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魔術師 3

 あり得ないの一点張りもそろそろ飽きて来た頃だろう。不知火はリオウの動揺を理解しながらも、話を続けた。


「それはね、伝え聞く通りのものではないことは否定しないよ。神の守護者(ガーディアン)は一切の魔術を弾く絶対的な盾であると、そう僕も聞いている。まあ今までの和川奈月を見ての通り、自身に魔術を掛けて身体能力の強化をして戦闘に臨んでいた。しかも、君の魔術、〈衝撃(クラッシュ)〉を受けて苦しんでいる様も見ているだろう。それで、対魔術における絶対的な盾と言えるだろうか。そう、言えないんだ。魔術の補助なんて付けられる筈もないし、君の攻撃に痛みを感じることもないだろうからね。だから、僕ら日本魔術協会はこの力についてこう考えている。

 ――和川奈月の中にある神の守護者(ガーディアン)は『未完成』なんだ、とね」


 不知火が口にした未完成という言葉に、リオウの表情は虚を突かれたように硬くなった。意味が分からないのだろう。そもそもがあり得ないと断定したくなる存在なのだ。腑に落ちない気持ちは不知火にも分かる。


「そういうものなんだよ。信じ難いだろうが、和川はそういう存在なんだ。まあ、未完成だったおかげで、僕からも彼に魔術的な補助が行えるから便利ではあるんだけどね」


 和川奈月の『神の守護者(ガーディアン)』は未完成ながら、魔術に対する耐性は通常とは比にならない程強い。だからこそ、サミュエル=ジョーンズが自身と嘉多蔵亜里沙を隠すために張った堅牢な魔術を、和川だけは見破ることが出来た。そして未完成だったおかげで、不知火は和川に『認識し辛くなる』魔術を掛けることが出来、嘉多蔵亜里沙救出も行えた。あらゆる場面でその力は真価を見せてきたのだ。


 その『特別』を、リオウは敵に回してしまった。下準備はえらく慎重であった筈なのに、敵勢力の人数や名前までは調べても、その特異さにまで手が回っていなかったのだ。嘉多蔵亜里沙というイレギュラーな存在が、思わぬ所で目眩ましになったのかもしれない。


 あれだけ、あれだけの準備をして、それでも落とし穴はすぐ目の前にあった。


 数秒の間が、リオウの混乱した頭を落ち着ける。すぐさま後悔が支配した。慎重さが足りなかったという他ない。――いいや、ただの驕りだったのだと今なら理解出来る。


 微風に白髪を揺らしながら、リオウは、笑った。


 声を出して、笑った。


「おや、とうとうおかしくなったかい?」


 怪訝な目を向けながら不知火は問う。


 リオウは笑い声を段々と大きくしながら、ゆったりとした動作で首を上げ、空を見た。そこには、オレンジ色が近付く空があった。


「ということは、だ」


 笑いの余韻を言葉の中に残しつつ、リオウは囁くように呟く。


「もしその神の守護者(ガーディアン)が本物だったとしても、〈掟破り(ルール)〉の発動に支障はないということだな。未完成だとかいうその力には、全てを無に帰すだけの効力はないと」


