で、どうするんです?」
シェリーはマコトの首に手を回して言った。
もちろん、答えは決まっている。