象るもの 6
雪が降ったのは、一体何時間前のことなのだろう。もはや時間の経過など和川の感覚では捉えられない。携帯でも開けば簡単に確認できるのだろうが、それが許される空気でないことは理解できる。
そして、自分が思っているよりも、寒さが強くなっていることも、分かっていた。
「では、そろそろ全てを話そうか」
ああ、終わりが近い。和川の脳内をリオウの声が支配した瞬間、和川はそう心で呟いて息を凝らし、苦しさに気付くまで空気が通ることを忘れていた程だった。
リオウから吐き出される言葉は、先程までの緩慢な語りが嘘のように少しばかりの饒舌さすら携え、
「まずは、何故貴様らをここに誘い出したか、だったか」
つまりは、誘い出したとの推測――それらの肯定である。
「テロリストとは確信犯だ。世界の変革を求めるものが大半と言ってもいいだろう。だから多くのテロは後に犯行声明が出る。事件を起こしそれを知らしめ、恐れを植え付け世界に訴えかける為だ。この俺も、それに類する存在だとするならば、知らしめなければならない。世界を一変させるこの変革を。大国が踏ん反り返る現状の破壊を。その為には何をするべきか……生き証人という奴が最も効果的だと、歴史はそう語っていると、そう考えた」
「大魔術廃絶部の人間……いや、そうでなくてもいいのか。日本魔術協会の魔術師が、君の企む〈掟破り〉発動によって、世界の禁じられた大魔術が無意味になるその瞬間を見てもらうことによって、恐れの効力はより強くなる、とそう考えたわけだな」
「ご名答。さすがだ。日本なんかは特にそうだろう。嘘か本当か分からないような自称生き証人の言葉によく流される生き物だからな」
「どういう意味だ」
和川が低い声で返す。癪に障る言い方だったからだ。
「大魔術に関することだと思ったか? だとしたら、貴様の捉えた意味じゃない。ただ、日本という国は押しに弱いと言いたかっただけさ。弱みに付け込まれると簡単に屈する。日本だけじゃない。世界のどの国も、事件を目の当たりにした人間の言葉には易々と耳を傾け、そして面白いように流される」
リオウの言葉は重たい。内容どうこうではなく、一文字一文字が脳天を突いてくる。
この重苦しさを知ってか知らずか、冷たく小さな風が爽やかに屋上を通り、不知火の金色の前髪が僅かに揺れた。黒い服が闇に紛れるが、不知火の存在感は容易くは消えない。多めの息を含みながら、不知火はリオウの言葉に反応する。
「その役目を僕らにやれと言っているのかい。ただそれだけの為の遠回りだったと」
喉の奥からの声だった。怒りにも似た感情を臭わせ、そこには僅かに震えもあった。
リオウは空を一瞥し、また嗤う。
「まあ、そうなる。……が、もちろん、それだけの為にこんな手間は掛けない」
そこには圧倒的余裕を感じさせる。
通信札の限定的な妨害。巨大な魔力貯蔵庫まで用意していたということは相当難易度の高い魔術なのだろう。それだけでもかなりの手間暇を掛けている。他にも、誘導する為の工作はいくつもあった。
ただの生き証人の為の手間にしては、やや遠回りだ。
「まず、お前達には魔力不足を補う為に滝公園に向かってもらうことは必要だった。そして、多くの魔力を使っておいてもらうことも、必須だった」
多くの魔力の消費が何だというんだ、という不知火の問いは、さすがの和川でも抱いた極普通のものだった。
事態が直接の戦闘に至った時有利に立つ為か。いや、先述の通りリオウには魔力貯蔵庫がある。いざという時の魔力供給に問題はなく、なによりリオウ=チェルノボグはその程度で優位が揺らぐ存在か。ここまでの言動から察するに、それもない。
「必須、と言っただろう」
「魔力が不足している魔術師二人が、大魔術発動に不可欠だとでも言うつもりかい?」
