第1話 完璧なのに、覚えられない
龍は、オーディション会場にいた。
個室に呼ばれる前の廊下で、パイプ椅子に座っている。
膝の上で手を組み、何度も深呼吸をする。
緊張してきた。
龍は、そっと手のひらに「人」と書いた。
そして、それを飲み込むように口元へ持っていく。
「……よし」
何度目のオーディションか、もう数えていない。
それでも、会場に入る前にはいつも思う。
――今度こそ。
「神谷龍さん」
名前を呼ばれた。
「はい!」
龍は立ち上がった。
個室の扉を開ける。
「失礼します」
審査員の前に立つと、震える手をギュッと握り、大きく息を吸い込んだ。
「グランフォース・エンターテインメント所属、神谷龍、29歳です。学生時代は剣道部で、県大会で優勝しました。よろしくお願いします!」
緊張のあまり、少し声を張り上げすぎた。
言い終わった瞬間、
――やりすぎた。
龍は、少しだけ後悔した。
目の前の監督とディレクターが、龍をじっと見ている。
「……はい」
監督が口を開いた。
「それじゃあ、演技お願いね」
「はい!」
龍は一度だけ息を吐いた。
そして、演技を始めた。
その瞬間――
表情が変わった。
声が変わった。
さっきまで緊張していた青年とは、まるで別人だった。
短い演技を終える。
部屋に静かな時間が流れた。
審査員たちが顔を見合わせる。
監督が口を開いた。
「君、剣道やってたんだって?」
「はい。学生時代、剣道部でした」
「ちょっと見せてもらえる?」
「もちろんです」
龍は立ち上がった。
構える。
次の瞬間――
空気が変わった。
踏み込み。
竹刀を振る。
身体の軸はぶれない。
無駄のない動き。
長年染みついた、剣道部時代の動きだった。
「おお……!」
審査員から声が上がる。
監督も嬉しそうに身を乗り出した。
「剣道うまいね!」
「ありがとうございます」
「君、鍛えてるんだって?」
「はい」
龍は少し笑った。
「よければ、見せましょうか?」
監督はニヤリと笑った。
「お願い!」
龍は頷いた。
そして、着ていたTシャツを脱いだ。
「おお……!」
監督が声を上げる。
「細いのに筋肉もしっかりついてて、綺麗な身体してるね!」
「ありがとうございます」
監督は龍の顔をじっと見た。
「顔も彫り深くて小顔だし……目がミステリアスだね」
「ありがとうございます」
「女の子から人気出そうだね」
龍は少し照れながら笑った。
「ありがとうございます」
褒められている。
それは分かっている。
顔も。
身体も。
剣道も。
演技も。
龍は、ほとんどのことを褒められる。
でも――
龍が本当に欲しいのは、それだけじゃなかった。
オーディションを終え、龍は会場を出た。
扉が閉まる。
その瞬間。
後ろから声が聞こえた。
「さっきの子、かなりいいんだけど」
龍の足が止まった。
監督の声だった。
「演技も悪くないし、剣道もできる。見た目もいい」
少し間があった。
「でもねぇ……」
龍には、その先が分かっていた。
「……台詞が覚えられないんだよね」
龍は振り返らなかった。
まただ。
いつも、そこだった。
「台詞さえ覚えられればな……」
龍は小さく呟いた。
そして、何も聞かなかったように歩き出した。
*
翌日。
龍はジムでトレーニングをしていた。
ダンベルを元の位置に戻した、そのとき。
スマートフォンが鳴った。
画面を見る。
「末村康弘」
マネージャーからだった。
龍は急いで電話に出る。
「はい。もしもし」
「龍くん、やったよ!」
「え?」
「この間のオーディション、受かってたよ! 監督がかなり推してくれたみたい。演技力もかなり褒めてたって!」
「……本当ですか?」
「本当だよ! よかったな!」
龍の顔が、一気に明るくなった。
「ありがとうございます!」
「また打ち合わせの日が決まったら連絡するから。よろしくね」
「はい!」
電話が切れる。
「よっしゃー!」
龍は思わず声を上げた。
トレーニング中の人たちが、一斉にこちらを見る。
「あ……」
龍は少し恥ずかしくなった。
それでも、嬉しさを隠すことはできなかった。
*
二週間後。
龍は打ち合わせのため、スタジオを訪れていた。
マネージャーから一冊の台本を渡される。
「龍くん、これ。よろしくね」
「ありがとうございます」
龍は台本を受け取った。
表紙を見る。
その瞬間――
目頭がかっと熱くなった。
口元が、自然に微笑む。
そして、震える声でタイトルを読み上げた。
「……『君がいない明日』」
