4.孤独の果て……(2)
幼い子供のまま大人になってしまったようなこの人を、どうしたらいいだろう。
悠里が考えあぐねていた時、ふっとアシュラムの体が離れた。
潤んだ瞳が、悠里を見つめる。
「こうしていても、なお、あなたは私のことを思ってはくれないのですね?」
「……アシュラムさん、わたしは……」
「いいえ。もう、いいのです。いくら求めても、応えてくれないのなら」
「アシュラムさん!話を聞いて」
悠里は離れて行こうとするアシュラムの袖を掴もうとして、躓き転んでしまった。
膝が痛むのも構わず地面に手を着いて目で追うと、アシュラムが振り向いていた。
「もっと話そうよ。アシュラムさん」
「……何を?」
「アシュラムさんの事も、わたしの事も、これからどうしたいかとか。いろいろ。いっぱい話そうよ」
「話して、どうかなるとでも?」
「だって。話さなきゃ、分かり合えない事、いっぱいあるよ。求めるだけじゃだめなんだ。意地になって、殻に閉じこもってちゃ、だめなんだよ。自分から飛び込まなきゃ、受け入れて貰えない。そう言うこと、いっぱいあると思う。わたしも、アシュラムさんも」
その時、悠里とアシュラム以外の声が、夜の闇の中に響いた。
ユーリを呼びながら、こちらに向かって来るのは、アルバートの声で。
さっとアシュラムが身を翻す。
「アシュラムさん!!」
アシュラムの体が、月光色の光に包まれた。
もう一度、彼のローブを掴もうとして伸ばした手。
宙を掴むかと思われたそれは、思わぬ強い力で握られ、引き寄せられた。
月光を纏ったまま、顔を寄せ、アシュラムが言う。
「このまま、私と行きますか?」
「行けない。行けないけど、アシュラムさんにも行ってほしくない」
すると彼は、痛いほど儚い笑みを浮かべ、「私は、私だけのあなたが欲しいんだ」
そう言って、悠里の手を離した。
土の上にどさっと落ちた悠里を一瞥すると、そのまま月光色の光の中に消えて行く。
追い縋るように伸ばした手は、もう握り返されることはなく、月光のかけらを一つ、掴んだだけだった。
「あ……」
悠里はがくっと地面に手を着いて、しばらく呆然としていたが、そんな彼女を見つけたアルバートが駆け寄った。
「ユーリ!何があったんだ!?」
肩を持って揺さぶると、ようやく悠里の目の焦点が合い、アルバートを見た。
「アル……」
「お前、どうしたんだよ?何があった!?」
「わたし……どうしよう。怒らせちゃったかな……」
「何言ってんだよ。誰が怒ったの?誰かここにいたのか?」
「アル……わたし、間違えちゃった?アシュラムさんと一緒に行った方が良かったのかなあ」
「とにかく立って。中に入って落ち着こうよ」
アルバートに支えられて立ち上がろうとしたけれど、腰が抜けてしまったように力が入らない。
「どうしちゃったんだよ。ユーリ」
困惑するアルバートを横目に、悠里はアシュラムに対し、もっと違った対応があったのかも知れないと後悔し始めていた。
「ホットミルク。落ち着くよ」
宿の主人に作って貰ったのか、アルバートは湯気の立つカップを、ベッドに座った悠里に差し出した。
宿の一室。あてがわれた部屋で、ゆっくりホットミルクを口にした悠里は、やっとまともに話が出来るくらいには落ち着いたようだった。
けれどアルバートは、彼からは何も聞いて来なかった。
見た所、怪我は転んだ時に膝を擦りむいたものくらいのようだし、悠里が自分が話す気になるまで待つつもりのようだ。
せっかく湯に浸かったというのに、泥が付いた顔をそのままにして、一点を見つめたまま悠里はミルクをすすっていた。
そして最後まで飲み干し、カップをベッド脇のサイドテーブルに置くと、悠里はアルバートに視線を移した。
「アル」
「ん?」
「アシュラムさんがいたの」
アシュラムと言われても、アルバートには誰の事だか分からなかったが、深くは突っ込まず、悠里の話に耳を傾けている。
「アシュラムさんは、わたしを元の世界に戻す方法を見つけたんだって。それで、わたしを迎えに来たの」
「……」
「でも、わたしには、まだやらなくちゃいけないことがあるから。だから……」
そこで悠里は言い澱み、俯いた。自分の中の気持ちを整理している様子を、アルバートは静かに見守っていた。
静寂の中で、悠里の思いは、心の中のある一点だけに近付いて行く。
今度は間違えたくなかった。見誤りたくなかった。
そして悠里は顔を上げた。
「元の世界に戻りたくないって、思ってる自分がいるの!この世界で、アルやみんなと、ずっと一緒にいたいって思ってる自分がいるんだ」
「うん」
「でも、戻れなくなるのも怖い……。アシュラムさんに何て言ったら、伝わるんだろう。本当の気持ちを言っても、きっと伝わらないから」
アルバートは悠里から視線を外すと、眼鏡の位置を直した。
そして、もう一度悠里を見た。
彼が何と言うのか、思わず身構えた悠里に、アルバートは微笑みを返し、「本当の気持ち、言うだけで十分じゃないかな」と言った。
「だって。相手が何て思うのかまで考えてたら、立ち止まったままになってしまうだろ?時には、我儘なくらいに、自分の気持ちだけ、ぶつけてもいいんじゃないかな」
そのアルバートの言葉に、悠里は「いいのかな」と、か細い声で答えた。
「どうして?それが、悠里の今の気持ちなら、素直に伝えればいい。ここにいたいって」
「いたい」
「うん」
「いたいよ」
「なら、いればいい」
「ふえっ……」
悠里は込み上げてくるものを抑え切れなかった。
ぶつけてみよう。
自分の気持ちを。
今まで逃げていた分。
今度は後悔したくない。
大事なことから目をそらさず。
自分の思いを、正直にぶつけてみよう……。




