第四十一話 意外な人事
2022年8月14日(月)
09:45
大阪府和泉市伯太町
『日本国防陸軍西部方面軍信太山駐屯地』・体育館
side 永崎裕哉〈一等陸士〉
全候補生が集合した事を確認した後、校長はマイクを手に取り、口を開いた。
「さて、現在の状況についての大まかな所は分隊長に聞いていると思うが、君たちには戦闘装備で三重県に向かって貰う事になる。まだ射撃演習を済ませている教育部が一つもないということは非常に痛いが、致し方ない。分隊長達には10:00にヘリが到着する、と説明したが、燃料補給や物資の積み込み作業などの関係で出動は10:30にずれ込む予定だ」
それは最初から予測していた事だった。
ブリーフィングが行われた時間から30分前後しか離れていない10:00に出発する事など出来るはずが無いのだ。
俺たちは即応系の部隊ではないどころか、そもそも今のところはただの曹候補生に過ぎないのだから。
「君たちは亀山市のJR亀山駅付近に展開して貰う事になる。到着時点での戦況にもよるが敵部隊がそこまで到達するには数時間程度はあるはずだ。それまでに撃退されれば良し、撃退されていなければ、君たちも銃を取って戦う事になるだろう。……と、本来はそういう予定だった」
って、どういうことだ?
本来はそういう予定、ってことは実際は違う、と言うことなのか?
「しかし、この場合もしも敵が到達してしまった場合、ほぼ確実に……いや、確実に君たちのうち3分の2はここに戻ってくることは無いだろう。何故なら君たちはまだ新兵ですら無いからだ。小銃の実射撃など一度もやったことが無い。そんな状態だと、とてもでは無いが前線を任せる事は出来ん。我々は上層部を説得した。『今曹候補生を失うことは後々の戦略に影響を及ぼす可能性がある』と。そして、妥協案が採択された。2個小隊分の人員による防御戦闘への直接参加。簡潔に言えば、最前線に送り出すということだ。それ以外は亀山・伊賀市境に設置された最終防衛線にて支援活動に当たってもらう」
……それは、その60人を生贄にするという宣言だった。
校長は確かに言っていた。確実に3分の2は死ぬと。
最前線で戦えば損耗率は更に増加するだろう。
体育館全体に緊張が走った。
一体誰がその生贄に駆り出されるのか、と。
「しかし、私はその2個小隊を捨て駒にするつもりは無い。こういう場面なら大抵は成績の悪い者を切り捨てる選択に走るだろうが、それはしない。私は出来る限り最小の犠牲で今回の状況を終了させたい。決して『最小限の損害』では無い。教官陣が最前線でも生き残れると考えた者だけを送る。そして、何とか64名の選定を終了させた。一部はボーダーライン上ではあるがそれについては致し方ない。……では、興田教官」
教官が頷き、校長からマイクを受け取った。
「これより前線配属部隊員の発表を行う。4個分隊で1個小隊を編成し、発表は分隊単位で行う。では、第1小隊構成分隊の発表を開始する。……」
もしも俺たちの分隊が入っているのならば真っ先に呼ばれる筈だ。
自分の鼓動がとても大きく感じた。
ある意味、これで呼ばれる事は死刑宣告に近い。
だが、それと同時に呼ばれる事を祈っている自分もいた。
呼ばれる、ということは教官達が『優れている』と認めたと同義だからだ。
そして、興田教官が再度口を開いた。
「第1分隊、第2分隊、第6分隊、第11分隊。以上で第1小隊を編成する。次は第1小隊長及び小隊副長、小隊付教務官の発表に移る。呼ばれた者は起立せよ」
呼ばれた。
呼ばれてしまった。
やはり、ショッキングな出来事ではあった。
もしかすると、慣れ親しんだ分隊の皆と今日で永久の別れを告げなければならないのかもしれないからだ。
「第1小隊長……」
……第2分隊が入っているからには小隊長は間違い無く秋嶋だ。
あいつ以上の適任者などいない。
「……永崎裕哉一等陸士」
一瞬、意味が分からなかった。
理解出来なかった。
間違い無く「あ」の文字が最初に出てくるのだ。
その筈だった。
しかし、最初の言葉は「な」。
間違い無く教官は俺のことを呼んでいた。
「永崎一士、説明を聞いていなかったのか?」
教官の言葉に俺は慌てて立ち上がる。
「は、はいッ!」
「……いいだろう。第1小隊副長、秋嶋夏希一等陸士」
「はい」
数メートル右に座っていた秋嶋が立ち上がる。
「小隊付教務官は安原榮一中尉。続いて、第2小隊構成分隊の発表を行う。第15分隊、第17分隊、第18分隊、第25分隊。続いて第2小隊長、小隊副長、小隊付教務官を発表する。呼ばれた者は起立せよ。第2小隊長……赤坂要一等陸士」
「はい」
「第2小隊副長……山科昌也一等陸士」
「はい」
