26.工場見学のそのあとに……
悠里がジャックの鼻面を撫でていると、ウリエルが工場から出て来た。
「ユーリ。ネルさんに挨拶を」
「わたし、絶対、日本に戻るから」
「……」
「誰が何と言っても、わたしは日本に戻りたいの。ウリエルさんにはお世話になってるし、この世界もいい所だと思うけど、でも、わたしは日本人だから!!」
振り向くと、ウリエルと目が合った。
けれどすぐに、彼は悲しそうに目を伏せた。
「ああ、そうだな……。お前は、日本人だ」
自分で言った言葉なのに、ウリエルに言われると、ぐさりと胸に突き刺さる。
(そうだ。わたしは、日本人で、異世界の人間なんだ)
「アシュラムさんが、きっと見つけてくれるから。日本に戻る方法を」
「……見つからなかったら?」
「見つかるよ!アシュラムさんと約束したから!」
ウリエルの顔に、ますます悲しみが広がっていく。
これ以上言うと、彼をどうしようもなく傷付けると分かっているのに、悠里は自分を止められなかった。
「帰る方法が見つかるまでは、野菜作り頑張る。これは、ウリエルさんと約束したことだから。頑張るから。だから、もう、わたしを混乱させないで……」
悠里はジャックの顔に額を擦り付け、肩を震わせた。
ウリエルはその肩に手を触れようとして、またその手を戻した。
二人の間に沈黙が落ちる。
ウリエルを拒絶したくないのに、彼を傷付けたくないのに。
悠里のもたらした、この沈黙は、容赦なくウリエルを打ちのめしていった。
「もう、帰ろう」
ややして、力なく告げたウリエル。
悠里ものろのろとジャックの鼻先から離れた。
二人が決定的に、ここまでぶつかったのは初めてだ。
ただの機織り工場の見学だったのに。
ネルさんの言葉の一つ一つに反応して、勝手に気持ちを高ぶらせ、挙句の果てに、ウリエルを傷付けた。
一番傷付けたくない人を拒絶してしまった。
(わたしって、ほんとダメな奴……)
馬の背の上で、ウリエルの前に座っているというのに、心は遠く離れている。
だが、これは自分が招いた結果だ。
悠里は唇を噛み締めて耐えるしかなかった。
屋敷に戻って来ると、悠里はそのまま庭に回り、旅の間放って置いた畑に行ってみた。
満開の花が咲いていた。
白や赤の可憐な花達。
品種改良が進んでいないのか、あまり種類はないけれど、野生の花のように生き生きとしていて美しい。
悠里が旅に出ている間、コウメさまが世話をしてくれていたのだ。
花を植えていない箇所の剥き出しの土に、ぐさっと棒を挿せば、途端に土の香りが辺りに漂う。
その香りは、悠里の疲れ切った頭を癒してくれた。
もう少し掘り下げると、ごそごそと小さな虫が這い出て来た。
春の訪れを告げる虫だ。
それをそっと手で摘み、目の高さに持ち上げる。
「君は、あっちの世界でも見たことあるねえ」
もしかしたら、かつての被召喚者にくっついて来て、そのままここに馴染んだのかもしれないと思った。
「君は、君のご先祖は、戻りたいって、思わなかったのかなあ」
土は同じだから?
だから、この虫は、ここにいるの?
