第四章――その先には 1
得られた情報はいくつかあれど、手掛かりと断定できる有益なものはないに等しい。
和川奈月、不知火オーディン大和、神田川英明、そして、和川に両腕でお姫様だっこのように抱えられた少女、嘉多蔵亜里沙。四名は、冬の空の下、滝公園から、県下第二の都市に移動し、件のビルを探していた。
冬は日没が早い。日中見え辛かった青信号はくっきり見え、建物から零れる灯りや車のヘッドライトが夜に煌煌と輝き、寒寒した空気にいやに映えた。
ビルに置かれたという小さな石のようなもの。それが今唯一の手掛かりだった。
不知火は回復に努めるため、調査は和川と神田川が請け負った。和川は不知火に亜里沙を任せ、商店街のアーケードに登った。
汗が滲んだ白いシャツは寒さをより際立たせる。冬好きを公言しながら寒さには弱い和川は凍えてしまいそうだったが、それを当人は気に留めず、とにかく事態の全容を掴むことに意識を傾けていた。
十七階建てのビルだった。
和川は、魔術で身体能力を強化した肉体で跳躍し、ビルの屋上に辿り着いた。それなりの広さだが、都会の物と比べるとやや小ぶりな地域銀行の本社ビル。その屋上の中央に、それはあった。
嫌な気配だ。鳥肌が全身を包む。
通信札で神田川を呼ぶと、和川の元にやってくるのに十数秒しかかからなかった。
「見つけたか」神田川はビルへの着地と同時に言った。
「紙に包まれている石のようなもの、でしたよね?」
「そうだ。サミュエル=ジョーンズはそう言っていた」
「でも、これ――」
和川が指差したのは、確かに石だった。だが、どうにもおかしい。
屋上の中心にあったのは紛れもなく石だった。だが、一切の濁りのない、透き通るような、輪郭さえも曖昧に思える、美しさだけで出来たようなものだった。石なのだが、石と呼ぶには美麗すぎる。
それを中心に、半径一メートル程の淡い光が浮かび上がっていた。
神田川は、この石自体に見覚えがあった。
「魔術鉱石だ」
「ん? 魔術鉱石?」
「知らんのか」
「いや、まあ」
「魔術媒体ってものがあるだろう。俺達魔術師が魔術を行使する為のものだ。不知火なら『赤石』、まあ、ようは赤い石ならなんでもいいという意味らしいが。俺なら『針金』。人によっては鉛筆を使う奴、糸を使う奴、メモリーカードなんてのもいるが、それは人によって様々だ。その辺の砂でも魔術を発動出来る、なんていう奴もいる。
で、この魔術鉱石っていうのは、ようは魔術媒体の最高位の物だと思ってくれればいい。本来なら個人個人が自分に合ったものを魔術媒体にするんだが、この魔術鉱石は、誰もが使えるが、誰もが使える訳ではない、というものなんだ」
「は、はぁ……」和川は理解できていない。
「つまり、合っていようがなかろうが魔術鉱石を媒体にすることは出来るが、そもそも扱いが難しい。手練れであっても一朝一夕では無理だろう。その分、こいつの力は強大だ」
と、その部分だけを切り取った和川は、こう理解した。
「ってことは、サミュエル=ジョーンズは相当な手練れってこと、かな?」
「いいや、奴はここに置いただけだろう。サミュエル自身はこれが魔術鉱石だったことを知らなかったようだ。サミュエルの手元に届いた時点で、なんらかの力は注がれていたのだろう。ならば手練れは、サミュエルではなく、その依頼主」
「そいつがなんらかのテロを行っている可能性が高いってことか……」
和川は生唾を飲み込んだ。
このビルに置かれている物が魔術鉱石で、現になんらかの力が作用していることは見ていれば分かる。だが、具体的な所は分からない。
その時、神田川の通信札に反応が一つあった。
「番場からだ」
番場とは、滝公園に嘉多蔵亜里沙捜索に向かっていた、中部支部の魔術師の一人だ。何者かの襲撃にあい、交戦していた。不知火と神田川がサミュエルとの戦いを終えた頃、番場からも決着の報告があった。番場には、サミュエルが証言したもう一つの石の在処に向かってもらっていたのだ。
『神田川さん。ありましたよ、石』
若い声が、エコーがかかったように響く。
「俺たちよりも断然遠い所だろうに、さすがに早いな」
『若さだけが取り柄ですし、それに、もう魔力だいぶ使って急いだんで、俺、二日くらいは使い物になりませんよ』
「スタミナ不足はまだ改善されていないのか。全て片付いたら特訓だな」
『勘弁してくださいよ。で、この石なんですが……』
「魔術鉱石だったか」
『そちらもですか』
つまりは肯定だ。
「ああ。何らかの魔術が展開されている可能性があるが」
『触れない方が良いですよ。今痛い目を見た所なんで』
動揺を見せたのは和川だった。
