第五話 失意の夕方
2022年6月16日(木)
PM 4:30
東京都世田谷区玉川田園調布
永崎邸・1階リビング
side 永崎 裕哉
『現在の確認されている民間人被害者数は、死者1万人以上、行方不明者3万4千人以上、重軽傷者5万人以上となっており、これからも更に増える見通しです。また現在、長野県飯田市、駒ヶ根市、伊那市、下伊那郡の各町村及び岐阜県中津川市の住民救助作業は完全に中止されています。また、岐阜県、静岡県、長野県、山梨県の全域と愛知県豊田市、新城市、北設楽郡の各町村に避難指示が、新潟県、愛知県、群馬県、富山県の全域に避難勧告がそれぞれ発令されています。避難指示が出ている区域にお住まいの方はまず最寄りの広域避難場所に向かい、しばらく待機して下さい。30分に一度、警察に誘導されたバスが最寄りの飛行場か港まで住民の方々を輸送し、そこから船又は飛行機で安全な場所まで移動します。また現在は混乱を避けるため自家用車による避難は禁止となっており……』
そこで俺はリモコンの電源ボタンを押し、テレビを消した。
どうやら相当大きな事件に発展しているようだ。『災害』として見れば恐らく日本にとって戦後最大の被害者数だろう。
俺は賞味期限切れの煎餅を頬張りながらつい先ほど来た新聞の夕刊に目を落とす。
『自衛隊防衛出動』。一面には黒地に白の文字でそんな見出しが載せられていた。
他にも『敵は地球外生命体・政府発表』、『野党からは「国会承認得ずして防衛出動は言語道断」と批判の声も』などという見出しが踊っていた。
今日の夕刊はまるで号外をそのまま出したかのようで、ほとんどの面が防衛出動関連のニュースで埋め尽くされていた。
一通り紙面に目を通した後、俺は通学鞄を開いた。もうそろそろあいつに宿題を渡してもいい頃だろう。鞄の中から担任に手渡されたプリントを取り出す。
それを持って俺は瑠衣の家へと向かった。
何度かインターフォンを鳴らす。
『はい、どちら様でしょうか?』
十数秒後には応答があった。いつもの調子に戻っている感じはする。
「永崎だけど」
『裕哉? ちょっと待って、今開けるから』
直後にオートロックの門が開錠される音が聞こえた。
俺は門を押して中に入る。
少し庭を進んで、玄関の扉を開く。
「どうしたの?」
玄関前の廊下で待っていたらしい瑠衣に聞かれる。
「いや、担任から宿題預かって来たんだよ。『出来そうになければやらなくてもいい』って言ってたけど」
「宿題? 何の?」
「物理の演習プリント。提出期限は明後日だってさ」
「ふーん。ありがと、わざわざ届けてくれて」
「隣なんだし、別にわざわざって程じゃねえよ」
「それもそうね。少し、お茶でも飲んでいく?」
どうする? おそらくこの誘いは一緒に話をしようということなのだろう。しかし、瑠衣の様子はどう考えてもいつもの状態ではない。
話をして余計に落ち込む可能性はないだろうか?
