14
「お返しをしたいですわね」
朝。
エレノアは机の上に置かれた髪飾りを眺めながら、そう呟いた。
先日の外出で、セレスティアから贈られた淡い青色の髪飾り。
彼女はそれを大切にしていた。
昨日も、今日も、何度も眺めている。
「お嬢様」
背後からマリアが声をかけた。
「はい?」
「朝からずっと、その髪飾りをご覧になっていますね」
「ええ。素敵な贈り物でしたから」
「セレスティア様からの?」
「そうですわ」
「では、お返しを考えていらっしゃるのですか?」
エレノアは少しだけ頷いた。
「そうなのです。いただいてばかりでは申し訳ございませんもの」
「それは素敵なお考えですね」
「ですが、何を贈ればよいのか分からなくて」
マリアは微笑んだ。
「でしたら、セレスティア様がお喜びになるものを考えてみてはいかがでしょう?」
「お喜びになるもの」
エレノアは真剣な表情になった。
「なるほど。つまり、聖女として必要なものを贈ればよいのですね」
「え?」
「聖女としての活動に役立つ道具。治癒魔法の研究資料。あるいは教会への寄付などもよいかもしれませんわ」
「お嬢様」
「そうですわ! 以前、教会の備品が不足しているという話を聞きました。寄付をすればセレスティアも喜ぶでしょう!」
「お嬢様」
「それならば、寄付額をいくらにするか検討して――」
「お嬢様!」
マリアの声が少し大きくなった。
エレノアは驚いて振り返る。
「な、何ですの?」
「今回は、聖女様への寄付ではなく、セレスティア様への贈り物ですよ」
「同じではありませんの?」
「違います」
マリアはきっぱりと言った。
「セレスティア様は、聖女としてではなく、一人の女性としてお嬢様から何かをいただきたいのではありませんか?」
「一人の女性として」
エレノアは考え込んだ。
(なるほど。難しい問題ですわね)
〜〜〜
その日の午後。
エレノアは公爵邸の書斎にいた。
机の上には、贈り物の候補が並んだ紙が置かれている。
* 高級な宝石
* 王都でも有名な香水
* 希少な魔法書
* 伝統工芸品
* 美しい花束
* 特別な装飾品
「どれも決め手に欠けますわね」
「おや。何を悩んでいるんだい?」
父である公爵が、書斎に入ってきた。
「お父様。実は、セレスティアへの贈り物を考えておりますの」
「ほう」
公爵の眉がぴくりと動いた。
「それはいい。どんなものを考えているんだ?」
エレノアは候補の紙を差し出した。
公爵は一通り目を通す。
「ふむ」
「何か問題がございますか?」
「いや。どれも悪くない。ただ、少し形式的だな」
「形式的?」
「宝石も香水も、相手の好みに合わなければ意味がない。希少な魔法書も、本人が欲しがっているとは限らない」
「確かに」
公爵は紙を机に戻した。
「エレノア。君はセレスティアの何を知っている?」
「何を、ですか?」
「彼女が何を好み、何を大切にし、何をしているときに笑うのか。そういうことだ」
エレノアは少し考えた。
「彼女は花がお好きですわ。特に、自然に咲いている花を眺めるのがお好きだと聞きました」
「ほう」
「それから、甘い焼き菓子も好きです。ただ、聖女としての仕事が忙しく、ゆっくり食べる時間がないことも多いそうです」
「なるほど」
「それと」
エレノアは言葉を止めた。
「それと?」
「わたくしといるとき、よく笑ってくださいます」
公爵は娘の顔を見た。
そして、口元を緩める。
「それは何よりだ」
「何ですの?」
「いや。良いことだと思ってね」
公爵は立ち上がった。
「贈り物は、君自身が考えて決めるといい。高価である必要はない。相手のことを考えて選んだものなら、それで十分だ」
「はい。ありがとうございます、お父様」
公爵は書斎を出ていった。
扉が閉まる直前、彼は小さく呟いた。
「あのセレスティア嬢も、なかなかやるな」
〜〜〜
翌日。
エレノアは王都の市場へ向かっていた。
もちろん、贈り物を探すためである。
マリアも同行している。
「お嬢様、こちらの店はいかがでしょう?」
