1:アノミー
ここは東京。紛れもなく東京である。今は夜の10時頃で、街灯が街を優しく照らしている。
「きゃああああああああ!」
なのに、それに不釣り合いな声が街に響いている。
つい最近まで活気づいていた都市が今はもう暗く、賑わいもない。
僕は溜め息をついて声の主を探した。
全く物騒な世の中になったものだ。
角を曲がれば、カバンを持った女性が、こちらに走ってきた。
ぶつかりそうになり、咄嗟に身を引く。
もし僕が学生で、これが朝の通学時間で、遅刻を恐れて走っていて角を曲がったところで、同じく急いでいたのだろう転校生の美少女が走ってきたというシチュエーションならば、喜んでぶつかったのだが。
そんな僕には気付いていない様子で女性は走りぬけていく。
それもそのはず、女性は今まさに異形のものに追われていたからだ。
人間と同じ姿形だが、眼は虚ろで呻き声をあげ、のろのろと歩く。
一言で言えば、ゾンビである。
もう気付いたかもしれないが、今この大都市がこのような状況になっているのは、僕の目の前にいる生物、ゾンビのせいである。
僕は手に握っていた刀を構えた。
ゾンビはやはりこちらに向かってくる。
僕は一思いに切り裂いた。一刀両断。
返り血が頬につく。
動きが遅いゾンビに刀をよけることは不可能だ。
大人しく殺られてくれて助かる、と額に滲んだ汗を拭った。
やがて僕はある洋館の中に入った。
数年前までは人が住んでいたが、もうゾンビにやられてしまった。
館はかなり大きく、4階まである。
なので、今は“僕ら”の拠点になっている。
「如月サーン!」
呼ばれて、僕――如月 透は声がした方を見た。
「今日は2体やっつけましたよ!」
そう言って駆け寄って来たのは、僕らの仲間の1人、武子 和義だ。
明るく社交的でまっすぐな性格をしており、高身長で誰がみても爽やかな好青年だ。
「やるじゃないか、でも無茶はしちゃ駄目だよ?」
「はい!」
そこで僕はあることに気づいた。
「ところで晋平君たちは?」
「晋平は部屋でだらだらしてます!遼はまだ帰ってきてません」
その言葉に思わず溜め息をついた。毎回本当に呆れる。
「また単独で行動してるの?」
「はい」
「僕少し捜してくるからここで待ってて」
玄関のドアが開く音がして、僕は振り返った。
案の定、遼が立っていた。
「遼くん……」
「如月班長」
遼はこちらに気づくとイヤホンを耳から外した。
目の前にいるこの青年、永洞 遼は、口元のほくろがチャームポイントの青年だ。
性格は悪いわけではないのだが、少し問題がある。
というのも、とにかく反抗的なのだ。優秀な分、さらに扱いにくい。
遼はこちらを一瞥しただけで部屋に戻っていった。
「武子くん……副班長なんだから、遼くんがもし駄目な行動をしたらちゃんと止めてやるんだよ?」
「はい!分かりました!」
返事はいいのだが……。
武子は真面目だが純粋すぎる一面があり、人に流されやすい。
僕も精神面から指導できるようにならないと……。
さて問題はもう一人だ。
僕らの班の部屋をドアを開けると、スナック菓子の袋を開封する音が聞こえた。
「晋平くん……」
「おっす、にっちゃん」
賞味期限切れのスナック菓子を食べながら挨拶した男、田浦 晋平は、僕の方を見ようともせずにテレビゲームの電源をいれた。
「晋平くん、できれば『にっちゃん』はやめてほしいな……」
「なんで?如月って二月でしょ?だからにっちゃん」
はぁ、と思わず溜め息をついた。
「あとさ、晋平くん……お菓子は食べすぎると…………」
「おぉーっと、その先はもう聞き飽きました」
晋平は少し、いや大分肥満気味だ。
だから晋平のことを思って言っているのだが、晋平は話を聞いてくれそうにない。
「晋平」
そこで、ベッドに寝そべっていた遼が口を挟んだ。
「なんじゃい」
「班長の言う通りだ。お前はもっとその肉団子みたいな身体をどうにかしろ」
「あ?」
そして喧嘩に発展する。いつもの流れだ。
「だからお前は役立たずのまま人生を終えていいのかって言ってんだよ」
「うるせー!俺が痩せるのは女の子に言われた時だけだ!」
本当に頭を悩ませる人たちだ……。
遼たちの仲裁は武子に任せ、僕は階段を上り、3階に行った。
3階から4階では、僕たちが救助した一般人を保護している。
ゾンビの襲撃に対応できるようにするために、僕らが下の階、一般人は上の階となっているのだ。
「お兄ちゃん!」
ふと、聞き慣れた声がして、僕は振り返った。
すると、僕の妹である陽菜が立っていた。
「おー、陽菜」
ヒナは僕の元まで駆け寄ると、僕の腰に抱き着いた。
「ヒナ、母さん今部屋にいる?」
ヒナは顔をあげて、「いるよ!」と元気よく言った。
「お母さんね、お兄ちゃんに話したいことがあるんだって」
「なんだろーなー」
ヒナと母さんの部屋のドアを開けると、母さんが洗濯物をたたんでいるのがみえた。
「母さん」
「おお、透かい」
「なんかいつかまた重要な任務があるらしくて、帰ってこれなくなるかも」
「そうかい」
「僕の心配はしなくていいよ。で、話したいことって?」
母さんは一瞬少し寂しそうな顔をし、それからすぐに微笑んだ。
「昨日、陽菜の誕生日だったんだよ」
「え!」
するとヒナがこっちを向いて、「13歳だよ!」と言った。
「ごめんなヒナ、祝ってやれなくて」
ヒナは首を横に振った。
「ううん、お兄ちゃん忙しそうだもん」
「…………」
僕のせいで、ヒナが寂しい思いをしているなんてこと、ないだろうか。
「じゃあね、ヒナ」
僕は部屋をあとにし、2階の自分の部屋へ向かった。
明日は会議があるのだ。レポートも書かなければいけない。
今ではもうこの世界は無法地帯と化している。
首相や天皇、テレビ俳優や上級国民までもがゾンビになり、ゾンビも人間も生きるために殺しあう。
勿論、生活のために通貨などという存在は無くなったし、誰もが罪を犯しても許される。
まさに無規則な社会、秩序が崩壊することを意味するフランス語の『アノミー』なのである。
僕らはこの『アノミー』の中で、守り続ける。
命を、価値観を、人間としての尊厳を。
秩序無き世に秩序を示す。
そう、僕らこそが!
Japan undead countermeasure group(通称JUCG)
国民救助隊兼アンデッド殲滅部隊なのだ!
登場人物プロフィール
如月 透
アンデッド殲滅部隊所属 如月班班長
22歳 O型
身長:172cm 体重:59kg
誕生日:2月15日
好きなもの:母の手料理、キムチ、家族、親友
晋平からのあだ名:にっちゃん
如月 陽菜
13歳 A型
身長:130cm 体重:32kg
誕生日:2月6日
好きなもの:読書、母との会話、家族