「大丈夫なんですか!?」
『おお、和川か。なに、少し動けない程度だよ。ちょっち爆発させちゃったぜ』
「爆発? 触れただけでか」
番場は神田川に向けて「ええ」と軽く答えた。まるで何事もないかのような飄々とした声だが、よくよく聞けば、息遣いが少々荒い。
『さっき江成から連絡貰いまして、どうも江成の所は様子が違うみたいです』
江成は、中部支部近辺のビルで発生した異常な魔力を調べていた魔術師だ。
『俺も、神田川さんの所もそうだと思うんですが、魔術鉱石は掌で覆い隠せるくらいの大きさしかないですよね。江成の所のは、どうもドでかい儀式場みたいなのがビル屋上に構築されているらしくて、魔術鉱石は複数。今は笹見と一緒に詳しい調査の途中だそうです』
「つまりまだ全容は分からないと」
『ええ。なにせ、その手の専門家が出張中ですからね……。あ、あともう一つ、江成から報告です。魔力の痕跡を辿ると、この三ヶ所以外にも石が配置されている可能性大、だそうです』
「数は?」
『あと二ヶ所』
真冬の空気の中で、足下へ汗が流れ落ちた。神田川のものだ。
『どうしますか? 手分けして捜索しますか?』
「お前は動けるのか?」
『俺は頭数から外してください』
それは『手分けして』というのかと疑問を持ったが、和川にそれを口にする余裕はない。
神田川は黙って数十秒、現状から何かを掴むために脳内をいじめ抜く。
「坊主。不知火を呼べ。お前は嘉多蔵嬢の護衛を」
「は、はい」
和川がビルの屋上から飛び降りると、神田川は一人、唇を噛んだ。
『辛いっすね。不知火に頼りっきりは』
「自分の才能のなさを怨みたい気分さ」
神田川は、数秒、瞬きをすることを忘れていた。
○
不知火オーディン大和が、ふわりと屋上に降り立った。炎による補助を得て、舞うように十七階建てのビル屋上までやって来たのだ。冷たい夜風に火の粉が踊る。
「魔術鉱石ですね……専門外ですよ」不知火は屋上の真ん中を見て、クールに言い放った。
「そう言うな。無理をさせてすまないが、ここにある魔力の痕跡を辿ることは出来るか? お前なら江成よりも精度が高いものを使えるだろう」
「と、言いますと」
神田川は、魔術鉱石が、このビルと、中部支部近くのビル、番場が見つけた場所、さらに二ヶ所に配置されている可能性について話した。もちろん、触れるだけでなんらかのトラップが発動することや、江成が調べているビルだけは様子が違うことも含めて。
不知火は懐の赤石を掴みながら、大きく息を吐いた。
「残り二ヶ所、同系統の魔術が行使されているなら、おそらく探すことは可能ですが、リスクが高い」
不知火は考えを巡らせていた。
「迂闊に触れられないとなると慎重にならざるを得ません。時間が掛かる。時間が掛かるということは、この膨大な魔力を蓄えているであろう魔術鉱石から相当な魔力が漏れ出すということです」
目の前にある物と同じものを離れた所から探そう、というのだが、それは、携帯でコンビニの場所を検索するのとは訳が違う。蜘蛛の糸よりも繊細なものを辿っていかなければならない。
そこには、今回のケースに限ったものかもしれないが、弊害があるのだ。
「ですがむしろ、魔力は漏れだして貰わないといけないんです。触れられるなら直接感じ取ることも出来るのですが、それが不可能なら、あえてこちらから魔術鉱石を刺激して魔力を放出してもらい、それを掴んで辿る他はありません。しかしあまりにも膨大な量が一度に溢れると、術者である僕に影響が出る」
「するとどうなる」
「過度に刺激してしまえば、ビルが吹っ飛ぶ可能性がないとは言えない、ということです」
魔術媒体の最高位に対しては、用心を重ねてもまだ足りないだろう。
「リスクを抑える方法は?」
「魔術鉱石から漏れだす魔力が術者に影響を及ぼさないよう、守っていただく以外にはないかと思います。しかしそうすると、今度は僕を守る人が魔術鉱石の魔力を直に受けることになる。未知が故に、危険は測り知れません」
ビルや街にどんな影響が出るか分からない以上、不知火を守ることは絶対条件。だがそこに集中してしまえば、それ以外の人間は丸腰。有り体に言えば、死に直結する程の脅威。
「俺がやろう」
迷いや躊躇いは見せず、神田川は名乗りを上げる。
「よろしいんですか」
不知火も、その覚悟を受け取る。
「坊主には無理だろう」
「適任ではあるんですけどね。残念ながら和川奈月は高度な結界・防御魔術を扱えない」
「それもあるが、お前にばかり任せっぱなしも不服なんだ。俺も何かせねばな」
先輩としての責任感と、男としてのプライド。くだらなくとも、男には必要な要素だった。