「ああ。残念ながらそうだね。もしそれが可能なら、僕らはこんな面倒なことをせずに真っ先に全てを壊しているよ」不知火は飄々と返す。


「はは……そうか」


 空を漂う小さな雲を見上げたまま、


「ならば、問題ない。希少かつ圧倒的なその特異能力をもってしても、俺の策を根底から覆すような脅威足り得ないという訳だ」


 後ずさっていたリオウは、屋上の縁に立ち、一度大きく息を吸った。


「魔術が効かなかろうが、俺の優位が変わらないなら問題ない。あと五分。それでゲームセット――」


 言い終えることなく、リオウの口は止まった。


 和川奈月が最速で突進し、リオウに拳を放ったからだ。


 リオウの白髪を風圧が揺らす。


 怒りに満ち満ちた表情の和川のその右拳を、嘲笑するかの如く嗤うリオウは左手で受け止め、大きな手は和川の拳を掴んで離さなかった。


 この超至近距離で、二人の魔術師が互いの目を睨みあう。


「ぜってえ赦さねえ」


 潜めたような声は、煮えたぎる怒りの証だった。


「魔術が効かないからと正面突破か。種明かしされた後だと、少々腹立たしいな」


「俺が何者かなんて関係ない。悪は討つ。そんだけだ」


「自分を過信しすぎじゃないか? 魔術では死なないからと調子に乗るなよ黒髪」


「例え俺がこんな特別なものを持ってなくても、俺はお前を止めに来た筈だ」


「何故そう言いきれる」


「俺は平和がいいんだよ。好きなんだよ。馬鹿にされようが叶えたいんだよ。でもな、皆の平和の為に皆の命を犠牲にしようなんて思わねえ。それは、魔術師が絶対にしちゃいけないことだからだ。そんなの、何が何でも止めるに決まってんだろ」


「それが平和ボケだと何故気付かない。争いというものはなくならない。だが実現できる可能性ならある。それこそ、偉大な犠牲と、語り部と、そして絶対の掟こそが必要だ。頭の中のお花畑はこの平和な国でしか意味を成さないと覚えておくんだな」


「馬鹿にするならしろよ。お前よりはマシだ。なんの問題もない」


「挑発はもっと上手くするんだな。負け犬の遠吠えにしか聞こえんぞ」


「どっちが」


「五分足らずで分かる」


 直後、さらなる衝突が始まった。


 リオウが握りしめた和川の拳から、膨大な魔力の塊が放出された。それは漆黒のオーラを纏ってリオウを襲う。魔術ではない。単なる魔力の爆発だった。


 爆発音は三度連続した。


 だが。


神の守護者(ガーディアン)は自身の魔力も拒絶すると聞いたことがあるが、そうか、未完成なお前は魔術を使うことも出来るんだったな」


 リオウは和川の手を離さずにその場に堂々と立っていた。表情一つ変えず、もはや動揺の色はどこにもない。


「さあ、焦れ、黒髪」


 白髪の魔術師は既に、勝者の顔をしていた。


「ぜってえ倒す」


「やれるものならな」


 和川は自身の躰に魔術を施す。


 身体能力を限界以上にまで高め、膂力から速力に至るまで、限界以上を実現する為の魔術。この魔術は長く持たない。だが、もはや長く持たせる必要もない。


 リミットはあと五分。それで駄目なら、まさしく、終わりだ。


 その時だった。


「一分我慢しろよ、和川奈月」


 和川が目を見開いた。


 その声は不知火オーディン大和のものだった。


「は? それ、どういう――」


 訳の分からない和川を無視した形で――



 そして――灼熱が猛る。



 大魔術廃絶部屋上、その縁から、天高く昇る真っ赤な炎の柱が轟音と共に燃え盛った。


 火の粉が舞い、火花が弾ける音がかん高く、そして鋭く鳴る。


 一分。不知火はそう言ったが、思いのほか早く炎の柱は消え去った。いや、一瞬の間に弾け散ったと言うべきか。実に呆気なく、何もなかったかのように失せた炎が、屋上の床スラブに残滓のように焦げ跡を残し、そしてその上に、白髪のリオウは立っていた。衣服に焼けた跡はあるが、先程からのものも含めると、炎の勢いを否定するかのような程度のものだった。その白い肌にも、僅かに煤が付いているだけだ。


