灼熱は真実を捉えるのか 11
和川奈月は、一人の少女を抱えて、公園内にある小さな野外ステージまで来ていた。
「離してよ誘拐犯!」と叫びながら手足をばたつかせる少女は、目に涙を浮かべひたすら叫び続けた。
公園内に発動されている人払いのおかげで他に人はいないのだが、どうにもこの様子は危ない。どこからどう見ても、高校生が小学生を誘拐したようにしか見えないからだ。通報されれば一発でアウトだろう。少女が「誘拐犯」なんて叫んでいるのだから、弁解の余地なく、わっぱをかけられる。
和川は少女を下ろし、小さなステージに座らせて、和川はしゃがみ、目線を合わせた。
「だから! 俺は誘拐犯じゃなくて、誘拐犯から君を助けに来た方だから!」
「いいからおじさんの所に戻って! おじさん倒れてた! 死んじゃう!」
嘉多蔵亜里沙の言うおじさんとは、サミュエル=ジョーンズのことだ。和川にはどういうことかさっぱり分からないが、少女はずっと、サミュエルの安否を気にかけている。
「大丈夫だって。あの男は死なない。金髪の奴と、ツルツル頭の人が上手くやってくれる」
「でも……血が出てた……いっぱい出てた……いっぱい……」
嘉多蔵亜里沙は、室内遊戯施設から飛び出した時、倒れたサミュエルの姿を目の当たりにしている。凄惨な光景だっただろう。少女は叫び、瞳から溢れる涙を堪えることなく流した。それは恐怖から来るものではないのだろう。声が震えている。ひたすら、自分をさらった相手の無事を祈るように、心を濡らし続ける。
「どうしてそこまで……?」和川は思わず訊いていた。理解が追い付かなかったのだ。自分を誘拐し、恐怖の中に叩き落としたであろう男に、どうしてそこまでの想いを抱くのか。
「おじさんは悪い人じゃないの! きっと良い人なの! だから殺さないで! お願い!」
亜里沙は叫んだ。夕暮れに照らされたオレンジ色の世界で、小さなステージを囲むアスファルトの柱に跳ね返るように、亜里沙の声が響く。
自分達が必死になって捜している間に、亜里沙とサミュエル=ジョーンズに何があったのか。それが分からない以上、無責任に励ますことも出来ないでいた。
「お兄ちゃんも魔術師なんでしょ?」
アスファルトの地面に、涙の跡がくっきり残る。
「ああ……そうだよ」
「じゃあ、おじさんを助けて」
「それは……、出来ない」
「どうして!?」
「悪いことをしたからさ。亜里沙ちゃんを誘拐した。どんなに良い人でも、罪を犯したらそれは悪い人になる……それは、魔術師の世界じゃなくても、人間の世界は皆そうなんだ」
「じゃあ殺しちゃうの?」
首を上げながら睨む少女の目は、まるで敵を見るかのようで、和川の胸はズキンと痛む。
「それは違う……。絶対に違う。俺は、悪い人は皆死んでいいなんて思ってないし、それはあの二人も一緒だと思う。その……おじさん、は、たぶん捕まる。逮捕される。でも、絶対に死なせはしない。約束する。あの金髪は医者だから、きっと、おじさんも死なない。突然外に出て、ちょっとびっくりしたかもしれないけど、大丈夫、絶対助かるから」
和川は亜里沙の目から逃げなかった。真っ直ぐに、そして力強く見つめ、逸らそうとは決してしなかった。
亜里沙は声を殺しながら大粒の涙を流し、俯きながら、ようやくその涙を制服の裾で拭いた。肩を上下に揺らす姿は、すすり泣く声と共に、和川の心を突き刺す。
和川は亜里沙の背中をさすりながら、寄り添う以外に、出来なかった。
すると、背後から和川の名前を呼ぶ声が一つあった。
「大和か……どうだった?」和川は不知火に声を返す。
落ち着きを取り戻そうとする亜里沙を気遣い、和川は状況を聞くことを一度躊躇った。
不知火は、亜里沙が屋内施設を飛び出した瞬間を思い出し、察したように、一度考え、
「安心したまえ、サミュエル=ジョーンズは無事だ。当然拘束はさせてもらったが、命を奪うほど野蛮じゃない」
オブラートに包み、柔らかな表現にとどめる。実際は、国内で起きていると予想される事件が解決を見なければ、治療を施したとはいえ手負いのまま放置される可能性がある。命がどうなるかは保証出来ない。
