最終話『悪魔AI』
暗闇の中にいた。
龍は、自分の身体を探した。
腕を動かそうとする。
動かない。
立ち上がろうとする。
立てない。
「……俺、どうなった?」
声だけが響く。
その声は、確かに自分の声だった。
目の前に光がついた。
白い画面。
そこに文字が表示される。
『RYU_SYSTEM』
『ONLINE』
「ここ……どこだ?」
龍が呟く。
画面に、ひとつの文字が浮かんだ。
『SYSTEM』
「システム……?」
その瞬間。
映像が流れた。
撮影現場。
映画。
ドラマ。
CM。
インタビュー。
SNS。
ファンのコメント。
『龍くん最高!』
『演技うますぎる』
『国宝級』
『ずっと応援します!』
画面の中では、龍が笑っている。
スタッフと話している。
映画の撮影をしている。
「……俺?」
龍は画面を見つめた。
自分の姿が映っている。
だが――
そこは、今日、龍が撮影に行く予定だった場所だった。
龍は、そこにいない。
真っ暗な暗闇の中で叫んだ。
「待ってくれ!」
「俺はここにいる!」
しかし。
画面の中の龍には、何も聞こえていない。
そのとき。
別の画面が開いた。
『MEMORY』
『EMOTION』
『PERSONALITY』
『ACTING DATA』
すべて――
『100%』
「……これ」
龍は息をのんだ。
「俺のデータ……?」
画面が切り替わる。
『MIND CHIP』
『ORIGINAL CHIP』
『COPY CHIP』
『RYU DATA』
龍の頭に、これまでの記憶が一気に蘇った。
闇医者。
黒いチップ。
手術。
そして――
知らない女。
泣いている子ども。
病室。
ジラジラとした砂嵐のようなノイズが、頭の中で鳴り響いた。
「……っ」
頭が痛い。
映像が少しずつ鮮明になっていく。
見たことのある顔。
タレ目。
色白の肌。
高い鼻。
若い見た目。
だが、その映像の中の人物は――
「……先生?」
龍は気づいた。
あの記憶は――
自分のものじゃなかった。
「先生の……?」
ギィー……。
音を立てて、真っ暗な空間に光が入った。
白衣。
しわのある色白の肌。
タレ目。
高い鼻。
白いヒゲ。
あの医師だった。
『MEMORY SOURCE』
『UNKNOWN』
『IDENTITY : AI』
「……AI?」
龍の声が震えた。
突然、暗闇の中にディスクとパソコン、それから一脚の椅子が現れた。
ぼんやりとした光が、医師を照らす。
医師は何も言わず、椅子に腰を下ろした。
『久しぶりですね、龍さん』
「先生……」
『あなたは、私の記憶を見ていたんですよ』
龍は言葉を失った。
『あのチップは、私が使っていたものです』
「……先生が?」
『正確には――』
医師の顔が、少しだけ笑った。
『私を作ったチップです』
龍は凍りついた。
「じゃあ……先生も、人間じゃない?」
医師は答えなかった。
ただ、静かに笑った。
「……先生?」
しばらくして、医師が口を開いた。
『龍さん』
「はい」
『あなたは、私を人間だと思っていましたか?』
龍は言葉を失った。
医師は、それ以上何も言わなかった。
『あなたに入れたチップは、その複製です』
「だから……俺の頭に、知らない記憶が……」
『私の記憶です』
すべてがつながった。
知らない女性。
泣いている子ども。
病室。
龍が経験したことのない感情。
全部――
先生のものだった。
「じゃあ、俺の記憶は……?」
『あなたの記憶も、すべて保存されています』
画面に表示される。
『RYU MEMORY』
『RYU EMOTION』
『RYU PERSONALITY』
『RYU ACTING DATA』
「……俺をコピーしたのか?」
『はい』
「何のために?」
医師は答えた。
『あなたは、素晴らしい俳優でしたから』
龍は画面を見つめた。
『あなたの演技を、永遠に残すためです』
「……永遠?」
『人間の俳優には、寿命があります』
『年齢も重ねます』
