その先には 4
日本魔術協会中部支部の一室にて。
報告を受けた松来は焦った。
魔術鉱石が配置されている場所にて、敵魔術師からの襲撃。だが、協会所属の魔術師はそれらを撃破したとのことだった。
襲撃者、つまり敵の目的はなんだろうか。考えられるのは、魔術鉱石になんらかの手を施す役目を帯びていたか、もしくは、魔術鉱石の護衛という所だろうか。
だが、その理由はさほど重要視していない。
松来には、この騒動の中心がどこかがもう分かっている。そして、そこさえなんとかしてしまえば、この事態の収束は見られるだろう。少なくとも、そこに希望はあると見ていた。
松来が焦った理由は、襲撃者が何をしているか、という所にはない。
もし、全ての魔術鉱石に護衛または術者が派遣されているとしたら、大きな問題があるんじゃないか。
とあるビルの空きテナントに、手負いの魔術師と、無力な一人の少女がいる。その近くのビルの屋上には、魔術鉱石が配置されていた。想像通りならそこにも魔術師がやって来る。
もし、敵が、そこに手負いの魔術師がいると知ったら。
もし、敵が、そこに日本魔術協会理事の孫である少女がいると知ったら。
そもそも今回のこの事件に最初に触れたのは、少女、つまりは嘉多蔵亜里沙の誘拐事件だった。どういう目的でさらったのかは今も分かっていない。ということは、まだ亜里沙を狙っている可能性を捨てていい保証はどこにもないのだ。
亜里沙の側にいるのは、手負いの魔術師、神田川英明、ただ一人。
守れるだろうか。見つからないことを願うしかないのだろうか。松来は苦悩する。
「松来さん、あの……」
魔術師でも何でもない中部支部の女性職員が、松来に声を掛けた。
「なに? 今忙しいんだ」松来は苛立ちを隠さずに答えた。
「いえ、あの、連絡が一つ入りまして」
「誰から?」
その質問に、中部支部職員は一人の名前を出した。その名を聞いた松来はすぐさま、固定電話の受話器を取り、その人物に怒りをぶつけた。「遅い!」と。
受話器の向こう側の人間は、おそらく、予想していた『叱られる内容』との齟齬に驚いたことだろう。そしてこうも思った筈だ。
――何故今日、自分はその場にいなかったのだろう――と。
「すぐに現地に向かってください。そこで、やってもらいたいことがあります。あと、すぐに通信札で僕に通信を送ってください。案内します。ここまでの経緯も必要ならばお伝えします」
そう言うと、松来は一度、電話を切った。
通信札には発信者の位置情報を着信差に正確に伝えるという特徴がある。リスクはあるが、それをフルに使わないことには、電話の相手は目的地に着くことが出来ないのだ。
数秒と待たずして、松来の通信札は反応を示した。
「じゃあ向かってくれるかな」
松来は、もうすっかり落ち着いた声で通信相手に指示を送る。
「とにかく急いで」
と言いつつ、発信者の位置情報を頼りに道案内も欠かさない。
そして、ここまでの事件の経緯を求められたので、ついでというには話が濃いが、細大漏らさずとはいかないまでも全ては話した。
が、松来が通信を行う相手には、経緯について、少々思う所があったようで。
もしかしたら、件のビルに辿り着くには、もう少し時間を要するかもしれない。
***
数時間前に日付は変わって、十二月二十二日。
和川奈月と不知火オーディン大和は、白い息を何度も吐きながら、目的地を目の前にして、寂しげな瞳で見上げていた。
「遅ればせながら、ただいま、と言うべきかな」
「俺はまだ言いたくないけどな……ってか時間かかり過ぎ」
和川の一言に不知火は小さな笑みを浮かべ、「もう少し掛けても良かったかな」
「まあいい。じゃあ、行くか」声色を二段階落として、和川は拳に力を込めながら言った。
「準備はいいのかい? ここからはノンストップだよ、きっと」
「覚悟の上だって言ってんだろ。しつこい」
膝をゆすりながら和川が言うと、不知火は瞼を閉じ、何かを憂うように言葉を零した。
「いや、緊張しているのは、もしかすると僕の方なのかもしれないな。君は知らなかっただろう、この上にいる人間をさ」
「ああ。聞いたことないな」
「聞いたことはなくとも見たことはあるだろうけどね……全く、無知は時に最大の武器だな。知らないからこその平常心もあるか……いや、単に君の性格だからそうなるのかな」
不貞腐れるように和川は吐き捨てる。「何が言いたいんだ。悪口か」
「いいや。ただ、君のような人間が羨ましいな、と、そう思っただけさ」
「嘘つけ」
「本当さ。馬鹿真面目に真っ直ぐ前だけ向いて生きる君が羨ましいよ。まあ、なりたいとは思わないけどね」
「結局悪口じゃねえか」
「君の受け取り方次第さ。どう感じるかは委ねるよ」
不知火は、本当なら眠気の一つも覚えそうな時間に、ハッキリとした意識の中にいた。
ゆっくりと目を開く。