「花屋ですわね」
「はい。セレスティア様は花がお好きなのでしょう?」
「そうでしたわね」
店内には、色とりどりの花が並んでいた。
赤、白、黄色、紫。
どれも美しい。
しかし、エレノアはなかなか決められなかった。
「うーん……」
「迷われていますね」
「花は美しいのですが、すぐに枯れてしまいますでしょう?」
「そうですね」
「できれば、長く楽しめるものがよいのです」
店主が声をかけてきた。
「それでしたら、こちらはいかがでしょう。鉢植えの花でございます」
店主が持ってきたのは、小さな白い花を咲かせた鉢植えだった。
「まあ」
エレノアは目を輝かせた。
「可愛らしいですわね」
「丈夫で育てやすい品種です。日当たりのよい場所に置いていただければ、長く楽しめますよ」
エレノアは花を眺めた。
そして、ふと月光草を思い出した。
あの花は、セレスティアが訪れるとよく咲く。
ならば、セレスティア自身にも、花を育てる楽しみを知ってもらえたら。
「これにいたしますわ」
「ありがとうございます」
マリアが微笑んだ。
「素敵な贈り物ですね」
「ええ。セレスティアが気に入ってくださるとよいのですが」
「きっと喜ばれますよ」
〜〜〜
しかし。
贈り物を決めた後、エレノアにはもう一つの問題が残っていた。
「手紙ですわね」
「手紙、ですか?」
「ええ。贈り物だけでは少し味気ないでしょう?」
エレノアは便箋を前にして、ペンを持っていた。
「何と書けばよいのでしょう」
「感謝のお言葉などはいかがですか?」
「感謝」
エレノアは書き始めた。
『セレスティアへ。
先日は素敵な髪飾りをありがとうございました。
あなたのお心遣いに感謝いたします。
今後とも良好な関係を――』
「お嬢様」
「はい?」
「最後の一文は必要でしょうか?」
「必要ではありませんの?」
「なんだか、外交文書のようです」
「そうですわね」
エレノアは書き直した。
『セレスティアへ。
先日は素敵な髪飾りをありがとうございました。
あなたが連れていってくださった場所も、お話も、とても楽しかったです。
また一緒に出かけられたら嬉しいです。
エレノア』
書き終えると、エレノアはしばらく手紙を見つめた。
「これでよろしいでしょうか?」
マリアは頷いた。
「はい。とても素敵だと思います」
「そうですか」
「特に最後の一文が」
「また一緒に出かけたいというのは、当然のことではありませんか?」
「ええ。もちろんです」
マリアは微笑んだ。
「当然のことを、手紙に書きたくなる相手がいる。それは素敵なことですね」
エレノアは、何も答えなかった。
ただ、手紙を丁寧に封筒へしまったのであった。
〜〜〜
数日後。
セレスティアのもとへ、小包が届いた。
差出人はエレノア。
「エレノア様から?」
セレスティアは、すぐに包みを開けた。
中には、小さな鉢植えと一通の手紙が入っていた。
『セレスティアへ。
先日は素敵な髪飾りをありがとうございました。
あなたが連れていってくださった場所も、お話も、とても楽しかったです。
また一緒に出かけられたら嬉しいです。
エレノア』
セレスティアは手紙を読み終えた。
そして、もう一度読み直した。
さらに、もう一度。
「また一緒に出かけたい」
頬が赤くなる。
「エレノア様から」
彼女は手紙を胸元に抱きしめた。
「嬉しい……!」
そのとき、侍女が部屋に入ってきた。
「聖女様、お茶をお持ちしました」
「ありがとうございます!」
「聖女様?」
侍女は、セレスティアの様子を見て首を傾げた。
「何か良いことがあったのですか?」
「はい!」
セレスティアは満面の笑みで答えた。
「とても、とても素敵な贈り物をいただいたのです!」
「まあ。何をいただいたのですか?」
「お花です!」
「こちらの鉢植えですか?」
「はい!」
セレスティアは鉢植えを大切そうに眺めた。
「これから毎日、お世話をするのです」
「それは楽しみですね」
「はい。大切に育てます」
そして、もう一度手紙を見つめる。