「ホント、に?」
亜里沙は、細くて小さな体を震わせながら、不知火ではなく和川を見つめた。
「ああ。大和が言ってるんだから本当だ。な? だから大丈夫だって言っただろ?」
亜里沙は小さく頷いて、しゃがんだままの和川に抱きついた。
「なんだい和川奈月、懐かれたのかい?」
「だといいけどな」とやり取りしていると、
「そろそろ割って入るが、いいか?」二人にとっての先輩魔術師、神田川が口を挟む。「時間がない。本来なら不知火を回復させたいところだが、現状が掴めていない以上、その時間も惜しい。少しテンポを上げて行くぞ」
「神田川さん、あの、亜里沙ちゃんは……」
「連れて行く。一緒の方が守りやすい。嬢ちゃんは坊主に任せる。いいな?」
「はい」
和川が短く答えると、クイックイッと、亜里沙が和川の袖を掴み、引っ張って、心配そうに和川を見つめた。頬の滴はまだ小さく零れ落ちていて、大粒の雨のような涙の名残は、くっきりと跡となっている。
潤む瞳に、しかし和川はほほ笑んで、
「大丈夫だって。俺、結構強いし」
言い終えると、ニカッと笑い、白い歯を嘉多蔵亜里沙に見せつけた。
「ホント……?」
「ほ、ホントダヨ」
「子供相手に見栄を張るな坊主」
「そ、そんなつもりじゃないですって!」
と和川と神田川が話していると、鼻をすすりながら、
「何か心配になって来た……」嘉多蔵亜里沙が呟いた。
「いや、大丈夫! ホント!」
「大丈夫だよ亜里沙ちゃん。和川奈月だけじゃなくて、僕も神田川さんもいる。そこいらのボディーガードなんかとは訳が違う」
「ホントに?」と聞く亜里沙は、またも和川を見た。
「どうやら坊主にしか心を開く気はないらしい」
少女に何があったか和川には分からない。サミュエル=ジョーンズを気に掛ける理由も分からないままだ。
だが、ほんの数時間の交流で、サミュエル=ジョーンズの心の中にある何かを少女が受け取ったことは間違いない。和川は改めて嘉多蔵亜里沙を見つめた。あれだけ声を上げ、大人に抗うその姿に、和川奈月が何一つ感じないわけがない。
「大丈夫か?」和川はあえて訊ねた。
「たぶん、大丈夫」
亜里沙は和川の服を強く掴んで、小刻みに震える声に涙を滲ませて、そう答えた。
「そっか」
サミュエルの無事を伝えた所で、心の傷は癒えない。まだ小学生の嘉多蔵亜里沙に、重たすぎる現実がのしかかる。少女の強さに甘えることしか出来ない自分自身の無力さに、和川は心の奥底で、静かに叫んだ。
「行くぞ、坊主」神田川は急かすように和川を呼ぶ。
「はい。じゃあ、行こうか」
「……うん」
返事を受けて、和川は亜里沙を両腕に抱えた。
「坊主、ちゃんと守れよ」
「はい!」
「さっき松来と連絡を取って分かったことを話すから、移動しながら聞け」
「はい」
「あと……」
神田川は、和川に抱えられた亜里沙の元へゆっくりと近付くと、
「伝言だ――」
――神田川から届けられたメッセージに、嘉多蔵亜里沙は一度、ほんの少しだけ頷いた。
「うん。そうする」
抱えた和川にしか聞こえないくらいの、小さな小さな声で、和川ではない誰かに向けて、亜里沙はそう呟いた。目元にうっすら見える涙は、それでも流れることはなく、亜里沙は、今度は大きく頷いた。
「行けるか?」和川が訊ね、
「行ける」亜里沙は強く答えた。
和川は笑顔を返し、そして三人の魔術師は、次の舞台へと歩みを進めた。
少女の涙と叫び声に彩られた公園内に、本物の静寂が広がっていく。
何一つ変わらない筈の日常の中。
ほんの少しの非日常の足音が、この静寂を創りだし、そして壊していたのだと、今になって魔術師たちは気付いた。
その真ん中で蠢く何かを求めて、彼らはまたも、その足音に耳を澄ませ、彷徨うように終結を探す。
世界の綻びの、ほんの一欠けらを覗き見た彼らは、深淵にはまっていくように、夕映えの町を駆け抜けた。
「灼熱は真実を捉えるのか」は、今回までとなります。
次回は幕間です。
 