「強固な結界を全力でお前に掛ける。万が一でも手元が狂わないようにな」
「では神田川さんは……」
「なに、俺は番場のような柔じゃない。何があろうが、お前を守るくらいは出来る」
『結構キツイこと言いますね神田川さん』番場は通信札の向こう側で呟いた。
神田川は僅かに口角を上げた。目の前にいる不知火にも悟られない程度に。
恐怖はあった。未知は恐ろしい。
しかし、魔術師としての覚悟が、マイナスなそれらを一切合財ねじ伏せて、奮い立つように小さく笑んだのだ。
「急ぐぞ。この裏で事態が動いている可能性もある」
『では、こちらは一旦切ります。江成への報告はお任せを』
通信札からの魔力も途切れ、いざ、魔術鉱石に集中する。
「どれくらいかかる」
「近場ならば、二時間で正確に捕捉できるかと」
「随分かかるな」
「触れられるならもっと短縮出来るんですが」
「そうもいかんな」
不知火は、赤石を握って目を閉じた。
「赤石が不足しているので、廃絶部の本部から取り寄せます」
手元の赤石が光る。すると、空っぽになってしぼんでいた腰元の茶色い袋が、ゴツゴツとした形へと膨らんでいく。離れた所にある物を転送させ、不足分が取り戻された。
神田川は白息を吐く。
不知火が使った距離を越える転送魔術は、やはり凡人では手の出せない高難度の魔術。神田川には真似の出来ないものだった。
天才、か。――そう神田川は心で呟いた。劣等感ではなく、情けなさが自分を支配する。
「では、いきますよ」
ものの数十秒で不足を補った不知火は、赤石を片手一杯に掴んで、それを、魔術鉱石を囲むように円を描きながら撒いて行く。
神田川は針金を手に、不知火を守る為の結界魔術を、効果を最大限に発揮出来るよう、不知火を守ることのできる最小サイズで張っていく。目には見えない結界は、感覚としてとても分厚く、強固なものだった。
「始めます」
「ああ」
不知火は、赤石により象られた円の中に入った。
服が擦れる音をさせながら胡座をかき、魔術鉱石に触れないよう、手をかざした。
神田川も、数十本の針金を手に結界を維持させることに注力する。
両者共に、魔力を込めた。
直後。
ビルの屋上で、紫色の夜空に上塗りするかのように、真っ赤な輝きが爆発的に広がった。
一帯に異様な生暖かさが漂い、小さな風が髪を揺らす。
視界を眩ませるような光が、魔術鉱石を刺激し、小さな気配を、不知火は読み取っていく。
そして――。
***
和川の視界には確かに赤い光が映っていたが、一方の嘉多蔵亜里沙は、世界の異変に気付くことは出来なかった。
嘉多蔵亜里沙は魔術の世界に近い人間ではあるが、自身は魔術師ではない。魔術がもたらすあらゆる事象は、基本的に魔術師以外の人間には認知できないのだ。
亜里沙は軟禁されていたために何も食べておらず、近くのコンビニで和川が買ったおにぎりを二つ頬張った。
対する和川は、冷や汗が全身から噴き出す感覚に気味の悪さを感じながら、空を見つめ続けた。嫌な予感、という曖昧かつ不安定な感情が、厄介なまでに心を掻き乱す。落ち着いていられない。
「どうしたの?」亜里沙が和川を心配そうに見つめる。
「何でもない……ちょっと、不気味だな、と思って」
屋上の光は、既に一時間以上周囲を照らしている。イルミネーションが揺れる街に、魔術師だけが現状を憂う。
亜里沙は、徐に空を見上げた。そこには、ぼんやりとした赤が、音もなく泳いでいた。
***
一時間十九分。これだけの時間を一つの魔術の行使に費やすのは、随分と久しぶりだったように思う。不知火はひたすら魔術鉱石から漏れ出る魔力を辿り、繊細なコントロールに体力と精神力を削られていた。
そして、不知火は思わず、絶句した。
流れる汗には構わず、動揺は最低限にとどめ、すぐさま刺激を与えていた魔術鉱石を、専門外ではあるのだが、出来るだけいさめるように押し止めた。
荒れる息と乱れる脈拍。声を出すことさえ憚られるような中、それでも不知火は叫ばずにはいられなかった。
「神田川さん!」
そこには悶え苦しむ神田川の姿があった。声の限りに叫ぶが、応答がない。不知火は医療魔術の使い手だが、どこがどうなって苦しそうなのかが分からない以上、手の施しようがない。
不知火に、通信札が呼びかける。
『大和無事か!?』
それは、和川奈月からの通信だった。
「和川、近くに空きテナントがあった筈だ。ガラスを壊してでもいいから開けてくれ」
『は……? 何言って……』
「神田川さんが倒れた。休ませられる場所を用意してくれ。早く!」
冷静さを欠片も残さず、不知火は恫喝するかのような勢いで声を荒らげた。
番場さんの活躍も、後々……。