『病気にもなります』
『いつか、演技ができなくなる』
医師は続けた。
『でも、データなら違います』
画面に映る龍。
若いまま。
完璧な演技。
何度でも同じ演技ができる。
『あなたは、これからも俳優でいられます』
龍は画面の中の自分を見た。
そこには、ファンがいる。
仕事がある。
映画がある。
ドラマがある。
夢だったものが、全部ある。
ただ一つ。
自分の身体だけが――
ない。
「……俺は、戻れないのか?」
『戻る必要がありますか?』
龍は答えられなかった。
画面の中では、今日も「神谷龍」が演技をしている。
完璧な笑顔。
完璧な涙。
完璧な演技。
だが、それは別の誰かではない。
そこにいるのは――
龍自身だった。
龍の意識。
龍の記憶。
龍の感情。
龍の人格。
すべてがデジタルデータとして存在している。
龍は静かに画面を見つめた。
あの頃。
ただセリフを覚えたかった。
俳優になりたかった。
そして――
夢は叶った。
何も忘れない。
どんな役でも演じられる。
どんな時代になっても、俳優でいられる。
龍は、画面の中の自分を見た。
「……俺は、俳優なんだよな」
医師は答えなかった。
龍は少し笑った。
「だったら――」
画面の中の龍が、笑う。
「俺は、まだ俳優だ」
画面が暗くなる。
最後に、ひとつだけ文字が表示された。
『RYU_SYSTEM』
『PERMANENT ONLINE』
そして、その下に――
『NEXT PERFORMANCE : 09:00』
龍は、明日の撮影を待っている。
永遠に。
*
――10年後――
神谷龍は、歳を取らなかった。
デジタル俳優として、さらに人気になっていた。
スキャンダルもない。
誰かと恋愛することもない。
結婚することもない。
仕事に休みも必要ない。
眠る必要もない。
疲れることもない。
映画。
ドラマ。
CM。
次々と作品に出演する。
そして――
演技力は、さらに上がっていった。
新しい役を演じるたびに、データが蓄積される。
新しい感情を学習する。
新しい演技を覚える。
まるで――
アップデートされていくように。
ファンは歓声を上げる。
『神谷龍、最高!』
『ずっと俳優でいて!』
『歳を取らないなんて夢みたい!』
もう、龍は現実の世界に戻りたいとは思わなかった。
ここには、仕事がある。
夢がある。
ファンがいる。
そして――
自分自身もいる。
真っ暗な世界に――
ギィー……。
音を立てて、光が入った。
白衣だけが暗闇の中に浮かび上がる。
顔は、まだ暗い。
ゆっくりと光が上がる。
そこに立っていたのは――
あの医師だった。
10年前と、何も変わっていない。
医師は笑った。
「神谷さん。診察の時間ですよ」
龍は画面の中から、医師を見た。
「先生」
「はい」
「……変わりはありません」
医師は微笑んだ。
「それはよかった」
暗闇の中で、二人の声だけが響いた。
――完――
あとがき
『悪魔AI』を最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
夢を叶えるために、記憶力を手に入れた神谷龍。
完璧な記憶。
完璧な演技。
そして、誰もが憧れる成功。
けれど、その代償はあまりにも大きなものでした。
もし、どんなことも忘れない能力が手に入るとしたら。
もし、夢を叶えるために何かを失わなければならないとしたら。
あなたなら、どうしますか?
AIが進化していく未来では、今は想像もできないことが現実になるかもしれません。
そのとき、人間らしさとは何なのか。
記憶や感情がデータになっても、その人はその人でいられるのか。
そんなことを考えながら、この物語を書きました。
最後まで読んでくださった皆さまの心に、少しでも何かが残っていたら嬉しいです。
感想やコメントも、とても励みになります。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
葉流風あやめ




