第四十四話 紀伊半島東海岸防衛戦 Ⅱ
今回は多少グロテスクな表現があります。
ご注意下さい。
2022年8月14日(月)
11:20
三重県鈴鹿市上野町
国道1号線(東海道)・上野交差点
side 秋嶋夏希〈三等陸曹〉
奴らは私達が目的地である交差点に到着した直後に現れた。
最初に出現したのは現在確認されているセルトアレイアの中で最も速く、小回りが利くとされる小型高速種だ。
映像で見たときにはただ灰色になっただけの虎だと感じていたが、実物は明らかに虎などとは違っていた。
地球上に存在する生物の姿を象りながら、明らかにそれとは違うと分かる異質さ。
その最大の原因は、間違い無く奴らの顔にあるのだろう。
赤外線によって視力を得ているため目がなく、嗅覚は退化しているために鼻もなく、聴覚器官は足に存在するため耳もない。
地球上の哺乳類が間違い無く持っている器官が、奴らにはない。
あるのは赤外線を探知するための、『眼球が無い眼窩』と異様に発達した牙だけだ。
それは、私達にどうとも言いようのない不快感を与えた。
あるべき物がないという違和感と、本来ならば何も見えるはずがないのに一直線にこちらに向かってくるという不安感。
多種多様の負の感情が混合されたその感覚は、一瞬であろうとも私達の本来の任務を忘れさせるのには十分だった。
しかし、そう長い間慄然としていた訳では無い。
「射撃許可! 撃てッ! 撃てェッ!」
永崎の半ば悲鳴じみた絶叫によって正気を取り戻した小隊員たちは次々と小銃や機関銃のセーフティを解除し、奴らに対して猛烈な射撃を開始した。
しかし、撃った弾はその殆どが遙か上空へと飛び去っていく。
当然だ。
これまで一度も自動小銃のフルオート射撃をしたことが無い人間が、碌に狙いも定めずに引き鉄を引けば……反動によって銃身が持ち上げられ、一瞬にして数十度のズレが生じる。
しかし、既に火蓋は切られたのだ。
もう誰にも射撃を止める事など出来ない。
ただ機械的に弾倉を装填し、撃ち続けるだけだった。
結局の所、私達は日本の裕福な子供であり、日常的に銃を執って戦っている内戦国などとは違うのだ。
国を守るという想いがあったとしても、そこに自らの死、などという天秤は存在しない。
そもそも天秤が存在しないのだから死ぬ覚悟があるかと問われてもあっさりと答える事が出来る。
何故なら、自らの死が何を意味するのか理解出来ないからだ。
今頃になって、彼らはそれに気がついてしまった。
実際に敵の脅威と相対して、初めて理解できたのだ。
私はACRのセレクターレバーを単射に設定し、高速種の胴体部に照準を合わせ、引き鉄を3度引いた。
肩に衝撃が加わると同時、発射された6.8mm弾は狙い通りの位置にその全てが着弾し、高速種は墨のように黒い血液を撒き散らしながら倒れこんだ。
確かに、高速種の防御力は低い。
普通に戦えば負ける相手ではない筈だ。
しかし。
高速種たちは味方が1体倒れたのを見るや、突如として散開、一気に速力を上げてこちらに突撃してきた。
それを見た小隊員は更なる恐慌に陥り、最早狙いも何もなく、ただ適当に連射し続ける。
危険だ。
私はそう判断し、口を開いた。
「永崎!」
しかし、肝心の永崎も既に正気を失っているらしく、私の言葉は全く耳に入っていないようだった。
安原中尉も先程から何度も射撃中止の命令を出しているが、誰も反応しないことから、最早此処にいる全員が視野狭窄に陥っていることは間違い無い。
仕方ないか。
私は永崎のいる位置まで走り……永崎の頬を右手で思い切り殴った。
フルオートで射撃している人間に向かって手を出すのは例え味方であっても危険だが、それよりも現在進行形で向かってきているセルトアレイアの方が圧倒的に危険だと判断したのだ。
永崎は頬を押えながら、こちらに向き直り、一体何があったのか分からない、といった様子で立ち尽くしていた。
「永崎、今の状況分かってる? 貴方が指揮官として機能しなくなったら私達が死ぬってこと、分かってる? 分かってるなら前を向いて状況確認! 早く!」
私が早口でまくし立てたためか、永崎は状況を正確に認識したらしく、一瞬にして顔面蒼白となった。
それからは完全に時間の戦いだった。
小隊の全員を次々と殴り飛ばして正気に戻す作業が終了するのが先か、敵がこちらに到達するのが先か。
全員が小銃や機関銃を撃ちまくっているためタイミングも見計らって殴らなければならないのも問題点だったが、やはり少々時間が足りなかった。
敵は最高時速60kmを誇るのだ。
数百メートル進むのに数十秒しか必要としない。
大半が正気に戻った状態ではあったが、敵は既に50mにまで迫っていたのだ。
私は銃を持ち直し、銃身の下部に設置されたグレネードランチャーに指をかけ、発射した。
敵の前方数mで炸裂し、一瞬怯んだ隙を突いて戦線に復帰した隊員たちが単射で応戦を開始した。
多数の高速種がばたばたとさながらドミノのように倒れていくが、それを乗り越えて次々と現れ、そのたびに倒される。
それが数十回続き、ついに……こちらが潰れてしまった。
3人の弾倉交換が被ったことが原因だった。
交換中は勿論私達が援護していたが、右の鈴鹿川を渡河し始めた敵を発見した右側の分隊が勝手に射撃位置を変更し、火力が不足した左側に敵が回り込んできたのだ。
私の分隊の分隊員だった山形昭恵が最初の犠牲者となった。
一瞬で頭が噛み千切られ、恐らくは痛みさえも感じる暇は無かっただろう。
そのため悲鳴も上げなかった。
いや、上げられなかったのだ。
それが部隊に与えた影響は甚大だった。
恐慌というのもおこがましいほどの大混乱に陥り、私達は後ろに向けて銃を撃ちながら逃走することしか出来なかった。
「い、嫌だァッ!」
次に犠牲になったのは誰か知らない。
誰も振り向かなかったからだ。
ただ、声の主が何かに躓いてこけたのであろう事だけは物音から推察することが出来た。
私も振り返りはしたが、声のした方向にあったのは大量の血糊と内蔵の残骸や脳漿などの肉塊、そして襲われた『彼』が持っていたのであろう小銃と背嚢だけだった。
もう既に、私達の小隊は戦闘能力を完全に喪失していたのだ。
そして、後悔は先に立たない。
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