「防御魔術か。さすがはリオウ=チェルノボグと言ったところだね」不知火は呟くが。


「おい大和テメェ! 俺もいたんだよ! 構わず燃やすな馬鹿! 馬鹿!」


 炎の中からなんとか脱出した和川が大和の耳元で文句を、それはもう小学生のように叫ぶ。


「忠告はした。ちゃんと避けられたんだからいいだろう?」


「ちょっと燃えたけどな! 傷はなくても熱いの! 痛いの!」


 怒声はひたすら不知火の鼓膜をいじめるが、掌で制して、


「まだ四分強あるんだ。アレはまだ使うな」


 視線一つ向けずに囁かれたそのセリフに、和川は眉根を寄せた。


 不知火の胸倉を掴み、和川は不知火の双眸を、表情を震わせながらきつく睨んだ。


「あと四分しかねえんだぞ……あと四分で……」


 荒らげないよう必死に抑えたような声だった。


「いいから落ち着け和川奈月、あと四分もあるんだ。焦る必要はない。ここまで来られたのは奇跡みたいなものなんだ。じっくりと待とうじゃないか」


 言葉の真意が、和川には分からなかった。


「何が言いたい」


「もっと早くやられてしまってもおかしくないと思っていたからね。まだ立っていられるこの状況は紛れもなく奇跡さ」


「おい……もう諦めたって、そう聞こえるぞ、大和」


「そう聞こえたならすまない。だが、今は言い争っている場合じゃないだろう?」


 結局一瞥もくれない不知火の胸倉を乱暴に離し、和川はリオウへと目を向けた。


 リオウは見下すように嗤いながら、


「ひと悶着は終わったか?」


 時間の経過を待つだけでいいという御身分のリオウは余裕綽々。


「いいや。どうも、この後輩は(ここ)の方に問題があるようで」


 言いながら不知火は自分のこめかみを二度指で叩いた。和川は憤るが、不知火は気にも留めない。


 不知火は細く息を吐いた。


「あと四分、か。さて、ここまで来たら、そろそろ諦めてもらうことにしようかな。今更足掻いた所でどうなるものでもないしね」


 一瞬理解の為の間を置いて、和川はがなった。


 不知火は和川の目を見つめ、そして逸らし、リオウには聞こえないくらいの声量で、


「遅くなったが謝っておくよ和川奈月。もっと君に分かり易い言葉で説明すべきだったよ。僕はね、最初からこの事件を僕らで解決する気なんてなかったんだ」


 その呟きに、今回ばかりは和川も言葉の意味が噛み砕けない。内容ではなく、単語の一つ一つがもう理解出来ない。


「さあ、リオウ=チェルノボグ、ここからの四分は少し話でもしようか」


「戦いを放棄すると?」


 リオウは白髪を揺らし、力を抜いた格好で訊ねた。


「ああ。一旦はね。もうそろそろ潮時、諦めてもらうには丁度いいだろう」


「そこの黒髪はその気はないようだが?」


「こういう性格だからね。馬鹿正直であまり器用な振る舞いは出来ないんだ。放っておこう」


 当然和川は黙っていない。


 だが不知火は、半ば強引に和川を黙らせた。つまり、魔術を使って、脅しを掛けたのだ。少し黙っていろ……そう命じるように。


「で、リオウ=チェルノボグ。僕には、実を言うと、ここに来る前に一つ分かっていたことがあるんだ」


「なにがだ」


「サミュエル=ジョーンズにあれこれと訊いた時、嘉多蔵亜里沙誘拐の依頼書についてサミュエルはこう言っていた。――協会理事の孫を拉致し、翌朝まで時間を稼げ――だったかな。その時既に、僕は今回の事件のリミットは夜明けであることを察していた。もちろん、確信に変わったのは、魔術鉱石を追って君の姿を捉えた時だけどね。そして、通信札が傍受されている可能性も考えて、そこから僕は通信札を使っていない。つまり、そこから僕の準備は始まっていた訳だ」


「何が言いたいのかイマイチよく分からないな」


 空が白む。オレンジ色が街を染めるその瞬間が目前に迫っている証拠だった。


「朝がリミットだ、と君が僕らに告げた時、驚きはしたが、同時に安心もした。ここに来るまでに時間が掛かり過ぎだとは思わなかったかい? それはそうだ。朝までは大丈夫だとたかを括って、少々下準備をしてから来たからね。もし僕らがここに来た時点でゲームオーバーなら後悔してもしきれなかっただろう。本当に安心したよ」


