交差点
感情のすれ違い、というものは、どうしたって生まれてしまう厄介極まりないものだ。人は他者との関わりあいの中で生きているのだから、理解の齟齬が生まれてしまうのは仕方がない。
また面倒なことに、その厄介者は、最も深い絆で結ばれた筈の家族であろうと一切の容赦をしない。彼女は、『仕事』の二文字を免罪符に、大切な存在を悲しませてしまっていることを自覚していた。
最愛の娘が大人になった時、きっと一定の理解はして貰えるのだろう。だが、娘の為の頑張りも、一人残された当人が蔑ろにされていると感じたならそれはもう罪なのだ。
目の下のクマを気にしながら、彼女は一人の少女との再会を終え、ホテルに戻っていた。同室の夫は、まだ勤務中なのだろう。荷物がベッドの上に置かれたままで、部屋に入って来た気配もない。
夜更けもそろそろ近いだろうか。もう何日もまともに寝ていない。
本来ならば今日も明日も休みを取る予定だった。疲れを取る為というよりは、家族サービスの方が優先される二日間だったのだが、それは叶わず東京出張と相成った。
とはいえ、別にこの出張が女性にとって意に反したものかと言われればそうではない。むしろ自分から出張を希望したと言った方が正確で、ここに来るべき目的が急浮上したことから、休日を返上してまで真冬の大都会に足を踏み入れることになった。
本懐は、自分の躰と、自分のせいで近い将来苦しむことになるであろう自分以上に大切な存在の、生まれ持った特異なものを封じ込める一手を見つけ出すこと。
何よりも優先すべきだと、彼女は信じて疑わなかった。たとえそれが、決して破ってはいけない約束を反故にしてしまうとしても。
結論から言えば、目的が果たされることはなかった。
特異な能力を専門に研究する人物からの連絡を受け急遽東京まで出向いたのだが、期待していたような打開策は皆無といっていい。あえて挙げるならば、かつての患者の元気な姿を見られたことだけが唯一の収穫。つまり、徒労に終わったのだ。
都会の深夜、周囲は街の明かりで未だに明るさを保っていたが、ホテルの一室は暗く、倒れ込むように寝転んだベッドがあまりにも柔らかいせいで、一瞬で眠りについてしまいそうだった。薄暗さが睡魔を活発にさせる。
首を振りながら駄目だ駄目だと呟いて、彼女はスマホを手にする。今日は通信機器の類は近辺での使用を禁止されているのだが、このホテルはその対象範囲外、問題はない。
画面には、連絡先が一つだけ表示されていた。
娘に、もう一度謝りたい。
貴重な時間を、一緒に過ごせる筈だった時間を捨ててまで東京に来たのに何も得られなかったことも含めて、とにかく謝らなければと思った。
時計を確認する。まだ暗い時間だ、起きている筈もない。
溜まった疲れが嘆息になって大きく吐きだされる。ズキズキと胸が痛む。静けさが支配した薄暗がりが、安息と共に後悔までも運んできたかのようだった。
――間違っているのだろうか。
天井を見上げながら、小さく呟いた。静かな部屋には奇妙に響く。
そういった自問自答を幾度も重ね、その都度迷いは振り払ってきた。揺るがず、自分に出来ることならば労力は惜しまないと誓い、前だけを見て走って来た。
特異な力……それは必ず誰かを惑わし、乱し、壊して、そして己をも不幸にしてしまう。身をもって経験した彼女だからこそ、この世で最も大切な存在にだけはこの苦しみを味わってほしくないと心から願い、ただこの力を消し去ることだけに力を注ぎ続けた。
その選択は、間違っているのだろうか。
治まることを知らない胸の痛みは、自身の後悔の証と言えるのかもしれない。
今日よりも大切な明日がある。
大切な少女の未来を守る為、あらゆる犠牲の上に彼女は戦い続ける。
たとえそれが、大いなる罪だとしても。
たとえそれが、決して理解されないものだとしても。
特異な力が失われた未来――静かで平和な日々の為、彼女は今日も、愛する娘の安息を願い続けるのだ。
――象るもの Ⅳ――
そして――嘉多蔵亜里沙は、その力と共に目を覚ました。
『象るもの Ⅳ』は独立した話にしたかったのですが、さすがに200字以上にはなり得なかったので、ここにまとめさせてもらいました。




