笹見みづきは夜を行く
笹見みづきには移動に便利な魔術がない。いや、ないこともないのだが、魔力消費がでかい割に使い勝手が悪い為、とても便利と言える代物ではなかった。となれば地道に足で走って移動しよう……などと、面倒臭がりな笹見みづきが思う訳はなく、迷うことなく堂々とタクシーを使っていた。どうせ経費で落ちると高を括っているのだ。これで目的地までは一時間足らずで着くだろう。
向かっているのは、魔術鉱石が配置されている、大きな川が合流する地点に建つタワー。そこには、魔術鉱石に迂闊にも触れてしまった手負いの魔術師、番場最人がいる。目的が救助なのかなんなのかまでは分からない笹見は、とりあえず通信札での通信を試みた。
「聞こえますか番場さーん」
タクシー運転手に怪しまれないように携帯を耳元に持っていき、普通の通話を装った。
「あれれ?」
思わず間抜けな声を出してしまった。番場からの返事がないせいだ。通信自体は出来ているのに、番場最人からの反応だけがない。笹見は携帯ではなく通信札を不思議そうに見つめ、
「番場さん? おーい、番場さーん……ん?」
ミラー越しに運転手が訝しげにチラチラと視線を送っている。結局怪しまれちゃったじゃないか、と不満げにわざとらしく首を傾げていると、短く、笹見みづきに言葉が届いた。
当然、番場からだ。
そしてその声は、思春期真っ只中の笹見からしてみれば若干気持ちの悪い囁きで、しかし妙な緊迫感が胸を抉るような、嫌にざわつくそんな声だった。
番場は、こう言い残して、すぐに通信を切ってしまったのだ。
『笹見、敵だ。急いでくれ』
必要以上に暖房の効いたタクシーだが、それでも汗ばむ程ではない。そもそもの空気が冷えているからか、湿度の低い季節だからかは分からないが、とにかく、冷え性気味な笹見には快適だった。
なのに、気付くと、じんわりと手のひらに汗が浮かんでいる。
「ま、まじか」
笹見みづきは呟いた。心臓の鼓動が小刻みになっていることに気付くと、自分が柄にもなく焦っていることを自覚した。
目的地までは一時間足らずで着くだろう。一帯が闇に包まれた田舎道には、他に車の姿はない。順調に、確実に目的地には着く。しかし、
「間に合わない……って可能性もあるんだよね、色々と……」
頭で考えるのは得意ではない。いつでも楽な道を選んで進むのが彼女であり、それが中学生の等身大なのかもしれないが、そうも言っていられない現実がすぐそこにはあった。
タクシーに乗る前に自動販売機で買った水をがぶがぶと口に流し込み、急激に渇いた喉を一気に潤した。ゴクゴクという喉の音は車内に響き、運転手がバックミラーを二度見する。この時間にタクシーを拾ったのが女子中学生というだけでもなかなかインパクトはあるが、急に挙動がそわそわしだし、さらに水をヤケクソのように勢いよく飲み干す姿は、どうにも訳あり感を際立たせる演出になっているようで、運転手も気にしている。
からっぽになった柔らかなペットボトルを、鼓膜にはやや優しくない音をさせながら潰し、携帯と共に鞄に放り込んだ。
そして笹見は、意を決する。
「あの、ここでいいです。下ろしてください」
その一言に、片側一車線の道路でタクシーがふらつき、車体が対向車線にはみ出した。
「え? ここ、田んぼしかないけど……大丈夫かい?」運転手の動揺が色濃く表れた。
冬の夜。都会を抜けたタクシーが走るこの場所に、街明かりは皆無に等しい。街灯も僅かで車の往来も相応に少ない。白髪交じりの運転手が困惑するのは至極まっとうな反応と言えるだろう。心配してくれているだけで、とても良心的だ。
「いや、手持ちがここまでの分しかないので」
「しかし……」
笹見は焦る。膝を揺らし、下手くそな作り笑いをして、
「大丈夫です。うち、すぐそこなので」
二つも嘘をついて、タクシーを止めさせた。
笹見は、肩にかけた学生鞄から出した財布に指を突っ込み、乱雑に紙幣を抜き、座席に置いた。一万円札一枚に、五千円札一枚。これで足りるかまでは、分からなかった。タクシーはまだ使いなれない年頃故。
運転手の操作で開かれたドアから即座に外に出ると、笹見に向かって、運転手が後部座席を振りかえりながら叫んだ。
「お客さんお釣り!」
どうやら紙幣二枚で足りたようだ。
「ありがとう。でもいいや! 急いでるし!」
笹見は鞄に財布を放り入れた。家はすぐそこだと言ったのに、笹見は全力で走り出した。
笹見みづきは、運転手の視界から外れようと、田んぼだらけの中で、一番近くの民家の陰に隠れた。住民は寝静まっているのだろう。電気が付いていない。
「隠れるには好都合だ」
そう言って、笹見は鞄から魚型醤油さしをいくつか掴んだ。
「あーもう。中学生を深夜に働かせるなよバカ! 労働基準法守れ!」
耳打ちするような声で叫んだ後、笹見みづきは、息を整え、詠唱をする。
先程下車したタクシーがすぐ横を通り抜けた。運転手は笹見の姿に気付いていないようだったが、それを見て、笹見は思い出したようにため息を吐く。
「はあ~しまった。領収書貰わなきゃ経費で落ちないじゃん……くそっ。後で一万五千円返してもらうからね番場さん……ん~、もうっ! イライラするっ! 貴重なお小遣い!」
文句を言いつつ、開いた手に力を込める。乾燥した冬の空気に、渦を巻くようにして円盤状の水が生まれた。いや、水は醤油さしの中に入っていたものだ。醤油さしが水風船が割れるように弾け、飛び出した水飛沫が膨らむように増え、それが渦を巻いた。
手のひらの上で小さな海が波を打つ。
『〈水の路 漂い進め〉』
水の円盤は手から離れて独立し、大きさから何から、まるでサーフィンのボードのような形になり、地面から数センチ上の所で浮いた。
「さて、行くかぁ」
鞄をかけ直して、笹見みづきは、水で出来たサーフボードに足を乗せた。全体重を預けると、電車のようにのっそりと動き出す。
しかし僅か数秒後。
サーフボードは急速にスピードを上げ、ブースターが爆発したかのような速度を一瞬にして実現した。
速度は車の比ではない。さらに障害物が障害にならない高さまで上がり、空気抵抗が体を痛めつけるくらいに加速したボードの上で、笹見はサーファーと同じスタイルで乗りこなしていた。
「あーバランスとるの難しいなぁもうっ!」
この移動用魔術が便利とは言えない理由はここにある。
高速移動のみならず、バランス制御にまで魔力を使うこの魔術は、直進をする分には申し分ないのだが、とにかく小回りが利かない。利かないこともないが、並みの魔術師では制御が難しすぎる。猪突猛進タイプの魔術なのだ。移動用としては、やはり不便だった。
それに、
「うぅ……、スパッツにすればよかった……」
両手はセーラー服のスカートを押さえるのにいっぱいいっぱい。
実のところ、一番使いたくない理由はこれだった。
ではここで、笹見みづきが毎日書いている日記から、スカートに関してのみ、抜粋。
『もっと可愛い下着にすれば良かったと反省。でも深夜で誰も見てなかったし、押さえる必要もなかったかも? いやあ、そこまでいくとなんか、女として終わりな気がする……』
一応これでも、レディですので。
言動の荒々しさに関しては、是非とも目を瞑っていただきたい。
次回は、「その先には 3」です。よろしくお願いします。