 不知火が話している間も、和川には焦りが全身に表れている。不知火は放置した。


「ああ、あと、感謝してもしきれないことが一つあるんだ。それを伝えておかないと、納得しない奴が一人、僕の隣でうずうずしているからね」


 不知火の語りはどこか緩慢としていた。


「あと三分もないかな。じゃあ、感謝の意を一つ」


 リオウの表情は徐々に訝しげになっていく。何を言っているんだこいつは、と顔に書いてあるようだ。


「君は、この夜明けのリミットが分かっているから、実に面倒な言い回しで、ゆっくり、それはもう時間の経過を促すように話していたね。それは時間稼ぎだった、というのはさっき君が語った通りだが、まあね、僕はそれに気付いていたよ。そもそも、リミットがあるのに悠長に話して待つ馬鹿なんて、それこそ、新人の無知な黒髪の魔術師くらいなもんさ。そこまで僕は馬鹿じゃない。僕にとって何よりおそろしかったのは、その時間稼ぎを君がせず、正面から僕らを潰しに来る場合だった。夜明けの前に僕らが潰れてはさすがに困る。君の時間稼ぎのおかげで、僕らは今もここに立っていられるようなものさ」


「ああ。生かしておいてやったからな」


 魔力のゴミ箱にする為、そして生き証人になってもらう為、とリオウは語っていたが。


「目的はどうでもいいさ。真っ先に殺されて、好き勝手やられることの方がおそろしかった。君との実力差を見せつけられた時には相当焦ったものさ。これは殺される可能性もあるな、とね。だから安心したんだ。朝までの有限ではあるが、それまではどうとでも出来るってことだからね。猶予があるというだけで希望はあったのさ」


「もう夜明けも間近に迫っている……希望も何もないだろう」


「いいや、違うな」


 怒りに満ちた和川が、何かを感じ取ったのはこの時だった。感情の昂りが不知火の考えを読み取ろうとすることを忘れさせていた。


 不知火の表情は、驚くほどに穏やかだった。険しさが感じられない。リオウが漂わせていたような相手への蔑みでもなければ、(よこしま)な余裕でもない。


 むしろ、いつもの不知火オーディン大和だった。


「この時間まで粘っていたのは、何も君だけじゃない。そういうことだよリオウ=チェルノボグ。そもそも、君の時間稼ぎのほとんどは僕が話していた時間じゃなかったかい? わざわざここでする必要もないのに、君の策を推理してそれを堂々と話させてもらった。随分遠回りしたものだ。そこで朝まで粘ることが出来れば最高だったんだけど、口は達者じゃなくてね。また今、戦闘を一度挟んでしまったよ」


 不知火から零れ落ちる言葉の数々に、和川は焦りよりも沈着さを得ようとしていた。


 ではリオウはどうか。周到に準備をし来日した用心深い男は、母国に比べれば相当マシな日本の寒さをやけに厳しく感じていた。なんだこの寒さは。なんだこの凍える風は。背筋をはしる悪寒が嫌な予感であることに気付いたのは、冷や汗で全身が濡れていると自覚した時だった。


「何が言いたい」


 腹の底に溜まったあらゆるものを閉じ込め、平常心を武装したように訊ねるが、冷静な目でこの場を見つめる不知火にその動揺が伝わらない筈もない。


「あと少しで分かるよ」不知火はリオウを挑発するように、似合わぬ笑顔を作って見せた「あと三分……いや、そんなに掛からないかな」


 その一言に、和川は息を呑んで東の空を見た。リオウは無理矢理に嗤って、勝利を確信しようと空を見上げた。


 そこには既に、真冬の太陽が昇っていた。世界を照らし、街をオレンジ色に染め上げる。それは、リオウ=チェルノボグの勝利を告げる終焉の空であった。



 ――そうなる筈の、輝きだった。


決着は近い……!?

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