「エレノア様」
彼女は小さく呟いた。
「わたくしも、またお会いしたいです」
〜〜〜
その日の夕方。
公爵邸では、エレノアが庭の月光草を眺めていた。
「そろそろ返事が届く頃でしょうか」
「お嬢様」
マリアが声をかけた。
「セレスティア様からのお返事が気になるのですか?」
「いえ。そういうわけでは」
「そうですか」
マリアは少し笑った。
「では、なぜ何度も郵便受けをご覧になっているのでしょう?」
「確認ですわ!」
「何の確認でしょう?」
「郵便事情の確認です!」
「まあ。公爵家の郵便事情までお気にされるとは」
「マリア」
「はい」
「少し意地悪ではありませんこと?」
「ふふ。申し訳ございません」
そのとき、庭師が一通の封筒を持ってきた。
「お嬢様。聖女セレスティア様からお手紙が届いております」
エレノアは、思わず一歩前に出た。
「まあ!」
そして、すぐに咳払いをした。
「ありがとうございます。こちらで受け取りますわ」
封を開ける。
そこには、短い返事が書かれていた。
『エレノア様。
素敵なお花をありがとうございます。
毎日、大切に育てますね。
お手紙も、何度も読み返してしまいました。
次のお出かけ、わたくしも楽しみにしています。
それから、もしよろしければ、今度はわたくしのことを「セレス」と呼んでいただけませんか?
二人きりのときだけで構いません。
あなたにだけ、そう呼んでいただけたら嬉しいのです。
セレスティア』
「…………」
エレノアは手紙を見つめた。
「セレス」
口に出してみる。
不思議な響きだった。
セレスティアという名前も好きだが、セレスという呼び方には、また違った親しさがある。
「お嬢様?」
「マリア」
「はい」
「セレス、と呼ぶのは、少し難しいですわね」
「そうですか?」
「ええ。なんだか、特別な呼び方のように感じますもの」
「特別な呼び方なのではありませんか?」
「そうなのかもしれませんわね」
エレノアは手紙を胸元にしまった。
「次に会ったとき、呼んでみますわ」
マリアは、嬉しそうに微笑んだ。
「きっと、セレスティア様は喜ばれますね」
「そうだとよいのですが」
エレノアは月光草に目を向けた。
淡い光を放つ花。
その隣には、セレスティアから贈られた髪飾りが置かれている。
そして今度は、自分から贈った鉢植えが、彼女の部屋で育てられている。
離れていても、少しずつ互いの生活に相手の存在が増えていく。
それは、エレノアにとって初めての経験だった。
「次のお出かけが楽しみですわ」
今度は、誰に聞かせるでもなく、自然にそう口にしていた。
〜〜〜
一方、王宮。
セレスティアの部屋では、贈られた鉢植えが窓辺に置かれていた。
セレスティアは、その花に水をやりながら微笑んでいる。
「大切に育てますね」
彼女は花に語りかけた。
「だって、エレノア様からいただいたものですから」
そのとき、侍女が一通の書状を届けた。
「聖女様。教会からの正式な通達でございます」
「ありがとうございます」
封を開いたセレスティアの表情が、少し変わる。
そこには、来月開催される大規模な聖女祭への出席要請が記されていた。
そして、もう一つ。
聖女祭の式典において、聖女の今後の活動方針と婚姻に関する意向について、教会上層部と王族が協議したいという内容が添えられていた。
セレスティアは静かに書状を閉じた。
「ついに、ですか」
彼女は窓辺の花を見つめた。
せっかく、少しずつ自分の幸せを考えられるようになったのに。
今度は、その幸せを周囲に説明しなければならないらしい。
「でも」
セレスティアは微笑んだ。
「もう、一人ではありませんもの」
彼女の机には、エレノアからの手紙が大切に置かれていた。
次に会ったとき。
今度こそ、彼女に伝えよう。
自分がどれほど彼女を大切に思っているのか。
そして、どれほど彼女の隣にいたいのかを。
聖女としてではなく、一人のセレスティアとして。
その願いは、静かに、けれど確かに強くなっていた。