和川は拳を解かなかった。憤然と、しかし静かに、ただ上を見る。
「行くぞ」
和川の言葉を合図に、二人は、普段から見慣れている黄色い建物の中へ、なんの躊躇いもなく入っていく。
中は真っ暗だった。周囲の街明かりもなく、入って来るのは時折通る車のヘッドライトの僅かな灯りだけ。しかしそれも視界の確保には至らず、慣れていなければ足下おぼつかずに情けなく転ぶことはない話ではないだろう。
内部に何らかの罠がある可能性はあったが、構わず、二人は階段を上り、ガラス張りのフロアを素通りして、さらに上に向かう。
最上階で、外へと続く扉を開けた。普段から鍵を閉めているのだが、今日は何故だか開いている。
ここは、彼らにとって馴染みのある場所だった。
――日本魔術協会中部支部 大魔術廃絶部。
魔術師は、そう呼んでいた。
***
この街は、この国の基準に照らせば田舎なのだろう。だが、ただ列島の中心に近い、というだけの街にしては、それなりのものに見えた。が、田畑が大部分であることは確かなので、そうなるとやはり田舎、ということになるのだろうか。
さほど広くない屋上は、出入り口の出っ張りを除けば平坦だった。
その端に、一つの影があった。
確かに煌めく白い闇。冷たい冬の空気の中で、妖しさを纏ったその影。
無造作に掻き乱されたような真っ白な髪は、耳許、眉、目許もやや隠れているだろうか。よれよれの灰色長袖シャツの裾には指で突き破ったような小さな穴がいくつかある。ズボンの丈も長く、くすんだ青がだらしない。デニム生地も所々破れ、白い肌が見え隠れする。季節が冬であることを考えると、上着もなく防寒着もないせいか、ミスマッチであることは否めない。
そして、それらは揃って不気味だった。
夜の帳に世界は包まれ、街の灯りはほとんど見られず、屋上からは信号機の灯りと車のライトが見える程度。その男の周囲にも、紛れもなく夜はあった。だが色が違う。闇以上の闇。常闇が訪れるかのような深淵が、そこにはあるように思えた。
「ようやくか……随分長い間待ったものだ」
男が喉を鳴らした。一音に絶望が添えられ、静かな夜の世界に奇妙なほどに響く。
ニヤリと口角を上げ、さほど高くない建物の屋上で、一段上がった縁に片足を乗せた。背後の扉が開く音と、独特の気配を全身で感じ、昂りが止められなかったのだ。
ここに彼らが来ることは分かっていた。
一人は、冬だというのに白い長袖のワイシャツで上着はなく、季節感を感じさせない。この国の学生服なのだろう。ただでさえ幼く感じる日本人の顔立ちが、やや際立っているいるように感じられた。
一人は、金色の長髪で、右目は前髪によって覆い隠されているが、左目はむしろ髪が掻きあげられていることによって、夜に茶色の眼光が際立っている。日本人の血だけではないであろうその青年は、黒いローブのような、場合によっては暑苦しそうな長い服に、腰は白いベルトのようなもので締められ、そこには茶色い袋が掛けられていた。推測するに、中身は彼の魔術媒体だろう。
常闇の使者とでもいうべき白き闇は、ただひたすらこの時を待っていた。
長い長い時間、待ち続けたのだ。
退屈しのぎに興じるほどには、この場所で。
***
日本魔術協会中部支部の一部署でありながら、独立した建物を与えられ、まるで特別待遇を受けているかのような大魔術廃絶部だが、その実、島流しのようなものだった。
これほど活動内容が不明瞭で不明確で、意義を見いだせない部署もないという判断なのだろう。だからか、大魔術廃絶部所属の魔術師以外がこの場にいることなど、普段ならばほとんどなかった。
しかし、今日は違う。
この夜空に、一つの白い闇が浮かぶ。
大魔術廃絶部、屋上にて。
足を踏み入れた和川も不知火も、そのことに驚くことはなかった。この光景は、ここに向かう前から分かっていたのだ。
冬の寒さだけではない、熱を帯びた悪寒のようなものが全身を奔り抜けるのを、和川も不知火も感じていた。背筋が凍るとはこういうことかと、和川は思った。
背を向けたまま、屋上の縁に片足を乗せた男は、和川らの気配に気付いているようだった。
だが振り向かない。振り向かないまま、それなのに、圧倒的な何かを放っている。
たじろぐ。躊躇う。ここにきて、心臓の鼓動が異常なまでに早くなった。
「君が、」無理矢理に口を開き、喉を動かし、不知火は声を闇に向けて捻りだした。「君が、今回の事件の首謀者だね」
返事はない。やはり振り向きもしなかった。
ならば、と不知火は、この事件の一つの核心を告げる。
「会いたかったよ。
元ロシア魔術協会所属。魔術師、リオウ=チェルノボグ」
ついに姿を現した首謀者、リオウ=チェルノボグ。
名前だけは出ていたのですが……ようやく登場です。
次回は幕間。本編とは無関係なようで……的なお話しになるかと。
よろしくお願いします!




