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象るもの Ⅲ

 外に悪意がある。そのものの正体は、それなりに予想のつくものではあった。大方、十七階建てのビルの屋上に仕掛けられた魔術鉱石に何らかの手を加える術者、もしくはその魔術鉱石の護衛のどちらかだろう。その両方という可能性もあるか。


 だが、神田川はもはやそこへの意識を薄めていた。


 予想外の存在が、神田川の警戒の中に入って来たのだ。


(何故……ここにお前がいるんだ……!)


 それは、考えもしないことだった。いや、あり得ないことではないと思っていたが、可能性としては限りなくゼロに近いだろう、と、そうたかを括っていたのだ。


(分かってくれたと思ったがな……)


 それは失望と言えるものだった。息を吐いて、そして歯噛みする。どうしてこうも自分のやり方というのは不器用で、こうも上手くいかないのだろう。


 魔術鉱石と関わりがあると思われる何者かの悪意が近付くのが分かる。時間が経ち、敵もこちらの魔力に気付いたのだろう。結界はそう易々と破られたりはしないが、気付かれないならそれに越したことはない。首筋を伝うのが冷や汗だと気付くのに、少し時間が掛かった。


 全てが上手く回らない。ありとあらゆる失敗を重ねて来た魔術師、神田川英明は自分自身を振り返る。




 新人時代、同世代の連中のやんちゃさについていけず、無難に生きていた。


 若手として活き活きとしていた頃には、厄介な大事件に巻き込まれたこともあった。


 中堅と呼ばれるようになると、自分とは相当価値観の違う後輩に四苦八苦。しかし優秀な者が多く、自分の居場所も失いつつあった。


 ベテランになると、そろそろ田舎暮らしでもしようかと転勤を希望し、家族そろって居を移し、自身は協会の中部支部に身を置いた。


 思い返してみても、いつも、騒動の中心にいる人間ではなかったように思う。


 神田川英明は、一般の社会に置きかえればつまり、本社の中間管理職的な扱いだった。さほど重いものを背負わされることもなく、部下に困らされ、上司の顔色を窺い、とまあ神田川がそんなことをしていたかといえばそうではないが、それくらい微妙な位置にいたのだ。


 そこに不満はなかった。だが、不甲斐なさはやはりあった。


 もっと中心で、誰かの為に自身の力を振るえるような人間になりたい、誰かを照らす光でありたい、そう夢見て、神田川は魔術師になったのだから。


 所詮夢は夢。適材適所。神田川英明に、主人公は向いていなかった。


 胸に手を当て、問いかけてみる。


 今の自分は、あの日夢見た自分に誇れるだけの人間になれていると思うかい?


 答えは、明確だった。きっと、どんな自分になっていたとしても、神田川は自分自身を認めないだろう。神田川はそういう人間だからだ。


 そして、神田川英明が夢見た姿は、現在、血気盛んな後輩が担っているのだった。




 静かな夜の真ん中で、段々とリミットが近づいてくる。目の前の横断歩道からは、歩行者信号の青色が輝く度、鳥の囀りのような横断許可音が響き、神田川の心臓の律動を乱す。


 何者かは悪意の一切を包み隠さず、目の前の刃が躰を掠めるんじゃないかという程空気は張りつめていた。


 空きテナントの目の前を、ファンキーな格好をした若者四人が通り過ぎる。無知とは幸福だ。こんな刺刺しい空気の中をヘラヘラと歩けるのだから。


 魔術鉱石のせいで感覚がブレる。が、敵がこれだけ堂々と魔力を垂れ流してくれるなら、手負いの神田川にもそれなりに距離は測れる。


 ――近い。悪意の刃がすぐそこにいる。


 万全でない今の自分にどれだけのことが出来るのだろう。自分の躰は自分自身が一番よく知っている、などと言うが、今回ほどその言葉を頭の中から消したいと思ったこともない。


 分かってしまうのだ。今の自分が、どれほど無力か。


 無様なことに、手先が震えている。寒さのせいなら笑い話だが、そうでないなら醜態だ。


 一歩、一歩、弄ぶようにゆっくり、闇の気配が迫る。


 何重もの結界が心もとない。


 神田川は、嘉多蔵亜里沙に目線を送る。少女は寝息を立てながら、しかし寒さに身を震わせて、何かと戦うように小さく唸る。


 守らなければならない。あの小さな命と、これから続く長い長い彼女の時間を。


 ほんの十数メートルの闇が、近付くにつれより強大で荒々しいものになる。


 邂逅は目前。絶望との距離も僅か。


 そして、悪性の塊である闇の魔力が、その姿を晒す。


 くすんだ金色の短髪に幼げな顔立ち、さほど高くない身の丈に、澄んだ白い肌。セーターにジャンパーにと着込んだ姿は冬といえど暑苦しい。その青年の表情には、彫刻刀で刻み込まれたかのような笑みがあった。割れたガラス越しに、敵との間は二メートルもない。


 手をだらりと下げながら力なく歩く白人の青年は、幼げな印象を感じさせながらも重たい足取りで数歩進む。


 その姿を、神田川は怪訝な目で見た。


 おかしい――あれほど垂れ流したままだった刺刺しい悪意が、(なり)を潜めている。いや、消え失せていると言ってもいい。


 そう感じた直後だった。


 青年が、崩れる落ちるように地面に倒れ込んだ。


 よくよく見れば青年の目は虚ろだ。まるで違う世界でも見ているかのようでもある。


 予期せぬ状況に、しかし神田川の驚きは一瞬だった。


「なるほど、そういうことか」


 潜めた声ではなかった。その必要もないと判断したということだ。


 神田川は、内側からならば容易に解くことのできる結界を解除し、割られたガラス部分から外へと出た。


「お前の仕業だな……全く、勝手もいい加減にしろよ」


「すみません。話しを聞いて、どうにも放っておけなくて」


 返って来たその声は若く、柔和な色をしていた。


「何かあったら始末書じゃ済まないからな」


「分かってますってば。いざというときは、ちゃんと封じますのでご安心を」


 これが、神田川が見ていた、希望の姿だった。「らしいセリフだよ、和奏(のどか)


たとえ主役になれなくとも――。

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