第三十八話 死の重さ
2022年8月12日(金)
16:30
大阪府和泉市伯太町
日本国防軍少年曹候補生学校・PX
side 岩瀬梨夏〈一等陸士〉
いつの間にか、私たちがこの学校に入ってから2週間が経っていた。
訓練は日に日に厳しさを増すばかりで、候補生全体の課題はいかにして筋肉痛の痛みをやわらげるか、ということだった。
毎日十数キロのランニングに腹筋やら腕立てやらが加わって、身体の中で痛くない部分などほとんど存在しないといってもいい。
でも、毎日が非常に充実していることは間違い無い。
分隊のみんなとも、かなり仲良くなれたと思う。
それも当然の事だ。
分隊の誰かがミスをすれば、連帯責任として全員に罰則が与えられるのだ。
だから、いつの間にか相互扶助関係のようなものが構築され、それが信頼関係や友人関係へと発展していく。
私たちは入隊の前に少し話をする機会があったためか、他の分隊よりも深い関係になっている。
かといって分隊の皆のことを深く知っている訳では無い。
ただ、少しぎこちなさが解消されているだけだ。
そうやってこの二週間を振り返りながら、私は売店の自動ドアをくぐった。
ひんやりとしたクーラーの冷気が私の身体を撫でる。
それに心地よさを感じながら、文房具コーナーへと足を向けた。
今日ここに来た理由は便箋を買うためだ。
両親への連絡なら公衆電話でも出来るが、佳奈はまだ大怪我で歩くどころか声を出すのも難しい状態だと聞いていたから、せめて手紙で連絡を取ろうと思ったのだ。
この学校にいるのは殆どが未成年ということもあって、売店も娯楽用品やキャラクタ物の文房具などが充実している。
私は棚からデフォルメされたクマの描かれた便箋を手に取り、レジへと向かう。
そして、レジの奥にある郵便の受付窓口に見知った顔を見つけた。
先に会計を済ませるべきか、話しかけるべきか少し悩み、レジに便箋を置いた。
「315円だ」
同じ軍人である上、店員の方が階級が上だから言葉遣いは投げやりだ。
私はそれに頷き、小銭入れから315円を取り出してトレイの上に乗せた。
店員の二曹は便箋の包装の上にシールを貼って手渡してくる。
私は礼を言った後奥に進み、郵便の受付の前に手持ちぶさたな様子で立っている人物に声を掛けた。
「瑠衣さん、どうしたんですか?」
「……ん? ああ、梨夏か。ちょっと、郵便を出そうと思ってね」
瑠衣さんは少しはにかんだ様子で言う。
そういえば、瑠衣さんの実家は東京だった筈だ。
現在は高価な衛星通信しか音声での連絡手段が無いから、むしろ船舶郵便で手紙を送る方が安くつくと聞いたことがある。
恐らく瑠衣さんもそう考えたのだろう。
「親御さんに、ですか?」
しかし、私がそう聞いた直後に、それまで微笑んでいた瑠衣さんの顔が曇った。
「……うん。まあ、そんなところ」
明らかにさっきまでの元気が無くなっている。
この変化を見る限り、瑠衣さんの親はもう……
もしかすると、私はとんでもなく酷いことを聞いてしまったのかもしれない。
どうしよう。
謝ったほうがいいだろうか?
いや、謝れば話を蒸し返すことになってしまう。
私が考えている間に、瑠衣さんはまた口を開いた。
「……って言っても、バレバレだよね。……送り先は親じゃなくて裕哉のお父さん。私の親、もう死んでるし」
やっぱり、そうだったか。
「す、すいません、不躾な質問でした」
いつの間にか私の口からそんな言葉が滑り出していた。
その言葉に瑠衣さんは笑いながら言った。
「別にいいのよ。郵便を送る、っていえば普通親しか思い浮かばないしね」
私は、瑠衣さんの笑顔に違和感を覚えた。
確かに笑ってはいる。
しかしその表情は儚げで、ついさっき親が死んで、それを必死で取り繕おうとしているような顔だ。
私は聞いてはいけないと思ったが、いつのまにか口は言葉を紡ぎ出していた。
「あの、親御さんが亡くなられたのは、最近なんですか?」
私からの質問に瑠衣さんは少し驚いた顔をして、一呼吸置いてから口を開いた。
「……うん。まあ、ちょっと前に四十九日が過ぎたばっかりだから」
それは私にとっても予想外の返答だった。
たった二月ほど前のこと。
……二ヶ月、前。
それは悪夢が訪れた時期。
私たちが今ここにいる原因、セルトアレイアが、本格的な進攻を開始した時期と合致する。
まさか?
「……もしかして、瑠衣さんの親御さんって……」
私の言わんとすることを察したのか、瑠衣さんは静かに答えた。
「そう。……自衛官よ。付け加えるなら兄さんと父さんが、ね」
その口ぶりからすると、恐らく二人とも戦死したのだろう。
実は、瑠衣さんの母親がすでに死んでいる事は知っている。
全中剣道の優勝時のインタビューで言っていたのだから。
つまり、両親を亡くし、兄までも亡くしたということだ。
「……」
私は何も反応することが出来ない。
あまりにも重すぎる。
重すぎて、言うべき言葉が見つからない。
しかし、何かを言わなければ話は終わってしまう。
この重い空気を払拭することなどもう出来ない。
だから、最後まで聞こう。今ここでやめればどちらにもわだかまりやしこりが残ってしまうだろう。
「……他に親戚の方は?」
「いないわよ。今は裕哉のお父さんが保護者になってくれてるけど、養子では無いしね」
「……そう、ですか。……あの、どういう状況で亡くなったんですか?」
私の質問に瑠衣さんは少し苦い顔をしながら答えた。
「私もよく知らないの。知ってるのは父さんと兄さんが長野の南部で死んだ事と、骨とか遺品は見つかっていないってことだけ」
遺骨が見つかっていない。この戦争での犠牲者の殆どがセルトアレイアに喰われて死んでいるからよくある例だとは思う。
しかし、喰われていたとしても、いなかったとしても間違い無く骨や遺品は現存していないだろう。
なぜなら、長野は既に核で完全に焼き尽くされているからだ。
あの隕石があった長野南部と静岡北部は特に重点的に攻撃されているから草木の一本すらまともに残っていないと聞いた。
親の死に目にも会えず、遺骨すら無い。そんな状況に置かれた時の心中など、私に理解できるはずがなかった。
それからの話はずっと上の空で、何を喋っていたのか殆ど思い出せない。
ただ一つ覚えていることは、あの時間違い無く瑠衣さんは泣いていた、と言う事だけだ。
私はそんなもやもやした心境のまま、佳奈への手紙を書くなどという気にはなれず、消灯時間までの間延々と物理の問題集に向かうことしか出来なかった……
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