禁じられた大魔術はその力の強大さ故、容易に発動することは出来ない。条件の厳しさもあるだろうが、そもそも、一人でその強大なエネルギーを御しきれるかという点がある。ただ大物が掛かれば後はリールが手元まで手繰り寄せてくれる、という簡単な釣りゲームのようだというならそれ程考えずに済むのだが、実際には、釣りにしてもなんにしても絶妙なタイミングでの駆け引きというものがある。魔力という大きな魚は、こちらの制御下から逃げ出そうと暴れ回る。それを抑えつけることこそがつまりコントロールであり、魔術を操る上での基本となるもの。
そして、禁じられた大魔術。
一本の釣り竿でクジラでも釣れと言っているようなもので、もはや一人で御しきれるものではない。ならばそれが三人ならば可能かと問われれば、それも違う筈だ。
不知火の疑問は、一人が三人になったからといってどうなるものか、というところにある。
しかも、魔力のないことが条件だと言ったようなもの。もはや不知火の理解の外だった。
「自分の制御の域を出た魔力は行き場がない。単に邪魔者になる。それが答えだ。金髪なら、その意味も分かるだろう」
「僕らを、制御できない邪魔者を閉じ込める牢屋にするということか」
「いいや。例えるならゴミ箱だな」
バチバチと火花が散る。視線の交錯が熱を帯びる。リオウの笑みに狂気が宿る。
和川の拳は今にも敵へと向かいそうな勢いで、力強く握りしめられた。
リオウ=チェルノボグは大魔術廃絶部の屋上にて我が物顔で振舞う。ボロボロの服に違和感すら覚えなくなった頃、リオウは核心を語る。
「〈掟破り〉は攻撃的な大魔術ではない。溢れ出る魔力も、想像以上にはならないだろう。それに、空っぽのゴミ箱はお前達だけではないしな」
どういうことだと言う間もなく、リオウは続けた。
「金髪の言う所の五芒星、正確には五つの魔術鉱石を頂点とした五角形……何故〈掟破り〉発動にそれらが必要か、考えようとは思わなかったか?」
その問いに、不知火は黙った。考えていないわけがない。だが、明確な答えは導き出せなかった。普通ならば、その五芒星に何らかの魔術的記号があって、それこそが発動の鍵になっていると考える。魔術媒体――不知火にとっての赤石、神田川にとっての針金――が考えだされる前は『紋章』と呼ばれる魔法陣に似たものを使っていたらしいが、そこにはおそろしい程の情報量が詰め込まれていて、複雑怪奇な幾何学模様もあったという。
だが、今回の五芒星、リオウは五角形と言ったが、その中に魔法陣と呼べるほどの複雑さがあっただろうか。
そもそも、何故『五芒星』ではなく『五角形』なのか。魔術の世界での五芒星は儀式などに稀にだが使われるものだ。だが、単純な五角形一つで大魔術を発動するには情報量が少なすぎるのではないか、と不知火は思った。確かにビルはある。住宅街がある。田畑もある。その点では情報量は無限に近いが、そこに魔術的な要素は薄く感じられた。
では、他に何がある?
あるじゃないか。
考えるまでもない。
不知火はこの魔術鉱石が象るものを『五芒星』だと理解したが、『五角形』だと考えれば自ずと答えは見えてくるではないか。
汗が不知火オーディン大和の首筋を伝った。
和川奈月の躰が夜風に震えた。
五角形を象った儀式場の中には、
「テメェ……一般人を巻き込むつもりか――」
言いながら、和川は双眸を細め、白髪の魔術師を、睨む以上の強さで突き刺した。
怒りの一言では言い尽くせない感情が、リオウ=チェルノボグに牙を向く。
殺伐さが場を支配して久しいが、一瞬にして今までとは比にならない程の重たい空気が場に充満した。
「言っただろう。守るというのは、簡単じゃないんだよ……何かを守りたければ、そこには必ず、悲しい犠牲があるんだ、ともな」
和川は思う。
――改めて、リオウ=チェルノボグは、敵なのだと。
今年に入ってからずっと続いてしまいましたが、「象るもの」はこれで最後です。
次回は「幕間4」、その次からが決着編になります。よろしくお願いします。