「小隊付教務官は三辺幸敏中尉。……着席。この2個小隊については戦闘が発生することは確実であるため特別措置として一時的に階級の調整が行われる。第1、第2両小隊長は状況が終了するまでの間二等陸曹に昇級される。小隊副長は三等陸曹とし、各分隊長は陸士長となる。また、小隊長および小隊副長に任命された人物がいる分隊は片方の班長……第1分隊を例にあげるならば秋津一士が分隊長に繰り上がるものとする。臨時昇級者はこの後に階級章を取りに来ること。縫い付けている暇は無いだろうからピンバッジ方式のものを支給する。状況終了後は速やかに返納するように。この2個小隊以外は分隊単位で行動することになる。分隊長には陸士長の階級が臨時で与えられる。同じくこの後階級章を取りに来ること。ヘリ到着後に食料等の支給が行われる。受け取ったらすぐ背嚢に詰め込むこと。また、武器弾薬等についてもヘリ到着後に支給される。……」
教官が校長にマイクを戻した。
「ヘリ到着までは全部隊体育館にて待機せよ。トイレ等については許可するが、教官及び分隊長ないし小隊長に報告してから行くように。10分程後から階級章の支給を開始するので臨時昇級対象者はそれまでには体育館に戻っているように。……初陣となるので不安も多いだろうから他人に迷惑がかからない程度の雑談は許可する。以上だ」
校長は演壇にマイクを置き、体育館から出て行った。
しばらくの間、あまりにも暗すぎる沈黙が訪れた。
それも当然だ。
最前線に行かなければならない絶望と、それに対する同情が折り重なったものなのだから。
さすがの瑠衣も暗い顔で俯いている。
俺もしばらく物思いにでも耽るか……と思った矢先、左肩に何かが触れる感覚が走った。
目を左に向けると、そこには秋嶋がいた。
「……や」
秋嶋は手を少し挙げてただ一言、そう言った。
相変わらずと言うべきか、訳の分からない奴だ。
「……何だ?」
秋嶋は無言で体育館の後方を指差す。
向こうで話したいことがある、ということだろうか?
俺は頷き、立ち上がった。
秋嶋の後ろに着いていく。
俺の予想とは裏腹に、秋嶋は体育館の外に出ようとしていた。
扉の前に立っていた安原中尉に一声掛けた後、俺はいつの間にか体育館の裏まで連れてこられていた。
「……とりあえず、小隊長就任おめでとう」
もしかして、俺が小隊長に選ばれたのが不満なのだろうか?
「あ、ああ。秋嶋の方が適任だとは思うんだけどな」
こう言っておけば不満は軽減されるだろう、と思って発した言葉だったが、秋嶋は首を横に振った。
「ううん。私よりあなたの方が小隊長には適任。私には人の上に立つのは向いてないから」
意外な言葉だった。
こいつはどんな仕事でも率先してこなしてきたし、見ている限りでは分隊員への指示も的確だった。
俺は適当に指示しているだけだったが、秋嶋は個人の適性を考えた上で指示していると感じていたのだ。
「いや、俺なんて適当だし、ドジだしさ。秋嶋も今日のあれ、見てただろ? 仕切りに頭からぶつかってさ。秋嶋は何でも出来るし、真面目だし、俺よりも絶対に小隊長に向いてると思うよ」
「違う。あなたは人の上に立つことが出来るカリスマがある。いくら勉強が出来ても訓練でいい成績を出しても、それだけは先天的なものだからどう頑張っても身につけることが出来ない。あなたは頭も良いし、訓練も人一倍の成果を出している。それにカリスマが加われば私なんて遙か下だから。教官の判断は正しいと思う」
と、いうことは秋嶋が俺を呼び出したのには別の理由があるって事か?
一体何だ?
「……俺はやっぱり秋嶋の方が凄いと思うよ。でも、秋嶋がそう言うのならもしかするとそうなのかもしれない。さっき秋嶋に呼ばれた時、俺が小隊長になったのが不満なのかな、って思ったんだけど、そうじゃないなら何の話なんだ?」
秋嶋は少し顔を顰めて言った。
「……私、全然信用されてない」
俺が小隊長になったのが不満で呼び出したと思われるのは嫌だ、と言うことだろうか?
「ご、ごめん」
「……別に良い。よく考えたら私たちこれまで殆ど会話してなかったから。……とりあえず、本題に入る。多分、今日あなたの分隊でも死者が出ると思う」
「……ああ」
それは、恐らく間違い無い。
一瞬でも油断すれば一瞬で奴らに喰われるだろう。
俺たちが行くのは最前線なのだから。
「それが誰であっても、動揺したらいけない。あなたは小隊長だから。指揮系統が乱れれば、私たちは全滅を免れることは出来ない。まだあなたの分隊員が死ぬと決まった訳では無いけど、もし死んだ時に動揺だけはしないで」
「……ああ」
そうだ。
もし誰かが死んで、俺が動揺すれば小隊員全員を危機に曝すことになるのだ。
「今はこれだけ。他の話はヘリでする。あなたも小隊員との顔合わせはしないといけない」
そういえば、俺たちの教育部じゃない人も小隊員に含まれているんだから顔合わせはしておかないとマズイよな。
「分かった。忠告、ありがとな」
「大したことはしてない。ただ、私が生き残るためだから」
その言葉が真実なのか、俺は知らない。
だが、何となく秋嶋の性格が理解できたような気がした。
その後、俺と秋嶋は無言で体育館へと戻るのだった。
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