幕間 2
早朝の東京。ホテルの部屋で息を乱しながら、出海夕夏が狼狽えたのは言うまでもない。だが、同時に彼女の正義感が、烈火の如く燃え上がったのもまた当然のことだった。
彼女は闇の中に生きる者として、相応の覚悟と実力を兼ね備えた優秀な魔術師の一人だ。
乱した息が整うのを待たず、出海は刀を手にした。魔術師にしか見えない術具であり武具だ。
名を、〈天之尾羽張〉。
名付けは、この刀を打った刀鍛冶である。稀代の天才と謳われた刀鍛冶はその技巧で以て三振りの刀を生みだし、それらに圧倒的な力を内包させ、この世界に解き放った。
――託す、という形で。
中部支部で起こっていることをなんとしてでも解決しなければならない。
東京のど真ん中で立ち尽くしている暇はない。帰らなければ。事態に対処しなければ。
出海夕夏は大きく息を吐いた。静かな一室のドアにもたれかかりながら、覚悟を決める。
この世界は紛れもなく闇だ。
きっと正義もあるだろう。正しさが勝るときもあるだろう。だがそれは、黙っていればやってくる渡り鳥のようなものでもなければ、頼めばやってくる便利屋でもなければ、眠りから覚めれば太陽が昇っている明日でもない。誰かが動かなければならないのだ。誰かが、己の信じた正しさと、誰かの間違いを否定する強さを持たなければならない。
今この瞬間、災厄を断ち切ることの出来る人間は誰だ。
「私しか、いないじゃない」
出海夕夏は、ジャージーのポケットから携帯電話を取りだし、短く、メールを打った。
『正午。連絡。即、帰郷す』
そして、少女の目に闇の世界の力が滲む。
毛先まで整えられた髪を音もなく舞わせ、少女はそのドアを開いた。
静かな廊下の床に彩られた花柄を踏む。手にした刃の圧倒的力が、己の速力になる。
「待ってて。今すぐ、戻るから」
彼女は、日本魔術協会中部支部北陸分所に所属する魔術師、出海夕夏。
人の速さを超え、時にビルを、時に線路を、あらゆる障害を飛び越え都会を抜ける。
――だが。
少女が触れた闇は、そう易々と彼女を逃がしはしなかった。
追っ手がいたのだ。
出海夕夏を凶刃が襲ったのは、少なく見積もっても一度や二度ではなかった。まるで行く手を阻むためだけに張り巡らされたかのような罠は、紛れもなく、出海夕夏を狙う魔術だった。
少女を襲う、無人の車爆弾。降りしきるナイフ。足を絡め取る、異様に蠢いた草木。
深淵が少女を襲う。
少女は己の魔力と刀の力によってそれらを薙いだ。
しかし無傷ではいられない。汗と血が全身を覆っていた。
それでも、少女が歩みを止めることは一瞬さえもなかった。ひたすらに、ただ己が守るべきものを守る為だけに、その覚悟は前へとその足を動かし続けていたのだ。
雪が降りしきる北陸は、出海夕夏を真っ白な景色で出迎えた。鉄道各線は完全にストップし、人の波もまばらだった。
「早く、帰らなきゃ」
このことを伝えなくてはいけない。最も手軽であるはずの通信札が何故か使えず、この地へ戻ってくるまでは現況を訴えることも出来なかった少女は、息を激しく乱しながら、ふらつく足で北陸分所まで歩みを止めなかった。
だが。
「残念だったね。出海夕夏」
その声が聞こえたとき、出海夕夏の背筋をはしったものは一体なんだったのだろうか。寒気なのだろうか。死への恐怖なのだろうか。それ以上の、絶望だろうか。
それまでを知るのは、出海夕夏ただ一人だ。
そしてその先を知ることは、出海夕夏には、出来なかった。出来なくなって、しまっていた。
そこからは、兄である出海雪路と、妹のみが、知ることとなる。
どこもかしこもてんやわんやの年度末。申し訳ございません!二ヶ月ほど更新をお休みさせて頂きます。
次回は四月六日金曜日に更新予定。第三章の開始まで今暫くお待ちください。
よろしくお願いします。




