幕間 4
少女は宿泊費の安いビジネスホテルのシャワールームで、眠い目をこすりながら疲れを流すようにシャワーを浴びていた。
数年ぶりに会った先生は、目許の隈などを見るにどうにも疲れている様子で、やつれているとは言わないまでも、以前よりも猫背で、笑顔もぎこちなかった。
以前聞いたところによると、先生には娘がいて、その娘も、先生と同じ『特異な力』を持っているのだという。
その力がどれだけ凄いものかは少女も理解しているし、それによって生じる様々な問題についても聞いたことがある。
先生は結婚を機に魔術師を辞め、医療魔術を得意としていたことから、田舎に小さな診療所を開く町医者になったらしい。何も魔術師を辞めなくても、と当時は説得をされたのだが、娘を想ってのことだと説明して、頑なに拒んだのだとか。
単身田舎に引っ越したのにも理由があると聞いたが、今日の様子を見ると、それが果たして正解だったのかと、お節介と分かってはいても心配になってしまう。
先生と患者という付き合いだったが、家族のように接してくれた先生の存在は、少女にとって家族と同じくらいには大切な繋がりで、だからこそ少女は、こんなにも胸が苦しくなる。
シャワールームを出て、肩に掛かる長さに綺麗に整えられた黒髪と、白く柔らかな躰をタオルで拭き、白い半袖シャツに高校のジャージを纏い、部屋のベッドに座って髪を乾かす。
目に映ったのは、机に置いた一枚の通信札だった。少女は嘆息をした。先生は元魔術師だが、通信札の類はもう使っていないのだという。今日は携帯の使用も制限されている為、ここからでは連絡を取ろうにも取れない。
「大丈夫かな……先生」
少女は悔んでいた。大丈夫ですか、と一言訊くだけでもしておけばよかった、と。
所詮は自己満足。無意味なのも分かっている。だが、幼い時分、病に苦しむ少女は、何度となく先生の存在に助けられてきた。不安を聞いてもらえることは、少なからず心を癒してくれることを少女は知っている。
少女は濡れた髪をそのままに、机に置かれた通信札を手にした。
「自分に出来ることなんてないかもしれないけど……」
それは、自身が日本魔術協会本部を出る際、伝言を頼んだ男性に向けての通信だった。
だが、通じない。少女は首を傾いだ。
「誰かと通信してる……のかな。それもそうか、忙しい人だし」
通信札を机の上に戻し、またベッドの上へと髪を乾かしに戻る。結局、胸のもやもやはどうにもならなった。
息を大きく吐き、静かなビジネスホテルの一室から、徐に窓の外を見た。東京は明るい。藍色の空から覗く月灯りはぼやけて、夜と呼ぶには暗闇が足りないように感じた。
冬の寒さはより強くなる一方で、少女は半袖シャツ姿を後悔しつつ、欠伸をして、ベッドに寝転んだ。
「先生……」
呟いて、目を閉じる。
大切な人の助けになりたいと思う気持ちは、どこの誰にでもある、やさしさの一つなのだろう。だが、そのやさしさが相手に伝わるかどうか、伝えられるかどうかは別の問題だ。黙って見過ごすこともやさしさかもしれない。やさしさの形は様々あって、一概に言うことは出来ない。
要するに自己満足なのだ。やさしさの押し売りがしたいだけの人間のなんと多いことか。何て自分はやさしい人間なんだと浸りたい自己完結型な偽善者のことを、俗世間ではやさしい人というらしいが、しかし、この少女に限っては違う。
少女は常に誰かに助けられて生きて来た自覚があった。親、兄妹、先生、数えきれない助けを得て今ここにいる。だからこそ、その恩は、人の為に自身の力を使うことで返すと決め、少女は『裏』であり『闇』でもあるこの世界に留まった。
それも自己満足の一つではないのか、と言われれば、少女は否定しないだろう。だが、純粋にやさしいのだ。血生臭い世界には似つかわしくない程の純真は、自分どうこうは二の次に物事を考える。
だからこそ、涼風からの言伝も無下には出来なかった……損をする性格である。
小さな寝息は、十代も後半に差し掛かったばかりの年相応の可愛らしさで、少女は、寒さに縮こまりながら朝を迎える。
大人びた容姿ながら、まだ幼さの残る普通の少女は、それでもやはり『裏』の人間だった。
傍らには、一本の日本刀が、壁に立てかけられている。
少女もまた、日本魔術協会に所属する魔術師の一人。
たとえ、中部支部で起きている事件には絡まなくとも、歯車の一つとしてこの世界を回し、そしてこの世界を構成する重要なピースの一つであることは、紛れもない事実なのだ。
魔術師、出海夕夏。
『闇』であり『裏』でもあるこの世界は、彼女を決して、離さない。
次回より、決着編となる第六章が始まります。
ちなみに今回の幕間は、第六章のさらに先を見据えてのものになりますので、暫く先になるとは思いますが、彼女のことも憶えておいて頂けると嬉しいです。