俺の答えは……。
「……分かった。お言葉に甘えさせて貰うよ」
この誘いは瑠衣が話し相手を求めていると考えていいだろう。ここで断れば状況が更に悪化するかもしれない。
「じゃあ、私の部屋で待ってて。紅茶淹れるから」
「ああ、分かった」
俺は靴を脱いで家に上がり、瑠衣の部屋へと向かった。
しばらくすると瑠衣が既製品のパウンドケーキとティーポット、カップを盆に乗せて部屋に入ってきた。
俺の前にあるガラス製のテーブルに盆をのせた後、瑠衣は聞いた。
「砂糖はいる?」
「スプーン二杯くらい。ミルクもお願い」
俺の言葉に瑠衣は頷き、ティーポットからカップに紅茶を注いだ後、砂糖とミルクを注ぐ。
「はい」
ティーカップが俺の前に差し出される。
カップを受け取り、一口啜った。
いつもの味だ。
俺はカップを一度テーブルに置いて、パウンドケーキに手を伸ばした。
ケーキと紅茶を飲み終わった後、俺は瑠衣に聞いた。
「で、調子はどうなんだ?」
瑠衣はどう答えようか少し逡巡したようで、一度ため息を吐いてから俺に答えた。
「……全然。先生に貰った電話番号、なかなか繋がらなかったんだけど本当に方面総監が出てきて、明日にも死亡通知書を送る、本当なら弔問に行きたいけど事態が急激に悪化してて誰も時間を取れないから落ち着いたころにまた来るってさ。それで、一人でいるとどうしても二人のことを考えちゃってね。気晴らしに冷蔵庫を整理してみたら『このドレッシング、父さん好きだったなあ』とか、そんな事ばっかり。音楽を聴いても気分が落ち込むだけだし、顔を洗いに洗面所に行ったら父さんの髭剃りとかそんなのばっかりに目が行って。正直、今日はここに帰るべきじゃなかったと思う。」
「まあ、しょうがないよ。あんまりにいきなりだったし、動揺すんのも無理はないって。……嫌かもしれないけどさ」
俺は行く前に考えたことを心の中で反芻しながら瑠衣に言った。
「しばらく、俺の家に住まないか?」
「……え?」
「いや、家族の思い出が詰まってる家に居たら、こんな時は気分が落ち込む一方で、むしろホテルみたいな自分の家族とあまり関係のない場所の方がいいと思うんだ。でも、さすがにホテルは高くつくし、父さんと母さんはお前の両親の幼馴染でもあるから、きっと受け入れてくれると思う。いや、別に嫌だったらいいんだ。お前の負担を少しでも減らそうと思って考えたけど、余計に気が落ち込むかもしれないしな。どうする?」
……、……。
長い沈黙。
「……そうね。一晩だけ、お世話になろうかしら。このままここにいたら、私、自殺しそうだし」
瑠衣は少し寂しそうに微笑みながら俺に答えた。
何故そんな顔をしたのかはよく分からないけれど、家族のことを考えていたのだろう。
「ああ。荷物を用意したら、家に来てくれ。鍵は開けとくから」
「うん。わかった」
「じゃあ俺は今から母さんと父さんに連絡して許可を取り付けるから、また後で」
「うん。後で行く」
俺はそう言い残して瑠衣の部屋を出た。
家に帰ると俺は真っ先に携帯電話に飛びつき、父親の短縮ダイヤルボタンを押した。
数回のコールの後、声が聞こえてきた。
『裕哉か? どうしたんだ?』
「あ、父さん? ……今、ちょっと大変な事が起きててさ」
『大変な事? 何があったんだ?』
俺の少し深刻な声を聞いて不安感を持ったのか、多少厳しい口調で父さんは俺に質問した。
「瑠衣の親父さんが亡くなった。慶一さんもらしい」
『……なんだと? 慶之が? 慶一くんも?』
「うん。戦死らしい。今日の朝に長野で二人とも。遺体はまだ見つかってないらしいけど」
『……そうか。で、瑠衣ちゃんはどうしてるんだ?』
「かなり落ち込んでる。それで、今日はウチに泊めようと思ってるんだけど、いいかな?」
『何で泊めようと思った?』
恐らく、俺が瑠衣の心の隙を突いて何か良からぬ事を行おうとしているのではないかと疑っているのだろう。
「辛そうだったからだよ。突然家族が全員死んで、家の中でひとりで居て。とにかく辛そうだったんだ」
『そうか。分かった。母さんにはこっちから連絡しておくから、裕哉は瑠衣ちゃんのそばに居てやれ。あの性格だと一人にしておくのは確かに危ないからな』
「分かった。じゃあ、とりあえず一旦切るよ」
『ああ。詳しい話は帰ってから聞かせてもらう。じゃあな』
そして電話機からは断続的なピープ音が鳴り続くだけになった。どうやら電話は切れたらしい。
俺は携帯電話をテーブルの上に置き、瑠衣が来るまでしばらくの間テレビを見ることにしたのだった。
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