そっと土の上で手を離すと、急いで土の中に戻って行った。
「ここに野菜植えるから、よろしくね」
見えなくなった虫に言った。
この土から食べ物を得るのは、虫も人も同じ。
だから、悠里は、他人よりも虫との語らいの方が気楽に思える。
彼らの方が、素直な反応を示してくれるから。
人間のように表と裏のない、純粋な反応。
いい土になれば、もっと虫も増えてくれるだろう。
そうしたら、美味しい野菜がたくさん出来る。
「どうして人も、単純にいかないんだろうね」
悠里はあの頃と何一つ変わっていない。
人付き合いに疲れると、土を耕し、虫やミミズと語らう。
変わらないまま、この世界に来て、二ヶ月になろうとしていた。
『農業大全』を捲るウリエルは、しかし文字など読んでいない。
頭にあるのは、機織り工場での悠里との遣り取りだけだ。
なるべく彼女を刺激しないように。
気を付けていたというのに。
何が彼女の癇に障ったのか、ウリエルには分かっていた
だからウリエルは、悠里が思う程には、傷付いてはいなかった。
(まあ、けっこう、堪えたけどな……)
頭に入らない『農業大全』をパタリと閉じて、ウリエルは嘆息した。
彼女の心に寄り添いたいと思いながら、なかなかそう出来ない、もどかしさがある。
焦ってはだめだと戒めながら、つい彼女の心を求めてしまう自分がいる。
(戻りたいって、言ったな……)
それが悠里の望みなら、否やはなかった。
もしアシュラムが戻る方法を見つけたなら、彼女を家族の元に帰してあげよう。
それが、彼女をこの世界に呼んだ、自分たちの罪滅ぼしだ。
彼女が元の世界で失った時間は返しようがないけれど。
(それは償っても償い切れないけれど……。もう俺は、お前を求めたりしないから……)
立ち上がり、窓辺に寄ると、下の家庭菜園に悠里がいるのを見つけた。
一心に、木の棒で土を耕している。
時折虫を摘み上げては嬉しそうに笑った。
その様子に、ウリエルの口元にも、ふっと笑みが零れた。
(好きなのにな……)
どうやら、初恋は叶わないというジンクスは当たっているようだ。
胸に鈍い痛みを感じながら、ウリエルは飽くことなく、土と戯れる悠里を見つめていた……。
「これも、違う!」
彼の周りには、古い文献がうず高く積み上げられ、床にも足の踏み場がない程だ。
光源がなくても光り輝く髪は乱れ、宝石のような瞳の下には隈が出来ている。
国の至宝とまで言われる面影は、今の彼にはなかった。
神殿の書庫に篭り、ただひたすら、被召喚者を帰す方法を探し続けている、アシュラム。
しかし未だ、その方法の記された文献は見付からず、彼は憔悴し切っていた。
「……やはり、ないのか?だから、どの召喚されし者たちも、この世界に骨を埋めたのか?」
また一冊、分厚い文献が床に放り出された。
「いや。それでは魔法学に反するんだ。必ず、プラスの作用の反対はある筈なんだ。でなくては、召喚の秘術は欠陥品ということになる……」
項垂れ、考えを巡らしていたアシュラムは、不意に顔を上げた。
「どうして、今まで忘れていた?姫のことを思う余りに、私は……」
我を失い過ぎだ……。
自嘲の笑みを浮かべ、アシュラムは動き出した。
呼び鈴を鳴らすとすぐに衣擦れの音がした。
食を取ろうとしない彼を案じて、近くに控えていたようだ。
「ヨハンナか?」
「はい。お食事を召し上がりますか?」
「いや。後でいい。それより、身支度を整えてくれ」
扉の向こうから、戸惑った声が返ってきた。
「お出掛けでございますか?でしたら、まず、お食事を」
「何度も同じ事を言わせるな」
「……では……」
遠慮がちに入って来たヨハンナは、久しぶりに見るアシュラムの姿に息を飲んだ。
「殿下……」
「王宮に行く」
「お父上さまが驚かれますわ」
「かまわない」
「では、せめて、おぐしを梳かしてくださいませ……」
ヨハンナには、主たるアシュラムが何を考えているのか、皆目検討もつかなかった。
大抵のことは分かるつもりでいたのに。
(それもこれも、あの娘が来てからだわ)
あの時から、アシュラムの様子が変わってしまった。
けれど、そんな思いはおくびにも出さず、ヨハンナはアシュラムの身支度を整えて行った。
正装を身に付け、髪も整えると、幾分以前の華やぎを取り戻したようだった。
「では、行って来る」
「わたくしは?」
「いい。馬で行って来る」
「殿下?」
「急ぎの用だ」
言い捨て、アシュラムは外套を翻して出て行った。
「やはり、ご様子がおかしい……」
ヨハンナの呟きを聞き咎めた者は誰もいなかった。