マネージャーは、うんうんと優しく頷いた。
龍は台本を胸に抱えた。
夢だった。
ずっと、こんな役をやりたかった。
*
――クランクイン当日。
「主演の神谷龍さん、入りまーす!」
撮影スタジオにADの声が響く。
龍がスタッフの前に立つ。
「よろしくお願いします!」
龍は、つむじが見えるほど深々とお辞儀をした。
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
スタッフから声が返ってくる。
龍は顔を上げ、静かに撮影現場を見渡した。
龍が演じるのは、最愛の恋人を病気で失った男。
台本を何度も読み返した。
彼女を失った悲しみ。
もう二度と会えない絶望。
それでも、生きていかなければならない苦しさ。
龍は、それらを頭の中で何度も思い描いた。
「神谷さん、スタンバイお願いします!」
「はい」
龍は撮影位置についた。
カメラが回る。
「よーい……スタート!」
その瞬間。
龍の表情が変わった。
さっきまでの穏やかな青年は、もうそこにはいなかった。
目の前にいるのは――
愛する人を失った男だった。
「……嘘だろ」
震える声。
ベッドの上で眠る恋人を見つめる。
「なあ……起きろよ」
返事はない。
龍の唇が震える。
「……俺を、置いていかないでくれよ」
一筋の涙が頬を伝った。
そして――
「カット!」
監督の声が響いた。
龍は、ゆっくり顔を上げた。
スタジオには、誰も言葉を発する者はいなかった。
さっきまで泣いていた龍の目から、涙が一滴落ちる。
「……すごい」
誰かが呟いた。
監督はモニターを見つめている。
「もう一回、見せて」
再生された映像には、恋人を失った男が映っていた。
震える声。
わずかに揺れる唇。
相手の言葉を聞くまでの、ほんの一瞬の間。
そして――
涙。
完璧だった。
「龍くん」
監督が振り返る。
「君、本当に演技うまいね」
「ありがとうございます」
龍は頭を下げた。
「次のシーン、台本の12ページからね」
「……はい」
龍は台本を受け取った。
そして、ページを開く。
――三十分後。
「じゃあ、龍くん。いこうか」
「はい」
龍は立ち上がった。
相手役がセリフを言う。
「俺は……お前を許さない」
龍は相手を見つめた。
沈黙。
そして――
「……ごめん」
完璧な表情だった。
だが。
「カット!」
監督が叫んだ。
「龍くん、次のセリフ!」
「…………」
龍の顔から、血の気が引いた。
「……すみません」
「さっき打ち合わせしたよね?」
「はい……」
「『俺も怖かったんだ』だよ」
「……すみません」
スタッフの視線が集まる。
龍は唇を噛んだ。
演技なら、できる。
相手の感情も分かる。
その場の空気も読める。
泣くことだってできる。
なのに――
セリフだけが、覚えられない。
撮影が終わったあと。
龍は一人で台本を開いていた。
何度も読む。
声に出す。
書いて覚える。
また読む。
それでも、頭から抜けていく。
「……なんでだよ」
台本を握りしめる。
俳優になりたい。
ずっと、そう思っていた。
演技をしている瞬間だけは、自分じゃない誰かになれる。
その瞬間が、好きだった。
だから諦めたくない。
でも――
「セリフを覚えられない俳優なんて……」
龍は呟いた。
それ以上、言葉が出てこなかった。
しばらく黙ったあと、スマートフォンを手に取る。
「……記憶力を上げる方法」
検索画面に文字を打ち込む。
暗記方法。
睡眠。
食事。
運動。
脳トレ。
いろいろな方法が出てくる。
龍は一つずつ試してみた。
台本を何度も音読する。
セリフを書き写す。
自分の声を録音して聞く。
寝る前に台本を読む。
朝起きて、もう一度確認する。
それでも――
覚えられない。
「……これもダメか」
龍はスマートフォンを置いた。
けれど、諦めることはできなかった。
もっと他に方法があるはずだ。
そう思って、さらに検索する。
すると――
今までとは少し違う言葉が、目に入った。
「記憶力を、脳そのものから改善する方法」
龍の指が止まった。
「……脳そのもの?」
その言葉を、龍はじっと見つめた。
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HAPPY HALLOWEEN
「悪魔AI」は、まだ終わらない――。
TO BE CONTINUED
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